Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

小倉貴久子のモーツァルト詳論 後編(No.2048)

2012-04-30 22:29:55 | 作曲家・モーツァルト(1756-1791

『モーツァルト時代通りの響きの再現』に全勢力を注ぐ 小倉貴久子『モーツァルトのある部屋』シリーズ



 第2点の続きである。

小倉貴久子は『詰め込んでも最大席数 約100名 の東京オペラシティ近江楽堂でシリーズを通す』が最大の魅力だろう!


 実際に第1回を聴きにいらっしゃった方ならば私高本の意見に納得してもらえる、と思う。

「近江楽堂の小倉貴久子」は、「モーツァルト姉弟が王侯貴族のすぐそばで演奏している『風景そのもの』であると同時に『響きの再現』を感じさせた!


からである。

「東京のソロリサイタル会場として最高!」と賞賛されている「東京文化会館 小ホール」でも得られなかった『濃密な 小倉貴久子 の響き』が味わえた!


 ここで、誤解無きように正確に記しておく。「モダンピアノ」であれば、東京文化会館小ホールは、一流ピアニストであれば、全員が「充分な響きが得られるホール」である。最も近い例では「上野優子のモーツァルト」でも響きは充分素晴らしかった。だが、「小倉貴久子 のフォルテピアノ」だと、容積が大き過ぎるのである > 東京文化会館小ホール

 違う側面から考えてみたい。

「フォルテピアノのCD」は私高本が知っている限り、「録音が良い」と言われているモノは『近接マイクによるオンマイク録音』


である。「オフマイクでホールトーンを録音した素晴らしいフォルテピアノCD」は、寡聞にして1枚も知らない。

理由は「フォルテピアノの細やかなニュアンス表現」は「ごく近くの聴き手」にしか伝わらないから


である。「王侯貴族 が お客様」だったからこそ、できた技かも知れない。(モーツァルト作品でも「オペラ」はもっと大雑把な感じがある。例えば「後宮からの誘拐」K.384 とか。3点Es をコンスタンツェにたっぷり張り上げて欲しいし、、、)

 また違う側面から迫ろう。

「フォルテピアノ で 最善の音響座席」は「モダンピアノ では阿鼻叫喚の大音量地獄の位置!」


 フォルテピアノ だと「可能な限り楽器に近い座席」が最善の席である。だが、モダンピアノでは(私高本くらいモダンピアノの響きが好きなヤツでさえ)楽器のすぐ脇では聴きたく無い。もちろん「佐伯周子リサイタル の マイクセッティング」の時は聴く。(オンマイク録音が好きな方だから、「サブ」は必ず「オンマイク」で録音してある。)ちなみに「マイク設定 = -10dB」の上、レコーダーレベルは(最大10で)「2台」である。これでも録音レベルが「設定最大」を越して、使い物にならなかったことが数回ある(爆涙


いろいろなタイプのフォルテピアノを使用することが「売り」の1つになっている > 小倉貴久子『モーツァルトのある部屋』シリーズ


 第3点である。この点は、私高本の「趣味の問題」の可能性も秘めているので慎重に書く。私高本は「最善の楽器で演奏して欲しい!」タイプ。ホロヴィッツ や グールド に向かって「ベーゼンドルファー弾いて欲しい」とかは決して言わない。「ニューヨークスタインウェイで弾いて下さい!」タイプ。

 だが、どうも『フォルテピアノ ファン』は全く様相が違うようだ。作曲家が違うが「ハイドン」で見ると、「視点の相違」が(モーツァルト以上に)顕著だ。

HMVの「ハイドン、ピアノ、ベストセラー」の検索結果はここ(爆



 驚異の順位がこれ!

  1. ショルンスハイム「ソロ曲全集」


  2. オールト「小品全集」


  3. コーエン「ピアノトリオ」



となっており

ブラウティハム も シュタイアー も ソロでは「上位100位」にさえ入らない(泣


が「オリジナル楽器界の常識」だからである。唖然。

ブラウティハム & シュタイアー > ショルンスハイム & オールト & コーエン が聴いて分からない人たちが「オリジナル楽器」聴き手の中心層? これは、ヒドい!


 これには「心が曇ってしまった」が偽らざる心境。あまりにも悲しい。


 私高本 は

「小倉貴久子 = ブラウティハム & シュタイアー」クラスの大ピアニスト! に感じる


 理由は「聴いた直感」である。ピアニズム はもちろん、ブラウティハム とも シュタイアー とも違う。もっと「旋律線の歌い方」に重心を置いた方向。それでいて「会場の全ての皆様に芳醇な響き」を堪能して頂く! を実行して、(全部の席で聴いた訳ではないので断言は誰もが不可能だが)演奏直後の反応からすれば、大成功に終わった! と感じる。

 実は「音楽の友」5月号発行を待って、このシリーズは書いた。これだけの名演をどのように批評しているのか? に興味あったからだ > 「音楽の友」が最も正確なことが多いから!

 だが、マネジメントの問題なのか? 批評家の問題なのか? スペースの問題なのか? は全く不明だが、「批評」は掲載されていない。これで「クラシック音楽界」は良いのだろうか?

 私高本は「猫頭」なので判断できない(爆涙


『骨太な骨格 + 精密なアーティキュレーション + 細部の仕上げ』が魅力 の「小倉貴久子 の モーツァルト」


 第4点である。これはどこにも述べられていない(泣

 骨格だけに興味のあるピアニスト(例えば、グールド)とか、細部ばかりつつくピアニスト(このタイプは多い! ファジル・サイ とか)は、「モーツァルトの魅力」が薄い。
 「小倉貴久子 のモーツァルト」は両立している稀有な例である。

 だが、「フォルテピアノ」の音は 600名規模のホールでは例え最前列で聴いても、「音が拡散してしまう」難点を持っている。この辺りの問題点を解決したのが、小倉貴久子『モーツァルトのある部屋』シリーズ だと私高本は感じる。


 私高本の認識では

小倉貴久子 の演奏水準 = ブラウティハム & シュタイアー の演奏水準


である。
 これが「猫頭ヒョーロンカの戯言」であれば、笑って下さい。もし、ご意見があれば、当ブログのコメントに書くなり、「メヌエット・デア・フリューゲル」にご連絡を! ブラウティハム や シュタイアー 程度の低いヤツと比較するようなバカな「高本みたいなバカに書かせるな!」ならば、こちらには書かないように(爆
 必ず消去しますから(爆
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小倉貴久子のモーツァルト詳論 前編(No.2046)

2012-04-27 21:29:59 | 作曲家・モーツァルト(1756-1791
 「川上敦子のモーツァルト」を終えてからと言うもの、「モーツァルトのピアノ曲」について語ることは2度と無いだろう、と思っていた。どちらかと言えば、「モーツァルトのオペラ」側面の方に興味が移りつつあったような気がする。昨年から今年に掛けての実期間が1年に満たない間に、次々といろいろと「考えさせられたモーツァルト演奏会」を5回聴いた。その中の2回が「小倉貴久子のモーツァルト」である。猫頭ヒョーロンカ = 私高本 が「フォルテピアノ演奏家」について、どこまで語り切れるかわからない。読者の皆様の評価も皆目見当が付かないし、小倉貴久子 がどう評価するか? についてはさらに分からない。本日号の評価が低ければ、2度と書くことは無いだろう。


 まず最初に述べておきたいことがある。

「オリジナル楽器評論界」は「モダン楽器評論界」よりも相当に『劣る耳の持ち主』がはびこっている!


 3月の「小倉貴久子演奏会」を聴き、久しぶりに「オリジナル楽器演奏」に興味が深く湧いたので、いろいろと調べて見て愕然。

小倉貴久子 と 「その他の有象無象フォルテピアノ奏者」がほぼ同じ程度の表現で批評されている!


 初めは「老眼が進行して、読み間違えたのか???」と思ったが、読み間違いでは無かった。

  1. 『ピアノ担当評論家』は、『フォルテピアノの魅力』が理解できていないらしい


  2. 『オリジナル楽器評論家』は、『通訳が本業』なので(全ての演奏家を)「絶賛が前提」



が最大の原因。

私高本 のように『モダンピアノ大好きで、モダンピアノで「佐伯周子 シューベルト全曲演奏会」を主催しながら、「オリジナル楽器演奏も好き!なんて、ドン・キホーテ』 クラス!


らしい。
 「モダンピアノ評論家」(って用語は見たことないが、実態は現しているぞ!)は、「不完全な楽器」と「オリジナル楽器」を思い込んでいるフシがある。違うんだがなぁ(爆涙


 『モーツァルトの演奏風景の絵』を思い浮かべて欲しい。次に『シューベルトの演奏風景の絵』を思い浮かべて欲しい。さらに『ショパンの演奏風景の絵』を思い浮かべて欲しい。これらが「オリジナル楽器としてのフォルテピアノ」の最盛期である。読者のあなたは「サントリーホール」クラスの広さを思い浮かべただろうか? 「NHKホール」クラスの広さを思い浮かべただろうか? いや、違う!!(断定)

「モーツァルト が姉ナンネルと連弾している貴族の大広間」や「シューベルティアーデ に集う仲間たち」や「パリのサロン」を思い浮かべたことだろう!


 そう、「ショパンまで」はごく近距離で「演奏家←→聴衆」は息遣いまで伝わったのだ。

「リスト が リサイタル を発明」してから、「ピアノソロもオペラ並みの遠距離まで到達させる必要性」が発生した


のである。リストの(特に)初期ピアノ曲は「訳わからんほど、大音量指定」があるが、これは「対 ショパン比」と考える、のが筋である。「パリの貴族のサロン」と同程度の音量では、後方座席のお客様に「感動」を伝えることは難しいからなあ(爆


 「通訳が本業」の人に「演奏会批評」を依頼するのは、私高本は「筋が違う」と思っている。だが、そもそもが「ヨーロッパ起源のクラシック音楽界の、さらに遡ったオリジナル楽器」については、「ヨーロッパの音楽事情に詳しい人」に依頼するのが手っ取り早い。依頼が来れば、普通は受けるわな(爆

『オリジナル楽器演奏会の酷評』は読んだことが無いが、『インマゼールのシューベルト遺作3大ソナタの愚演』を聴き、「絶賛批評」が掲載された!


怨念は、とてもとても昔のことだが、未だに「怨念がここにおんねん!!!」である。あんな「指が廻らない演奏」を聴いて、あんな批評が書けるモノだ! と当時は若かったので思っていたが、(糖尿病で明日死んでも誰も不思議に思わない今日ならば)「あぁ、通訳系ヒョーロンカがセーカツの為に書いたのね(爆」と穏やかな心で焼酎を呑んでいたことだろう(爆
 当時は「糖質たっぷり酒」ばかり呑んでいたので、激し易い性格だったのね。今は穏やかです、ハイ。


 上記のような環境の中で、

小倉貴久子 は「実力」に比較して、『音楽批評』にて「高く評価されて来た」なのか? 「低く評価されて来た」なのか?


 はっきり断言する。

「小倉貴久子 の モーツァルト」評価は不当に「音楽批評」では低い!


 ここに、猫頭 = 私高本 が「正当だと思い込んでいる」像を描く。評価は、読者の皆様と 小倉貴久子 がすることである(爆


『モーツァルトの、しかも「最高傑作」をメインに演奏するのに、「作曲家の巾を持たせる工夫」の方を前面に出している小倉貴久子』


 第1点である。「モーツァルト と コジェルフ」を聴くと、はっきり『モーツァルトの素晴らしさだけが浮かび上がった』である。コジェルフのピアノソナタは「第1楽章第2主題が短調に転じたまま、あまりにも長く短調のままで聴いていて、聴き苦しい」のである。だが、小倉貴久子 は、「コジェルフ擁護」ばかりを話す。
 私高本 は「お話はお話、演奏は演奏」と完全に切り離して聴くタイプ。実は、このタイプ少ないらしい(爆

 「小倉貴久子のトーク」を聴くと、「コジェルフは大作曲家?」と思える仕掛けになっていた。演奏は素晴らしかったのだが、私高本が聴いた感触では「やっぱ、消えた作曲家」である。

 特に嫌味な点は皆無なのだが

コジェルフ には「心を掴まれる瞬間が皆無」


 マーラー を例に取るとわかり易いだろう。マーラーの「全てのフレーズが大嫌い」と言う人は少ないだろう。だが、『あまりにも俗っぽい田舎のラッパ』などが轟くことに反感を持ち「聴きたく無い」人が多いことも事実。
 コジェルフ は真反対。BGM として聞けば誰も反感は持たないだろう。だが「モーツァルトの比肩」は、多くの人には難しい、と感じる。つまり「小倉貴久子トーク」と矛盾するのだ。
 この辺りを「レパートリーの拡大」と「中心レパートリー」のバランスをどのように取って行くのか? が今後の 小倉貴久子評価 が「実力通り」になるか? ならないか? の鍵に感じる。


『モーツァルト時代通りの響きの再現』に全勢力を注ぐ 小倉貴久子『モーツァルトのある部屋』シリーズ


 第2点である。チラシを見るとわかり難いのだが、このシリーズの『最大の売り』はここだ、と感じる(← 間違っているか?) 「モーツァルトのピアノ演奏の絵」を想像して欲しい。聴衆は(サントリーホールとかNHKホールでは絶対に実現しない)近距離を想像することだろう。これまで「CDジャケット」に幾度と無く書かれた「ヴォルフガング & ナンネル・モーツァルト姉弟 の演奏 の絵」から類推するからだ。
 だが、この点は「売り」として弱く書かれている。「第1回のプログラムノート」を書いた安田氏はどのように感じているのだろうか? 「オリジナル楽器系評論家の第1人者」としての地位を確保している方であるだけに、ご意見を伺いたいモノである。小倉貴久子から「全く相談を受けなかった可能性も極めて高い」のだが。
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作曲家論 : モーツァルト第1回(No.1458)

2006-12-31 16:11:53 | 作曲家・モーツァルト(1756-1791
あっ! 忘れていた!! 今年は『モーツァルト生誕250年』だったじゃん(爆
「シューマン没後150年」はきちんと憶えていて、大特集組んだのに、、、

・・・ということで、今年最後の Piano Music Japan は「モーツァルト」


モーツァルト(1756-1791)総合評価



ピアノソロ曲:☆☆☆☆☆
ピアノ協奏曲:☆☆☆☆☆
ピアノ室内楽:☆☆☆☆☆
連弾&2台 :☆☆☆☆☆
歌曲伴奏  :☆☆☆☆
ピアノ教育 :☆☆☆☆☆

音楽史評価 :☆☆☆☆☆

コメント 等は明日号以降にて。
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