Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

中期の傑作 = D145(No.1639)

2009-02-28 23:17:15 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 1823年2月5日に「作品18」として出版された舞曲集D145 は、その「ドイチュ番号」の異様な若さに拠り、最初期の作品の1つとみなされることが多い。ピアノ専門誌が「シューベルト」の特集組んだ時に、延々と「初期の舞曲」として例題に挙がり譜例まで出されていたのもD145であった。これは「完全な誤解」である。この曲集は、「出版されたピアノソロ曲」として

  1. 36のオリジナル舞曲集 1821.11.29出版 作品9 D365

  2. 12のワルツ、17のレントラー、9のエコセーズ 1823.02.05出版 作品18 D145

  3. 「さすらい人」幻想曲 1823.02.24出版 作品15 D760


の順であり、(作品番号は逆になるのだが)「さすらい人」幻想曲 よりもさらに前に出版された『シューベルトの自信作』であった。

 「ドイチュシューベルト主題カタログ」旧版を見てほしい。(新版ではない!)

  1. D299
  2. D679
  3. D697
  4. D729
  5. D769
  6. D969
  7. D977

を参照するように指示されている。終わりの2曲(D969,D977)は、1951年当時は「作曲年代不明」とされていたので、その前の「D769」が『確実に新しい作曲年代』とみなされた。1823年頃。
 D365 の時にも述べたので繰り返しになるが

既存の舞曲から「優れた曲」を抜粋した上、出版時に「新曲」追加が 1821~1825のシューベルト舞曲スタイル


である。印刷にある程度の時間が掛かるとして、「さすらい人」幻想曲作曲直後にまとめたと判断するのが最も適切であろう、と思われる。

D145 は D769A が振られても良い「中期の傑作」


なのである。
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舞曲 D145 「正しい全体像」を知ってください(No.1638)

2009-02-25 18:51:30 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 舞曲 D145 作品18 の全体像は(初出版当初の楽譜を購入したウィーンの数少ない人以外には)『ベーレンライター新シューベルト全集 舞曲II(1989/1990)』が出版されるまで、全く未知のモノだった → 本当!

シューベルト : 「ワルツ、レントラー、エコセーズ」作品18 D145 の真の姿



  1. 12のワルツ

  2. 6つのエコセーズ

  3. 17のレントラー

  4. 3つのエコセーズ


 これが正しい! 初出版(1823.02.05)以来、170年以上経過して初めて「オリジナル復刻」ができたのである。 > ベーレンライター新シューベルト全集


 それまでは、

  1. 12のワルツ

  2. 17のレントラー

  3. 9つのエコセーズ ← まとめて最後に置かれたと信じられていた!


と誤解されて来た > ブライトコプフ旧シューベルト全集以降の全ての楽譜で!
「ウィーン原典版」は、前半6曲のエコセーズを飛ばしてしまう愚挙を残した、あちゃーーーーーーー!


 ベーレンライター新シューベルト全集の曲順で聴くと、「ワルツ → エコセーズ で退場」また新たに「レントラー → エコセーズで退場」の雰囲気が伝わって来る。つまり

12のワルツは1つのまとまりで一旦退場、17のワルツも1つのまとまりでここでも退場


と言う「1823年当時の舞踏シーンがそのまま再現」されるのである。


 「シューベルトのオリジナル通り」の演奏会は日本では過去に無いハズ > 「音楽の友」を過去30年以上購読しているが。
 世界ではどうなのでしょうかね?


 明日は「舞曲 作品18 D145」の「作曲時期」について述べたいと思います。
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舞曲 D145 について(No.1637)

2009-02-24 19:16:04 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 この曲集については、「シューベルトファン」の私高本としては頭を抱える事象が次から次へと現れ、信じられない思いである(爆

ベーレンライター新シューベルト全集で「初めて解った初版の楽譜」 = D145


 シューベルト「2集目の出版舞曲集」は、何故だか知らないが、楽譜編纂者からは軽視され続けて来た。何で?
 特にムゴいのが「ウィーン原典版」だ! 6曲ほど、勝手に削除されている > 旧シューベルト全集 に原典が明示されているにも関わらず!

D145の舞曲全曲を弾きたい方 → ベーレンライター新シューベルト全集 または ヘンレ版 を購入のこと!


だけはここで伝えたい。「ウィーン原典版全体の中での最大の汚点」がここにあるのだ!!!
 他の曲はそれほど悪くない編集 = ウィーン原典版「舞曲」全2巻 なのだが、校訂者ヴァインマン が「他とは違う楽譜作り」に肩に力が入り過ぎたようだ。
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岡原慎也のシューベルトの素晴らしさ(No.1636)

2009-02-23 20:02:05 | ピアニスト兼指揮者・岡原慎也
 「岡原慎也の演奏を知ってますか?」

 ブログ読者全員に伝えたい。私高本はこの人と出会っていなかったら、最小に言って「シューベルトへの粘着」は一切無かったと思う。「シューベルト生誕200年 = 1997年」の年末に、それはそれは一瞬の奇跡で起こった出会いであり、「私高本の人生の根本を変えた」日であった。1997年12月7日。音楽之友ホール。岡原慎也(ピアノ) & ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)「シューベルト:冬の旅」。当時主催していた「デイリー」で推薦コンサートにした演奏会の1つ。岡原慎也は、以前に「ヘルマン・プライの冬の旅」で聴いていたので、その素晴らしい安定性は確信していた。だが、バリトンのヘンシェルは全く知らない。「きっといいのだろうな!」の期待で推薦した。


 ちなみに裏を明かせば、「新国立劇場:ヘンゼルとグレーテル」がこの日に公演が入っていたのに(バカ官僚どもが日程調整失敗して)日程が開いた日である。アホか!!!


 ・・・で、始まった瞬間 = まだ「ヘンシェルの声が出ていない時」に背筋が「ゾクッ」とした。「岡原慎也はこんなにうまいピアニストだったっけ?」


 終曲の第24曲まで、ヘンシェルも岡原慎也も素晴らしい演奏を続けてくれた。それまでの「私高本の音楽人生」の中で、これほど感動した演奏会は(ウィーン国立歌劇場のアバド指揮「フィガロの結婚」も含めて)無かった。終演後、ボロボロ涙を流して席も立てなかった私高本を「時間ですから」と移してくれたのは、ホールの方。ありがとうございました。放心状態で帰ろうとしたら「もし時間があるならば、すぐ向かいでささやかな打ち上げがあるから、ヘンシェルや岡原慎也に一言言って下さい」と言われて、そのまま向かった。


 私高本の「シューベルト感性」が磨かれたのは、この瞬間だった。それまで、リストとかモーツァルトにも大きな魅力を感じていたが、この瞬間に私高本の人生が決まったと思う。今でも「岡原慎也 + ヘンシェル」には感謝している。今年、(何年ぶりになるだろう?)共演が日本で聴ける!!


 あくまでも、私高本情報では「日本全体で2公演」とのこと! マジでそんなに少ないのですか? ヘンシェルは パりオペラ座でひっぱりだこ! 岡原慎也は 大阪で 東京で ひっぱりだこ! スケジュールが合わなかったのかも知れない(泣

 この4月の「ヘンシェル + 岡原慎也 の マーラー + シューベルト」は聞き逃さないで下さい > 声楽のピークはピアニストほどは長くないし!
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D946 について その5(No.1635)

2009-02-22 22:39:57 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
D946/1 の終曲方法について記載する。

 ブラームスは「Allegretto の終曲」を「変だ!」と思い、どこからか D946/3 を見付けてきて、合成して出版した > 1868年。
 その時に ついでに D946/1 に1小節作曲して足して置いた。140年以上、佐伯周子 以外の全てのピアニストが「疑うことなく弾いた架空の1小節 = ブラームス作曲の1小節」である。 私高本は「ブラームスの音楽」も好きだが、このブラームスの措置には我慢ならない。シューベルトの音楽を損なっているからだ!
 昨日号に書いた通り

「D947 + D951」と同じように第1曲も第2曲も終曲すると仮定すれば、『第1曲の終曲 = f~fff』になる


である。
 これを実現するためには

  1. 新規補筆
  2. (終結部の)削除

のどちらかが(現行楽譜に比べれば)必要になる。この結論に関しては、もう少しお時間を頂きたい(爆
 明日からは「D845」と「D145」について語る。『ちょうど 700番違うドイチュ番号』も何かのご縁! と思いプログラミングした次第である(爆
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D946 について その4(No.1634)

2009-02-21 22:29:28 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 昨日号の続きである。

「D946/1&2」とピアノ連弾曲「D947 + D951」は瓜二つの双生児作品


D946 を「3作品の連作」を思っている限り、この秘密は解けない。「2作品の連作(+ 前に書かれた別の1作品)」と記述されている 『ドイチュ:シューベルト作品主題カタログ旧版(1951)』または『新シューベルト全集:ピアノ小品集II』を熟読してから、『ドイチュ:シューベルト作品主題カタログ』をじっくり読めば納得頂けるだろう。

連弾曲 D947 + D951



  1. D947 は1828年5月、D951 は1828年6月で連続した作品の可能性大

  2. 「イ短調 + イ長調」で同主調

  3. 同じ2拍子(D947 = 2/2, D951 = 2/4)

  4. Allegro + Allegretto

  5. リズミックな第1曲、抒情的な第2曲

  6. ff で終曲の第1曲、pp で終曲の第2曲


となっている。D947 は生前に出版の目途が立たず、死後出版(1840)された後、自筆譜が紛失している。筆写譜が残っており、作曲時期が特定されている。 D951 はシューベルト自身が出版の手筈を全て整え、シューベルト自身の死後1ヶ月経たない 1828年12月11日に「作品107」をシューベルト自身に振ってもらい、アルタリア から出版された。自筆譜も残っています。
 「D947 が第1楽章で、D951 が終楽章の連弾ソナタの可能性極めて大」は、以前から強く主張されて来ているのですが、どこをどう探しても「中間楽章が見当たらない」ことが摩訶不思議に思われてきた2曲です。

 では、D946/1&2 を「2曲連作作品」として見てみましょう。

D946/1&2



  1. 第1曲冒頭に 1828年5月

  2. 「変ホ短調 + 変ホ長調」で同主調

  3. 同じ6拍子(D946/1 = 2/4 表記だが実質は 6/8, D946/2 = 6/8)

  4. Allegro + Allegretto

  5. リズミックな第1曲、抒情的な第2曲

  6. ●● で終曲の第1曲、pp で終曲の第2曲


となる。第1曲の終曲以外は極めて似ていることがお解り頂けることと思う。
 シューベルトは「mf で終曲」は極めて少ない作曲家である。ピアノソナタ変ホ長調D568第3楽章メヌエット くらいしか、パッとは思い出せない。
 ブラームス提唱の「p 終曲」は、

第1楽章終結と終楽章終結はできる限り変えるシューベルトの多楽章楽曲の原則



に当てはまりません。「第1楽章も終楽章も ff終曲(または pp終曲)」はありますが、終曲の雰囲気は全く異なる曲ばかりです。
 ブラームス提唱の「p 終曲」は「ブラームス風」であっても「シューベルト風」には感じ難いのです。そのためか、ブラームスは「D946/3」を終曲に持って来る(私高本の眼から見ると)相当無理な構成にした。


 1822年11月に「さすらい人幻想曲」D760 を作曲して以来

シューベルトは従来のソナタ楽曲と異なる「新たな多楽章楽曲」の開発


に精魂込めて取り組んでいた。明白な曲だけでも

  1. 「さすらい人幻想曲」D760 作品15(1822.11)

  2. 「しぼんだ花による変奏曲」D802(1824.01)

  3. 「華麗なるロンド」D895 作品70(1826.10)

  4. 「グラーツ幻想曲」D605A(1827.09?)

  5. 「序奏と変奏曲」変ロ長調D968A(1827秋以降?)

  6. 幻想曲ハ長調 D934(1827.12)

  7. 幻想曲ヘ短調 D940 作品103(1828.01-04)

  8. 「2つのピアノソロ曲」D946/1&2(1828.05)

  9. 「2つのピアノ連弾曲(もしかしたら2楽章ピアノソナタ)」D947+D951作品107(1828.05-06)


 分野として

  1. ピアノソロ
  2. ピアノ連弾
  3. ヴァイオリンとピアノ

だけに集中しているのも特徴。弦楽四重奏曲や交響曲の世界では「最後の最後まで従来型」に徹したシューベルト。ピアノソナタも最後の最後は「従来型」だった。だが、これらの名作が後世に大きな影響を与えたことは間違いなく、もしシューベルトがいなかったら、リストのロ短調ソナタも生まれなければ、フランクのイ長調ヴァイオリンソナタも生まれなかったことだろう。


 そしてもう1点指摘しておきたい点を!

D951 だけ「ロンド」として出版したシューベルトは、「売れるならば D946/1 または D946/2 の単独出版も了解したハズ


と言う点。
 この辺りは「芸術 と 実生活のバランス」をどう取るか? である。連弾ホ短調ソナタD823 と ソロ ト長調ソナタD894 を滅茶苦茶な形で出版されたシューベルトとしては、今さら細かなことには1826年以降は拘らなかった様子である。「即興曲集第1集D899」も半分だけ出版される! と言う異様なスタート。こんな状況の中で作曲されたのが、D946/1&2 である。

 D946/1&2 については、明日もう1本書きたい。
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D946 について その3(No.1633)

2009-02-20 13:13:09 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 D946/1 について「D946/2 と続けて演奏する時に、終結部はどのような形をシューベルトが想定していたのだろうか?

最初に明確にする必要があるのは「D946/1 の最終小節 = 2分音符のフェルマータ小節」をシューベルトは作曲していないこと!


である。「誰が作曲したの?」ですか?

ブラームスが補筆作曲した小節 = D946/1 の最終小節


である。1868年の初出版の時のことであるから、140年以上前のことである。ブラームスが手本にした曲も明らかだ!

ブラームスは「D946/1 ≒ D946/2」と考え、全く同じ手法を転用した


である。
 「ブラームスの解決法」は1つの例であり、『ブラームスの解釈』である。ブラームスの解釈は

  1. D946/2 は「終曲では無い」。続きがある

  2. シューベルトは『書き忘れがある』


という2つの大前提で補筆完成版を作成した。1868年当時は「楽譜の質を科学的に検証する手法」などは不可能だったから、やむを得なかったのだろう。しかし「21世紀からの目」だと、少々整合性が取れていないように感じる。

D946/1&2 は連弾曲「D947 + D951」と瓜二つの双生児作品


 この件について掘り下げて見たい。
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D946 について その2(No.1632)

2009-02-19 16:12:35 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 本日は D946/1 の「削除問題」について書く。
1868年に初出版されて以来、1回の例外を除き、1984年にベーレンライター新シューベルト全集が出るまで、D946/1 は「5部形式の曲」として印刷されてきた。脚注に「シューベルトがカットした」が入っているが。
 そのたった1回の例外 = ブライトコプフ旧シューベルト全集(1888) である。つまり

新旧「シューベルト全集」は、「3部形式の曲」として出版


である。
 内田光子が 1984年にベーレンライター新シューベルト全集した後、激怒して「ベーレンライター新シューベルトは全く役に立たない」旨を発言していることなどから、日本では新シューベルト全集使う人はほとんどいない様子(爆


  1. BA5615 「楽興の時、ハンガリーのメロディ、アレグレット、3つのピアノ曲」廉価普及版(黄色) ← 内田光子購入

  2. BA5521 「新シューベルト全集VII/2 ピアノソロ第5巻 小品集II」青灰色 ← 佐伯周子が弾く版


であり、注釈なども相当に後者の方が詳しい。校訂報告にて、カットされた「C」の部分も全部印刷されている。


 正規版の青灰色の新シューベルト全集(佐伯周子が弾く方)でも、D946 は最重点曲になっているようで、

  1. 自筆譜写真3葉掲載

  2. カットした「C」部分を校訂報告で全掲載


と VIP扱いである。
 D946/1&2 自筆譜には、署名と年月(1828.05)は掲載されているが、曲名は無い。書き始めた時に、「単独曲」のつもりだったのか?「小品集」のつもりだったのか? これも断定はできない。 D605A「グラーツ幻想曲」のような曲にする可能性も否定できないのだ。D946/1 は

A → B(ダカーポ指定) → A → C(ダカーポ指定) → A

を書き上げてから、「C」を削除指定した。その結果、3度目の「A」も削除された。そしてスグに D946/2 が書かれている。D946/2 も

A → B(ダカーポ指定) → A → C(ダカーポ指定) → A

で作曲されている。全く同じだ!!
 D946/1&2 を「カットした部分も合わせて通して弾く」と、

  1.  第1番の「第1エピソード」と「第2エピソード」の雰囲気が似ていて「第1エピソード」の方が表情豊かな上に細やかな感触
  2.  第1番第2エピソードは、終止ピアニッシモなので、ダイナミクスの変化に乏しい
  3.  少々長い感じがする
  4.  4つの挿入エピソードを比較すると削除した D946/1 の第2エピソードはやや魅力不足

とシューベルト自身が感じたのだろう。ピアノ3重奏曲変ホ長調作品100 D929 の第4楽章でも大巾なカットを行ったばかりだったシューベルトは、D946/1&2 でもカットを断行したのである。
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D946 について その1(No.1631)

2009-02-17 16:48:28 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
佐伯周子のベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会の次回プログラムは、

  1. 2つのピアノ曲 D946/1&2(最終稿。第1番終結は新しい形。世界初演)

  2. ピアノソナタ第16番イ短調 作品42 D845

  3. 12のワルツ、17のレントラー、9のエコセーズ 作品18 D145(オリジナル版日本初演)


である。8/12(水)JR上野駅公園口スグの東京文化会館小ホール。暑いさかりである。


 3曲全てが「楽譜に拠り、大きく異なる楽曲」ばかり並ぶ。最も違いの大きい曲 = D946/1&2 から述べて見たい。

「第3番」と「第1番+第2番」が同じ曲なのか? > D946


  この曲の「新シューベルト全集の普及版」は日本で容易に手に入る。 ヤマハミュージックメディア刊「シューベルト ピアノ作品集 第一巻 即興曲・楽興の時」 である。日本語に訳してあるので、ドイツ語辞典不要なのもうれしい。
 D946 は「没後出版曲」なので、問題が少ないか? と思う人もいるかもしれないが、

シューベルト全楽曲中、最も楽譜問題の大きい曲の1つ = D946


である。う~ん。D760以降のピアノソロ曲では間違い無く「最も問題作」なのである。問題は大きく分けて2つ存在する。

  1. 「第3番」と「第1番+第2番」が同じ曲なのか?

  2. 第1番は、結局どのような形をシューベルトは考えていたのか?


 この2点。本日は第1点のみについて語る。


 論点ははっきりしている。

  1. 「第3番」 ≠ 「第1番+第2番」

  2. 全3曲が同じ曲集


 この2つしか結論は無い。私高本が過去全ての録音&ナマ演奏で「上の立場」を明言した演奏家は、「音楽の友」誌上の演奏会情報欄でさえ出会っていない。今度の 8/12 の佐伯周子の演奏会が日本では初めて、と推測される。録音上も輸入盤を含めて皆無である。
 これまでのところは「下の立場」が全てであった。


 ・・・で、楽譜資料を読むと、これが完全に逆転しているのだ!

  1. ドイチュ著「1951 シューベルト主題カタログ初版」で、『第3番 の方が、第1番よりも先に作曲されただろう』と明記

  2. バドゥラ=スコダ著 ウィーン原典版「即興曲,楽興の時,3つピアノ曲 1969」序文で『第1番よりも先に第3番が作曲された,とされているが、これはありそうもないことである。』

  3. デュル著「ベーレンライター新シューベルト全集ピアノ小品集第2巻 1984」で『これら3作品のすべてが同時期に書かれたかどうかは、まったく定かではない。(中略)手稿では、そのすぐあとに第2の作品が続いている。それから空白の2ページがあり、第3の作品は別の用紙に異なった書式で書かれており、日付が記載されていない。(中略)ロバート・ウィンターの用紙研究に拠ると、第3曲は1827年に属する。(脚注)第3曲は、1827年秋の作品群であろう。』


が主な論点である。
 つまり、ドイチュは「第3曲は第1&第2曲」とは別の作品と推測し、作曲時期も第3番の方が前、と 1951年 の時点で主張していた。但し、「D番号」は3曲まとめて「D946」を振った。
 その後、ピアニストとしてばかりでなくシューベルト研究者としても著名な バドゥラ=スコダ が校訂楽譜で最も著名な「ウィーン原典版 1」の名誉に浴した楽譜にて、「3作品は同じだ」と主張する。
 1984年に刊行された「ベーレンライター新シューベルト全集 ピアノ小品集2」では、ドイチュの先見性を後の研究者たちが裏付けた形になっている。しかし、第3番が「どの作品集に属しているか?」が 1984年当時、確定できなかったので、3曲まとめて「D946」のままに出版されている。

<結論>

D946/1&2 で1つのまとまった作品1828年5月作曲。D946/3 は1827年秋作曲の別作品だが所属が未確定



佐伯周子 は「新シューベルト全集」の解釈に従い、D946/1&2 を独立した作品として演奏します。
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佐伯周子のシューベルト ニ長調ソナタの演奏について(No.1630)

2009-02-15 20:26:39 | ピアニスト・佐伯周子
 「シューベルトの楽譜通り」の方向で言ったら、空前絶後の演奏だった > もちろん「良い演奏」の意味

 私高本自身「当日の直前リハーサルとは別人の素晴らしい演奏」に唖然とした。同一人物かよ? > 佐伯周子???

シューベルト本人に聴かせたかった演奏 = 佐伯周子のD850



である。 シューベルトは「ドイチュ番号は知らない」って? そりゃそうだ!!!
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シューベルト完全全曲演奏会第5回を終えて(No.1629)

2009-02-14 17:55:08 | ピアニスト・佐伯周子
 私高本が「ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会」と言う「ドンキホーテに相当する無謀な計画」を練ったのは、2004年3月のことだったと記憶している。2003年末にカワイ表参道店(当時は青山店だったと思う)に発注していた 新シューベルト全集「ピアノソナタ第2巻」を購入できたのは確か3月だった。まだ寒かったことを覚えている。
 ブライトコプフの旧シューベルト全集では「完全全曲演奏会」が無理なことは、シューベルトを聴き始めた1978年からわかっていた。いろいろと「旧全集の不備」情報は得ていたからだ。1997年に

新シューベルト全集に拠る 作品主題カタログ新盤1997


を入手してからは「新シューベルト全集刊行」までは完全全曲が無理なことははっきり理解していた。雌伏7年。ついに「ピアノソロ最終巻」が出版された。
 私高本は当時44才。日本人男性の平均寿命の半分以上も生きていた。決して長命な家系でない上(爆
自分自身が医者から面と向かって「持病でいつ死んでも不思議では無い。」と宣告され(→ 25才の時!)ていたので、「ライフワーク」として『シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会』は実行することを決めていた。とてつもなく長い長い連続演奏会なので最終回は自分が聴くことができるかどうかさえ不明。そんな演奏会だった。(持病は治らないから今も同じか・・・)

誰に「シューベルト完全全曲演奏会を頼むか?」


 随分悩んだ。1ヶ月以上悩んだ。2ヶ月だったかも。自分自身も全くワケがわからん曲もある。(D309A とか D348 とか D349 とか)舞曲については、モーリス・ブラウン の主張は「頭ではわかるが、どのピアニストも決して弾かない事実」も知っていた。前途多難だわ(爆
 いろいろなピアニストの音が頭を駆けめぐりすり抜けて行った。そして自分自身で「この人に託そう」と思ったピアニスト = 佐伯周子 である。ちなみにその時に頭に浮かんだ音は「スクリャービン : ピアノソナタ第2番作品19」だった(爆
 当時、洗足学園音楽大学4年生になったばかり。楽譜を見せたりしながら「シューベルト完全全曲演奏会」を誘った。紆余曲折あったが、無事に第1回を快諾頂きその年の8月に第1回を実行した。2004年8月のことである。録音を聴いて愕然とした。「ピアノとの相性が最善では無い!」からである。あ~ぁ。

佐伯周子のシューベルトの最大の魅力 = ピアニッシモの美しさ!


である。彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール設置のスタインウェイは「フォルティッシモの美しさ」はあるのだが「ピアニッシモの美しさ」はベーゼンドルファーに比べ、はっきり劣る。う~ん、どうするか???
 佐伯周子 と打ち合わせをして、会場を「東京文化会館」に移すことを決意。だが採択されるまでに「第1回から数えると丸2年の月日」が掛かった。これはひとえに私高本の力不足。梶本音楽事務所やジャパンアーツ所属ピアニストであれば、相当に早く実現できたハズである。 > 東京文化会館公演
 第2回以降を東京文化会館小ホールに移してからの佐伯周子は「大曲は素晴らしい演奏」を続けてくれた。小曲にややムラがあったが > D655 とか
 第4回までの演奏も(大曲は)素晴らしかった。


 さて、一昨日の第5回の演奏会である。聴衆の皆様の素直な反応は以下の通りであった。

  1. 冒頭3曲の舞曲については一切感想を頂かなかった。良くも悪くも無かったのだろう。

  2. ピアノソナタ第17番ニ長調作品53D850 については絶賛

  3. 即興曲集作品90D899 も大好評


であった。佐伯周子 の力である。
 「変ロ長調ソナタD960(=最後のソナタ)はまだか?!」とかのお叱りは多いが、遠くない時期に演奏の予定。今回も「アンコール予定曲一覧の中には入っていた」のだが、アンコールには D784/2 を弾いた。この楽章も名曲中の名曲で、拍手が鳴り止まなかった。
 個人的には「冒頭3曲の舞曲もベスト演奏」と感じたが、やはり「曲の魅力」がやや薄かったかもしれない。

ニ長調ソナタD850 の演奏は過去最高のト長調ソナタD894 をも凌駕した!


が実感。素晴らしい演奏だった。佐伯周子 と 聴衆 の皆様に感謝するばかりである > 静寂の中での演奏が、短かった後半でさえも 40分弱続いたから!
 シューベルトファンにもいろいろな方がいる。「冬の旅D911」だけ詳しい方や「ピアノソナタ変ロ長調D960」だけ詳しい方がいる。D911 や D960 については、もちろんその方の方が詳しいのだが、不思議なことに 「美しき水車小屋の娘 D795」も「白鳥の歌 D957」も詳細は全く知らなかったり、ピアノソナタ第20番イ長調D959 も詳細は全く知らなかったりする。信じられん(爆


 私高本が「シューベルト観」を定めたのは、岡原慎也 + ヘンシェル の影響が大きい。1997年 = シューベルト生誕200年 の年の年末に出会った → 岡原慎也 + ヘンシェル。
 この2人に会わなかったら「今の私高本」は存在しないだろう。 この2人の演奏会が今年4月にある。もちろん聴きに行く > 佐伯周子と共に。


 質の高い演奏を続けてくれる 佐伯周子 には感謝するばかりである。
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2/12のアンコール曲(No.1628)

2009-02-13 10:49:00 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 昨日はお寒い中をご来場頂きありがとうございました。

アンコール曲 = シューベルト:ピアノソナタ第14番イ短調D784 第2楽章
「アンダンテ」


でした。
 次回は 8/12(水) で

  1. ピアノソナタ第16番イ短調 作品42 D845「第1グランドソナタ」

  2. 2つのピアノ曲 D946/1&2(最終稿。第1番終曲は新しい形。世界初演)

  3. 12のワルツ、17のレントラー、9のエコセーズ 作品18 D145(オリジナル版日本初演)


 ご来場を心よりお待ちしています。
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2/12の曲順決定しました(No.1627)

2009-02-11 21:14:03 | ピアニスト・佐伯周子
標題の件は以下の通りになりました。

  1. コティオン 変ホ長調 D976

  2. ワルツ 変イ長調 D978

  3. 10のエコセーズ D977 + D145(オリジナル型日本初演)

  4. ピアノソナタ第17番ニ長調 作品53 D850「第2大ソナタ」

  5. 即興曲集 作品90 D899


 「当日券あり」です。「学生券」もあります。アンコールも佐伯周子は用意しています。盛大な拍手があったら演奏するとのことですが、どうなることやら?(爆
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『交響的な響きがする』</(No.1626)

2009-02-10 22:29:10 | ピアニスト・佐伯周子
佐伯周子のプログラムを全部聴いたことは前前号に書いた。文章があまりパッとしない。最も大切なことを言い忘れていると思った > 前号の「シューベルトの舞曲の特徴」を書いて。

佐伯周子の弾くシューベルトは『交響的な響きがする』


 佐伯周子のシューベルトは

  1. ピアニスティックであると同時に

  2. 交響曲的な色彩感があり

  3. 禁欲的な曲想では「弦楽四重奏曲」的な同質感が保たれる


が特徴。ショパンのように「生涯の95%以上をピアノソロ曲だけ作曲」という作曲家ならば「ピアニスティックさ」が最重要になるかもしれない。しかし、シューベルト のピアノ曲の場合、「交響曲」「弦楽四重奏曲」などは「ピアノソナタ」と並ぶ器楽曲の柱である。
 シューベルト の場合、手本にした「ハイドン」「モーツァルト」「ベートーヴェン」よりもさらに「ピアノソナタは交響曲的色彩 & 弦楽四重奏曲的統一感」が内在しているようだ。
 ピアノソナタ第17番ニ長調作品53D850「第2大ソナタ」 は、交響曲「グレート」の姉妹作品であり、この傾向が特に強い!

アーティキュレーションの鮮明さ が他のピアニストを圧倒的に寄せ付けない魅力!


である。
 お時間のある「シューベルトファン」は是非聴きにいらっしゃって下さい > 2月12日19:00 JR上野駅公園口スグ 東京文化会館小ホール「佐伯周子 シューベルト完全全曲演奏会第5回」
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シューベルト舞曲の特徴(No.1625)

2009-02-09 22:53:24 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 明後日、佐伯周子 は シューベルト舞曲を 3拍子系と2拍子系両方弾く。「他の作曲家の舞曲」に比べてどのような特徴があるのかを記して見たい。

シューベルト舞曲の特徴



  1. 「作品番号付き曲集」は相当に大規模で「36のワルツ」「34のワルツ」などは時間的にも30分を越える大作である。他の作曲家にはこれだけの規模の「曲集」は無い。

  2. 1つの曲は短く、8 - 32小節が大半。最も長くて64小節。これは逆に短い。

  3. 「A-B-A-C-A」と2つのトリオを持つ「5部形式」はあるが、それ以上込み入った構成は無く、ウェーバーやショパンやJ.シュトラウス2世のような「超人気作」は21世紀現在は無い

  4. 「単独曲の組合せ」について、他の作曲家よりも自由自在は柔軟な考えを持っていた

  5. 毎シーズン「新規舞曲」の注文が舞い込んでくる「当時の人気作曲家」であった

  6. 並行調への転調は頻繁で、冒頭と終結で並行調へ転調していることは、他の作曲家に比べ多い


 ウェーバー「舞踏会への勧誘」、ショパン「華麗なる大ワルツ」、J.シュトラウス2世「ウィーンの森の物語」、ラヴェル「ラ・ヴァルス」に匹敵する人気を21世紀現在では保っていないことは認めよう。上記4曲は、相当に込み入った構成であり、シューベルトの「36のオリジナル舞曲」では、超人気作であった「悲しみのワルツ」は2曲目に出て来ただけで、再現されない。上記4曲は冒頭主題は必ず回帰する。
 時代の問題では無い。ウェーバーはシューベルトよりも11才年上の「同時代人」だからだ。


 ・・・で、個々の曲の魅力について詳細に聴いて見ると、シューベルトが「作品番号」を振って出版した作品群は素晴らしい曲が多いことはもちろん、作品番号を振らずに出版した作品(例えば D976,D978)も素晴らしい作品。ただ「時間的にあまりにも短い」だけである。特に D978 は「単独舞曲の名作!」と呼びたいほどの名曲。未出版の曲にも名曲は多いぞ(D790/1とか)
 「ドイチュの作品主題カタログ」だけを見ていても、「シューベルトの舞曲の魅力」はわからない。私高本がお薦めするのは

ご自分で「シューベルトの通り」に弾いて見る


である。
 ヘンレ版楽譜を購入して、「MS.」をきちんと把握しさえすれば、抜けている曲の情報は全てわかる。ドーヴァーから出ている「ドイチュ:シューベルト作品主題カタログ復刻版」で、その全容の90%は掲載されている。(新シューベルト全集「舞曲第1巻」を購入すれば全て解決しますが、4万円掛かりました。今は円高だからもう少し安くなっているかも知れません。)
 細かなことが面倒くさい人は「佐伯周子 ベーレンライター新シューベルト全集に拠る完全全曲演奏会」を聴いて下さい。第5回と第6回も舞曲を弾きます。
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