Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

ピアニスト ウー=ハン(No.1818)

2011-03-31 22:40:51 | その他
 多くの「日本のクラシックファン」は知らないのかも知れない。HMV でも Amazon でも「絶版状態」になっているピアニストだからなあ。何で私高本がCDを持っているのか? と言えば、1998年の来日時に演奏会場で購入したからである(爆

 再来日を熱望して、13年。まだ来ない(泣

http://www.artistled.com/SoundClips.htm

で試聴できるので、興味ある方は聴いてほしい。CDはこれよりも遙かに良い音質だ > 私高本のパソコンの音では
もちろん「生の音」はさらに良い!

 これほどのピアニストをして、「演奏旅行で食えるピアニスト」の道は遠いのだろうか? 何やら絶望的な気分に追いやられるのであった。
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佐伯周子チェコ音楽コンクール2010第1位優勝記念演奏会(No.1817)

2011-03-30 16:33:34 | ピアニスト・佐伯周子

3月28日にご来場の皆様よりお預かり致しました 関東東北大震災義援金 \36,290 を日本赤十字社に郵便局より本日送金


させて頂きました。ご来場の皆様ありがとうございます。1日でも早く復興できますように祈っております。
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佐伯周子チェコ音楽コンクール2010第1位優勝記念演奏会(No.1816)

2011-03-28 23:45:51 | ピアニスト・佐伯周子
本日はご来場ありがとうございました。

アンコール = ドヴォルザーク:ユモレスク作品101-7


でした。
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佐伯周子チェコ音楽コンクール2010第1位優勝記念演奏会(No.1815)

2011-03-27 23:01:18 | ピアニスト・佐伯周子

3月28日(月)東京文化会館小ホール 佐伯周子リサイタル は予定通り開催


です。

当日券あり。皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。
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シューベルト:ドイツ舞曲D790(No.1814)

2011-03-26 23:00:38 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 シューベルト舞曲中、「21世紀では最高の人気作」である。「遺作3大ソナタ」のように、晩年の作品で出版が間に合わなかったわけでもないのに、この形では生前出版されず、2曲が抜粋されて「作品33」になった。

ドイチュは出来が D783(=作品33) よりも D790 の方が良いので、D790 の方が後の作品、と考えたほど


である。(完全な誤りだったが)

シューベルト舞曲の魅力の1つ = オーケストラ的響きがする


 D734=作品49のギャロップは、シューベルトの生前に(他の人のオーケストレーションで)オーケストラ編曲されて舞踏会で使用されたことが初版楽譜に明記されている。「シューベルト舞曲」は「ベートーヴェンのエコセーズ」などとは違い、オーケストラの響きが作品に内在している、と感じる。D734 だけでなく、全ての作品に共通しているだろう。


 多くのピアニストは「気に入った舞曲集だけ」を演奏する。中には「舞曲集から、さらに気に入った曲だけの抜粋」も多い。

作品9 → 作品18 → 作品33 と「シューベルト生前出版舞曲集」を弾いて来た 佐伯周子 の「楽譜の読みの深さ」


は、やはり深かった。「静けさ」が支配する世界が基調で、その上に「オーケストラのトゥッティ」が轟いたり、ホルンが鳴ったりするかのように聞こえる。


 スメタナ作曲:チェコ舞曲第2集全10曲 と比べると、シューベルト作曲:ドイツ舞曲D790 は「同じ舞曲ばかりが続く」小さな曲集だ。しかし、細やかなニュアンス は「シューベルト特有の魅力」を持ち、聴き手を魅了する。「佐伯周子のシューベルト」はソナタなどの大曲が名演揃いだが、実は「舞曲集」の出来も並んで良い。リハーサルを聴かせてもらった私高本は幸せな気分に浸れた。スメタナの舞曲の壮大な世界とは全く異なる「親密な世界」が聞こえる。
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スメタナ「チェコ舞曲第2集」(No.1813)

2011-03-25 23:09:37 | 作曲家・スメタナ(1824-1884)

「国民楽派」はチェコで生まれ、ヨーロッパ中に敷衍して行った


 ショパンが亡くなった1849年頃までのヨーロッパは、ドイツやイタリアは「弱国」だった。「フランス」や「ハプスブルク家オーストリア」になるように小さな領主たちが競い合っていた。まず、イタリアが1861年に不完全ながら「イタリア王国」として成立する。次いで1871年に(後世「第2帝政」と呼ばれる)「ドイツ帝国」が成立する。
 「イタリア王国」成立の数年前から、ヨーロッパの弱国の民族の「血」が徐々に騒ぎ始めた。強国は「フランス」「オーストリア」「イギリス」「ロシア」くらいなので、「弱国」は多い(爆

イタリア統一の際 → ヴェルディ「ナブッコ」


ドイツ統一の際 → ワーグナー



が音楽的象徴として掲げられ、実際に統一されていった。イタリアは「オペラの中心地」であり、古くから「オペラはイタリア語」が当たり前だった(モーツァルトもイタリア語で作曲したオペラの方が、ドイツ語作曲よりも多い)が、ドイツ語オペラで「大ヒット」を飛ばし続けたのはワーグナーが初めてであった。(ウェーバーは「魔弾の射手」で大当たりを取ったが、「一発屋」に近い)

 ・・・と言う時期に、スメタナは(生まれつきはドイツ語しか話せなかったのにも関わらず、努力してチェコ語を習得し)「チェコ語オペラ」に没頭した。その第2作が「売られた花嫁」である。主役男声=ヤン は生い立ちが悲惨なのだが、機転の利く明晰な頭の持ち主で、最後はハッピーエンドで幕を閉じる。「元気出るオペラ」であること間違いなし!
 1863年作曲で1866年プラハにて世界初演、スメタナは何度も改訂に改訂を重ね、現行版に至る。「売られた花嫁」は「チェコ民族の魂」に火を点け、何度も何度も再演を重ねたので、スメタナも「さらにより良いオペラ」にしようとした結晶である。1872年から、連作交響詩「わが祖国」を作曲し始める。第2番「ヴァルダヴァ(モルダウ)」が超ヒット作となり、チェコ民族の「民族意識」が高まるきっかけとなる。この辺りは、ワーグナーとの近似性を感じる。


 ドヴォルザークは、「スメタナの指揮」でオーケストラで演奏した経験がある。まだ修業時代のことだ。ドヴォルザークの若い日の力の入った作品は「交響曲と弦楽四重奏曲」。交響曲は第5番まで、弦楽四重奏曲は第8番までを「ブラームスから認められる」前に作曲完了している。交響曲は9曲、弦楽四重奏曲は14曲作曲したので、過半数を占める。
 「ブラームス賞賛以前のドヴォルザーク」は、(おそらく大半のクラシックファンのドヴォルザーク観とは違い)「ベートーヴェンとシューベルト指向の巨大ソナタ楽曲指向」である。「ポルカ」「ドゥムカ」「フリアント」などの「スラブ舞曲」がスケルツォ楽章の替わりになるのは、「ブラームスに認められた後」の作品だけである。
 「ブラームスから認められる」前の13曲の交響曲と弦楽四重奏曲を聴くと「チェコ民族の血」は全く聞こえて来ない。「ベートーヴェンを越すぞ! シューベルトを越すぞ!!」と言う若人の熱血だけを感じる。


 そんな時に、「モラヴィア2重唱曲」で、ブラームスから絶賛を受けた。コンクール提出作品なので、自信作だったのだろうが、「世界的大作曲家=ブラームス」から大絶賛を受け、大都市=ベルリンの出版者=ジムロックを紹介された。1877年のことである。(ドイツが統一された6年後だ)
 ジムロックからは「待望の委嘱作品」が来た!

 ・・・が、「交響曲と弦楽四重奏曲のどちらでもない」のだ。そう、「ブラームス作曲ハンガリー舞曲に匹敵するピアノ連弾舞曲集」だった。ピアノ曲は既に「ピアノ協奏曲ト短調作品33」を作曲いていたほど楽器は熟知していたが、依頼されたのはピアノ協奏曲でもピアノソナタでもなく「連弾舞曲集」だった。おそらく困惑したことだろう。「ハンガリー舞曲集続編」を作ることは、ドヴォルザークの作曲技巧からすれば可能だった、と推測するが、それでは「ブラームスの2番煎じ」になる。2番出しのお茶は渋いばかりでおいしくないからなあ(爆


 依頼を受けて、約半年後にジムロックに提出したのが「スラブ舞曲集第1集」作品46の8曲。

ドヴォルザーク「スラブ舞曲集」は、ブラームスと違って隣り合う「踊りの種類」が全部異なる


のが新機軸。さらに(ジムロックの基盤=ドイツの音楽ファンから見ると)異国情緒にあふれた名作揃いであった。その上、(ジムロックが気付いたかどうかは全く不明だが)地元プラハで大評判で再演を重ねていた スメタナ「売られた花嫁」 から、「スコチナー」を引用した第5曲も混ぜておいた。
 楽譜は売れまくるわ、地元プラハでは「管弦楽版が楽譜出版前に世界初演される」わ、の大賑わいとなった。ドヴォルザークの狙いは当たったのである!
 ドヴォルザークの名誉のために、補足しておく。「器楽曲はベートーヴェン&シューベルト指向」であったが、「声楽曲はチェコ語の響きを重視」して作曲していた。ブラームスが高く評価したのも声楽曲。「後半の交響曲と弦楽四重奏曲」は、チェコ風味がたっぷりと振りかけられ非常に人気の高い曲が多い。スメタナと並んで「チェコ国民楽派の創始者の1人」である。
 スメタナとドヴォルザークは互いに影響を与えながら「チェコ国民楽派の創始者」となった。「売られた花嫁」から始まった「チェコ国民楽派」音楽は、

「チェコ舞曲集第2集」で最もチェコの人々を細やかに描いた。


 ドヴォルザークの「スラブ舞曲集第1集」は「ドゥムカ(おそらくウクライナ地方の踊り)」を含んでおり、もっと広範囲の「スラブ」を描いたのと対照的に「チェコ」だけを描いたことが スメタナの真骨頂 である。


 実は、

本日の原稿は、「下野竜也+読響のドヴォルザーク交響曲全曲演奏」(現在進行中)で、演奏から教わったことばかり


である。
 プログラムノートとかではない。「読響の音」から教わったことばかりである。第6番の「チェコのにおいぷんぷん」は未だに忘れられないほどの名演であった。(ティンパニ首席の定年退官の日と重複していたことも印象深い)
 そう、「国民楽派」って、「スメタナ + ドヴォルザーク」から、ヨーロッパ中に拡散したのだった。「ノルウェーのグリーグ」に。「ロシアの5人組とチャイコフスキー」に。スペインにも行ったね!
 3/28の「佐伯周子のスメタナ」は面白いよ。

  1. 声部進行
  2. ダイナミクスの巾広さ

が尋常でない。
 ここだけの話だが、練習用ピアノのペダルを壊したほど、(機械的なペダル水準を越えた)細かなペダリングを延々と続けている。「浅過ぎる」のが根本原因だろう。「ハーフペダル」を要求する「スメタナの楽譜」と、「そこまで細かく踏むな!」の楽器の間で悶絶していたようだ。ここまで突き詰めないと「スメタナ音楽」は十全な演奏にならないのだな!(泣
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スメタナ「チェコ舞曲第2集」(No.1812)

2011-03-24 21:34:58 | 作曲家・スメタナ(1824-1884)

なぜスメタナ「チェコ舞曲集第2集」は演奏頻度が極端に低いのか?


  『スメタナ4大名曲』の1つであるにも関わらず、「売られた花嫁」「わが祖国」「弦楽四重奏曲第1番」に比べても、ほとんどと言うよりも「全く」演奏されない理由を直言する。ご覧になって「よーし、チェコ舞曲集第2集を私も弾くぞ!」と言うピアニストが1名でも出てきてくれることを祈るばかりである。

  1. 楽譜が入手し辛い


      佐伯周子に「チェコ舞曲集第2集の原典版楽譜買って来て!」と言われて、多摩川を越えて東京に楽譜買いだしに行った時のことだ。銀座の有名楽譜店2店とも品切れ。本郷の有名輸入楽譜店では「新版品切れ、旧版在庫」の状態だった。事前にインターネットで版の新旧を確認してあったので、一瞬買おうか? と迷ったが、表参道の楽譜店に行った。1冊新版(2007)があったので即買った。東京でこの状態なので、川崎で買えるわけないだろう。横浜(日本第2の人口の都市)でも無理だろうな(泣

  2. 原典版楽譜なのに「校訂者」の意見が押し付けがましく押し出されている


      基本的には2011年現在2種類の楽譜しか流通していない。「ベーレンライタープラハ新版」(2007)と「スプラフォン旧版」とそのリプリント版(米マスターミュージック版)である。「ベーレンライタープラハ = 旧スプラフォン」なので、同系統の楽譜であり、印刷の鮮明さなどを除くと、(詳細を調べていないので断言はできないが)差の小さい楽譜である。新版も旧版も原典版楽譜なのだが、シューベルトやモーツァルトの原典版楽譜を見慣れている私高本の眼からすると、信じられないほど多量の「校訂者書き込み」が『楽譜上に直接書き込まれている』のが特徴。スメタナが「ff持続」と指示している箇所で(ピアニストの負担を軽くするためか)「f に落とせ」の指示が何回出てきたことか! 無用なペダル指示もあまりに多い。これが原典版楽譜と言えるかどうかは私高本は判断する立場に無いが、シューベルトやモーツァルトの原典版楽譜とは「全く異なる風景」が書かれていることだけは間違いない。

  3. 「決定的名演」録音が存在しない


      「シューベルト後期のブレンデル」とか「ショパンエチュードのポリーニ」のような「模範演奏」がどこにも存在しない。私高本は3種類の2011年現在カタログ上で生きている「チェコ舞曲集第2集全曲録音盤」3種類全部持っており聴いているが、どれもがスメタナの意図通りには演奏していない。「ピアニズムの難所ではピアニストの技巧水準まで下げての演奏」になっている。このCD聴いては演奏意欲は湧かない。私高本は少なくとも全く湧かない。佐伯周子 の楽譜の読みの深さには感心するばかりだ!

  4. リスト並みの超絶技巧を要求される


      リストのピアノ曲、と言っても「愛の夢」第3番とかではない。「超絶技巧練習曲」とか「ロ短調ソナタ」とか「巡礼の年」とかの超絶技巧を要求される。特に「声部進行の明確さ」。「縦の線」よりも「横の線」の方が大事な作品なのだが、多くの演奏(モラヴェッツ以外は全てかも知れない)では、声部進行はほとんど聞こえない。リスト作品のCDカタログでは見たことないピアニストだからだろうか? リストでこんな「ベタッ」とした演奏したら、評判にならないぞ! あぁ、だから「チェコ舞曲集第2集」CDは評判になっていないのか、、、

  5. 全曲が長く、プログラムの半分以上を占めてしまう


      これは「演奏会プロデューサー」としては最も困るところ。「チェコ舞曲集第2集」全10曲を演奏してしまうと、残りの半分弱の印象が弱くなってしまうのだ。バッハでもベートーヴェンでもショパンでも。こうなると「マーラー交響曲第3番」のように、1曲でプログラム全部を占有してくれた方がむしろありがたい。ブルックナー交響曲の第1番とか第6番がこのパターンで演奏頻度が低い。

 名曲であるにも関わらず、これだけ困難がある曲を弾いてくれる佐伯周子には感謝するばかりである。尚、今日も3本「3/28の佐伯周子リサイタルは実施しますか?」の電話を頂戴したが、上演します。18:30開場、18:45プレトーク、19:00開演です。当日券あります。(尚、暖房を節電のため弱くしますので、寒がりな方はマフラーやコートを着たまま聴いて下さい。お願いします。)
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スメタナ「チェコ舞曲第2集」(No.1811)

2011-03-23 10:49:01 | 作曲家・スメタナ(1824-1884)
 「チェコ舞曲集第2集」の各曲について。

  1. フリアント


      「ポルカ」と並ぶチェコを代表する踊りで、ドヴォルザーク も愛用した舞曲。交響曲第6番作品60第3楽章にまで用いられたほど! 男性的力強さが魅力。「チェコ舞曲集第2集」全体が「3拍子と2拍子のリズム交錯の魅力」にあふれているのだが、「フリアント」では、長い序奏が終わった直後から「リズムの交錯」がきらきらと輝いているかのよう。名作の出だしにこだわり、全10曲中、唯一短調の曲だが、終結では長調に転調して輝かしく終わる。

  2. ちっちゃなめんどり(スレピチカ)


      ボヘミアの田舎村で放し飼いの ちいさな鶏(雌)が群れで「コケッコッコ」とさえずりながら、のどかにエサをついばんだり取り合ったりしている情景を描いたかのような「メンデルスゾーンに匹敵するか超越した情景画」の1曲。

  3. からす麦(オヴェス)


      これは民謡「からす麦の種を播いた」を元歌にした曲。日本では「田植え歌」が各地に残っているが、チェコでも「麦植え歌」があるようだ。麦収穫の情景なども描かれる。穏やかな曲想が続く中で、農民が一斉にステップを揃えて踊り出すシーンもある。

  4. 熊(メトヴェット)


      昔のチェコにはお祭りの時に「熊を連れた興行師」が田舎まで廻っていました。その熊は後ろ足で器用に立って踊りを踊れるように訓練を受けていました。日本の「猿回し」のようですが、スケールが大きいですね! 熊のユーモラスなそれでいて重量感たっぷりの動き、田舎のお祭りで子供たちが騒いでいる様子などが、それは生き生きと描かれている! 尚、熊についての民謡「君とは結婚しないよ。だって君は熊にそっくりだから」「熊の足は毛むくじゃら。お前の心はきれいじゃない」なども引用されている。

  5. 小さなたまねぎ(ツィプリチカ)


      たまねぎに関する民謡を引用した曲で変奏曲形式になっている。穏やかなテーマから思いもよらぬ轟きも聞こえてくるが、終結では「・・・とあったとさ」と、爺様がむかしばなしを語り終えるかの口調となる。

  6. 足踏みダンス(ドゥパーク)


      後半の開始部であり、ここから1曲毎に技巧的で激しい曲と穏やかな曲がコントラストを付けながら終曲(=第10曲)まで一気に「スメタナの世界」に聴き手を引きずり込む。
     前半5曲に無かった「極めて速い かつ 力強い」歯切れ良い序奏があっという間に終わると、テンポを落とさずに主要主題が出てくる。片足づつ力強く「足踏み」するのがはっきり聞こえるように スメタナ は作曲しているのだが、テンポがやたら速いので、演奏家の腕の店どころである。めくるめく次々に変奏されるが「足踏み」は激しさを増すばかり。途中2回出てくる寂しげな副主題との表情の違いが大きい。

  7. 騎兵隊(フラーン)


      チェコで今でも人気ある民謡「騎兵隊の恋人がいたのよ。私は彼が大好きだったの。」がほぼ原型で主題となっている変奏曲。全曲中、最もロマンティックな曲想。それでいて、変奏技巧は リスト を目標にしている!

  8. オプクロチャーク


      この曲も民謡を主題とした変奏曲だが、変奏主題自体が「女声と男声の掛け合い」になっているのが最大の特徴。変奏曲でもこの「掛け合い」がそのまま生かされて変奏されるのが、技巧的に難しく派手。リスト「ハンガリー狂詩曲」を思わせるフレーズが長く続くのも魅力。

  9. お隣の踊り(ソウセツカー)


      「お隣」が「家」を指すのか? 「村」を指すのか? 「国」を指すのか? 諸説ある曲。但し、スメタナ「チェコ舞曲集第2集」の前年に作曲&出版された ドヴォルザーク「スラブ舞曲集作品46」について、ドヴォルザーク が語っているところだと「隣国=オーストリア」から伝わった踊りで「レントラー」だと言う。シューベルトは「ウィーンの貴婦人レントラー」作品67 を残している。ウィーンから伝承して来た「都会プラハの舞踏会」情景なのかも知れない。全10曲中、最も優美で都会風。

  10. 跳躍ダンス(スコチナー)


      「飛び上がる(跳躍)」がスコチナーの特徴。オペラ「売られた花嫁」から ドヴォルザーク が「スラブ舞曲集第1集」で高く評価して取り上げたのも「スコチナー」。スメタナは「チェコ舞曲集第2集」を結ぶに当たり、「スコチナー」でチェコがこれからさらに高く飛躍することを願った。終曲ではリスト風にテンポと音量を最大限に上げて全曲を締め括る。
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スメタナ「チェコ舞曲第2集」(No.1810)

2011-03-22 21:37:01 | 作曲家・スメタナ(1824-1884)
 「チェコ舞曲集第2集」の前に「チェコ舞曲集第1集」が作曲されている。2年前の1877年だ。「第1集」はスメタナが生涯を賭けて作曲を続けた「ポルカ」が4曲で構成されており、『スメタナ作曲ポルカの最高傑作』の評価が高い。中でも、第2曲と第3曲は名曲の誉れが高い。sの「チェコ舞曲集第1集」が完成した後もスメタナは「わが祖国」後半の作曲を続けていたのだが、翌年1878年に大事件が起こる。

ドヴォルザークが「スラブ舞曲集第1集」作品46第5番「スコチナー」にて、スメタナ「売られた花嫁」をそのまま引用した!


のだ!
 ドヴォルザーク は スメタナ より17才若い同じチェコの作曲家。スメタナ はリストと親交が篤く「新ドイツ派作曲家」の1派と見なされていた。リスト が開発した「交響詩」を主力に作曲し、ついに

交響詩の最高傑作 = 「わが祖国」作曲途上で第4曲「ボヘミアの草原にて」まで作曲&初演済みだったスメタナ


が、1878年瞬間である。
 一方、ドヴォルザーク は読者の皆様がご存じの通り、「ブラームス直系の保守派作曲家」として世に出た。ベルリンの「ブラームスお抱え出版者 = ジムロック」から新作を出版してもれるように口を利いてもらったのが、1877年。

ベルリンのジムロックからの「委嘱作品第1号 = スラブ舞曲集第1集作品46」だった


のだ!
 それまでも、地元=プラハ では、大作曲家の1人として扱われていた ドヴォルザーク だが『世界的大作曲家委嘱作品第1号』は力が入った。その「スラブ舞曲集第1集」全8曲の内、唯一「他の作曲家からの引用」をしたのが、「スメタナの売られた花嫁」なのだ。
 ドヴォルザーク「スラブ舞曲集第1集」は超有名なように「ブラームスのハンガリー舞曲集」を手本にしながら(ジムロックの委嘱条件!)、「5つの曲名」を使い分けた。

  1. フリアント(1番&8番)


  2. ドゥムカ(2番)


  3. ソウセツカー(3番&4番)


  4. スコチナー(5番&7番)


  5. ポルカ(6番)



 これは

ドヴォルザーク による「舞曲史上の大革命」


だった。
 ハイドン&モーツァルトの時代から、「舞曲集」は人気があり、シューベルト が大人気を取る。ショパン や リスト や シューマン や ブラームス も倣う。J.シュトラウス ファミリーも無限かと思われる曲数を作曲。しかし、「同じ曲種だけでつなげる」だった。
 ベルリンを中心とした「ドイツ圏」の音楽ファンは「次々と現れる異国情緒あふれる舞曲集」に心を奪われ、1878年5月のピアノ連弾オリジナル版出版と同時に爆発的人気を得た。その人気の力に押され、「全曲管弦楽版」も同年の内に出版された! (ちなみにブラームスは「ハンガリー舞曲集」の内、自分自身で管弦楽化したのは1番、3番、10番の3曲のみ)


 「チェコ舞曲集第1集」までは「ポルカの曲集」ばかり作曲していた スメタナ は、上記の通り、特に他の作曲家に比べて、時代遅れだったわけではない。リスト や ブラームス と同じ作曲法だっただけである。
 ドヴォルザーク「スラブ舞曲集第1集」の人気は、ドイツ語圏内だけでなく地元チェコでもすさまじかった。
・・・と言うよりも、プラハの方が驚喜していたようだ。「管弦楽版」が出版される遙か前の 1878年5月16日に(管弦楽化が完了していた)1番+3番+4番 だけで「世界初演」したのは、プラハだった。もちろん、スメタナ も目の前で繰り広げられた熱狂を目の当たりにした。


 翌1879年に 連作交響詩「わが祖国」作曲を完了すると、「チェコ舞曲集第2集」全10曲に没頭する。全10曲に別の名前を与え、「ポルカ」は1曲も含まなかった。
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スメタナ「チェコ舞曲第2集」(No.1809)

2011-03-21 20:51:31 | 作曲家・スメタナ(1824-1884)
 スメタナが生涯の大傑作「わが祖国」全6曲を作曲した直後に作曲された曲集である。作風は(弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」とは全く異なり)

『チェコ民族の生活をありのままに音で描く』


であり、(チェコ語が全くわからない私高本が断定は出来ないが、おそらく)成功した作品。いろんな登場人物(?)がいる。地域や年齢も巾広い各種「踊り」を筆頭に、「熊」「騎兵隊」「たまねぎ」なども登場(爆

「わが祖国」を通り越し「売られた花嫁」の世界が再現!


である。

面白可笑しくてそれでいてちょっと寂しい感傷


が満ち溢れている。
 スメタナは「過去の大作曲家」を調べ尽くしたようで、頂点を「第1番」「第6番」「第10番」の3ヶ所に置いた。バッハ「ゴルトベルク変奏曲」やリスト「巡礼の年第2年イタリア」などを分析しまくったのだろう。「冒頭」「後半開始部」「終曲」にポイントを置いた。

たった1つの問題は、当該3曲が「リスト並み」の難曲になってしまったことだけ!


だが、モラヴェッツをもってしても第6番と第10番は「弾く気になれない」難曲だったようだ(泣

 ・・・で、他の7曲が「技巧的に簡単な曲」か? と言うと、全く違うのだ。「チェコ音楽コンクール2010」で佐伯周子の演奏で聴いた第7番も「聴き映え」が全く違うのだ。う~ん、相当に技巧的な曲のようだ。「第1集」に比べると、何が違うのだろうか? > チェコ舞曲集第2集


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スメタナ「チェコ舞曲第2集」(No.1808)

2011-03-20 20:59:03 | 作曲家・スメタナ(1824-1884)
 スメタナと言う作曲家は「わが祖国」ばかりが取り上げられる。その意味で、ベルリオーズ や ビゼー や ムソルグスキー に近い。同じチェコの同時代の作曲家=ドヴォルザーク とは、全く違う扱いである。「わが祖国」だけに限ると、ドヴォルザーク「新世界より」と同等かそれ以上に演奏頻度が高いのだが、他の曲の演奏頻度が極めて少ないのだ。「スメタナ4大名曲」に絞って考察してみよう。

スメタナ:「売られた花嫁」


 この名作オペラに関しては、原因ははっきりしている、「チェコ語上演できる世界的歌手が極めて少ない」からだ。昔(と言っても1970年代までは)「オペラ訳詞上演」は少なくなかったので、ドイツ語圏のオペラハウスではドイツ語上演していた時代がある。録音も残っている。今も後進の指導に当たっている世紀の大歌手の フィッシャー=ディースカウ が ヴェルディ「ドン・カルロ」ドイツ語訳詞上演を DG に録音したり、2才年上の マリア・カラス が ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」の終曲をイタリア語訳詞上演で EMI に録音していた時代があるのだ(爆
 チェコ語オペラの大作曲家は、スメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェク の3名なので、これだけのレパートリーではオペラ歌手として食っていけないので、チェコ人とスロヴァキア人歌手以外はほとんど手掛けないのが実情。

「売られた花嫁」は、明るい曲想で、チェコ民族の希望を失わない陽気な気質を見事に表現した名作


なのだが、「原語上演」の壁に阻まれている(泣

スメタナ:弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」


 この曲は、「弦の国=チェコ」の弦楽四重奏団が頻繁に演奏するおかげで、一定のファンが付いている。名録音も多い。「わが祖国」の次に演奏頻度の高い曲である。
 弦楽四重奏曲には2つの系統がある。

  1. モーツァルト → シューベルト → ドヴォルザーク の「優美弦楽四重奏曲」路線


  2. ベートーヴェン → スメタナ → バルトーク → ショスタコーヴィチ の「私小説弦楽四重奏曲」路線



 どちらも素晴らしいのだが、「芸風」が全く異なる。「ベートーヴェン と シューベルト」や「スメタナ と ドヴォルザーク」は住んでいる街も時代も重なっていて、ジャンルによっては「近似性」を感じることもあるのだが、弦楽四重奏曲に限っていえば「スメタナ と ドヴォルザーク を混同する人は皆無」である。(「ベートーヴェン と シューベルト」も同様だ。)

 チェコは、スメタナ と ドヴォルザーク だけでなく、ヤナーチェク や マルティヌー などなど「弦楽四重奏曲の名作曲家」が目白押しなので、「チェコの弦楽四重奏団」の活躍が目覚ましい。
 ・・・が、逆に言うと、チェコ語に全く左右されない(楽譜の指示用語もごく普通に「イタリア語」で、シューマンの曲を演奏するよりも語学的には楽!)にも関わらず、チェコの団体以外には意外にも演奏&録音は少ない。「わが祖国」とは全く違う扱いだ! ドヴォルザーク弦楽四重奏曲「アメリカ」が、チェコの団体どころか、欧州の & アメリカの & 日本の 団体から演奏&録音されているのとは対照的。やはり「優美弦楽四重奏曲」路線の方が人気あるのだろうか?
 「耳が聞こえなくなったスメタナ」の苦悩の半生(← この時からまだまだスメタナは生きる!)を絶叫することはなく、描いた名作だと思う。次作第2番になると、苦悩が創作技術に覆い被さるようになってしまった感もあるのだが。

スメタナ:「チェコ舞曲第2集」


 上記2つの曲に比べてもさらに人気が薄い。私高本は1982年以降、「音楽の友」で全曲演奏会の告知を見たことが無い。全世界に3種類の「全曲盤」が現役盤であることはある。但しどれもが評判を勝ち得てはいない。
 佐伯周子の演奏を「チェコ音楽コンクール2010」で、1番+6番+7番+10番 で聴いた。1番は「モラヴェッツの超名演」があるのでその魅力の全貌を知っていたが、「6番と10番」の鮮やかな技巧による爽快感! はそれまで聴いたことの無い名演だった。審査員の皆様からも高く評価頂き、「第1位優勝」の栄誉を頂いたことに感謝!
 佐伯周子の演奏を聴くまでは「第1番だけが圧倒的な名曲か!?」と思っていたが、どうも違うようだ。

スメタナ「チェコ舞曲第2集」は、「売られた花嫁」の世界を取り戻し、さらにリストの「超絶技巧」を加えた曲集


 「神話の世界」を描いた「わが祖国」(と弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」)でスメタナが描き尽くせなかった世界が、スメタナの心に残っていた。「熊」みたいに荒々しい表情もあれば、「小さなたまねぎ」みたいにかわいらしい表情もある。
 ここだけの話だが「指の独立性」が「リストの超絶技巧練習曲」並みに保たれていないと、声部進行が不明瞭になるようだ。う~ん、これはキツい(爆

 「モルダウ」くらいの人気があれば、「リスト弾き」がこぞって弾く可能性は高いのだが、「よく知られていないから、評価はわからない」状態の「超絶技巧曲」って、誰が弾くのだろうか???
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読売日本交響楽団第131回芸劇マチネー批評(No.1807)

2011-03-19 20:34:40 | 批評
『トランスクリプション名曲集』と銘打たれた下野竜也指揮読響公演。「編曲モノ」ばかり6曲ずらりと並べたプログラムは壮観であると同時に、滅多に見ることのできないモノ。私高本が1996年に「デイリー」を立ち上げて以来、「オペラ or オケ → ピアノ」の編曲モノは、高須博リサイタルで何度も取り上げて来たし、2001年12月には「川上敦子リサイタル」で主催したこともあるが、「オルガン or ピアノ など → オケだけの演奏会」は記憶に全くない。新たな試み、に感じる。

 冒頭に、「東日本巨大地震」の被災者のために、「拍手無しで」バッハ管弦楽組曲第3番ニ長調アリアが弦5部で演奏され黙祷を捧げた後に、プログラムは開始された。以下の内容。

  1. バッハ/エルガー:幻想曲とフーガ ハ短調BWV.537


  2. ブラームス/ベリオ:クラリネットソナタ第1番ヘ短調作品120/1


  3. モーツァルト/???:アダージオ ヘ長調K.580a(アンコール)


  4. グルック/ワーグナー:「アウリスとイフィゲニア」序曲


  5. ウェーバー/ベルリオーズ:「舞踏への勧誘」作品65


  6. ドビュッシー/ビュッセル:小組曲


  7. バッハ/シェーンベルク:前奏曲とフーガ「聖アン」BWV.552



 事前に発表されていなかった(かつ、演奏会後も掲示されなかった)アンコールのモーツァルト作品編曲者を除くと、「最初と最後の原作者がバッハ、それ以外は全て違う作曲家」というのが目を惹く。


「編曲者のサウンド優先」がこの演奏会での指揮者=下野竜也の狙いであり、見事に実現した!


がこの演奏会の最大の収穫。冒頭の「バッハ/エルガー」からして「エルガーサウンド」が響く。これは、下野竜也の狙いだ! 「バッハのオリジナル尊重」だと、オルガン曲なので クレッシェンドやデクレッシェンドは不可能。バッハ自身はデュナーミクを変えたい時には「声部数」を変えて対応していたのが、オルガン曲なのである。(他にはトリルで強調する時も多々あった。)

 エルガー編曲は「耳当たりが極めて良い」のが美点。勿論、クレッシェンドやデクレッシェンドもある。「滑らか!」の1語に尽きる。続く「ブラームス/ベリオ」はこの日最も違和感があった演奏。四戸世紀のクラリネットは「正調」であったし、下野竜也+読響も誠実な演奏だったのだが、「クラリネット+ピアノのオリジナル版」に比べて、優れた点が聞こえ難いのだ。他の編曲が1930年以前に為されているのに大きく時間が離れて1986年の編曲なことが大きな原因のように思える。1986年には「クラシック音楽用コンサート用編曲需要」は聴き手側からは皆無だったからである。ベリオの才能うんぬんでなく、(ビュッセル以前の編曲者たちは)「流行しなければ、食いはぐれる」危機感の中で編曲している。特に、ベルリオーズとワーグナーは相当に危機感があった「貧乏時代」の編曲だった、と記憶している。「ブラ-ムスのピアノの低音の魅力」が全く生きない編曲に聞こえたが、おそらく編曲に起因すると感じた。なぜなら、直後のアンコールでの 四戸世紀ソロの モーツァルト「アダージオ」ヘ長調K.580a が名演だったからである。原曲が、「ソロクラリネット + 伴奏バセットホルン3重奏」の曲を「ソロクラリネット + 弦5部」で演奏した。私高本は「ザビーネ・マイヤー率いるバセットホルン3重奏団」のCDでしか聴いたことが無かった曲なので、アンコール開始直後は「曲の同定」に少々時間を要した(泣
 演奏は素晴らしかった。ちなみに「ベーレンライター新モーツァルト全集」では「縮刷版第17巻P484に掲載」だが、元々が声部に空白のある曲。1789年9月作曲と推定。後半部は「主旋律のみ記入」の楽譜なので、補筆者によって印象が大いに異なるはずなのだが、誰の補筆 & 編曲版だったのだろうか? ブラームス/ベリオ を遙かに上回る名演を聴かせてくれた 四戸 + 読響に感謝! ところで誰の編曲だったのだろうか? 掲示は無かったように思う(泣

 後半の開始は目覚ましかった。「ワーグナーサウンド」がいきなり響く。「さまよえるオランダ人」序曲のようだ。よくも悪くも「ワーグナー世界」であり、「グルックの世界」からはちょっと遠い。
 続くベルリオーズ編曲は、この日最大の聴きどころ。冒頭の 嶺田のソロチェロから緊密なサウンドが充満。木管も素晴らしい! ワルツ主部の爆発も素晴らしく「幻想交響曲第3楽章の異稿」を聴かせれているかのようだった。
 最後のシェーンベルク編曲バッハ:前奏曲とフーガBWV.552「聖アン」。これはエルガー編曲とは「モノが違う」名編曲であり、名演だった。シェーンベルクの編曲と言うと「ブラームスのピアノ4重奏曲第1番編曲」ばかり聴かされたので、相当にイメージが悪かった > 今日まで。
 打楽器がカンカン鳴るだけの編曲だからだ > ブラームスのオリジナルに比較して

 BWV.552のシェーンベルク編曲は、エルガーを遙かに凌駕する編曲だった。「クラリネットを6本使用」などと言う、信じられない巨大編成なことだけが「演奏頻度あるの?」と思わせたが。


 ソリストアンコールまで「編曲モノ」で揃えたこの日の演奏会。定年で退官する四戸も納得でのプログラムだろう。これだけ「統一感が保たれて、作曲者も編曲者も異なる演奏会」を設計したのは誰だろう? 素晴らしい!
 ・・・で、できることならば、アンコール曲の K.580a の編曲者を教えて下さい > 読響


 明日、全く同じ演奏会が 横浜みなとみらいホールである。チケットも余裕。興味ある方は是非是非聴いてほしい。
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スメタナ「チェコ舞曲第2集」(No.1806)

2011-03-18 22:34:19 | 作曲家・スメタナ(1824-1884)
スメタナの「4大傑作」の1つだが知られていない。作曲順に

  1. オペラ「売られた花嫁」(1863)
  2. 連作交響詩「わが祖国」(1872-1879)
  3. 弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」(1876)
  4. 「チェコ舞曲第2集」(1879)

である。スメタナはベートーヴェンと同じく、聴覚障害が出現してしまった悲劇の作曲家の1人だが、ベートーヴェンとは異なり、「聴覚障害が出現後に器楽曲は傑作が出現し始める」のが1つの特徴。
 「わが祖国」のスケールの大きな世界だけでは描き尽くせなかった世界を弦楽四重奏やピアノで表現した曲が他の「スメタナの傑作」である。
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ピアノソナタ変ニ長調D567第4稿(No.1805)

2011-03-16 23:51:11 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

どちらの「稿」が決定稿なのか?


 身近な点で、D568/3 と D593/2 は「どちらがオリジナルで、どちらが改訂作?」が、学者により意見が異なっている。

ドイチュは「D568/3 がオリジナル、D593/2 が改訂作」と断じた


のだが、後世の学者は大半が反対した(爆

ドイチュは、D593/2 のトリオの方が D568/3 のトリオよりも出来が良いから


判断した、と推測する。

D593/2主部=変ニ長調、トリオ=変イ長調


D568/3主部=変ホ長調、トリオ=変イ長調


と、主部は違う調なのに、トリオは全く同じ調性(変イ長調)で同じ小節数。トリオ前半の終結部とトリオ全体の終結部が全く同じ音型(1オクターブ異なる)のがD593/2、変形しているのがD568/3。誰がみても「工夫を凝らした = D568/3」なのだ。だが、出来うんぬんは別問題である。ドイチュともあろう目利きでも、見抜けなかった例である。


 「シューベルトの改訂問題」は他にも存在している。ト長調ソナタD894作品78第2楽章のターンのような有名な例もある。変ホ長調ピアノ3重奏曲D929作品100のように「改訂方向」は明らかだが、オリジナル稿の方を演奏する人が絶えない曲もある。日本を代表するシューベルト弾きでも見解が分かれており、「岡原慎也は改訂稿、原田英代はオリジナル稿」でそれぞれ名演を聴かせてくれた。共演するメンバーの意見もあるから、ソロ以上に意見調整するのは大変である(爆

 さて、「ベーレンライター新シューベルト全集」以外の全ての楽譜が改訂順序を決めつけているが、新シューベルト全集では改訂順序を特定していないソナタ楽章は、実は他にもある。

ピアノソナタ ハ長調D279第3楽章イ短調 と メヌエット イ短調D277A はどちらが先に作曲されたか断定できない、と新シューベルト全集では保留している



D279/3 & D277A の原典版楽譜の出版状況



  1. 1976年 バドゥラ=スコダ校訂 ヘンレ版第3巻 「D277A は初期稿」と断定。根拠無し


  2. 1981年 ファーガソン校訂 ロンドン王立音楽院版 「D277A は初期稿」と断定。根拠無し


  3. 1997年 ティリモ校訂 ウィーン原典版 「D277A は初期稿」と断定。根拠無し


  4. 2001年 リッチャウアー校訂 ベーレンライター新シューベルト全集ソナタ第1巻 特に前後関係は記載無し



が最新である。「新シューベルト全集は全てをお見通し!」と絶賛したいところだが、実は「1988年の D277A 掲載の小品集I」では、「D277Aは初期稿」と断定しているので、『1997年まではバドゥラ=スコダ校訂楽譜を皆が信じ切っていた!』が事実ではなかろうか?

 2001年に「ソナタI」を出版する時に、重大なことがあった。

ソナタ ハ長調D279(1815.09)第3楽章に続くには、ロンドハ長調断片D309A(1815.10.16)が確実


の事実。
 それまで確実視されていた「D346 が第4楽章説」がそのままでは通用しなくなった瞬間である。バドゥラ=スコダ説を延長すると次のようになる。

「D277A を含む第1稿」 → 「D279 全3楽章 + D309A で第2稿」 → 「D346 に差し替えの第3稿」


 この説を支持するには相当な無理がある。まず、上記説の第2稿を「浄書譜」とすると、第4楽章開始早々に放棄するのは不自然なことである。また、第1稿の(最小でも)第1楽章が見つかっていないことである。D157,D566,D567,D575など、初期ソナタの「第1楽章異稿」は多数存在していることから、シューベルトの異稿は大切に保管されていたことが理解できる。なぜ、D279だけ全くないのだろうか?

 ・・・ということから、D279/3 と D277A はどちらが先の作曲かは、新シューベルト全集では最終的には断定することを止めた。つまり D277A の方が決定稿の可能性が強いことを示唆する。これが最新情報だ!
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ピアノソナタ変ニ長調D567第4稿(No.1804)

2011-03-14 21:10:36 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
本日は http://blog.goo.ne.jp/piano_music/e/6deb13f431333971252cad473d521415 の続きである。1817年10月に交響曲第6番ハ長調D589 を作曲開始して間もなく、シューベルトに「イタリア風序曲」の作曲依頼が舞い込む。シューベルトは ニ長調D590 と ハ長調D591 を11月に作曲開始する。どちらか1曲が実際に使用されたのだが、どちらかが断定できない。状況証拠からすると、シューベルト自身が急いでパート譜を作成した ハ長調D591 の可能性が極めて高い。少なからぬ現金収入も見込め、シューベルトの作曲意欲は相当に高まっていた。
 『シューベルトの序曲』と言うのは、交響曲第1楽章に近似した形式で作曲される。規模は少しだけ小さいが。ニ長調序曲は、交響曲第3番ニ長調D200(1815.05-07)を再利用して終曲する楽しい曲で、冒頭部分は後の「魔法の竪琴」序曲D644 に再利用される。「魔法の竪琴」序曲は「ロザムンデ」序曲として有名なので、そのフレーズは聴けば、シューベルトファンの皆様はすぐにおわかりだと思う。ハ長調序曲D591 の方は、直前に着手していた 交響曲ハ長調D589 に影響を与えた。特に「終楽章=第4楽章」に。

交響曲第6番完成が 翌1818年2月まで「足掛け5ヶ月」となった


のも序曲の影響だろう。シューベルトは「速筆作曲家」と誤解する風潮は21世紀の現在では、相当に正しく「熟考型作曲家」と見直されて来ているが、「転機」となったのが 交響曲第6番D589 なのだ。この曲以前のシューベルトは、交響曲でもミサ曲でも全て3ヶ月以内に仕上げて来たと推測されている。作曲開始時期が明記されていても作曲終了時期が明記されていない曲もあるので断定はできないのだが、どうも「どんな大曲でも2ヶ月以内」が原則で

完成した初のオペラ「悪魔の悦楽城」D84(第1稿) だけが 1813.10.30-1814.05.15 と半年以上かけている


 サリエリの指導の下、「完成」基準がシューベルト自身かどうかがわからないオペラ。ご丁寧に 第2稿が 1814.09.03-10.22 に細部の修正以外に「4曲追加されて、19曲 → 23曲」になったほどの徹底指導である(爆


 話を 交響曲第6番時代のシューベルトに戻そう。おそらく ハ長調序曲D591 が依頼者の期待に応えられ、シューベルトの「ソナタ楽曲」作曲意欲が相当に盛り上がったようだ。すぐに 交響曲第6番 を完成させてもよさそうなところだが、

1817年7月に作曲したばかりの「お気に入り」ピアノソナタ変ニ長調D567 を「3楽章構成 → 4楽章構成」へ再編成を試みる


 具体的には、第3楽章スケルツォ追加である。ハ長調序曲D591 の成功で、気を良くしたのだろうか? 自信を付けたのだろうか? D575 完成以前のシューベルトよりも、自信にあふれた曲が誕生する。「変ロ長調スケルツォ」D593/1 である。これも名曲であり、このまま「完成作」にしても良さそうなことは、ニ長調序曲D590 と同じ。しかし、シューベルトは満足しなかったようで、(序曲と同じように)スケルツォ第2作をも作曲する。変ニ長調スケルツォD593/2 である。これで満足したのか、この年には第3作は作曲されなかった。


 おそらく ト長調ピアノソナタD894作品78 を出版した後に、シューベルトは「出版されたピアノソナタの番号」を再整理しようとした。

  1. 作品42 イ短調D845
  2. 作品53 ニ長調D850
  3. (結局死後出版になってしまった)作品122 変ホ長調D568 1829.05.27ペンナウアー出版(← これがD567の改作)
  4. (結局死後出版になってしまった)作品120 イ長調D664 1829.09.30ツェルニー出版
  5. (結局死後出版になってしまった)作品164 イ短調D537 1852シュピーナ出版(← 遅れが2回生じた様子だ!)

 ト長調ソナタは「幻想曲」で出版されてしまったシューベルトが「D958-D960」を外国で出版しようと試み、ウィーンでの通し番号を再編成しようと試みたことがありありとわかる。イ短調ソナタD537 は無修正で出版しようとしているのに、元の 変ニ長調ソナタD567 は 変ホ長調に移調された上、第3楽章がまたまた新作された。その際に「トリオは大半をそのまま使用したが、前半終結部を改作した上、後半冒頭部も少しだけ改作」となった。さらに第2楽章を「嬰ハ短調 → ト短調」へ移調。両端楽章は展開部を中心に「改良」されたことは間違いないのだが、中間楽章は改良されたのだろうか?

D593/2トリオ → D568/3トリオ の改作は、元の方が素朴で美しい点が多い


ことをここに指摘しておく。前半部終結の「改作の工夫」は素朴さを減じている、とも感じられるのだ。
 さらに、元のスケルツォ主部 と 改作のメヌエット主部 を比べても、「どちらも魅力的」としか言いようがない。「力感のある D593/2主部」と「なめらかさが魅力の D568/3主部」は、どちらも聴く人の耳を捉えて離さないだろう。


 実は

CDでは D593/2 と D568/3 を両方録音したのはシュヒターただ1人しかいない!


ので(現在廃盤なので)聴き比べるのが非常に困難。う~ん、前々回の「シューベルト全曲演奏会」で D568 を全曲弾いている佐伯周子が D593/2 を弾く今回演奏会は極めて貴重な機会なのである。
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