管弦楽曲(含む交響曲)は素晴らしいが、協奏曲では 小林研一郎 に及ばない パーヴォ・ヤルヴィ
久しぶりに「オーケストラの梯子聴き」をした私高本。読響 → N響 と言う「予算第2位 → 予算第1位」のオケの役付き指揮者の演奏であり、どちらも大いに期待して行ったのだが、思いのほか それぞれの特徴が浮き彫りになったので、今回は「立体批評」を行う。本当に久しぶりだw
パーヴォ・ヤルヴィ は前任者アシュケナージとは違い、棒の指示が明確であり、(オケで聴ける)メインレパートリー=管弦楽曲(含む交響曲)では満足度が高い。「デュトワ時代の再来」を感じる次第だ。だが、「デュトワ時代に比べるとはっきり何か物足りない」と感じていたのも事実。猫頭評論家=私高本は、本日まで読者の皆様に言葉として伝えることが出来なかったが、本日「小林研一郎指揮読響」のおかげで、明示することができる。小林研一郎、パーヴォ・ヤルヴィ、読響、N響の皆様に感謝するばかりである。
パーヴォ・ヤルヴィ は「現代作品」は多く取り上げる指揮者の1人であるが、吉松隆言うところの「ギギー、ガッシャン系」は振らない。調性を感じられる作曲家作品を取り上げる。今回は
ペルト:「シルエット」(2009)
トゥール:アコーディオンと管弦楽のための「プロフェシー」(2007)
どちらも日本初演。チラシ情報では何も分からなかった。だが聴いて見ると
パーヴォ・ヤルヴィの「共感度合」が全く異なっていて、ペルト「シルエット」は100%完全燃焼、トゥール「プロフェシー」は燃焼0%で一酸化炭素発生><
であった。「既に名声が確立された作品だけを、フルトヴェングラーやカラヤンのように降る」だけが目標の指揮者は多い。(N響や読響にはあまり出ないよ!)