Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

「楽章リート」の老田裕子の魅力(No.2157)

2012-10-31 23:50:19 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 全13曲のプログラム中、大半の方が「リート」として、数多く耳にしているのは「楽章リート」3曲だろう。かく言う私高本も同じである(爆

  1. 初めての灯り(交響曲第2番「復活」第4楽章)


  2. 三人の天使がやさしい天使の歌を歌ってた(交響曲第3番第5楽章)


  3. あの世の暮らし(交響曲第4番第4楽章)





 私高本は「耳慣れた3曲のリート楽章」よりも、他の10曲の方が「耳洗われる」かな? と想定していた。
・・・がこれは「猫頭」だった(泣

3曲の「楽章リート」の「表現力の巾広さ」は、つい先日聴いた 下野竜也+読響の第2番「復活」、インバル+都響の第3番をも超えた「巾広さ」!


だった。他の曲も、同じように素晴らしかったのだが、「耳慣れた曲」の方がはっきり「比較」ができることが大きい、と感じる。
 11/4(日)の兵庫公演を聴いて、ご自分の耳で確認して頂ければ幸いです。
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歌手とピアニストの『資質』:マーラー「子供の不思議な角笛」の場合(No.2156)

2012-10-30 23:39:49 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

歌手とピアニストの『資質』:マーラー「子供の不思議な角笛」の場合


 まず、歌手に必要な資質は、作曲家別に全く異なることを明記する。

  1. モーツァルト「魔笛」の「夜の女王」 : 3点F(ハイF)をきちんと出しながら、コロラトゥーラを正確に転がす。アンサンブル不要。演技もあまり求められない


  2. シューベルト : 「歌曲」「ミサ曲」「オペラ」全てで、「技巧的な難しさ」は少ない。歌詞を深く読み込んだ歌唱が高い水準で緻密に求められる


  3. J.シュトラウス2世「こうもり」 : 声量はそれほど求められない。演技派であると同時に「アンサンブルがうまい!」が求められる


  4. ワーグナー「楽劇」主役 : 大オーケストラがフォルティシモで「鳴る」中を突き抜ける「太い」声。アンサンブルは不要。「ワケわからん演出でも歌える」は必須事項



 「ドイツ派巨匠」から数名選んで見て時代順に並べたが、「作曲家の要求」は全く異なっていることがお判り頂けることだろう。


 では、マーラーの場合はどうなのだろうか?(歌手についてである。)オーケストラ伴奏について見てみよう。

  1. 「さすらう若人の歌」「リュッケルト歌曲集」「亡き子をしのぶ歌」「大地の歌」 : 哀愁などを抒情的に歌い上げる


  2. 「子供の不思議な角笛」(1899年版13曲と「最新の7つの歌」から2曲) : 異なった15場面を舞台にした喜歌劇調のオペラアリア


  3. 交響曲第8番「千人」 : 重唱中心の「突き抜ける声」を持つ7名のアンサンブルの第1部。基本的に「オペラアリア」の第2部



 「嘆きの歌」は習作なので抜いた。「子供の不思議な角笛」(「角笛交響曲」含む)と「千人交響曲」以外は「抒情的」な方向の音楽作り。声量はあるに越したことは無いが、「子供の不思議な角笛」「千人交響曲」ほどは不要。
 「千人交響曲」は第1部のアンサンブルの難しさがあるものの、「オペラアリア」の第2部では「第2ソプラノ」以外は、「場面転換による心の準備」はほとんど無い。

連続して次から次へと「異なる場面のオペラアリア」の連続 = 「子供の不思議な角笛」。これを「歌い切る」が歌手の「必要資質」である




 では、ピアニスト はどんな資質が必要なのだろうか? ちょっと一風変わった視点から覗きこんで見よう。

「子供の不思議な角笛」ピアノ版全曲録音(歌手が1人か2人かは問わない)で、最高のピアノを演奏しているのは、バーンスタインの「ウィーンライブ」


 一発ライブ なので、ミスタッチは多いが、この「ピアノ版世界初録音」が圧倒的にうまく、他を寄せ付けない。フィッシャー=ディースカウ と「ピアノ版」「オーケストラ版」を共演している バレンボイム でさえ、随分と差を付けられている。
 主として3点が重要に見える。

マーラー「子供の不思議な角笛」ピアノ版 の ピアニスト にとっての重要点



  1. 次々と移り続ける「オペラアリア場面」に気分転換がすぐに出来る「指揮者気質」ピアニスト


  2. 休憩までの30分以上を「楽章間の休み」程度で、オーケストラ版並みに込み入った『音符の数が多い曲』を弾き切る「大曲弾き」ピアニスト(シューベルト後期ピアノソナタ とか ブラームスピアノソナタ が弾ける技巧が必要)


  3. 「教会に人が来ないから魚へお説教」と言うハチャメチャな場面設定を「面白おかしく」弾けるピアニスト



 ここで秘話を1つ。

バーンスタインは自作オペレッタ「キャンディード」第21曲で、「奴隷船でいやいや漕がされている奴隷の情景」にマーラー「子供の不思議な角笛」の「歩哨の夜の歌」の伴奏音型をそっくりそのまま引用した!


 それほど、マーラー「子供の不思議な角笛」を心の底から愛していたのである。


 佐伯周子は、私高本について、「高き知性の持ち主だからねえ、イヤー」と(2オクターブ+半音では無く)1オクターブ+半音 の音程(歌手訓練受けてないからしゃーないわな!)で、茶化す(爆
 その程度の「猫頭ヒョーロンカ」だから、茶化されて当たり前じゃん(泣
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マーラーの「フモレスケ」(ユーモアなもの)の魅力(No.2155)

2012-10-29 23:17:43 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 本日号は、

  1. 2012.09.01 下野竜也+読響:マーラー交響曲第2番「復活」


  2. 2012.10.18 老田裕子X佐伯周子:マーラー「子供の不思議な角笛」1899年版


  3. 2012.10.28 インバル+都響:マーラー交響曲第3番



の3公演を聴いて、徐々に感じていたことが「はっきりと明示された」から書ける文章である。演奏家の皆様には深く深く感謝する次第である。


 音楽史上で「フモレスケ」と名付けた曲を初めに作曲したのは、おそらく シューマン。作品20である。「クスッ」とさせられる面白さを感じる曲。
 マーラーは「子供の不思議な角笛」1899年版の次に作曲した「起床合図」"Revelge" にも「フモレスケ」と呼んでいるので、「フモレスケ」と言う語を広く「子供の不思議な角笛」に用いていたようである。

『マーラーのフモレスケ』は何を意味するか?



  1. 下野竜也 が「面白おかしく」交響曲第2番「復活」第3楽章「パドヴァのアントニウス 魚へお説教」を軽やかに振った時、空気が軽くなったように感じた。


  2. 老田裕子 が「誰がこの小唄を思いついたの?」をコロコロと転がすように、コロラトゥーラで歌い始めると、あたかも「モーツァルトのダ・ポンテ オペラブッファ3部作」が今から上演されるか? のように感じた


  3. インバルが、交響曲第3番第1楽章第3主題呈示でそれまでの重々しい雰囲気が一変し「腰を振って、田舎の人たちが行進」が目前に広がるかのように感じた



 これまでに何回も聴いて来た「マーラー交響曲」だが、下野竜也の第2番&インバルの第3番 は「彫りの深さ」がこれまでの全ての演奏よりも『濃い』。何が『濃い』と感じさせたのか?

ずばり「面白おかしさ」方向の表現力が徹底的に「面白い」方向にベクトルが最大化されている!


である。
 交響曲第2番も第3番も、終楽章は「荘厳に」演奏しようとどの指揮者もがする。(成功するかどうかは別として)だが、その成否は、直前までの楽章の「演奏設計」に掛かっているのだ!!!

 マーラーは「フモレスケ」を言葉通りに「ユーモアのあるモノ」として捉えた。「アントニウスさま お説教には来たが教会はからっぽだ!そこで彼は川へと出かけ魚どもにお説教!」とか「宿屋の娘が可愛い」とか「カッコウが死んで落っこちちゃった」とか、歌詞を見ると「アチョーーーー」ってな歌詞ばかり!
 これが「交響曲」に入り込んでいるのが「角笛交響曲」の特徴。マーラーの純器楽交響曲は、それなりにうまい指揮者でも「角笛交響曲」は「あれっ?」と思える人もいる。特に「第3番」は「第2番」「第4番」以上に厄介だ。初めの3つの楽章が「狂気の田舎臭い雰囲気ぷんぷん」だからだろう。大好きな テンシュテット もこの曲だけは「真面目に過ぎたかな?」と思える録音を残している。「昨日のインバル」くらい「狂った田舎臭い雰囲気」が必要な曲なのだろう。都響は録音体制だった上に「録画」もしていたので、全席完売で聴き逃した方は「録画売ってくれ!」と都響事務局に願い出るのが良いと思う。客商売だから、「販売」方向で検討してくれることだろう。


 下野竜也 と 老田裕子 と インバル のことばかり書いたように思う。

読響 と 佐伯周子 と 都響 の「演奏精度」の素晴らしさ は特筆モノだったから、名演が実現した!


ことをここに明記する。ソプラノソロ & アルトソロ & 合唱団 も含めてである。尚、インバル指揮都響は、第1番、第2番、「嘆きの歌」では、旋律線の受け渡しが緻密でなく、「マーラーの意図」を100%は実現できていなかった。徐々に「息が合って来た!」と言うことなのだろう。


『マーラーのフモレスケ』は「面白おかしさ」方向に感情起伏が大きく、『シューマンのフモレスケ』の感情起伏を大巾に逸脱しており、「クラシック音楽」中最大値に近い


だろう。

この感情起伏に迫った作曲家は「マーラー以前」には無く、「マーラー以降」では ストラヴィンスキー & ショスタコーヴィチ だけ


だろう。「面白おかしさ」方向では無く、「原始鼓動」とか「悲劇に対する虚無感」が起点となっているが「感情起伏巾」で言えば、巾広さはこの3名の作曲家が最大では無かろうか?


 ・・・ってな「角笛交響曲」の元ネタになった マーラー「子供の不思議な角笛」1899年版 を演奏する 老田裕子 X 佐伯周子 の感情起伏は極めて激しい。立役者は勿論「ソプラノ = 老田裕子」。『13曲のマーラー作曲オペラアリア』を歌い尽くす、だからなあ。これだけ歌えるソプラノは、日本だけでなく、世界でも数少ないと感じる。

マーラー「子供の不思議な角笛」1899年版は「女声のための曲集」だが、過去「CD録音した女声歌手皆無」に世界初挑戦 = 老田裕子


と思われる。だが、佐伯周子 も、「前奏」で煽ったり、なかなかのモノ。「あの世の暮らし(天上の生活)」の長い前奏などは耳を澄まして聴いて欲しい。
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2012.10.28 インバル指揮都響:マーラー交響曲第3番 批評(No.2154)

2012-10-28 23:29:01 | 批評

『マーラーのデモーニッシュな力』を見事に惹き出した インバル+都響 交響曲第3番!


  インバル + 都響「マーラー:交響曲全曲演奏会」も第3番まで来た。第1番「巨人」、第2番「復活」を「鳴らす」で押し通して来た インバル だが、第3番は一転して「響かせる」に転じた。

インバル と 都響 の「息遣い」がはっきり密になった


第3番では、第1、第3、第6楽章 にピークを作り、第2、第4、第5楽章 は控えめ


だった。

最も良くなっていたのが、フォルティシモ方向を『響かせる』に変えた


である。さらに

ピアニッシモ方向での「楽器間の受け渡し」が抜群に良くなった


ことを明記して置く。
 インバル の構想力は、交響曲第3番では優れており、第1楽章のリズミックな中の「おどけ」が外に向けて発散しまくって開始され、声楽が入る 第4楽章 が「内向きに思索」する。池田香織の歌唱も素晴らしかった。女声合唱38名 + 少年合唱30名 は、第2番「復活」よりも小型であったが、第3番では声楽を響かせることを優先し、オケを被せることはしなかった。特に素晴らしかったのは、終楽章=第6楽章。

緊張感高いピアニッシモで開始され、パート間の旋律線が微妙に絡み合わせながら、延々と持続してして、最後のクライマックスに到達する「マーラー設計図」通りの演奏となった!


 言うは易し、行うは難し。パート同士も緊張感を持ち「聴き合って」の演奏だった。都響でこれだけ緊密な演奏は、最近では初めてである。


 終演後の聴衆の熱狂もこれまでに無いほど! 割れんばかりの拍手とブラヴォーの嵐は延々と続き、拍手は客電全開になっても、オケも合唱も袖に引っ込んでも鳴り止まない。ついに、インバル が出てきて、「参賀」は終わった。

インバルが「巨匠」になった瞬間


に感じる次第である。第4番以降も第3番と同じ水準の演奏を聴かせてほしいばかりである。
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「自作の詩」を超える詩を求めて「子供の不思議な角笛」に辿り着いたマーラー 後編(No.2153)

2012-10-27 22:39:28 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
マーラーは、「子供の不思議な角笛」1899年版を出版した時には

シューベルトも越した。ワーグナーも越した。オレが「世界一の作曲家だ!」


 これが、「偽らざるマーラーの感想」だったろう。

  1. 「オーケストラ伴奏歌曲」にてシューベルト超え


  2. 「アリア」としてワーグナー超え


  3. 「交響曲作曲家」として、シューベルト、ワーグナー さらに ベートーヴェン超え



である。この3点の視点から判断すると、確かに「超えた」と考えて良い点ばかり。特に交響曲では、「未完成」「グレート」の2作品しか有名曲が無いシューベルト、交響曲は1曲も完成しなかったワーグナー、「第9」のピッコロやコントラファゴット以上に自由自在な楽器を使った「復活」、どれをとっても一理ある!


 前編に記載した通り、「さすらう若人の歌」は「マーラー作詞」である。交響曲第1番「巨人」が「さすらう若人の歌」から産まれたのは、誰の耳にも明らか。しかも、交響曲第1番「巨人」は名曲である。だが、交響曲第2番「復活」と交響曲第3番と比較すると、「小じんまりしている」ことは誰の耳にも明らかである。先輩作曲家と比較すると、ベートーヴェン「第9」、ブルックナーの第2番以降 よりも時間的規模が小さいことも指摘できるだろう。


『交響曲作曲家』としては、ベートーヴェン、シューベルト、ワーグナー を越した可能性があるが、『歌曲作曲家』としては、シューベルトを越したのか?


 ここは、聴き手により意見の別れるところだろう。

私高本は『オーケストラ伴奏歌曲』と言う新しい分野を開拓したマーラーの功績は、極めて大きく「シューベルトに比肩」


と感じている。マーラー以降、「オーケストラ伴奏歌曲」は次々と作曲されたし。


 「作詞家」としても、「ワーグナー並み か それ以上」と思っていたマーラー。だが、「湧き上がる詩」は『規模が小さい』が難点だった。ワーグナーの「誇大妄想」どころか、シューベルトの2大連作歌曲の作詞家 = ミュラー よりも(内容は密であっても)「規模が小さい」のだった(爆涙


マーラーは「9曲の作曲練習 = 若き日の歌(第2集&第3集)」の準備をした上で、「不思議な子供の角笛」1899年版全13曲を作曲&出版した


 
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2012.10.21"The Grand Trio"(小森谷巧+藤森亮一+横山美里)演奏会批評(No.2152)

2012-10-23 23:58:21 | 批評

『理想的なピアノトリオ』の域に達した"The Grand Trio"


  小森谷巧 は読響コンサートマスター、つい先日「シェエラザード」の長いヴァイオリンソロをたっぷり聴かせてくれていたことが記憶に鮮明。藤森亮一 はN響首席チェリスト、ソロを受け持つことは多く、演奏会のみならず、放送で「藤森亮一のソロチェロ」に親しんでいる方は多いことだろう。横山美里 は北海道帯広のピアニスト。私高本が2001-2006年に「帯広で定宿にしていた 北海道ホテル」の朝食時に、レストランで流れていたのが、「横山美里 のシューマンとブラームス」だった。クセの少ない シューマン & ブラームス で、爽やかな演奏、まさに「朝食の食欲をそそる音楽」を聴いて4年間愉しませて頂いた。演奏が良かったので、CD2枚購入したほどである。


 この3名が "The Grand Trio" を結成したのが2008年、5年目に入り、「音楽の息」が相当に合って来たことが実感された演奏会だった。

  1. ベートーヴェン : ピアノトリオ「カカドゥ変奏曲」ト長調 作品121a


  2. シューベルト : ピアノトリオ変ロ長調 D898


  3. メンデルスゾーン : ピアノトリオ第2番ハ短調作品66



 時間的だけでなく、内容的も含めて、極めて「重い」プログラムビルディングである!


 "The Grand Trio" は、既に「CD2枚 + DVD1枚」を発売している室内楽団である。私高本もその中で(この日の演奏会プログラムと作曲家が重なる)2枚目の「シューベルト作品100 D929 + メンデルスゾーン第1番作品49」のCDは既に聴いていた。正直、「音の厚化粧」が「誰がこんな厚化粧CDの原因???」って感じで、ワケが分からなかった。小森谷巧の録音は「デビューCD」から「ストレートな音」で収録されているし、横山美里の録音も「シューマン&ブラームスのデビューから2枚」は「ストレートな音」だったからである。藤森亮一 については、CDは聴いたこと無いが、N響での「ソロ」を聴く限り厚化粧の必要性は(私高本は)全く感じなかったからである。


 この日の演奏は、冒頭のベートーヴェンから「全力投球」だった。「カカドゥ変奏曲」をこれだけ全力で演奏してくれる団体は少ない。だが

圧巻は、シューベルト:ピアノトリオ変ロ長調D898。小森谷巧 のリードで、「たっぷり歌う」と「構想力の大きさ」が絶妙なバランスで実現!


 この曲は「カザルス・トリオ」が「持ち曲」にしていたことが有名。「カザルス・トリオ録音」に比べると「しなやかな歌」が、小森谷に、藤森に、横山にあった。(その分、構想力方向へは「カザルス・トリオ」の方が主張は強い)これだけ「歌っている」のに、「ラインが崩れずに音楽が楽しめる」のは奇跡的! このシューベルト演奏を聴けて私高本は幸せである。


 メンデルスゾーン第2番も素晴らしい出だし。第1番に比べて人気が低いのが、(この日の演奏を聴くと)不思議に感じられるほどだった。このママ、第4楽章最後まで維持できれば「最高!」だったのだが、ベートーヴェンからハイテンションで演奏続けたためか、第4楽章では少々キズがあったが、これはナマでは致し方無いかも知れない。「踏み込みの良さ」の勲章のようなものだから。


"The Grand Trio" 次回首都圏公演は、2013年1月13日(日)横浜市栄区民文化センターリリスホール : メンデルスゾーン第1番 他


である。ピアノミュージックジャパン ではもちろん、追っかけて批評する予定。また、「新CD告知」もあるので、今回は「薄化粧」または「化粧無し」の音で録音して欲しい次第である! 「素顔が美女 & 美男子」なのに、何で「厚化粧」する必要あるの?????
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「自作の詩」を超える詩を求めて「子供の不思議な角笛」に辿り着いたマーラー 中編(No.2151)

2012-10-21 23:47:04 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 マーラーが「子供の不思議な角笛」を見付けた年代については様々な説が飛び交っている。だが、「さすらう若人の歌」第1曲「ぼくの好きだった人が結婚式をあげるとき Wenn mein Schatz Hochzeit macht」が、「子供の不思議な角笛」の「Wann mein Schatz(ぼくの好きだったひとが)」を下敷きにしていたことは、ほぼ間違いが無い事実。これに「頰被」している「音楽学者」「音楽評論家」はいるが、「反論した」ヤツは皆無である。詳細 は、藤井宏行 のホームページにリンクを貼っておいたので、ご覧頂きたい。もし、「さすらう若人の歌」以前だとすれば、1884年以前である!


1887年以前のマーラーは「自作の詩」に極めて高い自信があり、「ワーグナーも超える!」と信じ込んでいた可能性大


をここに記す。「嘆きの歌」は自信作だったが、徐々に自信が剥げて行き、結局、「短縮縮小版」での出版となった。今月の「インバル + 都響」の演奏を聴いても、「マーラー自身が成熟していない感」がありあり。規模の違いもあり「ハンスとグレーテ」よりも人気は出ないだろう、と感じる。
 マーラーが、「ハンスとグレーテ」「嘆きの歌」「さすらう若人の歌」の3作で通していたモノは次のようだった可能性が極めて高い。

  1. ワーグナーの「レシタティーヴォ」は無用! 長過ぎる!!


  2. 「楽劇」形式よりも「交響詩」または「交響曲」または「カンタータ」の方が普遍的



 これが「音楽史的に実証」されれば、満足だったのだろうが、実際には(後に交響曲第1番「巨人」となる)交響詩「巨人」は「流浪の民」となり、(後に交響曲第2番「復活」第1楽章となる)「葬礼」も続く楽章が滞っていた。こんな状態が(「葬礼」が完成した1888年から数えれば)4年も続いていた。しかも、交響詩「巨人」の演奏は決して高い評価が(それまでには)得られていなかった。第1楽章冒頭からバンダで、吹かせたりしたのが「当時のルール違反」だからなあ(爆
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これから聴きに行く演奏会予定(No.2150)

2012-10-20 23:47:41 | 演奏会案内
 10月18日ほどの大きな演奏会は私高本が経験皆無。「音楽の友ホール」は、客席の隣がスグ「更衣室」などなど、(以前から噂は聞いていたのだが)実際に「演奏会を主催」するとなると、「どうすりゃいいの?」の難問がいくつかあった。(出演者が2人とも女性だしなあ、、、)
 だが、出演者の協力もあり、全て問題クリア。素晴らしい演奏を披露できた、とご来場頂いたお客様からは好評であった。11月4日の兵庫公演をこの日以上の演奏が披露できるように、準備は万端にしておきたい。


これから聴きに行くコンサート



  1. 2012.10.21 The Grand Trio Recital 小森谷巧(Vn)横山美里(Pf)藤森亮一(Vc)シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番D898,メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第2番 東京オペラシティ リサイタルホール


      "The Grand Trio" は、上記3名のピアノトリオ。小森谷巧 は『読響コンサートマスター』、藤森亮一は『N響首席チェリスト』として「首都圏オーケストラファン」には超有名。ソロを演奏する機会は度々で、その名演に心動かされた聴衆の皆様も多い。横山美里 は帯広のピアニスト。シューマン & ブラームス でCDデビューして、帯広市の「北海道ホテル」で「朝食タイム」にレストランにて、その響きを聴きながら朝食をおいしく食べさせて頂いた記憶が鮮明。
      "The Grand Trio" は既に2枚のCDをリリースしている室内楽団であり、シューベルト第2番とメンデルスゾーン第1番は既にCD発売もしている!!!
     「小森谷巧のシューベルト」は私高本は聴き逃がせない。「シューベルトファン」には是非聴いて欲しい演奏会である。(体調も今晩には回復したので、必ず聴きに行きます!)

  2. 2012.10.28 インバル+都響:マーラー 交響曲第3番 東京芸術劇場


      現在、日本で「高い水準でマーラー交響曲全曲」を演奏しようとしているのは「インバル+都響」だと感じる。(東響は演奏水準高いマーラーだが「歌曲」! しかも、この日の公演!!)
     この日、最も注目しているのは、アルトソロ の 池田香織。若い時から知っているメゾソプラノ(マーラー表記はアルトだぞ!)だが、これほどの大舞台でどれだけ実力が発揮できるのか? 一世一代の舞台、だろう。実力を発揮して欲しい。

  3. 2012.11.01 神戸市混声合唱団&神戸市室内合奏団 ブルックナー「無伴奏モテット」3曲 他 神戸文化ホール(中)


      老田裕子 が所属する「神戸市混声合唱団」が毎年「財団設立記念演奏会」を11月1日に開く。「読響プログラムノート」に「東の東混、西の神戸」と堂々と掲載されている団体。どちらも近数年は読響と共演してないような気がするのだが(苦笑
     今年は、私高本が大好きな「ブルックナー:無伴奏モテット集」から3曲演奏する! と言うので、居ても立ってもいられなくなり、聴きに行くことにした。他に、高田三郎「水のいのち」、モーツァルト:ディヴェルティメントK.137 他。

  4. 2012.11.04 老田裕子 X 佐伯周子:マーラー「子供の不思議な角笛」1899年全13曲 兵庫県立芸術文化センター(小)


      一昨日素晴らしい演奏を聴かせてくれた 老田裕子 X 佐伯周子。11/4 はさらに上の演奏を目指す。「ドイツリートファン」だけでなく「オペラアリアファン」も是非是非逃さずに聴いて頂きたい。老田裕子 の表現はヴェルディ「椿姫」ヴィオレッタ役 並みに全13曲で濃い。佐伯周子 の表現も菊池彦典指揮の大阪交響楽団に匹敵するかそれ以上に濃い!
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「自作の詩」を超える詩を求めて「子供の不思議な角笛」に辿り着いたマーラー 前編(No.2149)

2012-10-19 21:01:39 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 昨日の「老田裕子 X 佐伯周子:マーラー子供の不思議な角笛1899年版」にご来場頂きありがとうございました。アンコールは

  1. 夏に交代 Ablösung im Sommer
  2. 別れて会えない Scheiden und Meiden

でした。どちらも「若き日の歌 第3集」で詩は「子供の不思議な角笛」です。


 本日号は「演奏会批評」では無い。「作品批評」です。


マーラーは『自作の詩に作曲した名曲』がある作曲家だった


  マーラーは「詩作」の達人であり、シューベルト、シューマン、ブラームス と連綿と続く「ドイツリート作曲家大家」としては異例なことに、『自作の詩に作曲した名曲』が存在する。シューベルトも「自作の詩」に作曲しているがあくまで「シューベルティアーデのための作曲」だったようで、出版を働きかけた様子は皆無。マーラーの「執念深い作曲活動」とは雲泥の差(涙


初期マーラー で「生前出版された自作の詩に作曲した曲」全貌



  1. 歌曲「ハンスとグレーテ」


  2. カンタータ「嘆きの歌」


  3. 歌曲「さすらう若人の歌」(ピアノ伴奏版 + オーケストラ伴奏版)



 マーラーは「納得いかない作品」は廃棄したタイプの作曲家。シベリウス や ヤナーチェク ほどは徹底していないので、いろいろと死後に見付かったが。

 上記3曲集を見て、「さすらう若人の歌」は傑作、と誰もが感じるだろう。フィッシャー=ディースカウ の若き日の名演 以来、「高い評価」は続いている。

「さすらう若人の歌」と「ハンスとグレーテ」から、交響曲第1番「巨人」が産まれた! ことは超有名


 つまり、

マーラー交響曲第1番「巨人」は、『マーラー自作の詩に付曲した歌曲』が源泉の交響曲


なのだ。交響曲第1番「巨人」は名曲であり、「さすらう若人の歌」も名曲。マーラーは「自作の詩」に基づく曲だけでも、充分に作曲できた作曲家だったのだ。だが、「壁」に当ってしまう(涙
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『13曲の女声アリア集』でもある「子供の不思議な角笛」1899年版(No.2148)

2012-10-17 23:59:23 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

『13曲の女声アリア集』でもある「子供の不思議な角笛」1899年版



 本日、都内で明日公演「老田裕子 X 佐伯周子:マーラー:子供の不思議な角笛1899年版」の ゲネラル・プローベ(ゲネプロ、GP と表現されることが多い)を実行した。
 「ベーゼンドルファーインペリアル」を用いての「合わせ」は2回目。1回目は昨年末だった(ような朧気な記憶があるが、本年初かも知れない。猫頭なので「記憶容量不足」なので追求は一切受け付けない>< )気がするので、超久しぶり!


 10日よりも近い日時に「老田裕子 X 佐伯周子」の「合わせ」は聴いている。正確な日時を記載すれば「2012.10.08」だった。ピアノも良かった。老田裕子も良かった。佐伯周子も良かった。そんな環境での合わせの時と比較して「ぶっ飛んでいた」には唖然。本番前の演奏家の気分の高まりなのか? と思うが、聴いた通りに書く。これしか猫頭の私高本は出来ないからなあ(爆


マーラーは「オペラ」は作曲しなかった。だが「オペラアリア相当」は15曲作曲した。10曲がソプラノアリア、3曲がアルトアリア、2曲がテノールアリアで全部が全部「子供の不思議な角笛」


 う~ん、このゲネプロ聴かなかったら、一生分からなかった! ことは間違いない。思わず、老田裕子 に「ふと、こぼしてしまった」し。

マーラー「子供の不思議な角笛」は、「オペラアリア」であると同時に「ドイツリート」である摩訶不思議な曲集


 これ「1899年版」だけでなく、その後に作曲された2曲の「テノール用アリア」も含めて、である。(何だか、「老田裕子 X 佐伯周子 の演奏会前日のブログ」としては、方向が狂っているような気もする。「私高本 = ドン・キホーテ」だからしゃーないか(爆 )


ゲネプロでの「老田裕子 X佐伯周子」は鬼気迫る「圧倒的な気迫」が1曲目から醸しだされた!


 う~ん、「ピアノがベーゼンドルファーインペリアル」になったからか? それだけでは無い、と感じた。

1曲1曲の「老田裕子の表現の巾が過去の録音には全く無い世界に突入しており、佐伯周子のピアノが全てをフォロー」!


だった。う~ん、凄い前まで、話を戻したい。

マーラー「子供の不思議な角笛」1899年版は「女声のための曲集」だから是非是非歌って下さい!


と老田裕子に頼んだのは、一昨年の12月。だが、「猫頭 = 私高本」の脳裏にはこれほどの鮮やかな音楽は流れていなかった > つい 9日前まで(泣


私高本は「子供の不思議な角笛」1899年版は、「ドイツリートの範疇の大曲」の認識


だった。「2オクターブと半音の跳躍の超絶技巧」とかは、事前に脳内にブチ込んでの提案である。だが、あくまで「ドイツリート」の範囲の曲だと(つい9日前までは)感じていた。その日に合わせたピアノは「フルコンサートグランドピアノ」では無かった、のが原因の1つだと思うが、「毎回、フルコンサートグランドピアノ」を借り上げて(いや、購入していれば「借りる」必要無いんだっけ、、、)「合わせ」する演奏家は、極めて少ないような気がする。「ブレンデル自宅=2台のフルコンサートグランドピアノが自慢」「グルダ=博物館入りのスタインウェイはA型?」クラスっぽい。「グールドは録音スタジオは開放し放題だったが、死ぬまで1回も自宅ピアノは公開せず(現在までの情報)」って感じ。特に私高本の頭が悪い、とは思えない、のも、既に糖尿病が脳まで廻ったか(瀑涙


老田が歌う1曲目 = 「誰がこの小唄を思いついたの?」から、ターボエンジン全開の歌唱!


だった。マジかよ・・・

 最後の第13曲目、と言うよりも「アンコール2曲目」まで、『ターボエンジン全開』だった。老田裕子 も 佐伯周子 も。「マネジャーは止められない」って感じ。こんな「ハイテンションのゲネプロ」やって、明日本番のテンション大丈夫???

 って感じだった。


 これほど素晴らしい公演(の予感をさせるゲネプロ)を聴かせてもらえて、私高本は感謝するばかり。兵庫公演は正面席が売り切れる人気が出ているのだが、

明日の「老田裕子X佐伯周子」東京公演は当日券余裕じゃぶじゃぶあり


 う~ん、私高本の営業が悪いんだよね(爆涙

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「子供の不思議な角笛」1899年版は明るくて「笑いが絶えない」が基調(No.2147)

2012-10-16 21:55:29 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
本日号も「プログラムノートに書き切れなかった」文章である。

「子供の不思議な角笛」1899年版は明るくて「笑いが絶えない」が基調


 長調の曲が9曲、短調の曲が4曲である。短調の曲でも「パドヴァのアントニウス、魚へお説教」は楽しく笑える曲である。「塔に囚われて迫害を受けし者の歌」も、「爆笑系」では無いが「にやっ」とさせられる詞であり、曲である。

  1. 飢えたママ死に行く「この世の暮らし」


  2. 「しっとり 系」の「美しきトランペットの鳴り響くところ」


  3. (長調だが)厳粛な雰囲気で通される「はじめての灯り」



 この3曲だけが「笑い」とは別の世界。他の10曲は「爆笑 or にやっ」の違いはあれども、「笑いが絶えない」曲想である。(「この世の暮らし」を聴いて「にやっ」とする人もいるだろうが)


これほど「笑いが取れる大歌曲集」は、時代を遡っても下っても皆無!


  ヴォルフ は1曲づつが短く、また「笑える曲」はあるのだが、「曲集の中の量」は少ない。他の「ドイツリート作曲家」は誰1人として「笑い」を中心に据えた人はいない。フランス作曲家は、シャブリエ、サティ、ラヴェル と「面白おかしさ 系」作曲家がいるのだが、誰1人として、シューベルト「美しき水車屋の娘」「冬の旅」と時間的に比肩するような「大歌曲集」は作曲しなかった。


 ・・・とここまで書いて、他の文章との接合性が悪かったので、掲載を諦めた(泣

老田裕子 X 佐伯周子 ほど「面白おかしく」マーラーの世界を直裁的に聴かせてくれる演奏家は「犬のサンダル集め」でCD&DVD漁りした私高本は見付けられなかった。


 この文章は是非是非「演奏会プログラム」に掲載したかったのだが、私高本 = 猫頭 なために、うまくまとめられなかった。他の記事だけで「文量が充分(十二分?)」になってしまい、「削除に継ぐ削除」になってしまったことも原因。インターネットで文章を書き慣れていると「長くなる傾向」強いんだよね。特に私高本(爆涙
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マーラー「子供の不思議な角笛」曲目解説に書き残した『フモレスケ』1892年版を巡って(No.2146)

2012-10-15 21:34:48 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 10/18 & 11/4 のプログラム原稿が本日午後全て完了した。字数の関係で書き残した標題について、ここに書く。


ウニヴェルザール新マーラー全集「子供の不思議な角笛」は、1892年版「フモレスケ」を極めて重視している!


 これは、ご覧になった方は同意頂けるだろう。

1892年作曲(&出版予定だった)10の新しい歌 『フモレスケ』(実体は5曲のピアノ伴奏版 + 5曲のオケ伴奏版!)


 いろいろと調べて見ると

「さすらう若人の歌」オーケストラ伴奏版 よりも、先に作曲された可能性が極めて大きい。つまりマーラー初の「オーケストラ伴奏版歌曲」=「フモレスケ」


のようなのだ。「さすらう若人の歌」は、「ピアノ伴奏版」「オーケストラ伴奏版」の乖離が指摘されている曲集。作曲年代が大きく離れているのが原因だろう。
 「子供の不思議な角笛」は「ピアノ伴奏版」と「オーケストラ伴奏版」が全く乖離が無い。1曲「オーケストラ伴奏版」が無い曲はあるが(「三人の天使が天使の歌を歌ってた」)、両方書いた曲12曲は「1ヶ月以内に両方作曲」である。
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2012.10.03 インバル+都響「マーラー:嘆きの歌」批評(No.2145)

2012-10-11 21:25:28 | 批評

合唱団は「復活」公演より声量があった「スーパー・コーラス・トーキョー」だったが


  年に1回、「織姫と彦星が出会う七夕」のように10月に「だけ」公演する、と言う摩訶不思議な活動をする「プロ合唱団」を称する「スーパー・コーラス・トーキョー」の今年はマーラー「嘆きの歌」。発足からこれまで2年、毎回聴きに行っているので、今年も聴きに行った。第1~3部全てを「最終稿」で通す、と言う「現在では珍しい形態」公演。前プロのワーグナー「ジークフリート牧歌」は合唱が無いので批評しない。
 前月9月29日に聴いたマーラー「復活」公演よりも女声が2名多い「女声46名+男声36名」。メンバーは、二期会、藤原歌劇団、元新国立劇場合唱団員など、オペラ合唱のプロが多い。(私高本は、オペラ合唱系以外の名前は見ることがほとんど無いので分からない>< )

「スーパー・コーラス・トーキョー」は合唱指揮者 = ガッビアーニ を招聘しての指導が「売り」だが、同人数の時の新国立劇場合唱団 に「はっきり聴き劣り」するが3年連続


 指導者の問題なのか? メンバー1人1人の問題なのか? 練習時間不足なのか? 1年に1回しか演奏しないのでノウハウが蓄積しないからなのか? は不明。

 1週以内に同じ インバル+都響のマーラー 同士で比較すると

  1. スーパー・コーラス・トーキョー の方が声量は大きい


  2. 二期会合唱団 の方が「柔らかな音色」が出せる



の違い。曲の出来が圧倒的に「復活」の方が良いので、スーパー・コーラス・トーキョー メンバーからすれば、(他の条件が同じであれば)感情移入が難しいかもしれないが。

 正直なところ、高いギャラを ガッビアーニ に払って、「何か良い特徴が出ているのか?」についてほとんど感じることが出来ないのは不思議。

日本人指揮者 三澤洋史 指導の 新国立劇場合唱団 の方がはっきり上



だからだ。やはり 国 > 都 なのだろうか?


 インバル+都響 の演奏について。「開放的なマーラー」方向は同じ。但し、曲の出来自体が、「巨人」以降の マーラー交響曲 の域に全く達していないので、「鳴らしようが無い」のも事実。フレーズ自身も「マーラーらしい長々」になっていないので、インバル が未消化のように聴こえた。インバルは「手の内の曲」のみがはっきり個性が打ち出せる指揮者のように感じた次第である。
 ソリスト4名は充分に役割を果たしたが、一貫した役柄が無いので、感情移入が多くは無かった感触だった。


 スーパー・コーラス・トーキョー 次回公演は未発表。インバル+都響「マーラー」次は第3番。「インバル手の内のマーラー」なので、大いに期待している。


【附論】

非「名曲」では、「演奏家最善の演奏」を聴くことは難しい


 私高本は「マーラー好き」である。歌曲と第4番以前の交響曲と「千人」が異様に好きだが、他の器楽交響曲も(演奏さえ期待出来れば)もちろん聴く。今年度は「都響」「東響(← 「マーラー歌曲」ツィクルス実行中!)「読響」でガンガン聴いている。この中で、

「曲が2流」とはっきり感じているのは「嘆きの歌」、他人の編曲がどうなの? と感じているのが「オーケストラ版 若き日の歌」


 私高本は「マーラー好き」なので、どちらも聴きに行くが、インバル+都響「嘆きの歌」を聴いた限りでは、曲が充分な水準に達していないと、演奏家も力が発揮できないようだ。

飯森範親 + 東響「若き日の歌」オケ版演奏会の出来がどのようになるか?


は来月の楽しみの1つである!
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マーラー「復活」対決! 下野竜也+読響 vs. インバル+都響 後編(No.2144)

2012-10-09 18:15:11 | 批評
 下野竜也 は「マーラー指示通り」に振るだけではない。

第5楽章で、「バンダのトランペット4名」を指示の無い箇所で「パイプオルガン奏者席」の左側で吹かせる


も実行。出たり入ったりバンダ隊トランペット4名は足の運動量は凄かった! 

 下野竜也 は「決め所は溜める」が、頂上前のポイントでは「クライマックスはまだ後ろ」をはっきり意識した指揮。そして

 最強音のクライマックスも「響かせる」! 「鳴らす」ではない!

下野竜也 + 読響:マーラー「復活」の最大の特徴は、『響きの豊かさ』を狙い実現したこと。部隊上の弦楽器の左右の響き、管打楽器 & ソリスト、合唱の奥行き だけでなく、部隊外のバンダの巧みな演奏、高い位置に置いた「トランペット4本」と「ホルン4本」が『響く』



アルトソロの 清水華澄 は豊かな響きに支えられた美しい声が魅力


東京音楽大学の合唱は、声が若いが「音程の正確さ」が極めて精度高く、無伴奏のピアニッシモでもハーモニーがとても美しかったことが印象深い




インバル は各楽章にピークを作り、聴衆を「短い時間の内に愉しませよう」のサービス精神に溢れている


 強烈な第1楽章に続く「牧歌的な第2楽章」でさえも、第1楽章と同じフォルティッシモも鳴らす。第3楽章も同じ(第5楽章を予感させるところだけでなく)。
 だが、第4楽章は「鳴らす」が不可能な楽章。この楽章が最も扱いがうまく行かず、「アルトソロ」にオーケストラをかぶせてしまったことは唖然とした。(尚、これだけにとどまらなかった!)
 第5楽章は第1楽章同様、冒頭からフォルティッシモを鳴らすので、中間楽章以上に快調。だが、声楽が出てくる箇所で、またもやオーケストラをかぶせて来る! 特にフーガの後のフォルティッシモの箇所は、合唱の声を打ち消すようにかぶせていた。この上なく開放的、開放的。

インバルは「女声44名+男声36名」の二期会合唱団について「鳴らない」の判断


だった。第3番、第8番「千人」では、インバルが満足できる「鳴る声量の合唱団」を用意して頂きたい。

 終演後のブラヴォーは、それはそれは盛大。インバルもご満悦だった。この路線で「インバル + 都響 :マーラー交響曲全曲」は進んで行く、と考えられる。
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マーラー「復活」対決! 下野竜也+読響 vs. インバル+都響 前編(No.2143)

2012-10-08 23:57:21 | 批評

「求心力」と「遠心力」を『マーラー指示通り』に細部まで追求する下野+読響、「なめらかに」と「開放」を追求するインバル+都響


 1ヶ月の間にマーラー「復活」を「東京を代表するオーケストラ」が役付指揮者で振るのを2度聴けた。東京は素晴らしい街だ! 同じ曲だが、これほどまでに違って聴こえて来ることを改めて確認させて頂いた次第である。


 マーラー交響曲第2番「復活」は、ベートーヴェン交響曲第5番「運命」第9番「第9」を超越しようとして生み出された曲。悲劇的な第1楽章から開始され、歌曲集「子供の不思議な角笛」から生み出された2つの楽章など3つの楽章を経て、壮大な終楽章(第5楽章)で終結する。交響曲第1番「巨人」と比べて、「全貌は大きく」と「細部は細やかに」が徹底された。全部書き出していると「演奏会批評」なのか「作品批評」なのか分からなくなる可能性が高いので、数点だけ抜き出す。

マーラー交響曲第2番「復活」聴きどころ 抜粋



  1. 第1楽章終了後「5分間休め!」の指示がある


  2. マーラー初(世界史上初?)の「交響曲楽章リート」で信じられないほど多くの「フレーズを明確に切れ!」の指示がある


  3. 第5楽章の「舞台外バンダ」に「細かな音量指示」がある



 このくらいにしておこう。書き始めるとキリが無いほど、「神経質なマーラー」がこの交響曲にはいる!
 第1楽章終了後の「5分間休め!」の指示は、実演でも録音でも聴いたことが存在しないほど、奇想天外な指示であるではないか!


下野竜也の「マーラー」



  1. 第1楽章終了後「5分間休んだ!」


  2. 第4楽章「はじめての灯り」でオケに明確にアーティキュレーションをマーラー指示通りに振り分けた


  3. 第5楽章の「舞台外バンダ」を細かく音量指示通りに演奏させたばかりでなく、最後の「4本のトランペット」の箇所では、1番から「舞台左手手前」「舞台左手奥」「舞台右手奥」「舞台右手手前」に配置し、『グルグルとホール外を巡る』音響実現!!!



 私高本は猫頭なので、「5分休むなんて暴挙はしないよな!(爆    聴衆が壊れて緊張感が壊れて、第2楽章以降が壊れるよな(爆笑 」と思っていた。『下野竜也 + 読響』を聴くまでは。
 やっぱ、「猫頭」だったわ、私高本の脳ミソ。

マーラー「高度な知性を讃えて」の『大きな耳のロバ』並みの知性なんだよ~、私高本(泣




私高本の感性は『マーラーが揶揄したロバの耳』程度で「大きさだけは大きい」が『聴こえはスカ』


のようだ。何とか、「音楽の内容まで聴き取れる耳」が欲しいモノだ(爆
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