Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

佐伯周子がシューマンピアノ協奏曲op.54を弾く 4(No.2501)

2016-10-11 23:54:13 | 作曲家・シューマン(1810-1856)

シューマンピアノ協奏曲op.54は、誰を手本に作曲され、誰が手本にしたのか?


  いろいろな解説を読んだが、シューマンピアノ協奏曲op.54の第2楽章と第3楽章が メンデルスゾーンピアノ協奏曲第1番の演奏に影響を受けたことは明記されているが、第1楽章についてのお手本の記載は書かれていないことが多い。ベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」と同じように冒頭にピアノソロが配置されていることを指摘することが多いが、本当か?

ベートーヴェン「皇帝」第1楽章は「協奏曲的ソナタ形式」で呈示されるが、シューマンピアノ協奏曲op.54は「ソナタ形式」で呈示されるので違和感大


なのである。「皇帝」冒頭は ff で開始されるが、シューマンは f で序奏が鳴るが、第1主題は p でそっと奏でられる
  確かに「カデンツァが確定している」「ピアノパートのデュナーミクを書き込んでいる」などの共通点を重視する人の目には手本にしたように見えるんだろう。



  1. 形式的には、シューベルト「さすらい人」幻想曲作品15D760が第1楽章単体でも、全3楽章でも手本


  2. 音響的には、モーツァルトピアノ協奏曲(但し短調作品K.466 & 491 を除く)が手本


となっている。モーツァルトピアノ協奏曲では第23番イ長調K.488 などが手本になった可能性が高い。「オーボエとクラリネットが揃っているから」と言って第24番ハ短調D491 を手本にした、と考えるのは違う、と感じる。
 モーツァルトピアノ協奏曲のピアノソロパートはわずかな例外を除いて、デュナーミクが全く書かれていない。第17番K.453以降は、「木管楽器とピアノの掛け合いが印象的」なのだが、シューマンピアノ協奏曲は冒頭からオーボエとピアノの対話がしっとりと第1主題を囁き合う。
 シューマンは学生時代の18才で既にシューベルト「さすらい人」幻想曲を弾きこなしていた。「循環ソナタ形式」原理を学び習得し、この傑作で花開くこととなったのだ。(ウィーンで引いた訳ではないが、シューベルト生前!)



  1. グリーグピアノ協奏曲イ短調op.16 がシューマンピアノ協奏曲を手本にした、は正しい


      調性も同じ、響きも似ているし、「ソナタ形式」の第1楽章も瓜二つ!!!
  2. ブラームスピアノ協奏曲第1番op.15 がシューマンピアノ協奏曲を手本にした、は誤り



  解説本に「ブラームスがシューマンを手本にした」といくつも目にしたが、あり得ない><

◎ブラームス交響曲第1番ハ短調op.68 = ベートーヴェン交響曲第10番 との評が初演直後からあった。手本はベートーヴェン交響曲!

ピアノ協奏曲でも、ベートーヴェン「皇帝]の後継者 = ベートーヴェンピアノ協奏曲第6番 と呼んで欲しかった>< 


  ベートーヴェンと同じ「協奏曲風ソナタ形式」で書かれており、響きもぶ厚い。ブラームスもクララも「ロベルトのピアノ協奏曲の後継者」と語った、の文章は1度も見たことない。何でこんなバカな解説するのだろうか? 耳ある???


シューマンが「クララのために書いた曲」は以下の4曲



  1. クララ・ヴィークの主題に拠る即興曲op.5


  2. 謝肉祭第12曲「Chiriana」op.9


  3. ピアノソナタ第3番へ短調op.14の最後の楽章の直前楽章(第1稿第4楽章、第2稿第2楽章、第3稿第3楽章)


  4. ピアノ協奏曲イ短調op.54



  この内、最初の即興曲は、クララが編集した『ブライトコプフ旧シューマン全集ピアノソロ巻』では第2巻までには収録されなくて、(恋敵のエルテスティーネ関連で外された「交響的練習曲」op.13や大嫌いなリストに献呈された「幻想曲」op.17と並んで)第3巻に廻された><

「謝肉祭 Chiriana」も「ピアノソナタ第3番へ短調op.14の最後の楽章の直前楽章」もピアノ協奏曲第1楽章展開部冒頭部も全部「変イ長調」!


であり、クララがロベルトに感謝した! こと間違い無し。しかも冒頭が「C-H♭-A♭ーA♭」だったのだ!!!
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佐伯周子がシューマンピアノ協奏曲op.54を弾く 3(No.2498)

2016-10-07 20:10:12 | 作曲家・シューマン(1810-1856)

シューマンピアノ協奏曲イ短調op.54 は「ピアノソロ曲」タイプ? 「歌曲」タイプ?


  私高本は、そこら辺に居て「周辺に迷惑を掛けまくっているクラシック音楽ヒョーロンカ」の一員なので、今日のブログが気に食わない人は即退出して下さい。否定的なコメント書いても、採用しませんからwww


 私高本にとって、「衝撃的な出来事」が(数え間違いで無ければ)6年前にあった。

日本ドイツリート協会「夏季講習」(日本国内で初開催)


である。当時、佐伯周子は「ソロピアニスト」を目指していたので、何だかわからんメールは全部「流して」いた、とのこと。まあ、そうだろな。すると、

日本ドイツリート協会会長 = 岡原慎也 から、電話が掛かって来て、ウェーバー「舞踏への勧誘」ならぬ、「日本ドイツ協会夏季講習への勧誘」があった


とのことである。既にいくつかの契約をしていたので、「行きたいのですが、全期間は既に入っている契約もあり無理です>< 」との回答をした、とのことだが、何と「できる範囲でいいから参加して!」との暖かいお言葉を頂いた。結局(ところどころ虫食い日程で)参加することになった。私高本は、「佐伯周子専属マネジャー」なので、(歌うことも弾くことも出来ないので)聴講料を払って参加させて頂いた。岡原慎也さんに感謝するばかりである。


 (今もそうだが)私高本は猫頭なので、「ドイツリート」については、シューベルトの(しかも一部だけ!)曲しか知らなかった。佐伯周子の課題曲(シューベルトだけでなく、シューマン、ブラームス、ヴォルフ、マーラー、R.シュトラウス などから歌手の皆様が選んだ曲)を「ドイツリートのトップ歌手&ピアニスト」に指導して頂く、と言う「あり得ん状況」を作って頂いた。


 ・・・で、シューマン歌曲の楽譜を見て「唖然」、

シューマンop1 - op.23 ( -1839)の「ピアノソロ作曲時代」は、超絶ダイナミクス指向の作曲家


だったのだが

シューマンop.24 - 39(1840)の「歌曲の年」は、ダイナミクスが小さくなってる>< 


である。


 目を疑うよな(爆


「シューマンのop.23以前のピアノソロ作品のデュナーミク」 > 「シューマンのop.24-39の『歌曲の年』のデュナーミク」


だったことである。「えっ? 歌手パートも、ピアノ伴奏パートも、こんなにデュナーミク狭いの?」が偽らざる感想であった。「リーダースクライス op.25,op.39」「詩人の恋」「女の愛と生涯 op.25」「ミルテの花 op.24」などが、クララと結婚した年に生まれる。その曲は名曲だらけ。岡原慎也さんを始め、名手揃いに指導して頂いたのだ。その中で(指導も受けていない猫頭ヒョーロンカ=私高本は、それまでに作曲された「シューマン:ピアノソロ曲」のダイナミクス無いじゃん!!! と感じていた。う~ん、「シューマンはシューベルトの後継者」なんて言うが、「歌曲のダイナミクスレンジ」を見る限りは言えない水準だ、と私高本は感じる次第である。


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佐伯周子がシューマンピアノ協奏曲op.54を弾く 2(No.2496)

2016-10-05 19:33:08 | 作曲家・シューマン(1810-1856)

ピアノ協奏曲のピアニスト=オペラのタイトルロールと同じヒロイン!


  多くのピアニストが誤解しているのが、「ピアノ協奏曲では、ピアノパートをきちんと演奏すれば、何かあれば指揮者が教えて下さるだろう」と言う誤解。結構蔓延している。至近な例で言えば

N響首席指揮者=パーヴォ・ヤルヴィは良い指揮者であるが、協奏曲指揮者としては「普通のタイプ」。つまりピアニストが必要を申し出れば対応、無ければ楽譜通りタイプ


  人気指揮者であり、共演希望が殺到しているのだろう、ピアノ協奏曲はN響招聘の月にほぼ毎回ピアノ協奏曲がある。9月来日では2人のピアニストと共演したが、先の ラルス・フォークト とのモーツァルトピアノ協奏曲第27番変ロ長調を聴いたが、第1楽章協奏曲的呈示部のオーケストラを14型の弦配置で「ジュピター」のように盛大に鳴らして開始、「フォークトってこんな大きな音量のピアニストだったっけ???」と思いながら聴いていたら、案の定「小さな可憐な音」で不釣り合いだった><
  思えば、2月来日では カティア・ブニアティシュヴィリ とのシューマンピアノ協奏曲イ短調(佐伯周子と同じ曲!)でも、「春」か「ライン」かのように盛大にオケを鳴らしていて、いらいらしたのか第3楽章ロンドソナタ形式で最後にロンド主題が戻って来る箇所で ブニアティシュヴィリ が2小節飛ばしてN響も聴衆も困惑。勿論「ブラヴォー」も来なかった><

 パーヴォ・ヤルヴィ は、縦の線はきちんと合わせるし、「モーツァルトらしさ」「シューマンらしさ」も表現する。ただただ「音量基準が作曲家の交響曲並み」なだけである。「パーヴォ・ヤルヴィのモーツァルト交響曲の音量基準」とか「パーヴォ・ヤルヴィ」のシューマン交響曲の音量基準」をピアニストが事前に知る必要な全くないが、オケ合わせ(N響定期だと、通常練習所で3日X3時間)とゲネプロでピアニストが確認して申し出る必要がある。何も合わなければリハーサル通りに本番も実行する。
 ピアニストの音量は相当に巾があり、私高本が聴いた範囲では、故ペトロフ、小川典子、川上敦子 は音量が桁外れに大きかった。小さいピアニストはあまり協奏曲演奏会では聴かない。向き不向きがあるからなあ><
 録音では、クララ・ハスキル と ラローチャ が音量が小さい(が、極めてうまい)ピアニストである。佐伯周子 はその中間の「普通の音量のピアニスト」である。佐伯周子に感心したのは、オケピアノ=リダクション版の2番ピアノ にきちんと指示を出していたことである。シューマンの楽譜は相当神経質に書かれているのだが、ところどころ「どう合わせるの?合わせなくていいの?」ってところがあり、綿密に時間を掛ける。「ここが合わない箇所なんだ!」と私高本も感服した次第である。


 N響でモーツァルトピアノ協奏曲第27番を弾いた フォークト は「音量バランス」をパーヴォ・ヤルヴィに申し出ていない。(練習所の音量はともかく)ゲネプロの音量チェックが甘過ぎなことは、明らか><
 N響でシューマンピアノ協奏曲イ短調を弾いた ブニアティシュヴィリ も以下同文。「スコア読めてますか?」のレヴェル。こんな人々が「N響定期公演」にご出場なさっているのです><


 オペラに付言する。先日の

二期会「トリスタンとイゾルデ」公演は、Bキャストだけ聴いたが、イゾルデ = 池田香織 は、発散するオーラがオケまで伝わったが、トリスタン = 福井敬 は「声量ペース配分」が制御できず、第3幕では「歌っているだけ」の惨状><





 私高本が大好きなピアニストの1人 = 中村紘子 が、追悼番組で明かされた「15才(14才?)」の逸話が放映された。「サイトウキネンオーケストラ」メンバーに伝承している逸話、とのことである。

中村紘子「斉藤秀雄先生の指揮では弾けません!」発言


  生存者も高齢になっているので、「どんなタイミングでどんな状況下で発言したのか?」は不明確。だが、この後、「演奏会が流れた」情報は無いので、多分「中村紘子のテンポで渋々斉藤秀雄が棒を付けた」のであろう。おそらく「日本音楽コンクール優勝コンサート」なんじゃないだろか?


 私高本が見た番組では「中村紘子の気の強さ」が強調されていたが、

「ピアノ協奏曲のピアニスト = オペラのプリマドンナ」を実行しただけ


である。「ピアノ協奏曲のテンポ」はピアニストが決める、は当たり前である><


 

 「佐伯周子のシューマンピアノ協奏曲イ短調作品54」は、事前準備が「オーケストラパート」まで目配せ万端! ホールの音響とか、わからないことも山積しているのだが、「シフトの広さ」は奥行きがある感触。「デッドホール シフト」は時間の無駄! に感じたが、「準備万端」を感じさせた次第である。
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佐伯周子がシューマンピアノ協奏曲op.54を弾く 1(No.2495)

2016-10-04 22:08:30 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 昨日、(前日のワーグナー「ワルキューレ」鑑賞の疲れが明けたかどうかわからない中、2016.11.23 オーケストラアンサンブル金沢「第10回ピアノ協奏曲の午後」の2回目の「伴走者合わせ」をした。2番ピアノを弾いて下さったのは、洗足学園音楽大学&大学院で同級生だった小形さん。1回目の合わせでは(シューマンのメトロノーム速度よりも速い)「佐伯周子の要求」に「えっ!?」って感じの箇所も多少はあったのだが、2回目はほぼ完璧だった!
  佐伯周子も私高本も聴いたことのない「石川県立音楽堂」の響きはわからない><

  だが、実際に聴いた人の話だと、「サントリーホールと同じか、それ以上に余韻の深いホール」とのこと。私高本の個人的な感想としては、「残響短い対策は不要だろ!」と思っていたのだが、『対策は完璧に!』の佐伯は、「速いテンポ」と「遅いテンポ」の両方を(オケピアノの)小形さんに求めて、実現していた。私高本も「聴いていないホールの音響は断言不可能」なので、ただただ見守るばかりだった><


シューマン:ピアノ協奏曲イ短調op。54 は「ピアニスト=妻=クララ への 最高の捧げ物」


  この曲、出版時(1846年)には、ピアニスト=ヒラー に献呈されたのだが、実際は(献呈しても1円(1マルクか?)にも、財布の足しにならない「妻=クララ」に献呈された曲なのだ!!!


第1楽章第1主題=CHAAの音型=「ダヴィッド同盟 に於ける クララ = キリアーナ = Chiria-na = CHAA


  この音型は、調性に拠って、半音上下する。「A」はAシャープにもAマイナーにもなるし、「H」はHシャープにもHマイナー(=B)にもなる。「A」はAシャープにもAマイナーにも可能性あったのだが、起用されてない><


 ピアノに限らず、「指揮者の協奏曲への興味」は極めて薄い、のが普通。あぁ、日本のオケで最も予算金額が高いN響を例に取るのが良いだろう。2月の「シューマン:ピアノ協奏曲 op.54」も演奏しているし><

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作曲家論 : シューマン第20回(No.1440)

2006-12-13 20:56:05 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 フロレスタンとオイゼビウスを降臨させたのは、金銭的にイタかった。我が家にある酒の内、最も高額な「スペイン産エンブレム入り発泡ワイン」だけを全部呑んで、トンヅラされた。う~ん、シューマン伝記では「ドイツワイン好き」と書いてあったので、「ワインならばドイツワイン好き、質が判らず何でも呑むタイプ」かと、誤解した私高本の頭が悪かったようだ。 いろいろと教わったことも多かったので、(フトコロは痛いが)ヨシとしよう(泣
 本日号にて「シューマン : 作品14」のシリーズは終結する。


『序奏と、クララ・ヴィークの主題による大変奏曲』が実現しかけて実現しなかった ヘ短調ピアノソナタ 作品14


  • 変奏曲緩徐楽章 + 終楽章 → クララ・ヴィークの主題による大変奏曲(交響的練習曲に準じた構成)
  • その前に「序奏」(ショパン「お手をどうぞ」による変奏曲の序奏を目指している) → 1楽章~3楽章 分であり、まとまらなかった

 

 シューマンの脳内に、この「最終稿 = ピアノソナタ第3番ヘ短調 作品14」とされた作品が存在したか? は誰にもわからない。シューマン自身だけはわかっていただろうが、クララもブラームスもわからない。ブライトコプフもわからない。ヘンレもわからない。ショットも(今のところ)わからない。私高本もわからない。

  • フローリアン・ヘンシェル は、「初稿の第1楽章 → 遺稿のスケルツォ → 1853年版出版の スケルツォ → クララ・ヴィークの主題による変奏曲(主題 + 6変奏曲) → プレスティッシモの終楽章」 の 5楽章編成

とはっきり主張している。 これを聴け。

フローリアン・ヘンシェル(p) シューマン:ピアノソナタ第3番 初稿



ヘンシェル ピアノソナタ第3番 初稿(Ars Musici AM14072) 2006年11月28日発売





1,420円(税込)



  • 演奏   :☆☆☆☆☆
  • 資料価値:☆☆☆☆☆
  • 音質   :☆☆☆☆☆


2001年8月28,29日録音。

 この演奏は素晴らしい! 上記の「シューマン設定のストーリー」をはっきりと『ストーリーテラー』として伝えてくれる演奏である。
 ここに明言しよう。

  • 変奏曲(変奏数が通常よりも2変奏曲多い!) → 終楽章 の自然な流れは これまでの録音中最高!
  • ホロヴィッツ盤(BMG)でも聴けなかった構成感
  • ポリーニ盤(DG)でも聴けなかった構成感が
  • フローリアン・ヘンシェル盤には実在し
  • その根源は「大英博物館の自筆譜を丹念に調べた成果!」

である。
 このCDレーベルは今回初めて購入した。相当、金銭的にはキビしいレーベルらしく(私高本と同じ!)、いろいろと「削れる予算は削る」で作られており、ヘンシェル自身の署名記事は(自己紹介を含め)皆無。(あっ、私高本の作った「川上敦子のCD」も同じか、、、)
 ・・・で、演奏は「構成感」については ホロヴィッツやポリーニは足下にも及ばない高い水準である。う~ん、CD選択の根源が揺らぐほど大きなショックがあったCDである。


 このヘ短調ピアノソナタは「3稿」あり、

  1. 第1稿 : 5楽章構成、上記ヘンシェル主張の構成

  2. 第2稿 : 3楽章構成、『=初版』1836年版

  3. 第3稿 : 4楽章構成、『=第2版』1853年版


となる。途中で、変奏曲の数が「6 → 4」に減数、とか、『分散和音 → 重ねる和音』とか、『拍子記号が完全に差し替え』とか、(一流作曲家で無ければ、消える運命にある水準の)「迷惑降りまくり改訂」を繰り返した。 しかも、クララに献呈しておけば「ロベルト死後」も尊重されたのに、モシェレスに献呈し、モシェレス自身からもクレームが付いた(泣
 さらに、追い打ちをかければ『日本を代表するシューマンガクシャ = 前田昭雄』が『音楽之友社 の 権威を賭けた 新編 世界大音楽全集 シューマン ピアノ曲集II 器楽編16』のP195にて
シューマンはヘ短調ソナタを作曲した当初,フィナーレの前にこのスケルツォを置く,5楽章の全体を構想していた

なんて言う
無根拠な暴言 を 日本を代表する媒介に掲載!

していた。 前田昭雄もヒドいが、音楽之友社もヒドいね。
 前田説の順序で、デムスのCDを聴いたが「ハッ? こんな構想をシューマンはしていたの?」と思った記憶がある。「デムスCD発売当初」なので、今の値段の3倍くらいした時に、高掴みしてしまったCDである(泣


 ヘンシェル盤を聴くと、明瞭に浮かび上がることが3点ある。

  1. 全曲構成として、『クララの主題』自体の登場が(手本にしたシューベルト「さすらい人幻想曲」に比べても)遅過ぎである。

  2. 『ヘ短調の支配』が強過ぎて、『ピアノソナタ』または『ピアノ協奏曲』としては色彩感に乏しい

  3. 『初版 = 第2稿 = 1836年版』は、短縮したにも関わらず、『全楽章 = ヘ短調』にしたので、第1稿よりもさらに 単色化した

  4. である。う~ん、うなる。


     ヘンシェル盤は、素晴らしい。ただ、岡原慎也 や 佐伯周子 が『出版されていない この稿を弾いたら もっといいかも!』とは(強欲な私高本は)思う。


    この ヘンシェル盤 が「シューマン没後150年最大の収穫」


    と感じる。 もし、読者の【あなた】がシューマンに興味あるならば、是非是非聴いてほしい!
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作曲家論 : シューマン第19回(No.1438)

2006-12-11 23:27:02 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 さすがに「元祖音楽評論家 兼 作曲家」のシューマン先生は、私高本程度の知識ではなかなか「本心を抉り出す」水準まで達していないかも。 それでも真相を明らかにするぞ!(爆


シューベルト「さすらい人幻想曲」そのままを再現しようとして『大成功』したシューマン ピアノソナタ第3番ヘ短調作品14


  • 高本 : これでよろしいのですよね、シューマン先生の分身のお二方(藁
  • オイゼビウス : (無言)
  • フロレスタン : 失礼では無いか! 初版 → 再版 で「タイトルが変わった曲」が「大成功」のワケないでしょ!
  • 高本 : 当時はそんな状況だったのですか? 勉強になりました!
  • オイゼビウス : (無言)



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作曲家論 : シューマン第18回(No.1437)

2006-12-10 23:41:28 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 今日は 大井範子ソプラノリサイタル を聴いて来た。「イタリアオペラ三昧」だったので、シューマンを書くのはちょっと氣分が違うかも(藁 
 シューマンは「イタリアオペラ罵倒派の最先鋒 = 右翼」だったからなあ(爆


シューベルト「さすらい人幻想曲」そのままを再現しようとして失敗したシューマン ピアノソナタ第3番ヘ短調作品14


  • 高本 : 「インターネットでのみ棲息」とかの誹謗については『停戦』でいいですね、オイゼビウス先生 & フロレスタン先生!
  • フロレスタン&オイゼビウス : 同意する。(シューマンの女性問題を持って来るとは、不埒なヤツだが、侮れない!)
  • 高本 : ・・・で、「先に言え!」と言われたから、言っただけなんですが、問題ありました? 標題の件?
  • オイゼビウス : 詩的な表現は出来ませんかしら?
  • 高本 : 『インターネットでのみ棲息している習性』上、無理かと思います。
  • オイゼビウス : (無言)



  • フロレスタン : 半分は正しいが、半分は違っているだろう、高本君。
  • 高本 : どこが当たっているのでしょうか? どこが違っているのでしょうか?
  • フロレスタン : シューベルト「さすらい人幻想曲」を再現しよう、と言う点は当たっている。『失敗した』が違っている。
  • 高本 : ありがとうございます。 では、ヘ短調ピアノソナタは「成功作」でよろしいのですね?
  • オイゼビウス&フロレスタン : (無言)

 う~ん、何も話さないと言うことは深刻な問題がありそう。なんかヤバかった?
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作曲家論 : シューマン第17回(No.1436)

2006-12-09 09:26:38 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 Piano Music Japan 10周年記念号第2弾は、シューマン! もちろん、ピアノソナタ第3番行きます。本日、ロベルト・シューマン先生ご自身に降臨して頂いてから詳細は掲載させて頂きます。降臨まで、そのまましばらくお待ち下さい(09:26)


 撒き餌を散らして12時間余、やっと「没後150年」のシューマン先生をお迎えすることが出来ました(泣
 「シューベルト グレート楽譜」「シューベルト グレート CD」「シューベルト ト長調ピアノソナタD894 楽譜」「シューベルト ト長調ピアノソナタD894 CD」「パガニーニ カプリース楽譜」「パガニーニ カプリースCD」「ショパン お手をどうぞによる変奏曲 楽譜」「ロリ画像」等々 で霊を呼び寄せようとしたのだが、ことごとく失敗! 最後の最後の手段で「ワイン」で釣ったところ、ご降臨遊ばした(藁 (22:50)


シューマンを迎えたと思ったら「フロレスタンとオイゼビウス」の霊だった(泣


 以下は実況である(爆
  • 高本 : 本日はお忙しい中を「ロベルト・シューマン先生の霊」である、フロレスタン先生とオイゼビウス先生にお越し頂き、感謝するばかりであります。
  • フロレスタン : 同一人物だと言うことはわかっているだろう。失礼だ!
  • オイゼビウス : (無言)
  • 高本 : インターネットWebの世界と言うのは、シューマン先生主筆&発行の「音楽新報」とは違い、誰でもが読む媒体なので、同一人物かどうかは「読者全員が熟知している」と思う方がアブナいんですが。
  • フロレスタン : 「インターネットでのみ、ご活躍の高本氏 = 君」でいいのかね?
  • 高本 : 10年間「インターネットでのみ棲息」しているのでいいと思います。そんなことよりも、シューマン先生の「ピアノソナタ ヘ短調 または オーケストラ無しの協奏曲 ヘ短調」の根源について語って頂きたいのですが。
  • オイゼビウス : 高本君、君も「インターネットでのみの評論家」とか言われて居ても、評論家を標榜しているのであれば、シューマン先生と同じように、まずは堂々と自説を掲げよ! シューマン先生がショパン「お手をどうぞに変奏曲」を絶賛した時のように。
  • 高本 : 恨みっこなしですよ。では、自説を全面開示します。



シューベルト「さすらい人幻想曲」そのままを再現しようとして失敗したシューマン ピアノソナタ第3番ヘ短調作品14


  • 高本 : 言いたいことを上記タイトルに全部表現しました。これでよろしいでしょうか?
  • オイゼビウス : き、君。失礼ではないか! 脱帽したまえ!!
  • 高本 : 私高本は、ゼニが不足していて帽子買えないので被っていないので「脱帽」不可能なんですが!
  • フロレスタン : 帽子購入の問題では無い。心の問題だ。オイゼビウス よ。そこまで詰問するな。バカはバカなりに啓蒙して行かなくてはならない。ラロ先生もおっしゃっていただろう。
  • オイゼビウス : フロレスタン がそこまで言うならば、君に任せよう。



  • 高本 : 結局、ピアノソナタ第3番 = 『循環形式ソナタ』の試み なのですね!
  • フロレスタン : 決めつけは良くない! 君は「インターネットオタク」独自の行動パターンに嵌っていないか?
  • 高本 : 『内容が無いよう!』ではいけないので、内容審査は「法規に照合して最善を!」と言ったのですが。 オタク扱いするならば、こちらも「週刊誌ネタ告発合戦」は応じますよ。 シューマン先生は、クララ以外の女にも手を出していたりして(藁



  • オイゼビウス : この酒うまいな。スペインの酒か、、、 ドン・ジョバンニ 並みか、、、(23:34)

 続きは明日。佐伯周子 は全く出て来ないがな(爆
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作曲家論 : シューマン第16回(No.1417)

2006-11-11 07:09:13 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 お待たせしました。シューマン「作品15&作品16」のCD紹介号です。
--------

ブレンデル シューマン 「子供の情景」&「クライスレリアーナ または 幻想曲」



第1位 ブレンデル (PHILIPS PHCP-10544)





1,529円(税込)



  • 演奏   :☆☆☆☆☆
  • 資料価値:☆☆☆☆☆
  • 音質   :☆☆☆☆☆


1980年8月録音。

ブレンデルが、1978年7月に『モーツァルト:ピアノ協奏曲選集』録音を終えてから、1981年5月に『モーツァルト:ピアノ協奏曲全集を完成させるためのプロジェクト開始』の間に、2つのプロジェクトが開始された。

  1. ブレンデル シューマン 選集(1979.06開始)

  2. ブレンデル ハイドン 選集(1979.09開始)


どちらも中途半端な感じで「何となく霧消した」が、1978.08~1981.04 に録音された演奏は、素晴らしいモノだらけである。
 実は『1978年 = シューベルト没後150年』であり、

  1. 1974年までに録音を終えていた「ブレンデル:シューベルト後期作品集」

  2. 1977年録音「ブレンデル:シューベルト ます5重奏曲」


がシューベルト作品としては信じられないほど世界的にヒットした年である。日本でも秋にフィーバーした。(11月19日が命日だからだろう)
 ・・・で、シューベルト → シューマン と言うのは、自然な流れで 多く録音してくれるかと期待していたのだが、結局「1991年のモーツァルト没後200年」前に「モーツァルトピアノ協奏曲を全曲録音完成」が優先され、前記のように霧消して行く。ブレンデルの「シューマンレパートリー」中でも、「蝶々」「謝肉祭」「ダヴィッド同盟舞曲集」の3曲は、少なくとも録音されなかった。

 演奏は「幻想小曲集」を含め秀逸。細やかな表現をこれだけ緻密に演奏しているワザは超一流。音質も最高。
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作曲家論 : シューマン第15回(No.1414)

2006-11-08 05:57:36 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 シューマン「作品14 = ピアノソナタ第3番 = オーケストラ無しの協奏曲」のCD紹介号です。
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フローリアン・ヘンシェル(p) シューマン:ピアノソナタ第3番 初稿



ヘンシェル ピアノソナタ第3番 初稿(Ars Musici AM14072) 2006年11月28日新発売





1,420円(税込)



  • 演奏   :?????
  • 資料価値:☆☆☆☆☆
  • 音質   :?????(← おそらく相当に良い、と推測)


2001年8月28,29日録音。

 「シューマン没後150年」に発売される全CD中、最も「資料的価値が高いCD」がこれである!

 リンク先を見て頂ければわかるが、

シューマン:管弦楽のない協奏曲 ヘ短調 (大英図書館所蔵「ピアノ・ソナタ第3番」初稿版による5楽章版)


である。これは「世界初録音」では無いか、と思われるが、詳細は不明。但し「極めて珍しい録音」である。

 リンク先の解説で「あれっ?」と思った点が1点ある。【第4楽章に追加の変奏】と言う箇所だ。 多くの「シューマン解説」を読むと、「終楽章前のスケルツォが削除されたまま」と記載されている。この説に従えば「クララ・ヴィークの主題に拠る変奏曲」 = 第3楽章 になるハズ。 ピアニスト = ヘンシェル の解釈はどのようになっているのだろうか?

 ちなみに、ヘンレ版を読むとわかるが、通常演奏されている「クララ・ヴィークの主題に拠る変奏曲」は、「変奏曲が2曲欠けている & 曲順が異なる」なので、ヘンシェル盤 は楽しみが多い。

 このソナタは、3楽章版(第2稿)で聴くと、「シューマンらしい粘着的ロマンティズム」が極めて薄い淡泊な感触が強い。4楽章版(第3稿)でも私高本は感じる。5楽章版の『オリジナル版』で聴きたいと、つねづね思っていたのである。

Teije von GEEST

録音であり、現代の世界を代表する録音エンジニアである。「音質は相当に高い」ことが保証されている。

交響的練習曲作品13 が 最も長い「初稿」演奏が主流


になっているので、

ヘンシェル盤の出来が良ければ、ピアノソナタ第3番も最も長い「初稿」演奏が主流になる予感


がする。 Piano Music Japan では、このCDの批評を必ず掲載する。楽しみに待っていてほしい。(12月にじっくり書く予定です)
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作曲家論 : シューマン第14回(No.1409)

2006-11-03 18:51:27 | 作曲家・シューマン(1810-1856)

シューマンの「幻想曲」の秘密


シューマン自身が「最高傑作」と思っていたピアノ曲は、昨日書いたように

  1. 幻想曲 ハ長調 作品17(リストに献呈)

  2. 幻想曲 または クライスレリアーナ 作品16(ショパンに献呈)


である。この2曲は『幻想曲』と名付けられており、作品番号も隣り合わせで共通点が多い。共通点を挙げてみよう。

  1. 終楽章が「穏やかな軽やかな」主題で開始され、
  2. 全曲が「ささやくように、ゆっくり閉じられる」
  3. 全曲演奏時間が 30分程度の多楽章構成であるにも関わらず
  4. 全曲構成が「シューマン以前のソナタ」に慣れ親しんだ人にはわかり難い = 斬新

である。
 「30分程度のピアノソロ曲」と言えば、既にモーツァルトから存在する。「繰り返し」をモーツァルトの指示通りに実行すれば、相当に時間的には長い!
 モーツァルト → ベートーヴェン → シューベルト のウィーン派3名は、30分程度ピアノソロ曲の伝統を「ソナタ」として脈々と受け継いで来たのである。
 「ソナタ」以外では、「変奏曲」も時間的に長い曲がある。シューマン以前だと

  1. バッハ:「ゴルトベルク変奏曲」BWV988

  2. ベートーヴェン:「ディアベリ変奏曲」作品120


の2曲が存在していた。シューマンは少なくとも、ベートーヴェン:「ディアベリ変奏曲」は知っており、

対抗作品として「交響的練習曲」作品13 を作曲


したと考えられる。他にも大規模変奏曲を構想した後はあるのだが、どうやら

多楽章形式楽曲 > 変奏曲 と結論付けた


ようである。シューマン自身は「交響的練習曲」を最高傑作扱いした形跡が無い。さらに付け加えれば、「交響的練習曲」は
  • 通常の変奏曲の間に
  • 2曲の「主題と無関連」の練習曲が2曲挿入された上
  • 終曲は「全く異なる主題」で開始される「ソナタの終楽章」に相当する曲

である。これは、改訂版でも「基本設計」を変えて、2曲の練習曲をハズしたが、それでも終曲の問題は残ってしまった。

もう1度、2曲の「幻想曲」に戻ってみよう。シューマンが特に工夫を凝らした終曲について、以前に作曲した「多楽章ピアノ曲」とともにまとめて見る。わかり易いように 作曲順に並べてみた のでご覧頂きたい。

  1. 交響的練習曲 作品13(1834/09-1835/01以降) → 速いテンポ f 開始 ff 終了

  2. ピアノソナタ第1番 作品11(1835) → 速いテンポで ff 開始 ff 終了

  3. ピアノソナタ第2番 作品22(1835)初稿 → とても速いテンポで pp 開始 ff 終了

  4. 謝肉祭 作品9(1835) → 中庸テンポ ff 開始、速いテンポ ff 終了

  5. ピアノソナタ第3番 作品14(1836) → やたら速いテンポで p 開始 ff 終了

  6. ダヴィッド同盟舞曲集 作品6(1837) → 中庸のテンポ pp 開始pp 終了。但し 1頁 59小節しか無い

  7. 幻想小曲集 作品12(1838) → 中庸のテンポ f 開始 pp 終了

  8. 子供の情景 作品15(1838) → 中庸のテンポ p 開始 pp 終了


  9. 幻想曲 または クライスレリアーナ 作品16(1838) → 「速く遊ぶように」の速度指示だが、中庸テンポ pp 開始 ppp 終了

  10. 幻想曲 作品17(1839) → 遅いテンポ 強弱記号無し 開始 p 終了



 見れば「一目瞭然」でしょ!

シューマンは 1836 → 1837 に「幻想曲」理想に燃えた作曲家!


である。 シューマンの「幻想曲」は終楽章に秘密があり、最後の最後で「意外感」を聴き手に与えてくれる! 理想の実現までに 1年少々有したが。

・・・で、「シューマン改訂問題」についての結論を出そう。


  1. R.シューマンは
  2. 1836年以前作曲の作品について
  3. 「終楽章 または 終楽章 の直前の楽章」 と 「曲の全体構成バランス」について、極めて懐疑的になり
  4. 改訂を重ね
  5. 「作品全体像」を後世の人たちに見極め難くした

である。このことは Gregorio NARDI  と言う 1964年産まれのイタリア人ピアニストのCDを 偶然に タワーレコード で購入し、聴き、いろいろと自問自答して、やっと気付いたことである。 近い内に Gregorio NARDI についても書きたい。(素晴らしいピアニストである!)
 私高本のシューマン理解は

  1. Gregorio NARDI
  2. 岡原慎也

のおかげが 100% である。
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作曲家論 : シューマン第13回(No.1408)

2006-11-02 21:06:23 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
昨日(2006.11.01)の朝日新聞夕刊(東京文化2版P16)に

吉田秀和 「音楽展望」 久しぶりに掲載!


された。文化勲章が決定して、体の状態も良くなったことだろう! 本当にうれしい!! 「今後は、季節毎に年4回のペースで掲載予定」とのこと。期待しています!!!
 尚、吉田秀和 文化勲章受賞! を読んで、思わず「デビュー作 = 翻訳の シューマン著『音楽と音楽家』」全編を読み直しました。文庫版(=新版)で。私高本の感性とは、ほぼ 180度 違う感性で綴られています(特に『ドイツ音楽が音楽の中心』という思想)が、

  1. 名文であると同時に
  2. 音楽評論として「筋が通っている」

文章でした。 これが、今回の「文化勲章」受賞にも大いにプラスに働いたと感じます。「音楽評論家の大先輩 & 第1人者」として、これからもご活躍してほしいと心から祈っております。
 もちろん、1遍づつの音楽評論については「乗り越えなければならない先達の高い高い評論」として、乗り越えるように批評して行きます。 もちろん、吉田秀和が「シューマンの批評」を大いに越えたこと評価され、今回の受賞に繋がったことは、本当にうれしい限りです。
 吉田秀和が 120才まで 「音楽評論家現役」で頑張ってくれることを心より願っております。
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シューマンの理想


 吉田秀和の「音楽評論家デビュー」は(今から見ると信じられないことだが)
  • 吉田秀和自身の批評ではなく
  • R.シューマンの「音楽と音楽家」翻訳

であった。 吉田の感性がシューマンに近いことは本当に手に取るように感じられる文章。若き日のアホなだけの私高本も、深く感銘を受けたことを憶えている。ビブン調の文章が読み難かったのは、文庫版の前の「装丁凝った単行本」で最初に読んだからと思う。『出会い』は大切とつくづく感じる次第である。

 ・・・で、『シューマンの理想』について、はっきり感じ取れたと思う。ピアノ曲については

  1. 幻想曲 ハ長調 作品17(リストに献呈)

  2. 幻想曲 または クライスレリアーナ 作品16(ショパンに献呈)


の2曲である。 他の曲は「シューマン自身の感性では、この2曲には達しなかった」ことがはっきりわかる。
 シューマンは「心広い音楽評論家」である。『生きている作曲家』にも

  1. リスト

  2. ショパン


は、はっきり「別格」に高く評価していた。他には、ベルリオーズと、メンデルスゾーンを評価していたことは絶対に記憶しておいてほしい。

理解できる範囲の作曲家については分け隔てなく高評価!


 これがシューマンの基本である。ちなみに「理解できなかった生きている大作曲家」も少なからずいて

  1. ロッシーニ

  2. ヴェルディ

  3. ワーグナー


は、何も理解できなかったことが判明している。作風と照合すると、誰もが納得行くのでは無いだろうか?

 シューマン自身は自作の目標を「幻想曲 ハ長調 作品17」と「幻想曲 または クライスレリアーナ 作品16」に置いていたとすると、作品12~14 & 作品22 は「未熟な作品」に感じられただろう。この点については、必ず明日号で記述する。

 『岡原慎也のシューマン論』を読んで、「シューマンの開眼」したように感じる。岡原慎也に感謝するばかりである。

岡原慎也のシューマン演奏会


はいつなのだろうか?
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作曲家論 : シューマン第12回(No.1407)

2006-11-01 22:33:19 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
お待たせしました、「シューマンファン」の皆様。私高本の頭が悪く、「シューマンのピアノ音楽の全体像」が掴めていなかったように思います。もしかすると、「今現在もパー」かも知れませんが。
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彷徨うシューマン


「シューマンの音楽」を追求すると、行き止まる地点があると思う。私高本自身の感触であるが。

  1. 構成上の「確信」が持てない
  2. なぜこのフレーズがここにあるのか?

などなど。シューマンが「直接の手本にした シューベルト & ベートーヴェン」に比べても、あまりにも多い。また、「シューマンを手本にした」と通常考えられる

  1. グリーグ
  2. ブラームス
  3. ドヴォルジャーク

に比べても多い。なぜか?

シューマン自身が「自己の作品に確信持てない」が原因


と思う。 作品番号で 12~14 の3作品 + 作品22 では、この影響が最大。作品14 が最も混乱が大きいが、作品12も作品13も作品22も大きな影響を受けている。
 シューマンの場合、「主題自体の素性問題」は大した影響は無い。 以前に付き合っていた女性の父親(= アマチュア チェロ奏者)の作曲した主題」でも名作が構築できるのだから。
 それでも「迷い」自体は減少しなかった様子である。 この続きは明日号に掲載する。必ず掲載するので、興味ある方は読んで下さい。
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作曲家論 : シューマン第11回 (No.1392)

2006-10-08 21:57:57 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 読者の皆様が「3作品とは 何?」に期待が集中しているのは、はっきりしている。ご心配なく。すぐに発表する。


  1. 「幻想小曲集 作品12」 → 1曲削除した

  2. 「ピアノソナタ 第2番 ト短調」 → 第4楽章 を完全に差し替えてから出版した

  3. 「ピアノソナタ 第3番 ヘ短調」 → 当初「5楽章」のピアノソナタとして設計されたのだが、その後「3楽章版 オーケストラ無しの協奏曲 = 第1版」 → 「4楽章版 ピアノソナタ第3番」 として出版 → 出版時に Cut された曲あり


となっている。 う~ん、この3曲については「根深い問題」を抱え込んでいる曲もあるぞ! 続きは明日の予定です。
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作曲家論 : シューマン第10回 (No.1391)

2006-10-07 21:19:23 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 お待たせしました。

シューマン「交響的練習曲」の続き

である。

 シューマンは「新全集」が Schott から出版されるハズだが、ピアノソロ曲は今のところ1曲も出ていないようだ。「交響的練習曲」について、「方針」が決まらないと出し難いと思うが、まだ決まっていないのだろうか?

  • ブライトコプフから出版された「旧シューマン全集」は
  • 【基本的には】「生前出版された最終稿 = 決定稿」

の考えで、クララ・シューマン の目の黒い内は、編集 & 出版 された。 【基本的には】と 【 】 でくくったのはちょっとワケあり、である。

 クララ・シューマン は極めて嫉妬深い人である。 「シューマンの女性関係」のみならず、「クララよりもピアノのうまい リストにも嫉妬」など、『極めて嫉妬深く』

  • ロベルト・シューマンの「音楽の中身」よりも
  • クララ・シューマンの「怨念」を優先!

して、「旧シューマン全集」は編纂された。マジである。 その為

  1. 幻想曲 作品17 が「リストに献呈された」の理由で削除!

  2. 交響的練習曲 作品13 の内、第2版で削除された2練習曲 と 遺作5練習曲 が「昔の女の父親の主題」と思われる理由で不採用


となった。本当の話である。 う~ん。
 ロベルト・シューマンの「最高傑作」と目される曲2曲ともが、この扱いだったのに、さすがに ブラームス は心を痛め、クララが「旧シューマン全集 編纂」引退後(← 前のブログに「死後」と書いたのは、私高本の誤りでした。訂正済み)に、どちらも「Supplement」として出版したのである。現在私高本が確認できないのは「交響的練習曲 作品13 第1版 → 第2版」で削除された 『2曲の練習曲』について、「旧シューマン全集」で、ブラームスは結局出版したのか? しなかったのか? である。 誰かご存知の方がいらっしゃったならば、教えて頂ければ幸いである。

 21世紀の現在「交響的練習曲 作品13」を 「最終稿 = 第2版」で演奏するピアニストは皆無に近い。おそらく、1950年以降、LPが出てからの主な録音でもほぼ皆無に近いだろう。古いところを当たってみると

  1. ナット(1955)は「第2稿 = 第1版」
  2. ルビンシュタイン(1961)も「第2稿 = 第1版」
  3. ソフロニツキ(1959)は「第1稿 = 第3版」

 随分昔から「最終稿」は敬遠されているのである!

最高傑作作品が、「生前最終正規出版稿」でほとんど演奏されない作曲家


と言うのは、私高本の記憶では、シューマン以外思い浮かばない。 ストラヴィンスキーの3大バレエ「稿問題」は、どの「稿」も演奏する指揮者がいる。ブルックナーの交響曲では、最終稿がほとんど演奏されないのは、まだ「大作曲家」として認められていなかった「第1番」だけ。ショスタコヴィチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」は最近は初稿の方が多いが、最終稿演奏することもあるし・・・

シューマンは大作曲家である。


 これに異論を挟む人は少ない。だが、「新全集」がこれだけ進行状況が悪い作曲家も珍しい。 「新全集大好き」のドイツ人作曲家では、他には皆無なのでは? バッハもヘンデルもハイドンもモーツァルトもベートーヴェンもシューベルトもブラームスも全部出ている!!!

 原因は「どの稿を採択すれば良いのか?」が「シューマン学者筋」で見極められないからだろう。明日号は、「交響的練習曲」前後のピアノ作品3作品の「稿問題」について述べる予定。

 私高本は(聴くのは好きだが)シューマンは(シューベルト、伊福部昭、モーツァルト、リストに比べると)ちょっと苦手かも知れない。
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