Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

シューベルティアーデの最初の到達点=「悲しみのワルツ」D365/2(1818.03)(No.2487)

2016-07-25 21:43:28 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

シューベルティアーデの最初の到達点=「悲しみのワルツ」D365/2(1818.03)


 シューベルティアーデのメンバーは様々な努力を重ね、「シューベルトを=大作曲家」の地位に上り詰めさせようとした。最初の1816.04.17の「ゲーテへの歌曲集の献呈」は全くの失敗に終わってしまった。次いで歌手フォークルに1817年2月または3月に弾き合わせ、シューベルトリートが徐々に広がり始めた。だが、シューベルティアーデの実績は何と舞曲に出現した。

  1. 1818.03 作曲「悲しみのワルツ」がまずシューベルティアーデにて、次いで何枚も自筆譜やピアノ演奏にて「ウィーンの街全体」に広がる


  2. オペラ「双子の兄弟」D647 1820.06.14上演、オペラ「魔法の竪琴」D644 1820.08.19上演


  3. 「魔王」作品1 1821.04.02出版



 「悲しみのワルツ」は2種類自筆譜が遺されており、それぞれ献呈の言葉を書き記しているのだが、その1枚は「未完成交響曲」逸話で有名な アンゼルム・ヒュッテンブレンナー に捧げられている。「悲しみのワルツ」を含むシューベルト「36のオリジナル舞曲集」作品1 1821.11.29出版前に、1821.01ヨハン・ペンゼルの「悲しみのワルツ」に拠る変奏曲、1821.10カール・ツェルニーの「悲しみのワルツ」に拠る変奏曲 が出版されていたほどの人気!
「悲しみのワルツ」の人気が高まったことにより、劇場支配人が「人気作曲家」と認め、1818年中に注文を出していた(「双子の兄弟」)ので1819年1月には作曲完了していたのである。オペラ上演された作曲家なので、リートを出版、と次々と作曲家としての道のりを越えて行った。
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1815-1818の「シューベルティアーデ立ち上げ時」のシューベルトピアノソロ作品(No.2486)

2016-07-22 23:58:22 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
1815-1818の「シューベルティアーデ立ち上げ時」は、まず「舞曲」が必要だった。シューベルトは即「12のトリオ付きメヌエット」D135+D139+D145+D146 を作曲する。「トリオ」は別の曲なので、実質24曲である。全曲演奏を目指した曲集とは思い難い。多分、中から抜粋で演奏した、と推察される。この曲の後には、D158のエコセーズとD299の「12のエコセーズ」が作曲された。シューベルトの「生前作品番号付き舞曲集」を見る限り、「エコセーズはワルツ類(ドイツ舞曲、レントラー etc.)の後に退場行進曲として演奏された」ことがはっきり示されている。多分、D135+D139+D145+D146 の後に演奏する曲だったのだろう。


 今回、佐伯周子が演奏する D681 は、頭の4曲が紛失しており8曲しか演奏できない><

 だが、D135+D139+D145+D146 に比べると「誰の耳にも明らかな跳躍」がある。
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1815-1818の「シューベルティアーデ立ち上げ時」のシューベルトピアノソロ作品(No.2485)

2016-07-19 23:58:52 | シューベルト:作品大系&詳述
1815-1818年は、『シューベルティアーデ最盛期』と言って良かった。

  1. 「シューベルティアーデ参加者の詩」にリート(歌曲)を附曲した


  2. 踊るための「ピアノソロ舞曲」を書いた


  3. シューベルティアーデで「交響曲の代理としてのピアノソナタ」を作曲した


  4. 「シューベルティアーデ参加者の器楽曲」を主題とした変奏曲を作曲した!



が実績。
 「シューベルティアーデ参加者」は、ミサ曲第1番D105初演以降に集まった仲間。大半が「糸を紡ぐグレートヒェン」D118 以降の歌曲を聴いて、感動して、「自分の詩に糸を紡ぐグレートヒェン以上のリート(歌曲)を附曲して欲しい!」と思って集まった人たちだった。詩の水準が「糸を紡ぐグレートヒェン」の作者=ゲーテと並ぶ! ということは無かったが、集まった仲間の詩の水準はそれなりに高いモノであった。何曲かの名曲も産まれている。

 ・・・で、「相対的に観た」時に、「1815-1818のシューベルティアーデ最盛期」は他の時期に比べて、何が少なかったのだろうか?

  1. ピアノ連弾曲がほとんど無い


  2. オペラが少ない



だろう。シューベルトはこの時期、「シューベルティアーデの仲間の詩に優先的に附曲し、仲間の輪を広げて行った」状況である。
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1815-1818の「シューベルティアーデ立ち上げ時」のシューベルトピアノソロ作品(No.2484)

2016-07-17 21:08:15 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

「シューベルティアーデ」がシューベルトに大影響を与えたのは 1815(D139)-1824(D822) の丸10年


  シューベルトはミサ曲第1番D105初演直後から始まり、徐々に拡大して行った。1821.04.02 の「魔王」作品1 出版がピークとなるが、「熟成期間」に焦点を当てたい、と常々感じていた。漸くこの度実現することになった。佐伯周子に感謝するばかり!


  「シューベルティアーデ」は「シューベルトの音楽才能を信じる人の集合体」である。死後の文献だと1825年以降がピークのように書かれているが、実際は1824年までで全盛期は終了している。

ベーレンライター新シューベルト全集の「シューベルティアーデ開始期」特集が、「佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲全曲演奏会」


である。
 
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フランツ・シューベルト・ソサエティ2016ピロティ・コンサート批評(No.2483)

2016-07-16 23:20:31 | 批評

圧倒的な説得力を放った 城戸かれん+福田俊一郎+田原綾子+上野道明+香月麗 のシューベルト弦楽五重奏曲D956&弦楽四重奏曲「死と乙女」D810


 う~ん、唸った。シューベルト弦楽五重奏曲D956は、1978年の「シューベルト没後250年」以来最も聴いて来た曲の1つである。多くの場合「常設の弦楽四重奏団に有名チェロ奏者が客演」だった。それぞれ、それなりの水準の演奏を聴かせるのだが、(岡原慎也や佐伯周子ピアノのシューベルトに比べて)匹敵する演奏に出会っていない、のは事実であった。このメンバーは「常設弦楽四重奏団」基盤では無い様子。
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