Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

シューベルトの誕生日(No.1618)

2009-01-31 22:45:31 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 今日は「シューベルトの誕生日」だった。生きていれば212才の勘定。あり得ない(爆

フランツ・シューベルト・ソサエティ



の「新年会 兼 シューベルト誕生会」に本日行って来た。大原亜子 のソロピアノ曲で 共にソナタの D664 と D958 が演奏された。
 大原亜子の演奏は「シューベルトに忠実に」を「アーティキュレーション」の世界で最大限に生かそうとする。別の面から言えば「ダイナミクス」はシューベルトの指示とは違うことが多い。である。
--------
 終演後にパーティーがあり、大原亜子も参加したので、びっくりしたことの1つが

大原亜子 は、「演奏時に見える姿よりも、実際は小柄」


な点である。

舞台で大きく見える演奏家は、演奏の質が高い


である。トスカニーニとかが実例です。引退したブレンデルのように「大きく見えた」ら実際も大きかった演奏家もいますが。
 逆は記憶に全くありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピアノソナタ第17番ニ長調「第2大ソナタ」作品53 D850(No.1617)

2009-01-28 23:00:00 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
再び、この名作について語る。

シューベルト「交響曲の調性 = ニ長調」で作曲された唯一のピアノソナタ = D850


 シューベルトは

「調性」と「楽曲」の相性について、神経質なほど厳格な作曲家


であった。シューベルトが「ピアノソナタ向き」と前半生に考えた調性は、ホ長調 であった。「シューベルトの作風4区分説」で行くと「第2区分 = 初期」のソナタでは、ワケがわからんほど ホ長調のピアノソナタが作曲された。(ニ長調ピアノソナタはその時点で皆無)


 ・・・で、「シューベルト : 交響曲の世界」を調べると驚愕な世界がある!

シューベルトが手を着けた「全11曲の交響曲」の内「5曲がニ長調」!


なのだ!
 マジかよ???



  1. ニ長調交響曲(完成) D82(1813.10.28作曲開始)

  2. ニ長調交響曲(完成) D200(1815.05.24-06.19)

  3. ニ長調交響曲(未完成) D615(1818.05)

  4. ニ長調交響曲(未完成) D708A(1820以降)

  5. ニ長調交響曲(未完成) D936A(1828春-夏)


の5曲である。


 若い頃(習熟期~初期)は、「ニ長調」だけでなく「変ロ長調」も「交響曲の調性」と思っていて、第2番(D125)と第5番(D485)を完成させている。 しかし「中期」以降は「変ロ長調交響曲」は残っていない。
 シューベルトにとって「ニ長調 = 交響曲の調性」が確立されたのは、中期以降(1819年11月以降)である。
 1825年には「ニ長調でない交響曲」が作曲されていた。「グレート」D944=D849 である。。皮肉なことに「ハ長調交響曲 = グレート」は完成され、『シューベルトの最高傑作の1つ』の定評を得ている。「ニ長調交響曲」は中期以降の3作品が全部中途廃棄されたのだが!


 しかし「ニ長調 大楽曲」は1曲だけ完成された。それが D850 = 作品53 のピアノソナタである。演奏が極めて難しい曲であり、2/12 の佐伯周子の演奏がどの水準で聴かせてくれるのかは、期待に胸が膨らむと同時に少々不安もある(爆

 これまで聴かせてくれた水準以上の演奏をしてくれると信じている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐伯周子 シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会の歩み(No.1616)

2009-01-21 21:11:55 | ピアニスト・佐伯周子
 電話で質問も来たので、本日号でまとめておこう。先は長いが(藁


    第5回(2009年2月12日)

  1. ピアノソナタ第17番ニ長調「第2グランドソナタ」作品53 D850

  2. 即興曲集 作品90 D899(完成稿版)

  3. 10のエコセーズ D977+D145 MS.37(オリジナル版日本初演)

  4. コティオン D976

  5. ワルツ D978


  6. 第4回(2008年8月1日)

  7. 36のオリジナル舞曲 作品9 D365


  8. 第3回(2007年8月13日)

  9. 幻想曲ハ長調「グラーツ幻想曲」ハ長調 D605A

  10. ピアノソナタ第18番「幻想ソナタ」ト長調 作品78 D894

  11. 幻想曲ハ短調「モーツァルト幻想曲」 D2E

  12. 幻想曲ハ長調「さすらい人幻想曲」ハ長調 作品15 D760


  13. 第2回(2006年8月8日)

  14. ピアノソナタ嬰ハ短調 D655(新補筆完成版・世界初演)

  15. 「楽興の時」第4番嬰ハ短調 D780/4

  16. ピアノソナタ第14番イ短調 D784


  17. 第1回(2004年8月22日)

  18. 「楽興の時」第3番&第6番 D780/3&6

  19. ピアノソナタ断片ホ短調 D769A

  20. ピアノソナタ第15番ハ長調「レリーク」 D840(新補筆完成版・世界初演)


以上である。他にアンコール 等で聴いた曲もある。

  1. 「高雅なワルツ」作品77 D969

  2. 「ペスト宮廷舞踏会ギャロップ」作品49 D734

  3. 「グラーツのギャロップ」作品91 D925


は公開の場で聴いたことがある。他に「ソナタ第1番」や「ソナタ第21番」の楽章も聴いた。全曲通しての演奏は(時間の関係からか)まだ聴いていない。

 こうして改めて見てみると

  1. 最初期の作品 ~ 後期の作品 まで満遍なく網羅

  2. D760 ~ D899 の作品は充実


である。
 「大概のシューベルト弾き」って、

  1. 後期3大ソナタ から開始
  2. 即興曲 or 楽興の時 から開始

なので、佐伯周子は相当に変わり種かも知れない(爆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木行一編曲シューベルト「冬の旅」を聴いて(No.1616)

2009-01-16 23:12:05 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
本日、表題の演奏会を 読響 で聴いた。「批評」は、『演奏の出来』『解釈の正統性』『新曲の良し悪し』を論じるのが肝心。
 今日の私高本は「批評」では無く、ボソボソと「鈴木行一編曲シューベルト 冬の旅」を中心に語りたい(爆


 まず、本日の【演奏】について。

  1. 子・フローリアン・プライ の声量が少なく、(父ヘルマンに比べ)こじんまりした演奏となった

  2. 子・フローリアンの「音楽の趣味」と「声質」は父・ヘルマンに似ている

  3. 指揮者グガバウアーは、「音楽に即妙に合わせる棒」が素晴らしい!


であった。


 私高本が、父・ヘルマン・プライ をナマで初めて聴いたのは 1994年ウィーン国立歌劇場(シュターツオーパー)来日引越公演で J.シュトラウス2世「こうもり」のアイゼンシュタイン役で来日した時だった。この時は

  1. 「こうもり」のアイゼンシュタイン役 = シルマー指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(NHKホール)

  2. シューベルト「冬の旅」 = 岡原慎也ピアノ(オーチャードホール)


の2本建てであった。摩訶不思議なことに主催が全く違い、チケット購入に戸惑った記憶がある。15年前は私高本も若かったんだな(藁


 どちらを先に聴いたのか、チョット思い出せない。どちらも強烈な印象だった。

朗々たる声量 + 積極的な歌唱


が圧倒的だった。ちなみに「岡原慎也を初めて聴いた」のもこの時で、

ヘルマン・プライの情感豊かな「揺らし」に即対応する素晴らしいピアニスト = 岡原慎也!


と感じた。3年後に全く別の出会いがあるとは、この瞬間には一切予感していなかった!



父・ヘルマン・プライ は「シューベルトリート」を1人でも多くの人に聴いて欲しく、オケ定期で「オケ編曲モノ」を連発した人生


を送った。リスト編曲やブラームス編曲やレーガー編曲や何だかよくわからん編曲者の編曲まで歌っていた。日本でも「N響定期」で「NHKホール」で歌った。ホールが「紅白歌合戦用」と言われているためか、細かなニュアンスは飛んでしまったが、父・ヘルマンの歌の素晴らしさの一端には触れられた。


子・フローリアン は「父の声質」を受け継いでいる! これは「父子」でないと継承できない財産。 但し「子・フローリアンの解釈」は、相当に「古典派寄り」であり、テンポを揺らすことは少ない。「端正なシューベルト」像が聞こえて来る。


 さて、鈴木行一編曲シューベルト「冬の旅」である。

  1. 元来シューベルトは「テノール独唱 + ピアノ伴奏」で作曲した

  2. 鈴木行一は「バリトン独唱 + オケ伴奏」で編曲した


が実績。この差は大きい。プライ父子は「シューベルトリートの趣味は極めて良い」のだが、声域の問題が結構「尾を引いた編曲」になっているのだ!


鈴木行一は「シューベルトの音楽」を相当深く研究している。

  • 「冬の旅」第19曲 = 「幻覚」 → 「アルフォンゾとエレストレッラ」第2幕の音楽

  • などもきちんと隅から隅まで研究して編曲している。頭の下がる思いだ!

     ・・・で、

    違和感最大だった = コール・アングレの多用


    である。
     時代考証的には全く問題ない。シューベルト没の翌々年に作曲された ベルリオーズ「幻想交響曲」では多用されている。しかし、私高本が聴いた範囲内では

    シューベルトのコール・アングレ使用例は皆無


    なのだ。

    1. 交響曲
    2. 序曲
    3. オペラ
    4. ミサ

     どれも無い。「ロザムンデ」も無い。時代考証的には全く問題ないのだが

    『シューベルト的響き』を損なうコール・アングレ


    に感じ、この点だけが(他の編曲は素晴らしかっただけに)残念でならない。オーボエ または ファゴット に移して何か問題が大きく存在したのだろうか???
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    佐伯周子のシューベルトの魅力(No.1615)

    2009-01-15 19:12:44 | ピアニスト・佐伯周子
    一昨日、「ベルリンフィル8重奏団 + 清水和音 のシューベルト」の演奏会を聴いて来た。シューベルト : 8重奏曲D803 と モーツァルト : ホルン5重奏曲K407 の2曲の圧倒的な素晴らしさは、感動するのみだった。
     ピアノ5重奏曲D667 はチョト違う感触で

    1. ベルリン8重奏団員 → 歯切れ良く「ロマンティックな古典派 = シューベルト」を描こうとするが
    2. 清水和音 → 「旋律の滑らかさ最優先 = 後期ロマン派のようなシューベルト」を描こうとする

    だった。勿論両者とも1流なので、破綻は一切無い素晴らしい演奏だったが、双方の「シューベルト観」は水と油だったのが、記憶に残る演奏会だった。


     私高本は「シューベルトファン」なので「素晴らしい可能性が高いシューベルト演奏会」は出来る限り聴きに行くことにしている。(サイフも含めての「出来る限り」だが)
     昨年聴いたシューベルト演奏会の中では(プロデュースした佐伯周子の演奏会を除くと)

    スダーン + 東響「シューベルト交響曲」 が素晴らしい


    ことは明記しておきたい。今年、最終回が 3/21 にあるので是非シューベルトファンは聴いてほしい。「未完成」交響曲 + 「ロザムンデ」全曲 である。


    佐伯周子 の シューベルト の 魅力


    を改めて振り返って見た。比較対象は「スダーン + 東響」とか、「CD録音ベースだが、ブレンデルのシューベルト」とかである。
     佐伯周子 は若いピアニストなので、「既に引退したブレンデル(の後半生)」と比較すれば、ムラはある(爆
     なぜか知らないが「小さい曲」ほど、気が弛むのか? 少々難のある演奏が過去にあった。第2回のD769とか、、、


     佐伯周子のシューベルトの魅力は「来場者アンケート」などからも以下の箇所が魅力が深いようだ。

    1. 「シューベルトの指示通り」のダイナミクス & アーティキュレーション

    2. 難しいパッセージも「シューベルトの指示通り」弾き切る技巧の冴え

    3. ベートーヴェンを手本としたシューベルトの意図を、そのまま再現する構成力


    のようだ。
     正しいかどうかは「実際に聴いた聴衆の皆様」が決めること。私高本は譜めくりで舞台の上に居たから、わかりません!


     2/12(木) の演奏会は、「日本のシューベルト演奏のエポックメイキング演奏会」になる予感がします。
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    シューベルト作曲時代区分について その3(No.1614)

    2009-01-14 22:15:40 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
    さて、「シューベルトの作曲時代区分」を纏めよう!

    シューベルトの作曲時代区分

    についてはいろいろな説がある。私高本は

    1. 習得期 : 1810.04 - 1814.10.18(4年半) = 『弦楽四重奏曲の時代』

    2. 初期  : 1814.10.19 - 1819.10(5年) = 『単独歌曲の時代』

    3. 中期  : 1819.11 - 1825.02(5年強) = 『オペラと試行錯誤の時代』

    4. 後期  : 1825.03 - 1828.10(3年半) = 『傑作の森』


    を強く推す。つまり区切りとして

    1. 「糸を紡ぐグレートヒェン」D118から「初期」へ

    2. ミサ曲第5番変イ長調D678作曲開始から「中期」へ

    3. 交響曲第8番ハ長調「グレート」D944 = D849 から「後期」へ


    との考えの「4区分」である。


     昨日も書いたように傑作は「初期」以降は頻出。少しだけ補足すれば、「習熟期」でも 弦楽四重奏曲 D46,D87 や ミサ曲 D105 のような傑作もある。それより後に「さらなる傑作」が出たが。


     もちろん「習熟期 → 初期 → 中期 → 後期」と進むにつれて傑作頻度は高くなる。シューベルト自身は「31才で死ぬ」とはちっとも思っていなかったので「明るい未来」を信じて大作に取り組み、成功して行く。

    後期の傑作については、他の全ての作曲家が為し得ない「高み&速度」


    がほぼ立証されている。
     2/12 の

    佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会第5回


    は「後期の傑作2曲」がメインなので今から期待が大きいぞ!
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    シューベルト作曲時代区分について その2(No.1613)

    2009-01-13 23:33:47 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
    シューベルトの作曲時代区分について説明する前に「前提」をお話ししないと誤解がありそう(爆

    「糸を紡ぐグレートヒェン」以降は、いつも傑作を産んでいた!


     この事実を前提としないと、「時代区分がどんどん後ろにずれる傾向」が出てしまう。もう1度「シューベルト:リート」について振り返ってみようか!

    「単独歌曲の傑作」はシューベルト自身が「1曲に1作品番号」を振った3曲


     これは間違い無い!

    1. 「魔王」作品1 D328(1815)

    2. 「糸を紡ぐグレートヒェン」作品2 D118(1814)

    3. 「鱒」作品32 D550(1817)


     この3曲である。シューベルト自身に拠る評価の順序もこの順で「作品1」「作品2」「作品32」に順に作品番号が振られたのは、全3曲が作曲完了して相当後の1821年である(爆


     「シューベルト声楽研究陣」が「美しき水車小屋の娘」を傑作と評価するのは理解できるし、共鳴できる。私高本自身は「美しき水車小屋の娘」の方が「冬の旅」よりも、頻繁に聴く。単純に「脳がバカ若い」ので「若いフリしている」可能性も高いのだが。
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    シューベルト作曲時代区分について その1(No.1612)

    2009-01-12 21:17:18 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
     実は諸説あり、学者に拠って意見が全く違うのだ!
    ベートーヴェンのように「3区分が大勢」になっていれば(細かな切れ目の異動は別にして)話し合いの土俵が出来ているのだが、シューベルトの場合、まだ「土俵」が出来ていないようだ。

    シューベルト「固有」の問題点 = 「声楽研究者」と「器楽研究者」が相容れない


    が大きい。少し掘り下げて見よう。
     まず声楽研究者から。私高本は声楽は(器楽ほどは)研究が深くないが、おそらく下記の意見が主流のハズである。異論の多さについては断定は出来ない。

    声楽研究者の意見(代表例) → 3区分



    1. 初期(=修行時代) : 1810 - 1814.10.18

    2. 中期(=単独歌曲中心時代) : 1814.10.19(「糸を紡ぐグレートヒェン」作曲日) - 1823.09

    3. 後期(=連作歌曲中心時代) : 1823.10(「美しき水車小屋の娘」作曲開始推定日) - 1828.10



    しかし器楽研究者は次の区分が主流であり、これは余り異論ない。

    器楽研究者の意見(代表例) → 2区分



    1. 前期(=修行時代) : 1810 - 1820.11

    2. 後期(=成熟時代) : 1820.12(弦楽四重奏曲第12番ハ短調「四重奏断章」作曲) - 1828.10


    である。

    ブレンデルの2回に亘る「シューベルト:後期作品集」の録音もこの区分での「後期」


    である。


     どちらも「声楽だけ」「器楽だけ」を追って行く限り「うんうん、そうだよね!」と思える説なのだが、私高本のように「ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会」をプロデュースするヤツの眼から見ると

    シューベルトって、2人の別人格で作曲していたの???


    と言う疑問が湧き出てくる。「完全全曲演奏会第1回 = 2004年8月22日」の時点から「おかしいよな???」と思っていたから、かれこれ4年半近く疑問を持っている。


     両者の意見をまとめると次のようになる。あくまで私高本の意見だが。

    1. 第1期 : 1810 - 1814.10.18 (約5年)

    2. 第2期 : 1814.10.19 - 1820.11 (約6年)

    3. 第3期 : 1820.12 - 1823.09 (約3年)

    4. 第4期 : 1823.10 -1828.10 (約5年)


    となる。この区分も「1つの考え方」であり、有力だと思うのだが、

    1. 第2期 → 第3期 の切れ目
    2. 第3期 → 第4期 の切れ目

    がやや疑問が残った。つまり

    1. 弦楽四重奏曲第12番ハ短調「四重奏断章」が切れ目?

    2. 「美しき水車小屋の娘」作曲開始が切れ目?


    の2点である。「上」は器楽視点の切れ目、「下」は声楽視点の切れ目。逆の立場で見ると、切れ目が「チョット違う」感じなのだ(爆


     逆立場で見ると

    1. 少なくとも、祝典宗教劇「ラザロ」D689(遅くとも1820.02以前に作曲開始)前には作曲芸風は変わっているぞ!

    2. 少なくとも、アルペジオーネソナタD821(1824.11作曲)までは作曲芸風が変わっていないぞ!


    である。


     その前後を詳細に調べて見た。私高本の結論として

    1. ミサ曲第5番変イ長調作曲から、「声楽も器楽も芸風が変わった」と断定できる

    2. 交響曲第8番「グレート」作曲開始時期を1825年3月とするならば、着手時期から「器楽も声楽も芸風が変わった」と断定できる


    と言える。この続きは明日号で。
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    読売日本交響楽団第107回芸劇マチネーシリーズコンサート批評 (No.1611)

    2009-01-11 19:39:15 | 批評
    素晴らしい メンデルスゾーン交響曲「イタリア」だった。

    メンデルスゾーン聴くなら、下野竜也 + 読響 を聴け!



    1. メンデルスゾーン : トランペット序曲作品101

    2. メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲作品64

    3. メンデルスゾーン : 交響曲第4番「イタリア」


    のプログラムに、

    アンコール = メンデルスゾーン交響曲第5番「宗教改革」第3楽章


    と言う「誰もが予期せぬアンコール」まで聴かせてくれた 下野竜也 + 読響。今年メンデルスゾーン生誕200年を祝って「全5曲の交響曲全曲演奏会」を実施するが、『メンデルスゾーン聴くなら、下野 + 読響!』と実感した演奏会だった。


     今年2008年は「メンデルスゾーン生誕200年」であり「ハイドン没後200年」なので、この2人が大々的に取り上げられ易い。在京オケも対応は様々だが

    読響 → メンデルスゾーン交響曲全5曲取り上げ、ハイドン皆無!


    と言う徹底したモノであり、「新年1番の演奏会 = メンデルスゾーン」である。

    下野の「メンデルスゾーン解釈」 → ベートーヴェンの延長戦上の交響曲


    である。「イタリア」はベートーヴェン交響曲で言えば第8番の延長戦上の感触である。「古典的造形の彫り」が深いのが、魅力である。第2稿を用いて「イタリア」は演奏されたが、とても説得力があった。
     前半の「トランペット序曲」は、作品の出来が「真夏の夜の夢」序曲には遠く及ばない作品。同年の作曲なのだが。
     ヴァイオリン協奏曲は、ヴァイオリンソロ = 小野明子 の解釈中心に進められたが、嫌味の全くない演奏で聴き易かった。反面、主張が薄いので、名演揃いのこの曲にしては物足りなかった人も多いかも知れない。演奏直後の反応は ヴァイオリン協奏曲 が最も盛り上がったことも附記しておく。
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    シューベルトの舞曲の歴史(その3)  (No.1610)

    2009-01-09 23:40:54 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
    「シューベルトの舞曲」について真剣に研究している人が少ないことは前回書いた。ピアニストでも

    1. シュヒター
    2. ダルベルト

    などは「シューベルト全集」を標榜していても「舞曲は好みの曲抜粋のみ」で録音してお茶を濁して来た。


    シューベルトの意図通りに演奏する 佐伯周子


     ピアニストは「ピアニストの意図通り」に演奏する。

    1. あるピアニストは「作曲家の指示を完全に無視」して弾く(→ 多いぞ!)

    2. あるピアニストは「作曲家の指示をできる限りは実現しよう」とするが「技巧の限界」で制約される

    3. ごく1部のピアニストだけが「作曲家の指示通り演奏する」


     シューベルトの『ピアノ舞曲』はウェーバーやショパンよりは簡単に弾けるように作曲されている。

    実際の舞踏用に作曲されているから


    である。少なくともショパンのワルツは「実際には踊れない」と何人もの評論家が150年以上の遙か昔から述べている(爆


    1825年に「プツッ」と無くなる「舞曲自筆譜稿」は、逆側から見れば

    1825年4月以前には大量のワルツ自筆譜稿を遺した


    のである。「シューベルティアーデ」と呼ばれる友人たちが中心の集いで弾くための楽譜だと推察される。
     組合せが「出版楽譜」と全く違うのだが、曲数が多い自筆譜も少なからず残っている。

    自筆譜通りにも弾く = 佐伯周子 の態度


    である。
    D977+D145 のエコセーズは「8曲」ではなく「10曲」である。1曲自体は1分もかからない曲だが、「繋がり方」がシューベルトが大切にしたポイントである。新シューベルト全集版での演奏は、日本初。おそらく世界でも珍しいであろう。たった1つの「舞曲全集CD」もヘンレ版で演奏されている。この辺りの細かな点については

    2/12(木) 佐伯周子ピアノリサイタル プレトーク


    でお話できるかもしれない。18:35開始予定である。
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    シューベルトの舞曲の歴史(その2)  (No.1609)

    2009-01-04 19:26:56 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

    シューベルトの作曲時代区分

    についてはいろいろな説がある。私高本は

    1. 習得期 : 1810.04 - 1814.10.18(4年半)

    2. 初期  : 1814.10.19 - 1819.10(5年)

    3. 中期  : 1819.11 - 1825.02(5年強)

    4. 後期I : 1825.03 - 1826.05(1年強)

    5. 後期II: 1826.06 - 1828.11(2年半)


    と考えている。つまり

    1. 「糸を紡ぐグレートヒェン」D118(1814.10.19)が初期開始

    2. ミサ曲第5番変イ長調D678作曲開始(1819.11)が中期開始

    3. 交響曲第8番ハ長調「グレート」D944作曲開始(1825.03)が後期I開始

    4. 弦楽四重奏曲第15番ト長調D887作曲開始(1826.06)が後期II開始


    と言う考え方である。偉大な先人たちの考え方の上に私高本の考え方を足した時代区分であるが、「今の私高本」の考え方であり、明日はわからない(爆
     以前の私高本は「後期I」を「中期II」と考えていた。考えを改めた原因は『舞曲』である。


     シューベルトは前回ブログに書いた通り、1825年4月に「プツッ」と音を立てて舞曲の「自筆譜」が無くなる。ピアノソロだけでなく、ピアノ連弾もなくなる。完全になくなる。
     舞曲作曲自体を止めたワケではなく

    1. ペスト(現:ブダペスト)「七大選定侯」ホール新春舞踏会ホール委嘱作品「ギャロップとエコセーズ」作品49 D735(1825.11.21出版)

    2. コティヨンD976(1825.12.29出版)

    3. ワルツ 変イ長調D978(1825.12.29出版)

    4. 「ウィーンの貴婦人レントラー」作品67 D734(1826.12.15出版)

    5. ワルツ ト長調D979(1826.12.23出版)

    6. 2つのワルツD980(1826.12.23出版)

    7. 「高雅なワルツ」作品77 D969(1827.01.22出版)

    8. 「グラーツのギャロップ」D925(1828.01.15出版)

    9. 「グラーツのワルツ」作品91 D924(1828.01.15出版)

    10. ワルツ ハ長調(1828.01.26出版)


    と『10の舞曲』を、まず間違いなく「新規に作曲して出版」している。

    この10の出版舞曲は『全部出版社からの委嘱作品』とみなされる


    のである。ついでだから書いておくと

    「感傷的なワルツ」作品50D779 も委嘱作品の可能性が極めて高いが 「旧作を使い回した」作品 である。



    う~ん、「シューベルトの舞曲」を私高本ほど粘着気質で研究した人は

    1. モーリス・ブラウン

    2. ヴァルブルガ・リッチャウアー


    の2人だけだと思う(爆
     ヘンレ版編集者もウィーン原典版編集者も旧シューベルト全集編集者も「ピアノソナタには興味深いが、、、」って態度で編集したように思う。尊敬している大先輩の1人 = ジョン・リード も「舞曲」は軽視していたように思う。作品としてピアノソナタの方が上なことは私高本も認めている。しかし「舞曲」もシューベルトの重要な作品なのだ!!!


     ここでまことに唐突だが、

    日本最高の大作曲家 = 伊福部昭 の生前の姿


    について記したい。私高本が接したのは最晩年のわずか4年にも満たない期間だけであった。伊福部昭先生は「日本最高の大作曲家」なので、名声も「文化功労者」などで充分に得ていたし、世田谷区尾山台に素晴らしい居宅を構えておられ、金銭的にも充分な「才能に見合った報酬」を得ていらっしゃった。私高本は「川上敦子のマネジャー」「佐伯周子のマネジャー」としての立場で「伊福部昭ピアノ作品を演奏するピアニストのマネジャー」としてのお付き合いであった。伊福部昭ピアノ作品は極めて数が少なく「1日のピアノリサイタルには作品数が不足」の状態であったので、いろいろと無理なお願いをするために尾山台のお宅に足を運んだモノであった。数回足を運ぶ内に

    伊福部昭先生自身が、作品の中で「力を入れた作品」と「生活のために作曲した作品」を区分けして考えている


    ことがはっきりわかった。『前者 = 芸術作品』であり『後者 = 映画伴奏音楽』である。後者を嫌っているワケでは無いのだが

    芸術作品にできる限りの時間と才能を注ぎ込んでいるので、きちんと取り上げて、そして評価してほしい!


    の意気込みはひしひしと伝わって来た。これはその場に居た 川上敦子 も同じであった。
     この経験に照らし合わせると

    1. シューベルトの芸術作品 → 交響曲やピアノソナタや幻想曲

    2. シューベルトの映画伴奏音楽相当の作品 → 舞曲


    は確実である。つまり「シューベルト自身は、舞曲作曲の時間をピアノソナタ(交響曲や弦楽四重奏曲などなど)の作曲の時間に廻したい気持ちは極めて強い。

    作曲家として「飯が喰える」状況になる前は「必要に応じて譜面で残していた舞曲」について「依頼が来てから作曲しても充分間に合う」自信が持てた = 1825年4月


    である。純粋に「作品評価」の観点から言えば、1825年以降の「シューベルト舞曲」で名作なのは

    1. ペスト(現:ブダペスト)「七大選定侯」ホール新春舞踏会ホール委嘱作品「ギャロップとエコセーズ」作品49 D735(1825.11.21出版)

    2. 「ウィーンの貴婦人レントラー」作品67 D734(1826.12.15出版)

    3. 「高雅なワルツ」作品77 D969(1827.01.22出版)


    の3作品だけだと感じる。むしろ

    世界史上初の「独立した作曲家」として生きて行けるか?! を暗中模索時代の方が「舞曲名作」は多い


    のである。


     ・・・で、この話をした後に「シューベルト : オリジナル舞曲集 作品9 D365」は「シューベルト作品は単独で演奏会を実行してほしい」と無理なお願いを佐伯周子にしたのだが、リスト「ロ短調ソナタ」を中心に見事な演奏を 佐伯周子 は企画してくれて聴かせてくれた。(前回演奏会)
     その 佐伯周子 が「全シューベルト」に戻って来てくれる。正月に聴かせてくれた演奏は「ヤマハXPモデル」ならば再生できるのだが、できることならば「フルコンサートグランド」で良いホールで聴きたいモノだ > 素晴らしい演奏だったから
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    シューベルトの舞曲の歴史(その1)  (No.1608)

    2009-01-02 21:13:01 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
     今朝、佐伯周子に「次回演奏会(2/12)の曲目の1部」を聴かせてもらった。過去のピアニストが弾いた演奏を遙かに越す演奏が期待できる。次回「第5回」は「第3回」に並ぶかそれを越すプログラムビルディング。名演が今から楽しみだ。

    1. ピアノソナタ第17番 ニ長調 D850 作品53
    2. 即興曲集 D899 作品90
    3. 10のエコセーズ D977 + D145
    4. 他 2曲の舞曲

    の構成である。


     「シューベルトの舞曲」は『新シューベルト全集 = ベーレンライター刊行』が発刊されるまで「暗黒の世界」であったと断言できる。その原因の一端がシューベルト自身にあるにしても、ひどかった、、、


    「シューベルト舞曲自筆譜」は、全部 1825年4月 以前の日付


    である。「ドイチュ番号の最後 = D844」である。
     日付が記されていない自筆譜も含め、この日付よりも後の「ドイチュ番号」は(生前作曲確定番号である D965 以前には一曲も無く)「まともなシューベルト学者」は D844 以前にしか「シューベルト舞曲の自筆譜」は無い、としている。しかし、問題な点も結構ある。

    自筆譜が存在しているのに、「作曲年代不明」で D966 以降の番号を振られた舞曲も数多い


    ことである。何で???
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    本年もよろしくお願いします(No.1607)

    2009-01-01 02:29:44 | ピアニスト・佐伯周子
    あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。本年の 佐伯周子 の予定は以下の通りです。

    2/12(木) 東京文化会館小ホール 18:30開場 19:00開演 ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会 Vol.5


    8/12(水) 東京文化会館小ホール 18:30開場 19:00開演 ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会 Vol.6



    今年は、ハイドンとメンデルスゾーンのメモリアルイヤーですが、全曲シューベルトです。
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする