Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

佐伯周子がシューマンピアノ協奏曲op.54を弾く 4(No.2501)

2016-10-11 23:54:13 | 作曲家・シューマン(1810-1856)

シューマンピアノ協奏曲op.54は、誰を手本に作曲され、誰が手本にしたのか?


  いろいろな解説を読んだが、シューマンピアノ協奏曲op.54の第2楽章と第3楽章が メンデルスゾーンピアノ協奏曲第1番の演奏に影響を受けたことは明記されているが、第1楽章についてのお手本の記載は書かれていないことが多い。ベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」と同じように冒頭にピアノソロが配置されていることを指摘することが多いが、本当か?

ベートーヴェン「皇帝」第1楽章は「協奏曲的ソナタ形式」で呈示されるが、シューマンピアノ協奏曲op.54は「ソナタ形式」で呈示されるので違和感大


なのである。「皇帝」冒頭は ff で開始されるが、シューマンは f で序奏が鳴るが、第1主題は p でそっと奏でられる
  確かに「カデンツァが確定している」「ピアノパートのデュナーミクを書き込んでいる」などの共通点を重視する人の目には手本にしたように見えるんだろう。



  1. 形式的には、シューベルト「さすらい人」幻想曲作品15D760が第1楽章単体でも、全3楽章でも手本


  2. 音響的には、モーツァルトピアノ協奏曲(但し短調作品K.466 & 491 を除く)が手本


となっている。モーツァルトピアノ協奏曲では第23番イ長調K.488 などが手本になった可能性が高い。「オーボエとクラリネットが揃っているから」と言って第24番ハ短調D491 を手本にした、と考えるのは違う、と感じる。
 モーツァルトピアノ協奏曲のピアノソロパートはわずかな例外を除いて、デュナーミクが全く書かれていない。第17番K.453以降は、「木管楽器とピアノの掛け合いが印象的」なのだが、シューマンピアノ協奏曲は冒頭からオーボエとピアノの対話がしっとりと第1主題を囁き合う。
 シューマンは学生時代の18才で既にシューベルト「さすらい人」幻想曲を弾きこなしていた。「循環ソナタ形式」原理を学び習得し、この傑作で花開くこととなったのだ。(ウィーンで引いた訳ではないが、シューベルト生前!)



  1. グリーグピアノ協奏曲イ短調op.16 がシューマンピアノ協奏曲を手本にした、は正しい


      調性も同じ、響きも似ているし、「ソナタ形式」の第1楽章も瓜二つ!!!
  2. ブラームスピアノ協奏曲第1番op.15 がシューマンピアノ協奏曲を手本にした、は誤り



  解説本に「ブラームスがシューマンを手本にした」といくつも目にしたが、あり得ない><

◎ブラームス交響曲第1番ハ短調op.68 = ベートーヴェン交響曲第10番 との評が初演直後からあった。手本はベートーヴェン交響曲!

ピアノ協奏曲でも、ベートーヴェン「皇帝]の後継者 = ベートーヴェンピアノ協奏曲第6番 と呼んで欲しかった>< 


  ベートーヴェンと同じ「協奏曲風ソナタ形式」で書かれており、響きもぶ厚い。ブラームスもクララも「ロベルトのピアノ協奏曲の後継者」と語った、の文章は1度も見たことない。何でこんなバカな解説するのだろうか? 耳ある???


シューマンが「クララのために書いた曲」は以下の4曲



  1. クララ・ヴィークの主題に拠る即興曲op.5


  2. 謝肉祭第12曲「Chiriana」op.9


  3. ピアノソナタ第3番へ短調op.14の最後の楽章の直前楽章(第1稿第4楽章、第2稿第2楽章、第3稿第3楽章)


  4. ピアノ協奏曲イ短調op.54



  この内、最初の即興曲は、クララが編集した『ブライトコプフ旧シューマン全集ピアノソロ巻』では第2巻までには収録されなくて、(恋敵のエルテスティーネ関連で外された「交響的練習曲」op.13や大嫌いなリストに献呈された「幻想曲」op.17と並んで)第3巻に廻された><

「謝肉祭 Chiriana」も「ピアノソナタ第3番へ短調op.14の最後の楽章の直前楽章」もピアノ協奏曲第1楽章展開部冒頭部も全部「変イ長調」!


であり、クララがロベルトに感謝した! こと間違い無し。しかも冒頭が「C-H♭-A♭ーA♭」だったのだ!!!
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東京オペラプロデュース マスネ「グリゼリディス」初日&楽日2016.10.09&10批評(No.2500)

2016-10-10 23:47:37 | 批評

マスネ「グリゼリディス」で主要6役をAB両キャストで集められる 東京オペラプロデュースの凄腕!


  両日ともに素晴らしい公演だった。マスネ「グリゼリディス」は、(ソロのある)主要6役が(直前の雰囲気から突如変わることがあまりに多く)歌唱が極めて難しい演目、と私高本は感じる。
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東京オペラプロデュース マスネ「グリゼリディス」初日2016.10.09批評(No.2499)

2016-10-09 23:52:20 | 批評

「マスネ:グリゼリディス = 20世紀初頭パリの ドン・ジョバンニ」だ


 これまで新国立劇場内で上演された マスネのオペラ「ドン・キショット」、「マノン」、「ウェルテル」、「エロディアード」に比べると、面白おかしさが前面に立つ作品がこの「グリゼリディス」だ。マスネオペラの持つ抒情性、優美さだけでなく、「滑稽さ」の要素を持つ「オペラ・ブッファ」系列の作品。手本にした作品は明らかで、(オッフェンバックやシャブリエではなく)モーツァルトの「ダ・ポンテ3部作」で、「テーマはコジ・ファン・トゥッテ」「役柄設定はドン・ジョバンニ」。
 第1幕後の休憩時に、「マスネにこんなに面白いオペラあったんだ!」とホワイエで話していた方がいたが、まさにその通り! それだけに演奏の難しさが各所に秘められている、と私高本は感じたが、どうなのだろうか?


全3幕にソロ&デュオで出っ放しの グリゼリディス=菊地美奈、悪魔=北川辰彦 の「清楚と滑稽の対比」が圧倒的説得力を有した


  もてまくるのに貞操固いグリゼリディスの「セリア」風の装いと、狂言回しの悪魔の「ブッファ」風の笑いを取る役が、音楽的にも演劇的にも鮮やかに浮かび上がる。ドンナ・アンナ と レポレロ と言えば、判り易いだろうか?

2幕だけで歌う道化役の「悪魔の妻=フィアミーナ」羽山弘子 の北川との息の合ったコメディアンぶりも秀逸


  この2名が登場する場面以外は「しっとりしたマスネ」に満ち溢れているのだが、中間楽章があからさまに笑い転げるスケルツォ楽章にしたマーラー交響曲かのよう。
  ソロのある羽山晃生、上原正敏、辰巳真理恵 の3名も充実した歌を繰り広げ、日本初演とは思えない充実したソリスト陣だった。


光使いの鮮やかな 太田麻衣子演出 と 「真面目さとコミカルさ」対比が顕著な 飯坂純指揮


  両方が綿密に積み上げてできた舞台だった、と私高本は感じる。楽日公演が今から待ち遠しくてならない。
  
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佐伯周子がシューマンピアノ協奏曲op.54を弾く 3(No.2498)

2016-10-07 20:10:12 | 作曲家・シューマン(1810-1856)

シューマンピアノ協奏曲イ短調op.54 は「ピアノソロ曲」タイプ? 「歌曲」タイプ?


  私高本は、そこら辺に居て「周辺に迷惑を掛けまくっているクラシック音楽ヒョーロンカ」の一員なので、今日のブログが気に食わない人は即退出して下さい。否定的なコメント書いても、採用しませんからwww


 私高本にとって、「衝撃的な出来事」が(数え間違いで無ければ)6年前にあった。

日本ドイツリート協会「夏季講習」(日本国内で初開催)


である。当時、佐伯周子は「ソロピアニスト」を目指していたので、何だかわからんメールは全部「流して」いた、とのこと。まあ、そうだろな。すると、

日本ドイツリート協会会長 = 岡原慎也 から、電話が掛かって来て、ウェーバー「舞踏への勧誘」ならぬ、「日本ドイツ協会夏季講習への勧誘」があった


とのことである。既にいくつかの契約をしていたので、「行きたいのですが、全期間は既に入っている契約もあり無理です>< 」との回答をした、とのことだが、何と「できる範囲でいいから参加して!」との暖かいお言葉を頂いた。結局(ところどころ虫食い日程で)参加することになった。私高本は、「佐伯周子専属マネジャー」なので、(歌うことも弾くことも出来ないので)聴講料を払って参加させて頂いた。岡原慎也さんに感謝するばかりである。


 (今もそうだが)私高本は猫頭なので、「ドイツリート」については、シューベルトの(しかも一部だけ!)曲しか知らなかった。佐伯周子の課題曲(シューベルトだけでなく、シューマン、ブラームス、ヴォルフ、マーラー、R.シュトラウス などから歌手の皆様が選んだ曲)を「ドイツリートのトップ歌手&ピアニスト」に指導して頂く、と言う「あり得ん状況」を作って頂いた。


 ・・・で、シューマン歌曲の楽譜を見て「唖然」、

シューマンop1 - op.23 ( -1839)の「ピアノソロ作曲時代」は、超絶ダイナミクス指向の作曲家


だったのだが

シューマンop.24 - 39(1840)の「歌曲の年」は、ダイナミクスが小さくなってる>< 


である。


 目を疑うよな(爆


「シューマンのop.23以前のピアノソロ作品のデュナーミク」 > 「シューマンのop.24-39の『歌曲の年』のデュナーミク」


だったことである。「えっ? 歌手パートも、ピアノ伴奏パートも、こんなにデュナーミク狭いの?」が偽らざる感想であった。「リーダースクライス op.25,op.39」「詩人の恋」「女の愛と生涯 op.25」「ミルテの花 op.24」などが、クララと結婚した年に生まれる。その曲は名曲だらけ。岡原慎也さんを始め、名手揃いに指導して頂いたのだ。その中で(指導も受けていない猫頭ヒョーロンカ=私高本は、それまでに作曲された「シューマン:ピアノソロ曲」のダイナミクス無いじゃん!!! と感じていた。う~ん、「シューマンはシューベルトの後継者」なんて言うが、「歌曲のダイナミクスレンジ」を見る限りは言えない水準だ、と私高本は感じる次第である。


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これから聴きに行く演奏会(No.2497)

2016-10-06 23:33:56 | 演奏会案内
「音楽の秋」だ。これから多くの演奏会に足を運ぶ。

  1. 2016.10.08 カンブルラン指揮読売日本交響楽団 シューベルト交響曲第8番ハ長調「グレート」D944


      読響常任指揮者=カンブルランが、就任以来初めて シューベルト を集中して演奏する。この日から3日連続で「グレート」、14日「ロザムンデ」D797抜粋、18日「ドイツ舞曲D820。全日聴きに行く予定だったのだが、時間の重複があり、初日と最終日だけになってしまった><

  2. 2016.10.09 & 10 東京オペラプロデュース マスネ「グリゼリディス」初日&楽日


      新国立劇場でマスネオペラを集中的に上演したのは、第2代オペラ芸術監督=五十嵐喜芳 時代だった。2000年「ドン・キショット」、2001年「マノン」、2002年「ウェルテル」と3年連続で新制作を上演した。主役は 海外から招聘した シングルキャスト で 五十嵐喜芳芸術監督の最も力の入ったシリーズだった、と感じる。だが、「マスネがフランスを代表するオペラ作曲家」の実感は湧かなかった><
      私高本が「マスネはフランスを代表するオペラ作曲家!」と感じたのは、2012年東京オペラプロデュース「エロディアード」である。艶めかしい妖艶な音楽の世界が目の前に現れ、特に女声陣の発散するオーラが 新国立劇場中劇場 に漲った。
      新国立劇場主催公演と(新国立劇場で上演しているとは言え)東京オペラプロデュースでは予算が1桁(か2桁かはよくわからん>< )違う。この状況下で、何が「エロディアード」の素晴らしさを引き出したのか? 五十嵐喜芳芸術監督は、3演目で全て演出家は変えたが、「指揮者=ギンガル は固定」であった。
      どうやら、東京オペラプロデュース マスネ「エロディアード」指揮の 飯坂純 の棒が素晴らしかった、としか考えられない。その 飯坂純 が、マスネをまた振る! と言うので、これを見逃したら(聴き逃したら)悔み切れないのは明らか!!!
      ・・・だったので、カンブルラン指揮シューベルト「グレート」は初日だけにしました。「音楽の秋」は名作が重なり合うんだよね(泣

  3. 2016.10.16 垣内悠希指揮 オーケストラアンサンブル金沢 ベートーヴェン「第9」高岡公演


      「垣内悠希 X オーケストラアンサンブル金沢」の公演を聴かせて下さい! とオーケストラアンサンブル金沢にお願いして聴かせて頂けることになった演奏会。オーケストラアンサンブル金沢 は岩城初代音楽監督時代から相当数(全部関東圏で)聴かせてもらっているが、垣内先生指揮は聴いていなかった。スケジュールを見ると、七尾の「オペラアリア」メインのコンサートと、高岡の「第9」が前の月にある。私高本はベートーヴェン「第9」は、シューベルト「グレート」よりも聴いたり歌ったり(「グレート」は歌無いよな(爆 )した曲なので、垣内先生の指揮を勉強させて頂きに伺います。

  4. 2016.10.18 カンブルラン指揮読売日本交響楽団 シューベルト「ドイツ舞曲」D820 他


      シューベルトは「ドイツ舞曲」や「ワルツ」をオーケストレーションしていない。今回は ウェーベルン の編曲。これ、「編曲=ウェーベルン」ってくらい、まともな(=シューベルト風な)編曲なのだ!
      他、2曲のヴァイオリン協奏曲を コルンゴルド と シュタウト の協奏曲を弾く。全席売切><  
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佐伯周子がシューマンピアノ協奏曲op.54を弾く 2(No.2496)

2016-10-05 19:33:08 | 作曲家・シューマン(1810-1856)

ピアノ協奏曲のピアニスト=オペラのタイトルロールと同じヒロイン!


  多くのピアニストが誤解しているのが、「ピアノ協奏曲では、ピアノパートをきちんと演奏すれば、何かあれば指揮者が教えて下さるだろう」と言う誤解。結構蔓延している。至近な例で言えば

N響首席指揮者=パーヴォ・ヤルヴィは良い指揮者であるが、協奏曲指揮者としては「普通のタイプ」。つまりピアニストが必要を申し出れば対応、無ければ楽譜通りタイプ


  人気指揮者であり、共演希望が殺到しているのだろう、ピアノ協奏曲はN響招聘の月にほぼ毎回ピアノ協奏曲がある。9月来日では2人のピアニストと共演したが、先の ラルス・フォークト とのモーツァルトピアノ協奏曲第27番変ロ長調を聴いたが、第1楽章協奏曲的呈示部のオーケストラを14型の弦配置で「ジュピター」のように盛大に鳴らして開始、「フォークトってこんな大きな音量のピアニストだったっけ???」と思いながら聴いていたら、案の定「小さな可憐な音」で不釣り合いだった><
  思えば、2月来日では カティア・ブニアティシュヴィリ とのシューマンピアノ協奏曲イ短調(佐伯周子と同じ曲!)でも、「春」か「ライン」かのように盛大にオケを鳴らしていて、いらいらしたのか第3楽章ロンドソナタ形式で最後にロンド主題が戻って来る箇所で ブニアティシュヴィリ が2小節飛ばしてN響も聴衆も困惑。勿論「ブラヴォー」も来なかった><

 パーヴォ・ヤルヴィ は、縦の線はきちんと合わせるし、「モーツァルトらしさ」「シューマンらしさ」も表現する。ただただ「音量基準が作曲家の交響曲並み」なだけである。「パーヴォ・ヤルヴィのモーツァルト交響曲の音量基準」とか「パーヴォ・ヤルヴィ」のシューマン交響曲の音量基準」をピアニストが事前に知る必要な全くないが、オケ合わせ(N響定期だと、通常練習所で3日X3時間)とゲネプロでピアニストが確認して申し出る必要がある。何も合わなければリハーサル通りに本番も実行する。
 ピアニストの音量は相当に巾があり、私高本が聴いた範囲では、故ペトロフ、小川典子、川上敦子 は音量が桁外れに大きかった。小さいピアニストはあまり協奏曲演奏会では聴かない。向き不向きがあるからなあ><
 録音では、クララ・ハスキル と ラローチャ が音量が小さい(が、極めてうまい)ピアニストである。佐伯周子 はその中間の「普通の音量のピアニスト」である。佐伯周子に感心したのは、オケピアノ=リダクション版の2番ピアノ にきちんと指示を出していたことである。シューマンの楽譜は相当神経質に書かれているのだが、ところどころ「どう合わせるの?合わせなくていいの?」ってところがあり、綿密に時間を掛ける。「ここが合わない箇所なんだ!」と私高本も感服した次第である。


 N響でモーツァルトピアノ協奏曲第27番を弾いた フォークト は「音量バランス」をパーヴォ・ヤルヴィに申し出ていない。(練習所の音量はともかく)ゲネプロの音量チェックが甘過ぎなことは、明らか><
 N響でシューマンピアノ協奏曲イ短調を弾いた ブニアティシュヴィリ も以下同文。「スコア読めてますか?」のレヴェル。こんな人々が「N響定期公演」にご出場なさっているのです><


 オペラに付言する。先日の

二期会「トリスタンとイゾルデ」公演は、Bキャストだけ聴いたが、イゾルデ = 池田香織 は、発散するオーラがオケまで伝わったが、トリスタン = 福井敬 は「声量ペース配分」が制御できず、第3幕では「歌っているだけ」の惨状><





 私高本が大好きなピアニストの1人 = 中村紘子 が、追悼番組で明かされた「15才(14才?)」の逸話が放映された。「サイトウキネンオーケストラ」メンバーに伝承している逸話、とのことである。

中村紘子「斉藤秀雄先生の指揮では弾けません!」発言


  生存者も高齢になっているので、「どんなタイミングでどんな状況下で発言したのか?」は不明確。だが、この後、「演奏会が流れた」情報は無いので、多分「中村紘子のテンポで渋々斉藤秀雄が棒を付けた」のであろう。おそらく「日本音楽コンクール優勝コンサート」なんじゃないだろか?


 私高本が見た番組では「中村紘子の気の強さ」が強調されていたが、

「ピアノ協奏曲のピアニスト = オペラのプリマドンナ」を実行しただけ


である。「ピアノ協奏曲のテンポ」はピアニストが決める、は当たり前である><


 

 「佐伯周子のシューマンピアノ協奏曲イ短調作品54」は、事前準備が「オーケストラパート」まで目配せ万端! ホールの音響とか、わからないことも山積しているのだが、「シフトの広さ」は奥行きがある感触。「デッドホール シフト」は時間の無駄! に感じたが、「準備万端」を感じさせた次第である。
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佐伯周子がシューマンピアノ協奏曲op.54を弾く 1(No.2495)

2016-10-04 22:08:30 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 昨日、(前日のワーグナー「ワルキューレ」鑑賞の疲れが明けたかどうかわからない中、2016.11.23 オーケストラアンサンブル金沢「第10回ピアノ協奏曲の午後」の2回目の「伴走者合わせ」をした。2番ピアノを弾いて下さったのは、洗足学園音楽大学&大学院で同級生だった小形さん。1回目の合わせでは(シューマンのメトロノーム速度よりも速い)「佐伯周子の要求」に「えっ!?」って感じの箇所も多少はあったのだが、2回目はほぼ完璧だった!
  佐伯周子も私高本も聴いたことのない「石川県立音楽堂」の響きはわからない><

  だが、実際に聴いた人の話だと、「サントリーホールと同じか、それ以上に余韻の深いホール」とのこと。私高本の個人的な感想としては、「残響短い対策は不要だろ!」と思っていたのだが、『対策は完璧に!』の佐伯は、「速いテンポ」と「遅いテンポ」の両方を(オケピアノの)小形さんに求めて、実現していた。私高本も「聴いていないホールの音響は断言不可能」なので、ただただ見守るばかりだった><


シューマン:ピアノ協奏曲イ短調op。54 は「ピアニスト=妻=クララ への 最高の捧げ物」


  この曲、出版時(1846年)には、ピアニスト=ヒラー に献呈されたのだが、実際は(献呈しても1円(1マルクか?)にも、財布の足しにならない「妻=クララ」に献呈された曲なのだ!!!


第1楽章第1主題=CHAAの音型=「ダヴィッド同盟 に於ける クララ = キリアーナ = Chiria-na = CHAA


  この音型は、調性に拠って、半音上下する。「A」はAシャープにもAマイナーにもなるし、「H」はHシャープにもHマイナー(=B)にもなる。「A」はAシャープにもAマイナーにも可能性あったのだが、起用されてない><


 ピアノに限らず、「指揮者の協奏曲への興味」は極めて薄い、のが普通。あぁ、日本のオケで最も予算金額が高いN響を例に取るのが良いだろう。2月の「シューマン:ピアノ協奏曲 op.54」も演奏しているし><

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新国立劇場ワーグナー「ワルキューレ」新演出初日 2016.10.02 批評(No.2494)

2016-10-02 23:55:14 | 批評

ステファン・グールド ら6名の世界を代表するワーグナー歌手の饗宴 にピタリと付けた 芸術祭監督=飯守泰次郎の棒の超絶名演!


  「ワルキューレ」は人気演目で、来月来日する「ウィーン国立歌劇場来日引越公演」でも上演される。キャストを見比べて驚いた。私高本の視点では、「新国立劇場ワーグナー「ワルキューレ」キャストの方が充実しているのである!
 チケット代金は、ウィーン国立歌劇場来日公演の半額未満なので、佐伯周子 に誘われて、初日を聴きに行った。


6名のソリストが自在に歌い上げ、継ぎ目を「継ぎ目と全く感じさせない 飯守泰次郎の棒」が圧巻の説得力


 「ワルキューレ」は第1幕が、「ジークムント+ジークリンデ+フンディング」の3名のみの歌唱、第2幕が開幕から半分以上が「ブリュンヒルデ+ヴォータン+フリッカ」の3名のみの歌唱で、2時間半程度が経過するので、誰かが「穴」になると、緊張感がほどけてしまう。さらに「6名のソリストのテンポ感」が必ずしも一致するわけではない、と言うよりも一致するはずが無い。この解決方法はいろいろあるが、

飯守泰次郎は「6名のソリストは各自のテンポを尊重する。繋ぎは、飯守 が自在に操る!」


   結果は大成功で、第3幕開始前に 飯守 は、「ブラヴォーの嵐」が吹き寄せる公演となった。勿論、終演後は、6名のソリスト+飯守泰次郎 に全員盛大なブラヴォーの嵐が飛んだ。(演出家 ゲッツ・フリードリヒ は死んでいるので呼ばれなかった>< )


 最後に演出について少々。没後16年にもなる フリードリヒ演出 は既に評価が出ている。私高本は、「ワーグナーの意図に極めて近い」と感じる。ワーグナー自身に拠る台本は好みには合わないのだが、第3幕の「火の囲み」とか、第2幕の「ヴォータンのジークムントの成敗のあっさりさ」は、音楽進行とピタリと合っていて、説得力が高い。飯守泰次郎芸術監督が選択したのが納得できた。


 「ジークフリート」「神々の黄昏」についても フリードリヒ演出 で既に新国立劇場公演が発表になっている。ワーグナーファンは大いに期待している。
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