Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

『作品18』はいつ『出版用に作曲』されたのか?(No.1662)

2009-06-30 19:07:09 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 極めて大切なことなのに、ほとんど誰も触れていないことがある(爆
標題の件だ。「作品18」は38曲の舞曲から成る作品。「作品9」よりも曲数自体では多く、かつ

作品18 = シューベルト生前に出版した「舞曲集」中の最大曲数


である。
 極めて力の入った曲集だったのである。ちなみに前回佐伯周子が演奏した ニ長調ソナタ作品53D850 の出版後は、舞曲集の作曲には 作品50「高雅なワルツ」までほどは力が入らなくなる。「大家」になったからだ!

出版楽譜用に「作曲」された時期が特定されていない曲 = 作品18


である。この困難な問題に ドン・キホーテ のように突進する(爆
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1825年5月に何を作曲していたのか?(No.1661)

2009-06-29 03:13:44 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
D946/1&2 のちょうど3年前 = 1828年5月 に「第1グランドソナタ」D845 は作曲された。この当時はどのような曲を作曲していたのだろうか? > シューベルト
 例によって、「シューベルト主題カタログ」新版(1978)の D845 前後を開く。


 う~ん、唸る。たった1作品しか無い! つまり

1825年5月作品 = 「第1グランドソナタ」イ短調作品42 D845


と「シューベルト主題カタログ」新版には掲載されている。
 確かに「初出版のピアノソロソナタ」なので、全力を挙げた! って可能性は否定はできない。だが

シューベルトの気質 = 複数の大曲を同時に作曲する方が常態化


からすると違和感を覚える。
 「シューベルト主題カタログ」だけでなく、他の資料も総ざらえする(爆


「シューベルト後期」は1825年3月の「グレート」作曲で開始される!


を思い出す。自筆譜コピーはあちらこちらに写真版で見ることができる。

  1. Marz.1825 を

  2. Marz.1828 に必死に訂正した後が鮮明な「浄書楽譜」


である(爆
 作曲完了時期は(D960 と異なり)明記されていない。状況証拠としては

交響曲ハ長調「グレート」D944第2楽章 & 第3楽章 は ピアノソナタ第17番ニ長調「第2グランドソナタ」D850 と同時期の作曲 と推測


される。D850 は 1825年8月作曲と署名されている。
 D944 と D850 は「第4楽章は全く違う感触」なので、おそらく作曲時期がずれているだろう。どちらが先だかは断定はできないモノの

第1楽章が後から作曲されてスピードが追いついた D850 の第4楽章が先に作曲完了された確率の方が圧倒的に高い!


と考えられる。


 もう1回、冒頭に戻ろう。

1825年5月作品 は、「グレート」D944 と 「第1グランドソナタ」D845


が、ほぼ間違いなく正しいようだ!
 「人生最大の交響曲」と同時期に「初出版のピアノソロソナタ」が作曲され、充実度はますます上昇していった時期に当たる!
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1828年5月に何を作曲していたのか?(No.1660)

2009-06-28 13:25:53 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
D946/1&2 は、シューベルトピアノ曲自筆譜の中でも、「粗い」書法である。何をそんなに急いだのだろう?


ドイチュ「シューベルト主題カタログ」新版(1978)を開く。D946 前後を見る。1828年5月に「作曲が確定した曲」は以下の通り。

  1. ピアノ小品 D946(カタログでは「3曲」扱い、楽譜では「2曲のみ1828年5月」

  2. 連弾のためのアレグロ イ短調 D947

  3. 「聖霊賛歌」:「男声4重唱 + 合唱」版D948 & 「男声8重唱 + 合唱 + 管楽器伴奏」版D964


となっている。他の作曲家ならば充分な作曲量かも知れない。しかし「後期シューベルト」としては随分少ない感触だ。そんなハズは無い!


 直前の時期に作曲していたのが、幻想曲ヘ短調D940 である。

  1. 下書き 1828年1月 の日付
  2. 完成浄書稿 1828年4月 の日付

となっており、4ヶ月の月日を費やしたことが判明している。

「下書き」には「日付を入れない」が 後期シューベルトの基本習慣


であり、幻想曲ヘ短調D940 は貴重な例外である。
 「少々後に作曲したことになっている作品」4作品には、大量の下書きが遺されている。

  1. ミサ曲第6番変ホ長調 D950(1828年6月が浄書譜)

  2. ピアノソナタ第19番ハ短調 D958(1828年9月が浄書譜)

  3. ピアノソナタ第20番イ長調 D959(1828年9月が浄書譜)

  4. ピアノソナタ第21番変ロ長調 D960(1828年9月が浄書譜)


幻想曲ヘ短調 D940 に4ヶ月掛かったことを考えるとこの4曲が1828年5月には既に手が付けられていた可能性は極めて高い。特に、ミサ曲 D950 は、1827年9月27日に出版された 「バスとピアノのための3つの歌曲」作品83 D902 の自筆譜の続きに下書きが遺されているから、随分早い時期に手掛けたようだ。

D960第1楽章第2主題 は、D946/2第2エピソード に極めて似た箇所


をここに指摘しておく。「姉妹作」と呼んで差し支えないだろう。


 自筆譜が存在しない曲についても考察してみよう。

弦楽五重奏曲ハ長調 D956


 10月2日には既に完成しており、ライプツィヒのプロープスト宛へ売り込んでいることは判明している。ピアノソナタ以上に月日を掛けて作曲した可能性が大きい。

D956 第3楽章の構成は D946/1 を拡大した感触


なことをここに指摘しておこう。6拍子と3拍子の「書法の違い」はあるのだが、聴感上は極めて似ている。

ピアノ三重奏曲変ロ長調作品99 D898


 ベーレンライター新シューベルト全集で「ピアノ三重奏曲変ホ長調作品100 D929」より後に作曲されたと断定され順番が逆にされた時は、違和感を覚えた人が多かったことと推測する。「作品99」は、死後の1836年出版だが「作品99」はシューベルト自身が付けた可能性が高いからだ。
 1828年2月9日現在では、D898 は完成していなかったと考えられている。楽譜出版社との交渉に全く出て来ないからである。そして1828年10月の売り込み時には既に掲載されていないので、3月~9月の間に 完成 → 売り込み成功 した可能性が高い。
 第4楽章が D959 と D960 に似た構造(コーダで Presto)になっており、遅い時期の作品の可能性が高い。


 まとめてみよう。1828年5月に作曲されていた作品は

  1. ピアノ小品 D946/1&2

  2. 連弾のためのアレグロ イ短調 D947

  3. 「聖霊賛歌」:「男声4重唱 + 合唱」版D948 & 「男声8重唱 + 合唱 + 管楽器伴奏」版D964

  4. ミサ曲第6番変ホ長調 D950(1828年6月が浄書譜)

  5. ピアノソナタ第19番ハ短調 D958(1828年9月が浄書譜)

  6. ピアノソナタ第20番イ長調 D959(1828年9月が浄書譜)

  7. ピアノソナタ第21番変ロ長調 D960(1828年9月が浄書譜)

  8. 弦楽五重奏曲ハ長調 D956

  9. ピアノ三重奏曲変ロ長調作品99 D898


の9曲が最大で考えられる。作曲順はよくわからない。また9曲全てが「1828年5月」に作曲中だったかどうかもわからない。但し ミサ曲D950、変ロ長調ソナタD960、ピアノ三重奏曲変ロ長調D898 は作曲中だった可能性が極めて大きい。


 これだけを同時進行で作曲していたならば、D946/1&2 の自筆譜が粗くなったのも無理は無いか!!!
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D946 について その6(No.1659)

2009-06-27 05:07:39 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
2月22日号 の続きである。


 ベーレンライター新シューベルト全集ピアノソロ小品集2(BA5521)に

  1. D946/1 の「主部終結部 + 第1エピソード冒頭」の自筆譜写真版
  2. D946/1 の「第1エピソード終結部 + 第2エピソード冒頭」の自筆譜写真版

が掲載されている。この2つを見比べると

  1. シューベルト自身は「ダカーポ再現部」は再度は書いていない。『D.C.』指示のみ

  2. 第2エピソードに飛ぶには第113小節から飛ぶように指示

  3. 「エピソードに行かない時は、第109a小節から反復」


と読み取れる。『Fine』の指示はどこにも無い。(これが混乱の原因!)
 現行の原典版楽譜は全てが全て「ダカーポ再現部を繰り返し無しで再度(または再三)印刷」している。私高本は『1868年世界初版楽譜』を見たことが無いのだが、1888年の旧シューベルト全集では既に「再印刷」している。その後の原典版楽譜全てが「再印刷 or 再三印刷」になっている。これは他の曲でも多々あることで、スケルツォ楽章ではよくあることだ。例えば D850 とか D935 とか。


 シューベルトの楽譜ばかり見ている私高本の眼では

  1. 「シューベルトの感覚」では『エピソードに進行する時 → 2番カッコ』

  2. 『エピソードに進行しない(= 繰り返し or 終曲)時 → 1番カッコ』


に見える。この手の「1番カッコと2番カッコ」問題で最も有名な曲は ピアノソナタ第21番変ロ長調D960 第1楽章だろう。繰り返しの有無についてはピアニストの皆様が各自各論持っていらっしゃるが「1番カッコを弾きたいならば繰り返す」ことになる。「コーダ有り」の曲だと指示が明確! D960第3楽章 とか、D946/2 とかがすぐに思い浮かぶ。
 シューベルトは「コーダが無い時は経過句は弾かない」のだ! この原則はピアノソロ曲に限らず、ピアノ連弾曲でも弦楽四重奏曲でも交響曲でも徹底されている。もし疑問に感じた方がいらっしゃれば、コメント欄に書込をして下さい。
 ブラームスは「第2エピソード重視」で「第2エピソードへ移る時の * マーク」に重点を置き過ぎて、どうしようもなくなって「1小節作曲」したようだ(爆


 シューベルトが「作曲した」のは次の通りにまとめられる。小節数表記は ベーレンライター新シューベルト全集 の通り。

  1. 主部 : 第1小節~第109a小節(109小節)

  2. 1回目の移行部 : 第109b小節~第117小節(9小節)

  3. 第1エピソード : 第118小節~第160小節(43小節)

  4. 1回目の移行部再利用 : 第109b小節~第113小節(5小節)

  5. 2回目の移行部後半 : 第274小節~第277小節(4小節)【シューベルト自身の削除指示】

  6. 第2エピソード : 第278小節~第326小節(49小節)【シューベルト自身の削除指示】


以上の通りである。赤字の箇所が「ブラームスが誤解した小節」である。

ブラームスは第109b小節~第113小節を「主部終結部」と勘違いした!


のである。だが、終結最後の「解決」がどこにも無いので、ブラームス自身が1小節付加 = 作曲 したのである。何たることか!!!

シューベルトが作曲 : 160小節 + 53小節 = 213小節(第109小節のaとbは1小節に数えるのが当たり前)


シューベルトの意図は第2エピソードの有無にかかわらず、終曲 = 第109a小節が明瞭


今回の佐伯周子の演奏は第109a小節で終曲する。ff で毅然と終曲する様を是非あなたの耳で鑑賞して頂きたい。
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続 なぜブラームスは D946 に終曲を加えたのか?(No.1658)

2009-06-26 15:37:56 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
D946/1&2 について「曲名が無い自筆譜」が残っている原因を書いていたら1回分になってしまった。軌道を元に戻す


ブラームスが D946 を編集&出版した1868年になると既にシューベルトの主なピアノ曲は出版されていた。「完成されたピアノソナタ全曲」の他に「D840 レリーク」「D459+D459A 5つのピアノ曲」も出版済みだ。小品集では、

  1. 即興曲集 作品87(後に訂正される)D899前半2曲 → 1827年12月10日出版

  2. 楽興の時 作品94 D780 → 1828年7月11日出版

  3. 即興曲集 作品142 D935 → 1839年4月26日出版

  4. 即興曲集 作品90 D899全4曲 → 1857年12月20日出版


となっており、「シューベルトのピアノ連作小品集」の姿が楽譜から読み取れるようになって10年が経過していた。即興曲集作品90 の全貌が分かってみると

  1. 2曲で構成されている曲集は見当たらない(最低で4曲)

  2. 3集の内「2集が ハ調で始まり変イ調で終曲する(D780 & D899)


と言う特徴を備えているように見える。また1868年当時は

「変奏曲付きアンダンティーノ(ロ短調) と 華麗なロンド(ホ短調)作品84 D823


と言う連弾曲が「シューベルトの生前に出版」されていたことになっていた。この D823 が さらに1楽章前にあり、ホ短調 → ロ短調 → ホ短調 になっていることが判明するのは、旧シューベルト全集出版まで待たなければならなかったのである。
 そんな時に「シューベルトのピアノソロ曲が外見的には3曲」ブラームスに寄せられたのだ。


 1868年当時は「紙とインク」で作曲年代を決定する手法などまだまだ全く芽も出ていなかった。

D946/3 自筆譜は作曲年月を記入していない。「冒頭楽章の可能性が低い」ことは推定


される。中間楽章か終楽章かは曲想次第だが、どうも終楽章のようだ。

D946/3 は D946/1&2 と紙が全く異なることから同一の作品とは断定できない


ことはブラームスは承知していた。そこで D946/1&2 の楽想を見る。

  1. D946/1 → 冒頭楽章確定

  2. D946/2 → 中間楽章の可能性が高い。D780 と D899 からすると終楽章でも不思議では無い


が普通の感覚であろう。そこで試しに D946/3 を試しに終楽章に据えて見る。

  1. D946/1 変ホ短調
  2. D946/2 変ホ長調(同主調)
  3. D946/3 ハ長調(短3度下の長調)

となり、D899 や D780 に近い形となる。詳細を述べると、D899 と D780 の終曲は「長3度下」なのだが、変ホ短調から長3度下の調性は「ロ長調」「ロ短調」になり、「減4度」となってしまう。ブラームスから見れば小さな誤差の範囲だったと推定される。

ブラームスは D946 を「3つの小品」として世界初版


を判断する。1868年当時の資料分析からして特に悪い判断とも思えない。「シューベルト生前のウィーン楽譜出版社」と同程度のいじり方だと感じる。


 ブラームスが「3つのピアノ小品」の形で世界初版を出したおかげで、1951年に ドイチュが「シューベルト主題作品目録」を出版するまで、これらの曲は3曲まとまって作曲されたモノと信じ込まれていた。ドイチュが目録を出版してからでさえ、別の作品の可能性を支持した楽譜は出版されて来なかった。
 ベーレンライター新シューベルト全集は「D946/3 がどの曲集に属しているのか? または 単独曲なのか?」については明示しないモノの

D946/3 は1827年作品で、D946/1&2 は1828年5月作品 と序文で明記した


但し、D946/3 の「先行する楽章群の行方」がわからないので、旧シューベルト全集と同じく3曲まとめて出版した。D459A もそのオリジナル型がはっきりしないので、旧全集の曲順でそのまま掲載されているのと同じ扱いだ。


ブラームスは1人でも多くの人に、1曲でも多く、素晴らしいシューベルトピアノ曲を知ってほしい


と願って3曲出版したのだ。その後150年近く、「ブラームス校訂楽譜通りの演奏」だけを強要したわけでは無い。
 20世紀後半に ドイチュ や デュル の研究が進み、別作品と判明してから以降も、

内田光子の暴言「ベーレンライター新シューベルトは間違っている。D946/1 の第2エピソードを削除した楽譜など、全集の名に値しない」


により、佐伯周子 以外は誰も使用していないようだ(爆

ベーレンライター新シューベルト全集の「D946の扱い」 = ロンドン王立音楽院版の扱い


である。内田光子のお膝元の権威ある楽譜なのだが、なぜか王立音楽院版には暴言を吐かない内田光子。 やはりベーレンライター新シューベルト全集を「黄色い廉価版」で購入したことに起因する大錯覚なのだろう!!!
 新バッハ全集、新モーツァルト全集 などに親しんでいらっしゃった方ならば、お解りの通り、新全集に拠って解明されて来たことは余りに多い。シューベルトファンならば、是非 新シューベルト全集でシューベルトを楽しんで頂きたい。
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D946/1&2 の曲名は?(No.1657)

2009-06-25 22:43:00 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
D946/1&2 は自筆譜が遺されている。日付は 「1828年5月」 と明記されているのだが、肝心要の「曲名」は記されていない(爆
 本日はこの問題を取り上げてみたい。


 この D946/1&2 には、以前にも書いたように「姉妹作品」がある。

  1. ソロ曲 変ホ短調 D946/1 + 変ホ長調 D946/2

  2. 連弾曲 イ短調 D947 + イ長調 D951


である。
 ちなみに

  1. 『D947 の筆写譜表記』 = Duo
  2. 『D951 の自筆譜表記』 = Rondo

であり、

「標題無しの D946/1&2 とは異なる」との見解もあるだろう


但し

  1. Duo とは「2重奏曲」だけの意味
  2. Rondo は出版社の要請に応えた曲名

と考える方が普通である。1825年からの「後期のシューベルト」は

出版されるならば、『題名にはこだわらず』 かつ 『曲のバラ売りも可』


と考えていたので、D951 の出版が決まってから題名を書き込んだ可能性が大きい。

  1. D946/1&2 に曲名が無いのは

  2. 出版に成功していなかったから


と考えるのが妥当だろう。D946/2 だけで「ロンド」として出版しても良かったし、D946/1&2 全部で「序奏とロンド」でも良かっただろう。作曲後半年しか生き延びられなかったシューベルトは「曲名」を付ける機会を逃したのだろう。


  1. 即興曲集 でも

  2. 楽興の時 でも

  3. 序奏とロンド でも何でも良かった


と考えるのが最も適切であろう。生前に売れてシューベルトのフトコロを潤していたらどれほど良かったことか!!!
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なぜブラームスは D946 に終曲を加えたのか?(No.1656)

2009-06-24 19:18:58 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

ブラームスは「シューベルト楽譜出版」に尽力した偉人


である。この事実を冒頭に掲げたい。

  1. 旧シューベルト全集交響曲(完成曲)全7曲 +「未完成」を校訂&編纂出版(1884&1885)

  2. 「3つのピアノ小品」D946 を編集&出版(1868)

  3. 「20のレントラー」D366 を編集&出版(1869)


の3点が超有名。

交響曲第6番ハ長調D589 以前の6曲は、ブラームス校訂旧シューベルト全集 = 世界初版!


の事実を改めてここに書く。
本日は D946 について書く。


 以前にも書いたが、

  1. D946/3 → 1827年作品(紙とインクから確定している)

  2. D946/1&2 → シューベルト自身が「1828年5月」と署名した作品


であり、どこをどうひねっても「3曲で1つのまとまった作品としてシューベルトが構想した瞬間は1秒も無い」だろう。同時代のドイツ人作曲家で交流もあった ウェーバー は「ピアノソナタを終楽章から作曲」することもあった作曲家だが、シューベルトも場合は「第1楽章を作曲してから他楽章を作曲」する作曲家と今のところ考えられているからだ。しかも最低で5ヶ月以上間を空けてから作曲を再開することは「後期のシューベルト」では考えられない。継続して5ヶ月以上掛かった曲は 交響曲「グレート」などが確認されているが。
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D845 学者兼巨匠ピアニストの論理は全て正しいか?(No.1655)

2009-06-19 23:36:32 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
巨匠ピアニスト2名のご意見に反論するので、さすがにビビって資料を全部確認した。4日も掛かったのはやはり私高本の左手のしびれが完治していないのが原因か?


学者兼巨匠ピアニスト = バドゥラ=スコダ & ブレンデル の学説は「全て正しい」のか?


 これを実証する。論点は3点。日本語初出は 1978年。原語初出は上の2つは 1958年に バドゥラ=スコダ に拠って書かれ、最も下の1つは 1975年 に ブレンデルに拠って書かれたモノである。

  1. 第2楽章第45小節の箇所に「4小節の欠落」がある

  2. 第4楽章第155小節に「1小節の欠落」がある

  3. 第2楽章第114小節3拍目の左手オクターブが「F音」は間違いで「G音」である


の3点。ブレンデル著「楽想のひととき」(音楽之友社刊)P314-315 に日本語初出が掲載されている。
 私高本は 1978年に「ブレンデル シューベルトピアノ作品集1822-1828」と言うLP8枚組のセット物で初めに読んだ。論理として説得力があり、購入したLPの演奏の説得力も高く、つい最近まで「バドゥラ=スコダとブレンデルの言う通り!」と思っていた。疑問を持ったのは 佐伯周子 の演奏を聴いてからである。


 まず「1」の「第2楽章の4小節の欠落」について。この件は バドゥラ=スコダ の主張の通りだろう。

出版社の彫刻師(曲を聴いたことも無い!)の眼には「繰り返しだらけ」の箇所!


であり、似たような黒々とした音符が続く箇所で「4小節飛ばしてしまった」ようだ。「1975年現在のブレンデルの眼」で見ると

  1. ラッツ編ユニヴァーサル版 は信頼できる

  2. ミース編ヘンレ版 は信頼できる

  3. 他の楽譜 は信頼できない


旨を断言している。しかし、時系列を追うと痛々しい事実が浮かんでくる。

  1. 1953年 ラッツ編 ユニヴァーサル版出版

  2. 1958年 バドゥラ=スコダ論文発表

  3. 1961年 ミース編 ヘンレ版(旧版)出版(← バドゥラ=スコダ論文反映されず)

  4. 1975年 ブレンデル論文発表

  5. 1979年 ファーガソン編 王立音楽院版出版(← バドゥラ=スコダ論文&ブレンデル論文が全面的に採用される!但し、第2楽章第1変奏は別の補筆)

  6. 1989年 ミース編 ヘンレ版(新版)出版(← バドゥラ=スコダ補筆が全面的に採用される!)

  7. 1998年 ティリモ編 ウィーン原典版出版(← ブレンデル説を全面的に取り入れた楽譜。ブレンデルが「推薦の言葉」を贈っている!但し、第2楽章第1変奏は別の補筆)

  8. 2003年 ベーレンライター新シューベルト全集出版(← 初版が基本。学術的根拠に基づく)「バドゥラ=スコダ説」 が脚注に明記された上、「序文参照」となり全面的に採用掲載されている」


となっている。1958年当時の バドゥラ=スコダ や ブレンデル は「まだまだ若手」で楽譜に採用されるには至らなかったようだ。1989年に「ヘンレ新版」が出るまでの D845 の演奏は、「第2楽章の消えた4小節」がそのまま消えた録音が多い。例えば、ポリーニとか(爆
 1975年に「ブレンデル論文」が掲載されてから風向きが変わる。1979年に王立音楽院版で「3ヶ全て」が採用される。 「王立音楽院版」も素晴らしい楽譜なのだが、

世界中のピアニストに「シューベルトのピアノソナタ」で最も使用されているのはヘンレ版


のようだ。
 ヘンレ版改訂版が出版されて以降、第2楽章第1変奏は「4小節復活」された演奏が増えつつある。10年のタイムラグがあったが、ありがたいことだ。


 2番目の論点に移る。

  1. D845第4楽章第155小節の欠落については バドゥラ=スコダ論文 & ブレンデル論文が発表された後に出版された楽譜では

  2. 王立音楽院版では「155小節にゲネラルパウゼ小節」挿入

  3. ウィーン原典版では「155小節に追加小節の可能性あり」の脚注

  4. ベーレンライター新シューベルト全集では、序文にて「バドゥラ=スコダの学説で小節の欠落の可能性」表記


となっている。ベーレンライター新シューベルト全集で「脚注扱いにはしていない」点が「第2楽章第1変奏」とは全く違う扱いだ。

彫刻師の観点 からは「全休符小節」は見落とし難い


ことを私高本は指摘しておきたい。佐伯周子は、新シューベルト全集の基本通り「全休符小節無し」で演奏する。


 3番目の論点に移る。

  1. D845第2楽章第114小節の3拍目左手の「F音は誤りでG音が正しい」については ブレンデル論文が発表された後に出版された楽譜では

  2. 王立音楽院版では「G音に変更」の上、脚注で注解

  3. ウィーン原典版では「G音に変更」の上、脚注で注解参照の指示

  4. ベーレンライター新シューベルト全集では、全く無視 = F音のまま


 この点については、ベーレンライター新シューベルト全集の扱いは画期的でさえある。

ブレンデル説は「音楽上の流れだけが根拠」だが、F音 でも G音 でも音楽的に成立しており、右手には両方含まれている!


からだ。ベーレンライター新シューベルト全集でもブレンデル学説は承知の上、

  1. 初版楽譜の印刷 と

  2. ブレンデル学説 を天秤に掛けて

  3. 初版楽譜を採用した


判断を下したようだ。佐伯周子 は ベーレンライター新シューベルト全集 の通りに F音 で演奏する。
 どうぞお楽しみに。
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D845 学者兼巨匠ピアニストの論理は全て正しいか?(No.1654)

2009-06-15 17:10:00 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
イ短調ソナタD845作品42 を語る上で避けて通れない問題について語る。

学者兼巨匠ピアニスト = バドゥラ=スコダ & ブレンデル の学説は「全て正しい」のか?


である。本日は問題提起し、次号で詳細を語る。
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続D845「第1グランドソナタ」の魅力(No.1653)

2009-06-12 15:43:52 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
D845 はもう1点シューベルトが力を注いだ魅力がある。

主題の再現をぼやかして、聞き手に「再現部に入ったのかな? まだかな?」と問いかける手法


である。
 第1楽章と第4楽章で用いており、両楽章共に大成功を収めている。具体的に小節数で書こう。

  1. 第1楽章第145小節の「1拍半の休符」の後が再現部開始だが、嬰ヘ短調で開始され不安定な感触。第178小節でイ短調が確立するまで33小節も「再現部?」と感じさせる。

  2. 第4楽章第315小節から「主要主題の3現」が開始されるが、ニ短調なので不安定な感触。第345小節でイ短調を確立する。


となっている。
 シューベルトの「再現部を主調で回帰しない手法」は初期作品からあるのだが、「さすらい人」幻想曲D760 作品15 以降は非常に巧妙になって来る。

  1. ハ長調ソナタD840 第1楽章
  2. イ短調ソナタD845 第1楽章
  3. イ短調ソナタD845 第4楽章
  4. ハ長調交響曲D944 第4楽章
  5. イ長調ソナタD959 第4楽章

などが有名どころだろう。モーツァルトもベートーヴェンも使用した手法なのだが、シューベルトが最も効果的に使用している手法。その中でも D845 は D840 と並んで最も成功した例だろう。是非お手元のCDを聴いてその効果を確かめて頂きたい。
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D845「第1グランドソナタ」の魅力(No.1652)

2009-06-11 03:51:47 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
体調も戻って来て、4日で3回の演奏会を聴くまで回復した。今日からは毎日ブログ更新する予定です。


 「さすらい人」幻想曲D760作品15 の出版に成功し、『次はピアノソナタ出版だ!』と意気込むシューベルトが、もう1つのイ短調ソナタD784 と ハ長調ソナタD840 の出版を見送ってまでして「第1グランドソナタ」として出版したのが イ短調ソナタD845 である。

  1. 規模が大きい(特に D784 と比較して)
  2. 人気高かった「変奏曲」を第2楽章に据えた
  3. 人気高かった「ロンド」を第4楽章に据えた

が「構造上」から「グランドソナタ」としての風格を備えている。続く「第2グランドソナタ D850 作品53」も「1」と「3」の条件を満たしており、「第4グランドソナタ D894 作品78」も D850 と同じ構造である。


 この D845 には「固有の魅力」が存在する。

D845 は「全楽章に変奏手法」が駆使されており成功している


ことだ!
 第2楽章は「変奏曲」なので、誰が見てもお解り頂けることだろう。他の楽章について記す。


  1. 全楽章の主題が「第1楽章第1主題」から派生している『循環ソナタ』で構成されている

  2. 第1楽章の第1主題が A,B,C と3つあり、第2主題は「B+C」の動機

  3. 第1楽章第1主題C が 第1主題B の変奏になっている

  4. 第3楽章スケルツォ主部は「単一主題ソナタ形式」で冒頭主題が展開(=変奏)されて行く

  5. 第4楽章ロンド主題自体が「第1変奏と第2変奏」を持つ


と、全曲が統一されているのだ!
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