Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

作曲家論 : バッハ第6回(No.1445)

2006-12-18 22:51:20 | 作曲家・バッハ(1685-1750)
 本日号は、『私高本がバッハ論を書く』事実についての思いについて、短く語る。はっきり言って「感慨深い」の1語。
 2002年夏過ぎに 川上敦子 が指の故障で、予定演奏会 をキャンセルした後だから、2002年の 秋深まった辺りだったと思う。「リストの練習で指の故障のピアニスト」に、『何が最適か?』を探りを入れていた時である。

 どちらからとも無く「バッハ」が(相当早い段階で)出た。確か、いろいろな検討を重ねた後、結局私高本が頭を下げた。『川上さんの演奏うんぬんではなく、私高本が「川上敦子のバッハの魅力」を伝える筆力が全く存在しない、ごめんなさい』と。

 「川上敦子の魅力」の1つが、声部進行の(信じられない水準の)明瞭さにあることがわかっていても、私高本のスカな頭では「バッハ」は、『何を書くのか?』が全く理解できていなかった。


 4年後の「今」、昔読んだ資料をもう1回読んだ。昔は「何言ってるのか? ワカラン!」だった資料も、今読むと「このこと言いたかったんだ!」がはっきりわかる。昨日号で 「4大資料」にした グールド盤 も レオンハルト盤 も、昔から持っていて、4年前に 川上敦子 にワビ入れる前からの愛頂盤である。 レオンハルト盤は 余白(?)の ロ短調パルティータBWV.831 が最も好きなのだが(爆


 私高本の「バッハ理解」がこの期間に深まったことは間違いない。 何が原因か? はっきりはわからないのだが、おそらく

  1. 伊福部昭音楽研究

  2. 佐伯周子 演奏会プロデュース


が「2大原因」だろう。 伊福部音楽の 複雑怪奇(?)な声部進行の解説を書くのには、正直「泣きが入った」記憶あり。最初の演奏会(=2003年5月)の解説文は「間に合ったのが不思議」である(← 青山館長(当時) & 南出委員長
 ご迷惑お掛けしました!)
 ・・・で、もう1つ忘れてはならないのが、「佐伯周子プロデュース」である。 私高本が不得手な「ショパン」を毎回忍び込ませ、これまた演奏会プログラム印刷を極限まで遅らせている。う~ん、ショパン音楽は「聴くのは好き」なのだが、「書く水準」まで私高本が達しているのだろうか?
 ショパン音楽は(読者の皆様がご存知の通り)「バッハを手本」にしていることが多い。「24の前奏曲」なんて、「バッハ知らなければ存在するワケない」曲集。いろいろ勉強させてもらいました。

 ・・・で、その力が今回生きたとしか思えない。昔(← わずか4年前!)に読んで全く理解できなかった資料(← 大半が楽譜。この4年に初出版された「画期的楽譜」なんてありません、ハイ)が「はっきり見えた」。

 客観的に見て「PMJ創刊」から、私高本の「筆」に はっきり「力が付いている」ことがわかる。 「PMJ創刊自体 = 佐伯周子 の影響」は自明の理だから、「バッハ理解深まる = 佐伯周子 の影響」なのだろう。信じられないが、客観的に見ると以上の通りである。マジ?! (← やはり信じられない!)


 明日号から「基本4資料」詳述4日連続します。金曜日 = 12月22日 まで。
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