「シューベルト舞曲だけ」で1回の演奏会全部を構成した 佐藤卓史 の「構想力 & ピアニズム」の素晴らしさ
佐藤卓史 は、「基本的には初めの頃の作品」から、後ろへ進む構想のように見える「シューベルト全曲」を開拓しているピアニスト。今回の「舞曲I」と言うのは、私高本では考られないプログラムビルディング。そもそもが「踊るため」の曲だからである。
12年前から「佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会」を企画している私高本が、第1回終了後に頭を抱えたのは、2巻に及ぶ「舞曲」は、ほぼ9割以上の曲が前半も後半も繰り返し、さらに「A-B-A」どころか「A-B-A-C-A」の曲も多数ある。ベーレンライター新シューベルト全集ピアノソロが全7巻 だが実際に演奏する小節数は 2/7 どころか、3/8 は越す、と指を折って数えた記憶がある。佐藤卓史 の慧眼には、目を見張るばかりである。
夫婦協業で作曲活動を進めた最初の作曲家=J.S.Bach の可能性を大きく示唆した名ドキュメント『ミセス・バッハ"Written by Mrs. Bach"』
う~ん、素晴らしい番組だった。これほど深く正面から「有名作曲家の作曲活動の根源を揺るがす」提言を取り上げた番組は56才にして初めて見た。月曜の放映だったが、録画して翌火曜に初めて見たが金曜の本日に至るまで、何回繰り返し見たか数えられない。バッハの楽譜は(シューベルトほどは)多く持っていないが、
チェンバロソロ曲全曲 + 無伴奏ヴァイオリン + 無伴奏チェロ + 無伴奏フルート のベーレンライター新バッハ全集 & インヴェンションとシンフォニア と 平均律第1巻第1番清書 の自筆譜コピーは所持している
である。購入した当時(20世紀です)にいろいろとワケ判らんことが多かった。特に当時(16年以上前の猫頭ヒョーロンカ = 私高本)が摩訶不思議に感じたことが
「フリーデマン・バッハのための音楽帳」には、「平均律第1巻の前奏曲だけ → インヴェンション → ファンタジア」が集中的に表れるのに注釈が何も無い
「平均律第1巻第1番前奏曲」だけ、「フリーデマン・バッハのための音楽帳」と「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳1725」の両方に残っているが、注釈を見付けられなかった
「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳1722」には、ほぼ「フランス組曲第1番~第5番」の初期稿が、おそらく第2番&第3番のメヌエットが「後付け」で記されているのに、注釈は良くわからん
「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳1725」には、「フランス組曲第1番+第2番の途中までわざわざ書かれている」が注釈は良くわからん
だった。私高本は、「シューベルト研究」には(なけなしのカネを)ツッ込むが、バッハには「自筆譜原稿ファクシミリ」を購入するまではカネに余裕が無い(泣