Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

新国立劇場オペラ「コジファントゥッテ」批評(No.1869)

2011-05-29 20:56:40 | 批評

新国立劇場オペラ最高のモーツァルト=「コジファントゥッテ」登場


  これまでに新国立劇場モーツァルトオペラは「スカ」だった。「魔笛」から始まって4本上演されたが、どれもスカだった。新国立劇場もそれを知っていて「魔笛」などはチケット代金を下げていた。(ついでに言えばR.シュトラウスもチケット代金安かった。)演出もつまらなくて「ダンボールのフィガロ」にブーイング炸裂したり、演出も歌もオケもボロボロの「ドンジョバンニ」もブーイングが吹き荒れた。
 ・・・と言うところに、東電放射能垂れ流しで、指揮者+歌手3名の来日中止になり「バラの騎士」の二の舞か? とも思われた「コジファントゥッテ」初日にとにかく足を運んだ。「現代読替演出」と聞いていたので大きな期待は持てなかった。


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ヴロンスキー指揮読響6月定期&名曲批評 本編(No.1868)

2011-05-26 20:59:30 | 批評
 月曜に、ヴロンスキー + 読響 のあまりの名演を聴いて、「何を書いたらいいのか?」がわからない状態が本日まで続いた。「頭に血がのぼせ上がった」状態な感じ。高血糖になってないよな、オレ(爆


 読響は(それ以前も単発で聴いていたが)1994年から『継続して聴いている』オケ。在京オケで、現在最も演奏水準が高く、他のオケを引き離している。ドヴォルザーク・ラヴェル・ブルックナー・ベートーヴェン などでの感動的な演奏は数知れず、数えるのが難しいほど多い!
 ・・・のだが、「マーラーの名演」はあることはあるのだが、前記作曲家ほどは感動が来たことが無いのも17年間の実績。東京に住んでいる限り、「マーラー聴くなら都響」と思う人が多いのは、演奏頻度からして普通だろう。かく言う私高本もその1人である。「ベルティーニ + 都響 のマーラー交響曲全曲演奏会」は2回も聴かせてもらった記憶あり。他には「若杉弘 + N響」なんていう演奏会も「第1ツィクルス」を聴いた。読響は、アルブレヒトもセゲルスタムもカンブルランも(!)聴いているが、怒ったことは1回も無いのだが、特に深い印象は無かった。どちらかと言うと「ブルックナー寄りのオケ」が5/22までの偽らざる思いであった。


 マーラー第5番開始前。

指揮者=ヴロンスキー は読響に向かって「お辞儀をして右手を手のひらを上にして出しただけ」で演奏が開始された


 冒頭のトランペットのテンポで「楽章のテンポ設定」が決まる曲! マジ!!

 そこで鳴った

長谷川潤 のトランペットの遅いこと!!!


 「息続きます?」マジで思った。顔を真っ赤にしながら、信じられない遅いテンポで開始されたが、オケ全体が鳴り出すところから「グイッ」とテンポをギアチェンジする。
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ヴロンスキー指揮読響6月定期&名曲批評 予告(No.1867)

2011-05-23 23:51:45 | 批評
 定期演奏会修了直後、読響では珍しく余韻を待ちきれずにややフライング気味の拍手が出た。続いて指揮者=ヴロンスキーが振り向きざまに盛大なブラヴォーの嵐。(後日批評掲載します)
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明日マーラーを聴きに行くことにした(No.1866)

2011-05-22 21:23:15 | 演奏会案内
 サントリーホール読響定期でマーラー交響曲第5番。指揮者=ヴロンスキー とは前週同じ月曜にドヴォルザーク交響曲第8番で超名演! 最近、マーラー音楽に嵌っているので、チケットを2枚用意しておいて良かった。危うく佐伯周子に取られて新国立劇場「椿姫」の二の舞になるところだった・・・
 批評は2演奏会まとめて掲載の予定。ドヴォルザークの時に「全席売り切れ」だったから、早く書いても1人も聴きにいけない演奏会だからなあ・・・
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「子供の不思議な角笛から」の謎を解く(No.1865)

2011-05-21 23:23:28 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

1人の歌手による「決定的名盤」が存在しない「幻の名曲 = 子供の不思議な角笛から」の謎を解く(2)


不人気原因その2

「子供の不思議な角笛から」は使用音域が「G」から「2点B」までの17度(2オクターブ + 3度)もあり、音域が広過ぎる


 楽器によっては「ピアノ」のように88鍵(7オクターブ+3度)も簡単に音出しできる楽器も稀にあるが、普通は(きれいに使える音域は)2~3オクターブの楽器が多い。「声楽」はさらにデリケートなので、普通は「2オクターブ以内」である。マリア・カラス は「3点Es」がきれいに出せるソプラノだったが、「1点C」(← ピアノの真ん中のド)がたっぷりした音量では響かせる自信が無かったからか、「ヴェルディ:レクイエム」の演奏記録が全く残っていない!(← 本当)
 マリア・カラス でさえ「17度」は自由には駆使していない。(低い音のある曲はもちろん演奏しているが、「ヴェルディ:レクイエム」の「リベラメ」冒頭で響かせる自信が無かっただけだろう。


 マーラー「子供の不思議な角笛から」に戻ろう。「2点B」は「張る」必要は無い。だが高音は必要だ。バリトン歌手ではきつい感じ。「2点Gis」張るのが2曲目から終曲に出てくるからなあ(泣
 下もきつい。オーケストラ伴奏が無くなるところで、「A」がある。(第7曲「高度な知性を讃えて」) これは(8分音符だが)落とすと音楽が成り立たない。さすがに響かせるのは「1点D」くらいのようだが。第12曲の終曲が「1点C 2分音符」か、、、

  1. 「2点Gis」まで朗々と響かせるバリトン
  2. 「1点C」まで朗々と響かせるソプラノ

 常人じゃ無理だよな(泣


「子供の不思議な角笛から」は使用音域の音程が広過ぎるのが原因で全曲演奏されない



 これはどうやら事実である(爆
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「子供の不思議な角笛から」の謎を解く(No.1864)

2011-05-20 23:19:22 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 コメント欄に質問があった、多くの人には疑問だったんだろうあな(爆

歌手がオーケストラを雇って演奏会を開くことは実際にあるのでしょうか?


 さて、回答である。近未来の東京の演奏会では見付けられなかった。しかし実在している。読者の皆様が確認できる近過去の名演奏会を紹介しよう。

河野克典「マーラー」演奏会 NHK交響楽団 沼尻竜典(指揮)録音時期:2008年7月6日サントリーホール(ライブ)


 この演奏会は当時大いに話題になりました。「日本を代表するマーラー歌手 = 河野克典」が、サントリーホールでN響バックに「全マーラープログラム」歌うことで。翌年「ライブCD」まで発売され、当日会場にいらっしゃることが出来なかった人もその真価を聴くことができるようになりました。河野克典 の評価は高まり、今年4月の「ノリントン + N響 のさすらう若人の歌」で、ピンチヒッターを務めてくれたおかげで、演奏会は無事に開催できました。河野克典 がN響から「マーラー歌手」として、厚い信頼を得ているからです。河野克典 は「さすらう若人の歌」が最も合っていると感じているようで、「子供の不思議な角笛から」は3曲だけ歌っています。
 この演奏会は、CDも発売されたように「河野克典」がプロデュースした演奏会です。「河野克典 = マーラー歌手」としての地位を断固としたものにした演奏会だった、と考えられるでしょう!
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「子供の不思議な角笛から」の謎を解く(No.1863)

2011-05-19 14:17:06 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

1人の歌手による「決定的名盤」が存在しない「幻の名曲 = 子供の不思議な角笛から」の謎を解く(1)


 オーケストラ伴奏マーラー歌曲中、時間的に最長の曲集 = 「子供の不思議な角笛から」である。オーケストラ伴奏歌曲集は4集ある。

  1. 「さすらう若人の歌」4曲
  2. 「子供の不思議な角笛から」12曲(13または14曲で演奏する人もいる。後述)
  3. 「リュッケルト歌曲集」4曲(プットマン編曲を1曲加える人もあり)
  4. 「亡き子をしのぶ歌」5曲

 この4集の内、他の3集は決定的名盤が「歌手名」にて古く古くから存在している。

  1. 「さすらう若人の歌」 → フィッシャー=ディースカウ(1952,フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管)


  2. 「子供の不思議な角笛から」???


  3. 「リュッケルト歌曲集」 → フェリアー(1952,ワルター指揮ウィーンフィル3曲のみ)または フィッシャー=ディースカウ(1963,ベーム指揮ベルリンフィル)


  4. 「亡き子をしのぶ歌」 → フェリアー(1949,ワルター指揮ウィーンフィル)



 他の3集は、大歌手を前面に立てて大指揮者がこぞってモノラル時代から振っている。これが「子供の不思議な角笛から」だけは違うのだ。フェリアーは「正規録音」が死ぬまで声が掛からなかっただけでなく、放送録音も残っていない。「全曲版が無い」のでなく、1曲も無いのだ! フィッシャー=ディースカウ だけはさすがに、引退までに3度「正式全曲録音」の声が掛かった。

  1. 1968.03 シュヴァルツコプフ+フィッシャー=ディースカウ(セル指揮ロンドン響)
  2. 1978.02 フィッシャー=ディースカウ全曲録音(バレンボイムp伴奏)
  3. 1989.04 フィッシャー=ディースカウ全曲録音(バレンボイム指揮ベルリンフィル)

 EMI「マーラー大全集」 にセル指揮は全曲収められているが、リンク先を追っていくと当該CDに顔写真が掲載されているのはシュヴァルツコプフ だけである(爆
 1968年以前に、カール・エンゲルのピアノ伴奏で数曲はDGに録音しているようだが、1952年に「さすらう若人の歌」をフルトヴェングラー指揮で録音してから16年もの年月を要して、しかも半分だけ担当に至っている。他の3集とは「別扱い」だ。
 さすがに、「シュヴァルツコプフ+フィッシャー=ディースカウ+セル」の盤は「名盤」の定評を得ているが、フィッシャー=ディースカウ1人の盤とは誰も考えない。むしろ「セル指揮の名盤」扱いである。その後、いろいろな指揮者が「セル盤越すぞ!」との意気込みで、「子供の不思議な角笛から」を振った。バーンスタイン、ハイティンク、バレンボイム、アバド、インバル、テンシュテット、シャイー、マッケラス、ヘレヴェッヘ、ブーレーズ などの「一流マーラー指揮者」たちが振っているが、セル盤を見習ったのかほとんど全ての盤が「歌手は男女2名」体制である。中には「4名歌手体制」の指揮者もいる!!!

オーケストラ伴奏「子供の不思議な角笛から」を1人で歌い切っているのは、フィッシャー=ディースカウ+バレンボイム+ベルリンフィル と ハンプソン盤 の「歌い振り」盤のみ


しか見当たらない。ハンプソンは、既に1回、1993年6月に「ジェフリー・パーソンズ(p)」で全曲録音している。2度目の「1人録音」であり快挙!
 ・・・なんだが、全く話題に登っていないし、HMV売り上げランキングも上昇していない。1度目のピアノ伴奏盤も全く話題になっていない。実は、

フィッシャー=ディースカウ と ハンプソン しか「子供の不思議な角笛から」の『1人歌い録音』はいない!


ようなのだ。それにも関わらず、(グールドのモーツァルトのような)悪評も含めて「話題」に全く登らない。つまり

「歌い手」「指揮者」「聴衆」から関心を持たれていない曲集 = 「子供の不思議な角笛から」


という図式が見えて来る。他の3集は、フェリアー、フィッシャー=ディースカウ、ハンプソン に限らず、ベイカー や ゾッフェル や ヘンシェル などが、オーケストラ伴奏で名演奏を聴かせてくれているにも関わらず、である。


不人気原因その1

「子供の不思議な角笛から」は、全曲演奏時間が「合唱無し」オーケストラ伴奏歌曲として異常に長過ぎる


  どうもこれが大きな原因の1つである。マーラー「子供の不思議な角笛から」よりも時間が長いオーケストラ伴奏の「歌」は数多い。ヴェルディ「レクイエム」、ブラームス「ドイツレクイエム」、ハイドン「天地創造」と「四季」などなど。どれもが「合唱」が付いている。むしろ「合唱の合間に独唱がある」と言った方が実態に合っている。この手の曲は、「合唱団」が主催してくれて、オーケストラとソリストと指揮者を招聘して演奏会が成立することが圧倒的に多い。時々、どうしようもない合唱団のCDがリリースされたりして事情を知らない購入者がHMVに「怒りの投稿」をしているのを拝見するが、Piano Music Japan 読者の皆様は怒ってはいけない。根本的に「アマチュア合唱団がスポンサーで成立している演奏でありCD」だからだ。アメリカの市民合唱団のCDを購入して「音程も、ドイツ語ディクションも、全然なっていない!」などと怒るのは筋違いである。購入時に合唱団を確認して「オペラ団」か「放送合唱団」であれば一定水準は確保できる。他の名称ならば、よ~く「裏付け」を取ってから発注ボタンを押すことだ(爆
 合唱団がスポンサーになってくれない、となると、オーケストラか指揮者か歌手が金銭的責任を負うことになる。個別に考えてみよう。


オーケストラが主催で「子供の不思議な角笛から」を開きたいか?


 オーケストラ団員は基本的に「伴奏」は嫌いである(爆

 集客に問題さえなければ、ソリストを招聘したくない。金銭的に出費がかさむだけでなく、

伴奏だと「音楽的賞賛はほぼ全てソリストだけが独占する」から


である。同じマーラーを演奏するなら、交響曲第1番「巨人」ならばホルン全員やコントラバス首席が絶賛の大ブラヴォーを浴びる可能性が極めて高いし、第5番ならばトランペット首席が賞賛されるだろう。「子供の不思議な角笛から」でオーケストラが賞賛されるとは考えにくい。すると、「時間が長過ぎる」全曲演奏は避ける。時間調整程度に数曲歌う場を提供して、集客してくれれば「歌手招聘の目的」は達成されるからである。在京オーケストラ定期演奏会は、皆このパターンでしか演奏しない。「全曲」の必要性が集客に影響ない、と考えられるからだ。他の3集は時間が手頃なので、「リュッケルト歌曲集」16分よりも短い15分以下に設定する。数曲抜粋で歌うことは充分可能。


指揮者が主催で「子供の不思議な角笛から」を振りたいか?


 「マーラー指揮者」と呼ばれることは栄誉である。東京都交響楽団は歴代の常任指揮者に「マーラー指揮者」を並べて来た。若杉弘、ベルティーニ、インバル を挙げれば納得してもらえることだろう。明日には「マーラー指揮者」と呼ばれたいと考えて、指揮者が主催する演奏会ではどうしても「交響曲」が中心に座っていなければならない。すると、最も短い第4番でも50分はゆうに越す時間が必要だ。ハイドンやモーツァルトと組み合わせる指揮者が多いが、「最終楽章にソプラノを呼んだから、マーラー歌曲歌いますか?」となることがあっても、50分を遙かに超す「子供の不思議な角笛から」全曲は長過ぎるので組み合わせない。リハーサルの時間も食ってしまうからなあ・・・

 「マーラー指揮者」指向の人でさえ、このように考える。マーラー指揮者を指向しない人だと、さらに難しい。ベートーヴェン交響曲第7番とかドヴォルザーク交響曲第9番「新世界」辺りならば、時間的には収まることは収まるし、特に管楽器が無闇やたらと増えるわけでもないので、時間的には可能にも思えるのだが、リハーサルにやたら時間を取られそうに思う。

オーケストラ団員の皆様が「慣れていない」曲は、時間を無闇に食うから


である。同じ時間ならば、マーラー交響曲第1番「巨人」や第4番の方がはるかに効率良い。指揮者が主催でリスクを負うことは全指揮者が避けて当たり前なのだ。


歌手(ソリスト)が主催で「子供の不思議な角笛から」を開きたいか?


 「マーラー歌手」と呼ばれることは栄誉である。フェリアー、フィッシャー=ディースカウ、ハンプソン、ベイカー、ヘンシェル などの「盤歴」を見れば明らかだが、「マーラー交響曲&歌曲」で引く手あまたになる。「明日のフェリアー」「明日のフィッシャー=ディースカウ」を目指して、先行投資する歌手がいても不思議は無い。幸いなことに(?)、マーラーも交響曲ほどの大編成で「オーケストラ伴奏歌曲」は書いていない。「子供の不思議な角笛から」も同様。3管編成で、打楽器4名、ハープ1名。弦楽器は「ヘレヴェッヘ + ヘンシェル + コノリー盤」記載で、11+12+9+8+6。「オペラアリアの夕べ」開催に比べて、特段大きな編成ではない。ワーグナーと比べてではなく、ヴェルディ や プッチーニ と比べてである。これならば、「ソリスト歌手主催」での演奏会が盛会になってもいいかな? と思われる。

 ・・・で、ここでも「長過ぎる」の壁にぶつかる。シューベルト「冬の旅」や「美しき水車屋の娘」は「休憩なしで全曲演奏で1演奏会」が定着している。「時間が短いぞ~!」とクレームを付ける客はいない。「美しき水車屋の娘」は全曲が約60分。「子供の不思議な角笛から」全12曲だと5分程度足りないが、モーツァルト「魔笛」序曲か「フィガロの結婚」序曲を加えておけば無問題。
 ・・・と思いきや、「水車屋の娘」とは桁違いの「声の負担」があるのだ。(フルコンサートグランドピアノで蓋全開とはいえ)ピアノ1台が伴奏する「シューベルトピアノ伴奏リート」と、3管編成オーケストラ伴奏の「子供の不思議な角笛から」では「声の負担」が桁違いだ。
 「オーケストラ伴奏アリアの夕べ」演奏会を聴いた方は、「カヴァレリアルスティカーナ」間奏曲を聴かされた方が圧倒的に多いことだろう。「オレはソプラノ(バリトンでもテナーでも同じ)を聴きに来たのに、何だこりゃ?」って思う方も少なくない。終曲後の拍手はいつも圧倒的に減ることが常(爆
 指揮者もオーケストラ団員も怒ることはない。全部「想定内」なのだ。実は、演奏会を主催したソプラノが「息を整えるための時間繋ぎ」プログラムなのだから。
 ・・・で、新進ソプラノ歌手はどこに「間奏曲」を入れるのか? 「子供の不思議な角笛から」は「美しき水車屋の娘」や「冬の旅」とは違って「ストーリー仕立て」にはなっていないので、全12曲を一気に歌う必要は無い。途中で休憩を入れても大丈夫だろう。すると(テンポ設定次第だが)前半25分強、後半25分強。25分ぶっつづけにアリアを歌う、はあり得ないので、何か挿入曲を入れる必要がある。「イタリアオペラアリアの夕べ」ならば、「カヴァレリアルスティカーナ」間奏曲とか、「椿姫」前奏曲とかが違和感無いのだが、何入れます???
 マーラー「花の章」は大丈夫だろう。前半は何とか乗り切れるかも知れない。後半で1回入れるのは何にする? 交響曲第10番アダージオ? あれは重過ぎて無理。他に適当な曲は思い浮かばない。「魔笛」序曲とかは「中途に差し込み」の曲ではないからなあ(爆

 結局「一気に歌う」しか残された道は無い。声が保つかな? 録音ならば、フィッシャー=ディースカウ と ハンプソン が(ピアノ伴奏も含めて)実行しているが「ライブ録音」は今のところ「オーケストラ伴奏」盤では1種類も出ていない。バーンスタインが弾くピアノ伴奏盤が1種類だけ出ていることは出ているが、男女2名起用演奏である。
 ライブ録音では、フィッシャー=ディースカウ は「サヴァリッシュピアノ伴奏盤」が最も「子供の不思議な角笛から」曲数が多いが、9曲。しかも途中に他の曲を入れている。
 ・・・ということは、「オーケストラ伴奏で全曲演奏をソリスト歌手主催」と言うのも無理、が21世紀まで続いているワケだ。


「子供の不思議な角笛から」は時間が長過ぎるのが原因で全曲演奏されない


 これはどうやら事実である(爆
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作曲家・マーラー(1860-1911)(No.1862)

2011-05-18 12:09:14 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

Piano Music Japan マーラー歌曲 徹底分析宣言


 今日5月18日はマーラーの命日だ。マーラーは人気作曲家である。google で「マーラー」で検索すると、多くの方が極めて細かにマーラーを分析していることがわかる。例えば

  1. 同曲比較試聴分析(← 山ほどあるぞ!)
  2. 交響曲第1番「巨人」の成立過程(← 相当に複雑)
  3. 交響曲第1番「巨人」CDの使用楽譜分析
  4. 交響曲第2番「復活」CDの使用楽譜分析

などは、それはそれは細かい分析が多くの皆様に為されている。
 ・・・で、googleで「マーラー 歌曲」と入れると、上記のようなサイトは存在しない。何で?

必要と思われることで「他人が実行しないこと」は Piano Music Japan が実行する!


 この原理原則に則って、「マーラー歌曲 徹底分析宣言」をマーラー命日の本日宣告する。「作曲家:グルダ」並みに行きまっせ!
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作曲家・マーラー(1860-1911)(No.1861)

2011-05-17 20:19:30 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
明日が没後100年の命日に当たるマーラーを「作曲家シリーズ」で取り上げることにした。「作曲家:グルダ」に次ぐ「ウィーンの作曲家」の登場。当"Piano Music Japan" は「ウィーンは最重点都市」なので、記事数順に

  1. SCHUBERT
  2. GULDA
  3. MOZART
  4. MAHLER

と取り上げる。「ベートーヴェンが入っていない」などのクレームはコメント欄に書き込んでも消去するのであしからず!

「ピアノソロ曲無し」「ピアノ協奏曲無し」「ピアノ連弾無し」作曲家を取り上げるのは初めてである。ヴェルディなども好きな作曲家だが、「作曲家シリーズ」で取り上げるつもりは皆無。
実は先週土曜日に 老田裕子 の「若き日の歌」(抜粋4曲)を聴いてからというもの、マーラー に嵌ってしまった。大阪から帰宅してから、マーラー聴きまくり状態。交響曲よりも歌曲! ピアノ伴奏も聴きまくっているが、オーケストラ伴奏も聴きまくっている。ざっくり主要歌曲について書いておこう。

マーラー主要歌曲一覧



  1. 「若き日の歌」全14曲 ピアノ版のみ


  2. 「さすらう若人の歌」全4曲 ピアノ版 + オーケストラ版


  3. 「不思議な子供の角笛」全15曲 ピアノ版全15曲 + オーケストラ版全12曲(または全14曲)


  4. 「リュッケルト歌曲集全5曲 ピアノ版全5曲 + オーケストラ版全4曲


  5. 「亡き子をしのぶ歌」全5曲 オーケストラ版のみ




「ピアノ版 + オーケストラ版」が存在する曲に限って「曲数が違う」が特徴


 この辺りは切り込んで行きまっせ(藁
他にも、初期歌曲が3曲あるとのことだが、2曲という資料もあり詳細不明。"Piano Music Japan" は名前の通り、ピアノ版のある曲中心に評価する。「亡き子をしのぶ歌」はよくわからん(爆
 明日命日には「亡き子をしのぶ歌」を聴きに行くし、来週月曜5/23には交響曲第5番を聴きに行く。どちらもピアノ版無い曲じゃん!

 マーラーの「ピアノ伴奏歌曲」が無ければ、R.シュトラウスのピアノ伴奏歌曲があれほどの質&量が生まれていたか? と感じる。どれも名曲だ > マーラーのピアノ伴奏歌曲。

マーラー(1860.07.07-1911.05.18)総合評価


ピアノソロ曲:
ピアノ協奏曲:
ピアノ室内楽:☆
連弾&2台 :
歌曲伴奏  :☆☆☆☆☆
ピアノ教育 :

音楽史評価 :☆☆☆☆☆

コメント 等は明日号以降にて。
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日本ドイツリート協会第4回コンサート(大阪)批評 続(No.1860)

2011-05-16 00:15:52 | 批評
 続きである。ド頭に 大島知子+岡原慎也 だったが、休憩直後に 辻村明香 + 岡原慎也 で「シェーンベルク作品2全4曲」だった。この曲は、実は、グレン・グールド が「コンサート・ドロップアウト」直後から開始した「シェーンベルク:作品番号付きピアノ伴奏歌曲全集」の第1弾で録音している曲であり、全集の中でもおそらく最も成功した録音が残っている。

Ellen FAULL(S) + Glenn GOULD(P) : SCHOEBERG Op.2


 シェーンベルクは「変なヤツ」で高声用のピアノ伴奏歌曲はこれ1集しか作品番号付きでは残していないので、聴いて予習してから大阪に行った。辻村 + 岡原 を聴いて唖然。

辻村明香 + 岡原慎也の「シェーンベルク:作品2」の方が遙かに名演じゃん!


 グールドは「録音に人生賭けた」人だから、編集も含めて「オレを越すヤツいないだろう」と思って、少なくとも「バッハ + 新ウィーン楽派」は録音している。良い録音だ。それも認める。それを、つい半年前に聴いている 辻村明香 が越す! とは(不明にして)全く思っていなかった。曲は(チラシが不明瞭な書き方をしていたにも関わらず)ドンピシャリだったのだが。


 辻村明香 のシェーンベルクは、「声の魅力」だけでなく、「怪しげな後期ロマン派の暗いシェーンベルク」の世界を十全に聴かせてくれていた。グールドが「コンサート・ドロップアウト」した直後でさえ、実現できなかった高み! 辻村は(昨年夏のJDL夏期講習で、佐伯周子と組ませて頂いていたので)レッスンは聴かせてもらっていた。「同じソプラノ?!」って感じ。全く別人のように、声量があり、高音がのびている。(佐伯が悪かったワケではないことは明記しておく。他のピアニストとのレッスンも聴講させて頂いていているからだ!)
 「グールドのシェーンベルクを超す」は、実はあまりにも高いハードルなことは(わかる人には)わかることだろう。辻村 + 岡原 は、やすやすと越してしまったのだ! 辻村の魅力は「高音」。ソプラノでも辻村ほど、美しく引っ張れる人は少ない。後期ロマン派ドイツリートを牽引するソプラノになる予感がする。

 ここで明言しておかなければならないことがある。

「大島知子 & 辻村明香 の実力 = 2011年5月14日の演奏」である


ことだ。多くの人が「岡原先生が120%の力を引き出してくれた」みたいな賛辞を言うだろうが、そんなことは絶対に無い。「無い力」を引き出すなんて、オカルトの世界だ。岡原慎也でもできない。あくまで、大島知子と辻村明香がこれまで培って来た力が根源だ。岡原慎也が発声を矯正してくれたワケでは無い(爆
 但し、極めて多くの演奏家(ここで声楽家だけでないことは声を大にして言いたい)は

自分の力を見極める力量に欠けている演奏家が圧倒的多数


 分かり易い例を挙げると、マリア・カラス も同じ。自分自身では「カヴァレリア・ルスティカーナ」辺りが似合っている、と思っていたのが、指揮者=セラフィン にワーグナーの「イゾルデ」「ブリュンヒルデ」などが合うことを認められ、フィレンツェ歌劇場音楽監督シチリアーニに出会って「ノルマ」を歌い始めた。あぁ、セラフィンとシチリアーニに出会わなかったら、マリア・カラスでさえ埋もれていたんだよな(爆

 大島知子 と 辻村明香 には自信をもってほしい。さらに付け加えれば

岡原慎也と「CD1枚分」のレパートリーを作って録音してほしい


と感じた。もし出来たならば真っ先に購入して聴く。


 ・・・で、「岡原慎也伴奏」だけに感動したか? と言われると違う。(ちょっと拙い発言になったか?)
老田裕子の歌唱を別にして、信じられないピアニストが居たのだ。事前には何も聞いていなかった。「法貴彩子(ほうきさやこ)」と言うピアニストが、JDL副会長の浅田啓子の伴奏をした。シューマン「リーダースクライス作品39」から6曲抜粋。目の前に居るのは、岡原慎也とは全く違う若い女流ピアニストなのに、「間の取り方」とか「バランス」が絶妙。どのくらい絶妙か? と問われれば「2年前のJDL創立記念演奏会時の 浅田 + 岡原」よりも遙かに良かった! である。聴いた瞬間はマジで信じられない思い。おそらく「音楽的相性が 浅田 + 法貴」の方が良いのだろう。「合わせの時間の多少」とか「JDLの事務的な打ち合わせばかりに気が行った」などかもしれない(会長と副会長だからなあ)が、単純に「聴いた結果」ははっきり「浅田 + 法貴」が圧倒的に上だった。よくわからん(泣
 法貴は「目が離せない」ピアニストだ。


 「老田裕子のマーラー」は、歌唱は素晴らしかった。期待通り、と言うか、期待を越していた点も多かった。選曲が凝っていて「若き日の歌」から「レアンダー詩」の2曲全曲と、マーラー詩の「ハンスとグレーテ」と、不思議な角笛から「別離」。

レアンダー詩の2曲は老田裕子の魅力を引き出せたのだが、後半2曲では「マーラーのえげつない作曲」を表出できなかった


結果になってしまった。ピアニストの宇都世那は、「マーラーのあこぎな世界」に入るのをためらったようだ。ピアニストが岡原慎也か法貴彩子だったら、さらに素晴らしい演奏になっただろう! と思うと残念でならなかった。宇都世那 は「レーンダー詩」の2曲の水準を維持して全4曲を弾いてほしい。次回に期待する。今回出演者の中で、歌手&ピアニストを問わず、圧倒的に若い(見た目 & プログラムノート記載)なので、伸びは最も早いだろう。


 他にも書き残さなければならない演奏があった。JDL副会長=小玉晃 のマーラー「リュッケルト歌曲集」から3曲。ピアノ版でナマで聴くのは初めて。素晴らしい声である。ピアニスト(渡辺結実)を引っ張っていたが、小玉の思いまでピアニストが水準を上げていたのだろうか? 「間」などに疑問が残った演奏となってしまったので、次回に同じ顔合わせで聴ければ幸いである。
 そして「トリ」を務めた 赤鉾寿子 + 藤本紀子 のR.シュトラウス。締めの最後が名曲中の名曲「高鳴る胸」作品29/2であったが、(ややスケール感が小さい演奏ではあったが)極めて息の合った演奏。トリを任された理由が確認できた。


 私高本は「ジョイントコンサート」は質が低いことがあまりに多い、と常々思っていたし、今も思っている。今回のJDL演奏会の質の高さは驚くばかりである。書いてはいけないのかも知れないが「JDL関東演奏会」とは比較にならない質の高さ。(佐伯周子は、関東演奏会に出演したんだったよなぁ・・・)


日本ドイツリート協会の 岡原慎也会長+浅田啓子副会長+小玉晃副会長


は、「日本にてドイツリートを質を高め、演奏頻度の向上」を目指して、この協会を作った。(HPに書いてある)この日の演奏会を聴いて、「40分+40分のドイツリートソロコンサート」を聴きたくなった若手は以下の通り。

老田裕子(s),法貴彩子(p),辻村明香(s),大島知子(s)


 創立丸2年の団体として、若手育成の成果は極めて大きい、と感じる次第である。
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日本ドイツリート協会第4回コンサート(大阪)批評(No.1859)

2011-05-15 01:26:08 | 批評

岡原慎也は「音楽の魔術師」だ!


 冒頭の言葉は「鍵盤の魔術師」の誤記では無い。「音楽の魔術師」で正しい。ピアニストは基本的に「自分で操れるピアノ鍵盤」で、『自己の音楽』を十全に聴衆に知らしめる。ルービンシュタイン、ホロヴィッツ、シフラ、リヒテル、、、
 タイプは全く違うが、そのピアニズムの素晴らしさは後々まで語り継がれて来ている。この仲間に、「グルダ、ブレンデル、グールド」の1930年代生まれ巨匠ピアニストも(全員死亡したか引退したので)加えていいだろう。皆、素晴らしいピアニズムだ。

 ・・・で、岡原慎也は、勿論鍵盤から出す「ピアノの音」も素晴らしいのだが、信じられないことに

岡原慎也と共演すると「歌手の声やらフレーズの長さや高音域の響き」が全く別人になる!


ことを昨日知った。これは上記掲載のピアニストでも実行できていない。最も「歌曲伴奏」に力を入れていたのは、ブレンデルだろうが、フィッシャー=ディースカウ や ゲルネ の「最良」は引き出しているものの、他のピアニストの共演に比べて「様変わり」にはしていない。リヒテル、グルダ、グールドも歌曲伴奏録音を残してくれており、それぞれ名演だが、岡原慎也のようなことはない。う~ん、

私高本が詳細ツッ込んで書けるシューベルト「冬の旅」録音で、史上最高のピアニスト=岡原慎也 だが、他の歌曲も同様だった!


が明かされた。
 ソプラノ=大島知子 と岡原の共演でこのジョイントコンサートは幕が開けられた。シューベルト「笑いと涙」「夜と夢」「糸を紡ぐグレートヒェン」。女声(特にソプラノ)であれば、誰もが歌う「ド名曲」オンパレード。 「軽やかさ」「長い息 + 静けさ」「リズム感 + 全体設計の確かさ」が問われる難しい曲ばかり。プログラムを見た時、実は昨年8~9月の「日本ドイツリート協会夏期講習」で大島知子は聴いていたので、「どんな演奏になるのだろう?」と思っていた。聴いて見たら、「信じられない息の長さ」「弾むリズム」「全体を見通した設計」がはっきり伝わって来る。う~ん、岡原慎也が発声を指導したワケでは無いだろうから、これは魔術だ! 昨年夏の大島は「才能あるソプラノ」ではあったが、その才能が花開いた、境地にはまだ至っていなかった。「才能あるソプラノ」は(アルト、テノール、バスに比べて)圧倒的に数が多いので、本格的に開花する人は残念ながら多くは無い。昨年9月冒頭段階では、私高本は不明にして、大島知子の実力をわかっていなかった。
 ・・・で、聴いてみたら「別人」としか思えない素晴らしい歌唱。特にリュッケルトの詩による「笑いと涙」の軽やかさと、ゲーテの詩による「糸を紡ぐグレートヒェン」の全体設計の確かさ。「岡原慎也伴奏歌曲演奏会」は数多く聴かせてもらっているのだが、直近の昨年9月の「夏期講習修了模範演奏会」の「講師模範演奏」よりも良い。マジかよ?!(← ちなみに岡原慎也は解説だけでピアノ弾かなかった!)

 私高本は基本的に「ピアノに興味が集中しているバカ」だから、大島の演奏技巧についてはよくわからん。岡原慎也が発声指導したとは思えない。すると、

発声が同じでも、声楽ソリストの「最高の点」を引き出せるピアニスト = 岡原慎也


の構図が浮かんで来た。う~ん、「今聴いた大島知子は昨年9月の大島知子とは別人だ!」とはっきり思った。(私高本の耳が「確か?」「腐ってる?」と思うのは読者の皆様が判断して下さい。)
 言っていいことか悪いことかはわからないのだが(この手のことを書いてしまうから、私高本はダメなんだよな)、「糸を紡ぐグレートヒェン」は過去に聴いた「岡原慎也伴奏の同曲演奏の最高」だった。こんなに素晴らしい曲だったのか! 岡原慎也 + 大島知子 に深く感謝する。(続きは寝てから書きます。帰りの新幹線が「深夜割引チケット」で深夜帰宅なのでもう眠いです(爆)
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ビーテックジャパン大阪本社(No.1858)

2011-05-13 21:11:46 | グランドピアノの買い方・選び方
 本日 ビーテックジャパン大阪本社 を尋ねた。ベーゼンドルファー のメンテナンスで日本ナンバーワンの会社である。私高本は、以前「岡原慎也の演奏会プロデュース」した時辺りから、「もしかしたら、大阪&京都のベーゼンドルファーの方がいい??」と言う疑念を抱いていた。岡原慎也から「関西はベーゼンドルファーの心配が要らんぞ!」と言われていたが、東京の岡原の演奏会でカネをツッ込んだ身として、「イシハラホール」「青山記念バロックザール」「いずみホール」のベーゼンドルファーインペリアルを聴くと、「東京文化会館」「東京オペラシティ」などに比して、圧倒的に良い音響なのだ。 う~ん、スタインウェイではほとんど差の無い音響を感じていたので、いつか「関西の秘訣」を聴いてみたい、と思っていた。


 岡原慎也は明日シューベルト他を弾く。明日の日帰りも(昼のコンサートなので)可能だった。だが、「岡原慎也の関西での名演の元は、関西のベーゼンドルファーインペリアル?」との思いがあり、1日早く大阪に行って「ビーテックジャパン大阪本社」に向かった。

 新大阪駅から徒歩7分の好立地。入ったら「ベーゼンドルファーピアノ」がところ狭しと並べられていた。先客がいたので、退出するまで待って試弾させてもらった。「インペリアル&セミコンサート」の弾き応えは(私高本でさえ)はっきりわかる高い水準だった。あぁ、技術の素晴らしさよ!
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1857)

2011-05-12 16:30:34 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)

the GULDA MOZART tapes 10 sonatas and a fantasy (K.330, K.332, K.333, K.279, K.280, K.281, K.282, K.283, K.475, K.545, K.311) DG 00289 477 6130(3CD)



  1. Recording:?Hotel Zur Post, Weißenbach am Attersee,winter 1980?


  2. Execlusive Producer:Rico Gulda


  3. Tonmeister(Balance Engineer):?Hans Klement?


  4. Remastering:greenlight Studio


  5. Project management:David Butchart


  6. Piano:?Bosendorfer Imperial?


  7. FRIEDRICH GULDA'S SENSATIONAL MOZART


  8. First-ever release of 11 new recordings


  9. Rediscovered after 25 years


  10. Previously unpublished photos in CD booklet


  11. "I've been preparing for this for a long time. I wanted to know how this music feels. I can now say that it feels marvellous."


  12. Taped in 1980 - and now released for the first time ever - these recordings are a unique document of FRIEDRICH GULDA's spellbinding, razor-edge Mozart.



 本日は上記CDを詳述する。2006年に新発売されたこれまた「謎のCD」である。必ずDGから発売になるところがミソ(爆

Claus SPAHN: "Gulda plays Mozart sonatas" Newly discovered recordings from 1980


と言う長い長い解説文が掲載されており、ご丁寧にもヴァイセンバッハの "Hotel Zur Post" でベーゼンドルファーインペリアルを弾くグルダの写真が5頁に掲載されている。主張は以下に要約できる。

  1. 1981.02 グルダはミュンヘン、パリ、ミラノで「3回連続モーツァルトソナタ演奏会」を作曲順に演奏した(全曲とはどこにも書いていない)
  2. 住んでいた街のホテルにベーゼンドルファーインペリアルがあり、ホテルは夏期がかき入れ時で冬に録音した
  3. ハンス・クレメントが録音技術担当したが、グルダが次いでクレメントが亡くなってしまい、「マスターテープ」の行方が不明になってしまった
  4. 三男リコ・グルダが「カセットテープコピー」を所持していたので、それから復元した

 本当かな? アルバート・ゴロウィン(グルダの変名で「ウィーンの下町で歌っている歌手」という設定だった)が出てきそうな話ではないか(爆

 早速冒頭から聴いてみよう。ピアノはスタインウェイD。音は「バッハ平均律」と同じ。あれれ? どうなってるの?? K.330もK.332もK.333も全部同じだ(爆


 この3枚組CDが発売できることになったのは

2004.10.14 MPS Hans georg BRUNNER-SCHWER died


である。
 1983.06 に既にMPSをフィリップスに売り渡していたが、1時代を築いた大プロデューサーである。グルダ死去後も、会社をコカす原因を作った「グルダのMPS関連の大作品」は「バッハ平均律」以外は何1つCD化されなかった!(← これ本当)

2004.10.14 まで「CD化」されなかったMPS グルダ 主要作品一覧



  1. 1969 DEBUSSY "Prelude"(2007)
  2. 1970 BEETHOVEN "Diabelli-variationen"(2009)
  3. 1971 "the long road to freedom"(non CD)
  4. 1973 "Midlife Harvest"(2005)
  5. 1978 "Message from G"(non CD)

 上記リストをご覧になるとわかるが、ブルンナー=シュヴェル死去後、真っ先に "Midlife Harvest" をCD化する。分厚い48頁建ての解説書の46頁にこのCD化について明記されている。

"MIDLIFE HARVEST":Dedicated to the memory of Hans Georg Brunner-Schwer(July 29,1927 - October 14,2004)


「人生半ばの収穫」:ハンス・ゲオルグ・ブルンナー=シュヴェルの逝去に献呈


 グルダの生没年は記載されていない。ブルンナー=シュヴェルの遺族に謝意も表している。「グルダ遺族」は、ブルンナー=シュヴェルの素晴らしい業績に敬意を表したのだ。(ブルンナー=シュヴェル遺族が許した、ことも付記しておこう。)そして、その次に着手したプロジェクトは、ドビュッシーでもベートーヴェンでもなく、モーツァルトだった。ここで大問題が待っていた。

MPSのグルダ「モーツァルトソナタ集」はマスターテープが存在せず、カセットテープコピーしかこの世に存在していないこと!


 この世の中に「不正規録音」は数多くあるのだが、大概は「放送録音コピー」(← チェリビダッケに多い)か「演奏会場膝上闇録音」(← カラスに多い)である。「スタジオでセッション録音したのに、マスターテープが無い」はあり得ない設定なのだが、グルダに限って実在していた。

「グルダの真実」P47:ソロで録音したモーツァルトは一つあるけど、俺はいいと思っていない。いずれもっと年をとってから、もう一度やってみようと思っている。モーツァルトのソロは、気合いを込めてやらなくちゃあね。俺はかつて、スタジオでモーツァルトの全曲を録音したことだってある。ものすごく苦労して、細心の注意を払ってやったものの、結局ボツにしてしまったんだ。レコード会社は頭に来てたさ。なんてもったいないことをするんだ、ってさんざん文句を言った。でもカネが全てじゃないからね。俺は平然とこの録音テープを捨てちまった。


 「狂人」である。1987-1990年の発言。但しいくつか「ホラ」が混じっている。

  1. 全曲は録音していなかった様子
  2. 録音テープは「マスターテープ」は捨てたが、「カセットテープコピー」はリコ(三男)、パウル(二男)、ウルズラ・アンダース(愛人)の誰かには渡していた

 ブルンナー=シュヴェルには「あんなモノ捨てちまったよ!」と言っていたハズだ。だが、こっそり家族に「もしかして、オレ様が若死にしてしまった時には、このカセットテープコピーを使って荒稼ぎするんだぞ」と伝えてあったような気がしてならない。

 ここで「なぜグルダにカセットテープコピーが渡っていたのか?」を説明しておこう。「グルダ:モーツァルトソナタ集」プロジェクトは「プロデューサー=ブルンナー=シュヴェル」だった。マスターテープ作成はブルンナー=シュヴェル側行う。演奏家=グルダが確認できるように「音源」を渡す必要がある。21世紀の今ならば、MP3ファイルとかCD-Rとかになるが、1982年にCDが発売される前は「カセットテープ」が最も手近なメディアであった。MPSは当時「BASF」と言う化学会社に資本参加を仰いでいたが、BASF はカセットテープの超大手でもあった。私高本も随分カネを払ったモノだ(爆
 価格に比して、製品の質が高かった > BASFカセットテープ

 1975年から1982年まではちょうど「カセットテープの末期であると同時に最盛期」でもあった。LP1枚が新譜が2500~2800円、廉価盤で1000~1500円くらいで、現在の「CD10枚組1132円が当たり前」とは消費者側の金銭的負担が桁違いに重かったので「カセットテープを用いたエアチェック」が信じられないほど流行しており、「FM雑誌」が3種類だか4種類だか市場に出回っていたほど。カセットテープの種類も高級品から普及品までいろいろあり、「フェリクロームテープ」とか「メタルテープ」は高価格だが音質は相当に質高かった。リコ・グルダが所持していたカセットテープの種類は明記されていないが、聴く限り高級タイプだと思う。BASF 子会社だから、カセットテープの質は下げていない、と信じたい。

 グルダがOKを出していれば、この録音は即LP化されていた。出さなかったのだ。なぜか? 推測されることが2つある。

  1. 「音」がグルダに気に入られなかった
  2. ドイツグラモフォンやアマデオでの「プロデューサーの仕事」をブルンナー=シュヴェルが果たしていなかった

 どちらなのか? 両方なのか? 「バッハ平均律」とほぼ同じ音で収録されている曲が多いので、ブルンナー=シュヴェルにして見れば「音」については「グルダのわがまま」としか思えなかっただろう。「プロデューサーの仕事」についても、バッハ平均律だけでなく、"Midlife Harvest" "the long road to freedom" などで意気投合した仲だ。
 ここで、この時のグルダの立場 = モーツァルトピアニスト として、「あり得る不満」は具体的には次のようだったかな? と推察する。

  1. モーツァルトには「音の魅力」がバッハ以上に必要だが、「MPSスタジオの録音」はDGやアマデオに比べて劣る上「ベーゼンドルファーインペリアル」が使えない
  2. 過去に録音した「ドビュッシー(2回)」や「ベートーヴェン(1回)」は経験あったが、「モーツァルトソナタ」は初録音の曲が多いのに適切なアドバイスが何もない

 こうなって来ると、どうすればいいのか? がグルダもブルンナー=シュヴェルもわからなくなってしまったようだ。外部に「編集費用」も多額に払って丁寧に編集した「マスターテープ」作成費用もかさんでいる。1枚づつでもいいからリリースしたいブルンナー=シュヴェルと、全体像が見えないグルダの拒絶が続いたのはいつまでだったのだろうか? 「作曲年代順」にこだわるグルダ(ベートーヴェンでもこれでおそらくDECCAと問題を起こした!)なので、録音を作曲年代順に並べ替えて聴いて見た。

"the GULDA MOZART tapes" は、K.333以前 と K.475以降 で「録音」が違う


 ピアノは同じ。大きく変わったのは「マイク位置」。「極端なオンマイク」だったのが、「オフマイク」に変わっている。それがいいか? はまた別の問題だが。


 モーツァルトは18曲のピアノソナタを作曲した。フリードリヒ・グルダが録音したのは16曲のようで、リコ・グルダが選んだのが10曲。実際、翌2007年に発売された「II」に比べるとこちらの方が遙かに出来が良い。もしかして

「リコ、この10曲のソナタは本当はOK出しても良かったんだ。他が納得行かなかったから言い合いになって、喧嘩別れしちまったんだよ!」


と遺言していたように思えてならない。周辺状況からすると

  1. 1977 K.331 & K.333 recording
  2. after 1978.10 K.475 & K.545 recording

でほぼ間違い無いだろう。すると K.279-K.283 はそれ以前の録音となる。


"the GULDA MOZART tapes 10 sonatas and a fantasy" 実態



  1. リコ・グルダ(またはフリードリヒ・グルダ)が「これだけは絶対に聴いてほしい」と願った10曲のソナタ + 1曲の幻想曲


  2. 掲載データは「誰にでも事情を知っている人」ならばすぐにわかってくれる冗談。怒らないでね!


  3. ピアノはスタインウェイD


  4. MPSスタジオの録音


  5. 1975-1977 K.279-K.333録音


  6. 1978-1981 K.475&K.545録音



 演奏自体は(音質に問題ある曲もあるが)特に1枚目と2枚目は楽しめる。3枚目の K.545 は音質がオフマイクで一般受けする上、「装飾音無しでもオレ様はここまで出来るんだぜ!」を誇示した名演。K.311 と K.475 は好み次第。K.283 は音がモノラルだが気にしなければ演奏自体はいいよ。「II」はともかくとして、こちらは「グルダファン」には是非是非聴いてほしいCDだ。ブルンナー=シュヴェルの遺族にもきちんとカネが廻っていて了解を得ているハズである(爆
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岡原慎也と老田裕子を聴きに大阪に出掛けることにした(No.1856)

2011-05-11 20:33:05 | ピアニスト兼指揮者・岡原慎也
 岡原慎也が東京の演奏会に顔を出す頻度が低くなった気がする。1年近く東京で演奏していない。「東電の放射能垂れ流し」がイヤなのだろうか?(誰でもイヤだよな。私高本だってイヤだわ!)
 「岡原慎也のシューベルト」が聴きたくなったので、連絡を取ったら「5/14(土)に大阪でシューベルト弾くよ。シェーンベルクもな(藁」とのこと。シェーンベルクは苦手だが、シューベルトは聴きたい。さらに「老田裕子も歌うぞ!」とのこと。付き合いが長いだけに、私高本の急所を突いて来る。魅力に負けて、大阪まで 5/14(土)に聴きに行くことにした。

チラシはこれ

 「岡原慎也の魅力」「老田裕子の魅力」が聴ける予感。ところで、この2人共演するのだろうか? しないのだろうか? チラシを見てもわからんぞ!(爆
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1855)

2011-05-10 08:35:51 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)

謎の録音 1978.09(release 1990) Mozart Sonata K.570 & K.576, Fantasie K.475, Munchen(?)(Perhaps Gmunden), Steinway, DG 4310842


 本日はこの1枚について書く。グルダがまだ元気だった1990年にドイツグラモフォンから新譜が出た。購入して封を切ったら、1978年9月録音と書いてあった(爆
 「グルダ モーツァルトソナタ全集録音」の話を聞いていたし、MPSレーベルが "DG-Philips"に買収されたことは、「バッハ平均律全集」がフィリップスレーベルから発売されたことで知っていたので、「ついにMPS録音の全集第1弾が発売になったのか!」と喜んだものだった。だが、その割りには宣伝がほとんどされなかった上に、2枚目はいつまで経っても発売されなかった。MPS録音の全集第1弾では無かったからだ(爆


 昨日号の「録音一覧」のスタッフ欄をご覧頂きたい。これは "Message from G" のスタッフ陣が録音している。翌月10月13日と曲目が2曲(K.475&K.570)が重複しているが、なぜかスタインウェイを使用している。音像は10月12日のグルダ自作と瓜2つ。ノイズは無い。

Friedrich Gulda 1930 - 2000


 グルダHPの「年表」だ。1978年欄をご覧頂きたい。

1978 : Friedrich Gulda performed three concerts, in Gmunden (15 -17 September), Vienna (12, 13 und 15 October) und Munich (17, 23 und 24 October) respectively, playing classical piano music for the first time in a long while in front of an audience, together with his own compositions and “Freie Musik“.


 グルダは「細心の気配りができるピアニスト」だった。1953/54年に「ベートーヴェンピアノソナタ全32曲連続演奏会」をウィーンで実行した際も、Klagenfurt, Vienna, Linz, Graz, Salzburg の5都市で並行開催した。
 グムンデンと言う都市は、シューベルトが交響曲「グレート」D944やピアノソナタ第17番ニ長調作品53D850 を作曲した場所だが、他にはあまり有名とは言い難い。「グルダ年表」にも "Gmunden" が出てくるのはこの1ヶ所だけだ。つまり

グムンデンの演奏会は「ウィーンの演奏会の予行演習とリハーサルを含めた録音のため」の演奏会


である。

"Message from G" は「グルダ自身が全費用を負担してのLP全世界発売」


だった。失敗は絶対に許されない。ウィーンのムジークフェライン大ホールを2日、コンツェルトハウス大ホールを1日、勿論自腹で借りて、録音スタッフを雇って(ブルンナー=シュヴェル はパトロンから降りた!)、一世一代の大博奕を打ったのだ。録音スタッフはおそらくウィーンのグループと推定される。(グルダは当時、ヴァイセンバッハに住んでいたからウィーンのメンバーの方が打ち合わせが楽だった。)ウィーンからあまり遠くなく、響きが似た(できれば小さな街の)ホールで予行演習は実行するのが最適だ。ウィーンの演奏会のほぼ1ヶ月前にグムンデンで「3日連続」で借りることができた。(ウィーンほど、スケジュールが混んでいなかっただろうなあ)

 グムンデンの演奏会のプログラム詳細は誰も知らない。モーツァルトのK.576が入っていてK.397が抜けていた可能性が高い。「グムンデンの演奏会の曲目のリハーサルを収録」が最も考えられることだ。ピアノがスタインウェイだったのは、おそらくホールにベーゼンドルファーが無かったからだろう。前年1977年のアマデオ録音モーツァルトでも1ヶ月後のウィーンの演奏会でも、ベーゼンドルファーインペリアルを使用しているのに! ウィーンやミュンヘンの連中に嗅ぎ付けられないように小さな街で行われたグムンデンの演奏会はグルダの予定通り収録された。そして、「ウィーンの演奏会」もグルダの予定通り収録までできた。「騒ぐヤツ」が全く出なかったからだ。

もっともみなさん、しつけがよろしいようで、無作法なことはなさらないから、ただ出ていっただけさ。そう、三、四割は退場したかなあ。(グルダ著「グルダの真実」P24)


 なるほど(爆

 「ウィーンの演奏会」が大成功に終わり、危惧された妨害行動も無かったので、ミュンヘンの演奏会は「出張録音」しなかった様子。(万が一の時は、勿論「ミュンヘンでも収録」だったことは容易に推察できる。)演奏会は実行され、グルダHP上から「第1夜 バッハとグルダ」の Baldur BOCKHOFF の批評が掲載されている。ミュンヘン初日はウィーン初日のわずか5日後なので、「全く同じ曲目」で演奏された可能性が高い。「グルダがバッハを弾く!」と言うので、わずか4年前に「平均律全48曲を新譜で世界発売」していたからピアノで聴ける、とボクホフは思っていたのに、クラヴィコードを聴かされてしまった様子が伝わって来る(爆

 ・・・と言うワケで、グムンデンのリハーサルを収録したテープは余ってしまった。原盤権はグルダにある。1982年までは「MPSでモーツァルトソナタ全集」発売の意志があったので、さすがのグルダもこの録音は売らなかった。
 おそらく1982年後半、どんなに遅くても1983年5月より前に、グルダはブルンナー=シュヴェルと決定的に喧嘩別れした。ブルンナー=シュヴェルがMPSを会社まるごと売ってしまったほどの迷惑を掛けたからだ。結局、MPSは「グルダのモーツァルトソナタ全集」は発売しなかったまま、会社をコカしてしまったのである。


Friedrich Gulda. Aus Gesprächen mit Kult Hofmann. Langen Müller Verlag, 1990


が出版された。1980-1990のグルダのインタビューをまとめたモノ。

日本語訳「グルダの真実」グルダ著田辺秀樹訳


である。P52に次の記載がある。

ところが、モーツァルトの場合は微妙なんだ。これまでさんざんいろいろと試してみたけど、自分でもどうするのがいいかわからない。現在はまたスタインウェイにしようかと思っている。そう、じつにやっかいな問題さ。


 この本が出版された年に "謎の録音 1978.09(release 1990) Mozart Sonata K.570 & K.576, Fantasie K.475, Munchen(?)(Perhaps Gmunden), Steinway, DG 4310842" は発売された。続いて Sony から、"K.537, K.475+K.457, K.492" と "K.397" のミュンヘンライブがリリースされた。この2つのライブ録音は「拍手別録り」を後から加えたことで悪評が高い(爆

1990-91 Sony盤では、K.537だけベーゼンドルファーインペリアルで、K.475+K.457, K.492, K.397はスタインウェイ


 おそらくK.537だけウィーン録音、他が全部ミュンヘン録音である。K.397はグルダが「公式に」録音した最後のCDとなった。こうして見ると

謎の録音 1978.09(release 1990) Mozart Sonata K.570 & K.576, Fantasie K.475, Munchen(?)(Perhaps Gmunden), Steinway は「スタインウェイでモーツァルト全曲録音の第1弾」にするつもりの発売


と推察される。第2弾も第3弾もミュンヘン録音だったので「第1弾もミュンヘンでいいだろ!」ってなノリ(爆

 これが「グルダの真相」である!

グルダは、ウィーンで生まれ、「ウィーンのピアニスト」として1枚目の協奏曲録音から「ベーム指揮ウィーンフィル」だったが、最後の最後の録音は「愛妻ユーコと幼き日のリコと過ごしたミュンヘン」を終焉の地に選んだ。


 冒頭の曲は「リコのために」。この曲唯一の「ピアノソロ録音」である。ウィーン近郊のヴァイセンバッハに住んでいたのに、毎年毎年ミュンヘンにわざわざ録音に出掛けている。グルダは細心の注意が行き届いた音楽家なのだ。
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