東京交響楽団が音楽監督=スダーンの下、「マーラーの歌曲 = 2012年度定期演奏会のテーマ」に据えた
6/9(土)みたいに「マーラー無し」の回もあるのだが、(コチシュの弾き振り「モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番ト長調K453」とてもチャーミングでした!)
オーケストラ伴奏歌曲は全て + 「若き日の歌」抜粋を 飯森範親指揮で、と言う豪華版
「子供の不思議な角笛から」が2回に分割されて演奏され、他の曲は1回でまとめて演奏される。私高本が「音楽の友」誌を読み始めて以来、初の快挙である。
東響の壮大な計画は全く知らなかった昨年1~9月、
マーラー「子供の不思議な角笛から」全曲を、「女声 + ピアノ版」で開催したいと考え、老田裕子 と 佐伯周子 に相談を持ちかけた
東響でさえ、2回に分割して、ソプラノとバリトンに割り振った「大」歌曲集を、である。
世の中に流通している マーラー「子供の不思議な角笛から全曲録音&録画」は全て「男声+女声」か「バリトン」である!
初めは、老田裕子 も 佐伯周子 も「高本、頭大丈夫?」の反応だった。(猫頭なのでしゃーないか、、、)個人的には「佐伯周子のスメタナ」を聴き、「これは マーラー 行ける!」と思った(2010.11)し、「老田裕子のヴェルディ椿姫のヴィオレッタ」聴いて「これは マーラー 行ける」と思った(2010.12)。
「マーラー歌い」はオーケストラを突き抜ける声量が必須、「マーラー弾き」はオーケストラを彷彿させるスケール感と敏捷さを併せ持つが必須
だが、ヴェルディ「椿姫全幕」とスメタナ「チェコ舞曲集第2集全曲」はその資質をはっきり浮かび上がらせてくれた。
「マーラーファン」の私高本は、聴けば聴くほどわからなくなったことがある。
なぜ「子供の不思議な角笛から」は、オーケストラ版もピアノ版も「男声+女声」または「男声」でのみ演奏されるのか?
である。
流通している点数が圧倒的に多い「マーラー交響曲」CDは、
マーラー 交響曲第2番「復活」、第3番、第4番の「角笛交響曲」は全て「マーラー指示通り」女声が歌っている
尚、後期の交響曲「大地の歌」になって来ると、「通常アルト」が歌う偶数曲を「バリトン」が歌う事例も少なくない。「角笛交響曲」の時代とは、マーラー自身の感覚が違うのだ。
「角笛交響曲時代」は人によって、設定が異なる。私高本は
歌曲集「子供の不思議な角笛から」に着手した1892年1月28日から1900年8月まで、と規定し、交響曲第2番「復活」第2楽章 → 交響曲第4番 が作曲された時期。交響曲第2番「復活」第1楽章の初稿はこの時期から外れる
と考えている。ドナルド・ミッチェル は、交響曲第1番「巨人」~第4番を「角笛交響曲」と考えている。これが多くのバリトン歌手に共鳴し、「子供の不思議な角笛から」もバリトンで歌われることが(歌手1人ならば)録音に関して言えば「全て」である!
フィッシャー=ディースカウ
ハンプソン
ゲンツ(弟)
交響曲第1番「巨人」の原曲となった「さすらう若人の歌」は、誰が聴いても歌っても「バリトンがベスト」だろう。だが、交響曲第2番「復活」の第2楽章以降は全く風景が異なる。「復活」第2楽章から全く違う。この楽章は、「歌曲出身」では無いが、「主旋律」が(楽器を転々と替えながら)歌い継がれて行く、まさに「角笛交響曲様式」の楽曲である。交響曲第1番「巨人」と交響曲第2番「復活」第1楽章の重苦しい「低音の蠢き」は後退し、伸びやかに歌われる。もし「声楽」で歌われるならば「ソプラノ」だと私高本は感じる。(アルトの可能性も否定するものでは無い。)
だが、テノール や バリトン、まして バス は想定できない。
マーラーは交響曲第2番「復活」の第1楽章の後に、『5分沈黙で待つように!』の指示を残している。(← 本当だぞ!)聴衆に「全く変わった」ことを体感して欲しかったのだ、「マーラーの音楽」が変わったことを。
第3楽章は、「パドヴァのアントニウス 魚へお説教 Des Antonius von Padua Fischpredigt」のオーケストラ編曲。歌は消えた。歌うならば、ソプラノか? アルトか? 謎めかせておいて、第4楽章に突入する。「はじめての灯り Urlicht」、アルトが歌う。「母性」を強く感じさせる詩であり、曲である。第5楽章は「子供の不思議な角笛から」とは全く別の詩だが、(混成合唱に男声合唱が混じっているものの)ソロは「ソプラノ + アルト」で女声だけである。
交響曲第3番になると、さらに「女声」が徹底される。第4楽章でアルトソロが「ツァラトゥストラ」を語り、第5楽章で「子供の不思議な角笛から」の「三人の天使がやさしい歌を歌ってた Es sungen drei Engel einen süßen Gesang」を「アルトソロ + 女声合唱 + 児童合唱」で歌い上げる。序奏が少し変わっただけで「子供の不思議な角笛から:ピアノ伴奏版」そのままの楽章である。
交響曲第4番は、さらにさらに「女声」が磨き上げられる。第4楽章=終楽章が「あの世の暮らし Das himmlische Leben」にそのままの形で移され、終曲する。ソプラノソロの食い意地の張った歌詞が印象に残る。昔から「人間は飢えていたんだなあ」と思わせる歌詞であり、さらに神話に対する皮肉も強い(爆
「はじめての灯り Urlicht」「三人の天使がやさしい歌を歌ってた Es sungen drei Engel einen süßen Gesang」「あの世の暮らし Das himmlische Leben」の3曲を『男声』が歌うと違和感が大きい。「灯りが点灯するか?」とか「天使、って女性か子供じゃなかったか?」とか「調理のことを男がここまで細かく言うか?」って感じ。
歌詞のことをもっともっと詳しく知りたい人は
藤井宏行さんの マーラー歌曲対訳のホームページ
にリンクを貼っておいたので、ご覧頂きたい。マーラーがいかに心血を注いで「子供の不思議な角笛から」を作曲したかの一端を伺い知ることが出来るだろう。
最後に一言。
マーラーは交響曲第4番作曲完成後、アルマ・シンドラーと結婚した。独身時代のように「女性を口説く」ことは社会的束縛からできなくなった、と考えられる
資料からは「極めて嫉妬深いアルマ」の前で「女声専用歌曲」は死ぬまで2度と作曲しなかった、グスタフ・マーラー。だが、
「グスタフ・マーラーの青春の痕跡 = 角笛交響曲 = 女声の交響曲」が事実
である。「老田裕子 + 佐伯周子 の演奏会」期待して下さい!!!