Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

やぶにらみ批評「7月の読響のソリスト」は誰の演奏に心打たれたか?(No.2097)

2012-07-31 23:04:45 | 批評
 クラシック音楽界のドン・キホーテ = 私高本 がお送りする「ぶっ飛び企画」。このような企画を打つから「狂人ブログ」と2ちゃんねるで書かれるんだよな(爆

7月の読響は「ソリストは全員が弦楽器奏者」であった。


 誰も気付いていないのでは? かく言う私高本も聴き終えてから気づいたし(爆

 聴いた日順に次の通り。

  1. 2012.07.01 小森谷巧(Vn)+下野竜也指揮 : ベートーヴェン「ロマンス」作品40


  2. 2012.07.05 日下紗矢子(Vn) + 石川滋(Cb)+藤岡幸夫指揮 : ボッテシーニ「グラン・デュオ・コンチェルタンテ」


  3. 2012.07.12 清水直子(Va)+広上淳一指揮 : バルトーク/ピーター・バルトーク&デッラマジョーレ「ヴィオラ協奏曲」


  4. 2012.07.21 南紫音(Vn)+カリニャーニ指揮 : サン=サーンス「ハバネラ」&「序奏とロンド・カプリチオーソ」



 ソリストが全員違うのは普通のことだが、指揮者も全員違う! この4日を聴いての『私高本が受けた心の動きの大きさだけ』を基準に書く。つまり、あちこちで掲げられている「客観的な審査」ではなく「私高本個人の主観だけの感想」である。お間違い無きように。


 まず、「わかっている範囲での私高本の嗜好」を(ここだけの話だが)囁く。聴いた4曲中、バルトーク「ヴィオラ協奏曲」は全く心に共鳴しなかった(泣
 「草稿」に問題があるのか? 「補筆」の問題があるのか? 「私高本の心の感性」に問題があるのか? は一切不明。

無闇に「骨太」なヴィオラ協奏曲は、バルトーク自身のヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲と比較して「親しめない」


 清水直子 の演奏は「骨太」方向で立派だったのだが、何が原因だかワケわからんが、やっぱ今回もダメだった(瀑涙


猫頭ヒョーロンカ = 私高本 の「主観」読響2012年7月公演ソリストの「私高本の心の感動」した順位



  1. 石川滋(Cb) : ボッテシーニ「グラン・デュオ・コンチェルタンテ」


  2. 小森谷巧(Vn) : ベートーヴェン「ロマンス」作品40


  3. 清水直子(Va) : バルトーク/ピーター・バルトーク&デッラマジョーレ「ヴィオラ協奏曲」


  4. 南紫音(Vn) : サン=サーンス「ハバネラ」&「序奏とロンド・カプリチオーソ」



 以上である。


 う~ん、「チケット買った時の期待」とは、相当に違った結果だった><

 大きな声で言って良いのか?悪いのか? 「石川滋」って全然知らなかったコントラバス奏者だった > スイスのベルン在住なので止むなし(泣

 しかし、共演の 日下紗矢子(Vn) を喰っての演奏! 日下 は相当に腕達者であり、この日も充実していたのだが、「ボッテシーニへの傾注度」は石川が圧倒的に上。
 個人的には「ソプラノ好き」の私高本は、(おそらく)同じ水準の演奏技巧ならば「高音楽器が好み」だと思う。こんな「ドン・キホーテ頭 = 私高本」が聴いても、

石川滋 の ボッテシーニ解釈 は、日下 も 藤岡 も説得し尽くした!


ってな感じだった。これほどの名演が聴けたことには、出演者全員 & 日本テレビ スタッフ皆様には深く感謝する次第である > 無料招待公演だったことも信じられない!


 次が 小森谷巧 だったのも、意外。大体、読響が設定したチケット価格では、清水直子 や 南紫音 公演よりも S券が3割安い価格設定だったし(爆

小森谷巧 は「ひたすら語るベートーヴェンのヴァイオリンソロ」を徹底!


だった。カデンツァも無いし(爆

 フツー、「協奏曲的曲を1曲」と言われれば、時間が短い、とか、メインが ベートーヴェン「運命」とかの足枷があっても、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲が普通でしょ。第3番以降なら、それなりに人気あるし。

 そんな中で「小森谷巧 + 下野竜也」が選択したのは、「ベートーヴェン : ロマンス 作品40」だった。良い曲なんだが、パンチに欠け、カマしが足りない のも1面の事実(泣
 カデンツァ も無いから「ソリストは技巧ひけらかし」が出来ない、のが難点。

 だが

小森谷巧 + 下野竜也 + 読響「ベートーヴェン : ロマンス」は、信じられないほど細部まで細やかな神経が行き渡った名演だった!


 カデンツァも無い曲に、「ブラヴォー」も複数寄せられていたほど!!


 清水直子 の演奏は良かった、とは思うが、私高本の猫頭では「感動」までは至らなかった。バルトーク自身のスケッチに起因するのか? 補筆に起因するのか? 清水の演奏に起因するのか? 広上淳一の指揮の起因するのか? 私高本の脳内に起因するのか? は全く判らない。(判っていたら解決していた可能性大)
 アンコール も素晴らしかったのだが(爆涙


 最後になったが、南 のサン=サーンス。コンクールも数々制して来たヴァイオリン奏者だが、この日は

ただただ、楽譜を追い掛けるだけ の 南紫音


であった。大きな声では言えないが、「ベートーヴェン:ロマンスのコンサートマスターの小森谷巧よりも表現の巾が狭い」には(チケット代金と反対方向に)驚き。特に悪い印象は無いのだが、この2曲の名曲はもっと魅力的に演奏できるハズ!

 ・・・と思う > 主観の私高本


 全4日共に「楽しませて頂いた」ソリストの皆様には感謝!

 私高本の猫頭 が原因も多いと思う。反論あれば、実名にてガンガンとコメント欄にカキコしてちょ!!!

 う~ん、「ボッテシーニの日下の演奏」が全く記憶に(良い方にも悪い方にも)記憶に残っていない。これって、糖尿病の脳梗塞か?!?!?
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佐伯周子が「20才のシューベルト」を弾く(No.2096)

2012-07-26 07:02:10 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

シューベルトは、ある時期に「特定のジャンル」に集中する作曲家


であった。若い頃から順に追って行く。

  1. 1812.09 - 1813.11 : 弦楽四重奏曲の時代 D32,D36,D46,D68,D74,D87


      初めに来たのが、リートでもピアノ曲でもなく、弦楽四重奏曲 なのだ。父と2人の兄とシューベルト自身が組んでの「家庭弦楽四重奏団」が存在していたことが大きい。シューベルトの音楽が、「声部進行に満ちている」のはこの時期に自分自身で習得したこと。サリエリ の教えよりも、影響が大きい。

  2. 1814.10.19 - 1815.10 : 単独リートの全盛期 D118「糸を紡ぐグレートヒェン」 - D328「魔王」


      ミサ曲第1番D105 がウィーン「リヒテンタレル教会」にて世界初演された1815.10.16がシューベルトの「プロ作曲家の原点」となった。その後3日掛けて「感動」を表現したのが「糸を紡ぐグレートヒェン」。その後「魔王」まで、ドイツリートを作曲しまくった。しかも名曲がいかに多く散りばめられていることか!!!

  3. 1815 -1825.04(除く1817年) : 「シューベルティアーデ時代」=「ドイツ舞曲全盛期」 D145 - D844


      「シューベルティアーデ」は「シューベルトの友人たちの集い」である。先日の2012.07.11「佐藤雄太+佐伯周子:美しき水車小屋の娘」のプログラムノートには記載したのだが、シューベルトは「歌の伴奏」か「踊りの伴奏」でいつもピアノを弾いていた。「糸を紡ぐグレートヒェン」D118 の直後から、友人たちが集い「シューベルティアーデ」が開催されるようになった。求められれば、「新作舞曲」も少なからず作曲した > 旧作を混ぜたりしながら。
     終焉は、ピアノソナタ ハ長調D840「レリーク」作曲と同時に到来した。その後、シューベルトの活動の場は、「友人たちのサロン」から「ウィーン音楽界の表舞台」へと移ったからだ。

  4. 1817.03 - 1817.11 : ピアノソナタの時代 D537,D557,D566,D567,D664,D459A,D571,D575


      「シューベルティアーデ」を重要視していたシューベルトが「1年だけシューベルティアーデのためのドイツ舞曲を作曲しなかった年」が1817年である。「ピアノ」を「舞曲伴奏楽器」としてではなく「ソロソナタのための楽器」として、改めて向きあった年。この年のピアノソナタ集中作曲は他に類を見ない。まだ、出版が「脳内で想定できる状況にまるで無かった」ために、「シューベルト自身は作曲完了!」と思って、「ソナタ形式の展開部終了」までで放置されている楽章があったり、「楽章順が正しく並べていない」があったり、無関係な曲と組み合わされた曲があったり、後世から大いに誤解を産んだのもこの時期の作品><

  5. 1818末 - 1820.10 : オペラの時代 D647,D137,D689,D644,D701


      シューベルトは「ドイツリート作曲家」になりたい、と思ったことは、最少に言って、「美しき水車小屋の娘」作曲着手以前は無かったように感じる。「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「レルシュタープ歌曲集」「ハイネ歌曲集」は相当な自信作だったが。
     では「どんな作曲家になりたかったか?」と問われると、「オペラ作曲家」「教会音楽作曲家」「交響曲作曲家(弦楽四重奏曲やピアノソナタを含む)」だったようだ。
      「オペラ作曲家」としての『外部評価が最大だった時期 = この時期』であり、生涯2曲しか生前上演されなかったオペラは2曲ともこの時期の作品であり、同じ時期に上演された。(D647,D644)
     「シューベルトファン」の私高本の耳でも「シューベルトオペラ」は手本とした「モーツァルトオペラ」の水準には程遠い(爆涙

  ・・・が実際の状況。間違って誤解して頂きたくないのは、「単独リート」と「単独舞曲」以外は、上記の「・・・時代」には最高傑作は産まれていないこと!
  弦楽四重奏曲 も 連作舞曲 も ピアノソナタ も オペラ も、「中期以降の作品」の方が出来が良い。だが、この「集中時代」作品には「若き血潮を注ぎ込んだ魅力」が強い。

「20才のシューベルト」の「プレトーク」は私高本が久しぶり行ないたい


と 佐伯周子 に告げたところ、頑強な抵抗に遭っている(泣

 明日からも続編書きまっせ!
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2012.07.21 カリニャーニ指揮読響オペラシティマチネ批評(No.2095)

2012-07-25 22:43:15 | 批評

サン=サーンス交響曲第3番の「全て」を掌握している カリニャーニ! 「読響の美しい響き」を最大限に引き出しながら、オルガン + ティンパニ の轟きを用いて「立体的な巨大な構築物」を見事に再現!!



カリニャーニ は「全ての基準 = 音楽水準」と言う極めて純粋な指揮者


である。「原発崩壊 & 東電+日本政府のデマ垂れ流し」状況下で、「キャストが納得行かなくなった新国立劇場:コジ・ファン・トゥッテ 新演出」はキャンセル、読響 は来日完全実施、で名演揃いだった > 共演が新国立劇場合唱団だった(爆


 この日の サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」の名演はどのように書けば、直裁的に伝わるのだろうか?

  1. カリニャーニは、サン=サーンス交響曲第3番の「骨格」を全て把握している


      これが最大のポイントだった。「名曲中の名曲の誉れが高い」ので、私高本も何回どころか何十回もナマで聴いている曲だ。だが、カリニャーニほど「全体設計像が明確」な演奏は過去無かった><
      サン=サーンスが目指していたのは「ベートーヴェン交響曲の再来」だったようだ。特に「第9」。ベートーヴェンは声楽をブチ込んだが、サン=サーンスは替りに「オルガン」をブチ込んだ。どっちもどっち(爆
      だが基本設計は「交響曲」なんだよねえ > 多くの演奏が「オルガン協奏曲」的になってしまうのだが><

     特に感心したのが、第2楽章。オルガンの「足ペダルだけ大音量」で「指鍵盤は中音量」でオケに溶け込む、でしたか!

  2. 「オルガン」も「ピアノ」も『楽器特性』を細部まで完全掌握


      サン=サーンス「オルガン付き」は、名曲中の名曲なので、これまで何度もナマで聴いて来た > オケの「定期」に乗る回数が圧倒的に多いから。特に読響が多いとは思えない。他のオケも多いぞ。
      ・・・で、感動したのが「アーティキュレーションの統一」。ここまで可能なんだ!!! って感じ。
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東京都交響楽団団員は『定期演奏会の指揮者を引きずり下ろす権利』を持っているのか?(No.2094)

2012-07-24 20:37:10 | 批評

2ちゃんねる「都響スレッド」http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1325441471/ を久しぶりに覗いたところ、大変な騒動が起こっていた。


  初めて読んだ時は、猫頭=私高本 には理解出来ない状態だった><

都響の公式発表は http://www.tmso.or.jp/j/topics/detail.php?id=324


  これを読む限りだと、練習時に「勢い余って」首筋を痛めた 大植英次 が、泣く泣く降板した、と読めるのだが、2ちゃんねる「都響スレッド」は迷走する><
 649番から、「大植降板」の話題は出た。要点を摘出しよう。

  1. ヴィオラ首席 = 店村眞積 と 「指揮者:大植英次」の解釈が合わなかった


  2. その結果、都響は「ヴィオラ首席 = 店村眞積」を降板させるのではなく、指揮者 = 大植英次 の降板を決定した。


  3. このような「指揮者降板」は、都響では恒例であり、前回2002年4月5,7日の時は「当日券発売時」にさえ告知されなかった。



が概要。真か? 偽か? 私高本は内部事情者では無いので断言は不可能。客観的に迫れるところまで迫りたい。



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佐伯周子が「20才のシューベルト」を弾く(No.2093)

2012-07-23 20:29:03 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

この企画が実現したのか!


 ここまでに「8年」を費やした。私高本 
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マーラー「子供の不思議な角笛全曲」主要録音全網羅批評 3(No.2092)

2012-07-22 23:38:31 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911

バーンスタイン指揮 ルートヴィヒ&ベリー夫妻 の「ニューヨークフィル盤」+「ピアノ伴奏盤」 1967.10? & 1968.04録音


 1969年初発売時に2枚組で発売された録音。録音自体は「セル盤」より先だったのに、マスタリングで時間を食ったからか「マーラー:子供の不思議な角笛の世界初LP」の栄誉は「セル盤」に持っていかれた><

バーンスタインピアノ伴奏盤「子供の不思議な角笛」のデータは明解で、1968.04.24 ウィーン 1発ライブ


なのだが、

バーンスタイン指揮ニューヨークフィル盤「子供の不思議な角笛」のデータが詳細不明。演奏会記録 からすると、1967.10.12-16 に「抜粋」を演奏会にて


なので、この前後の可能性が高いのだが、どなたか正確な情報ありますでしょうか?


マーラーが『ウィーン国立歌劇場音楽監督』だったことを想起させる バーンスタイン + ルートヴィヒ&ベリー夫妻 の「子供の不思議な角笛」2枚組初出盤


 ルートヴィヒ&ベリー 夫妻は、1957年に結婚し、1970年に離婚している。離婚前に長い長い訴訟合戦があったとは思い難い。録音当時は「仲睦まじくウィーンへ演奏旅行」だった、と信じたい。オーケストラ伴奏盤 が 先に録音され、ピアノ伴奏盤 が 後。ピアノ伴奏盤 の方が「歌い手の表現の巾」がはっきり広がっている > 2人とも。但し「ピアノ伴奏盤は1発ライブ」なので、ピアノのミスタッチはあちこちにあるし、ソリスト も少々細かなキズはあるのだが(爆

 この演奏を一言で言うと

ルートヴィヒ&ベリー夫妻 の バーンスタイン の扱いが「全 子供の不思議な角笛」録音中、最高に上手い!


に尽きる。「支配人が手配した歌手陣で最善を尽くす」のが「オペラ指揮者の宿命」だ。マーラーも「胃が痛む」思いをしたことは1度や2度では無いだろう。しょーもない歌手の売り込みに支配人が屈してしまうことは、古今東西多いからなあ(新国立劇場「ルル」の失態なんてのもありました(瀑涙)

(後編に続く)
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マーラー「子供の不思議な角笛全曲」主要録音全網羅批評 2(No.2091)

2012-07-19 22:01:38 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 クラシック音楽界のドン・キホーテ = 私高本 が開始した「狂気のシリーズ」第2回。「レコード芸術誌」で特集が組まれる度に最上位に来ている「セル盤」を徹底解剖(爆
 続編だぞお


セル指揮「マーラー:子供の不思議な角笛」の問題点一覧



  1. 「テンポ設定」が全てが全て『独裁者=セル』が決めており、声楽ソリストは「オケの1番管楽器奏者扱い」


      これが最悪の根源。「フィッシャー=ディースカウ + シュヴァルツコプフ」でこの扱いかよ > 独裁者=セル!
     そもそも「セル指揮マーラー」って、交響曲では色んな「CD屋」が放送音源まで探っても、第4番「天上の生活」と第6番「悲劇的」しか発掘されていないし、2枚とも「名盤」扱いの記憶は無い。猫頭ヒョーロンカ=私高本 でも、まだボケてないぞ(爆
     「マーラー語法」が「フィッシャー=ディースカウ」よりも「シュヴァルツコプフ」よりも劣っている爺さん = 独裁者セル がテンポを決めたことが最大の悲劇。「非音楽的」なんだよねえ > テンポ設定が。
     その為に、フィッシャー=ディースカウ は「たっぷり歌えない」し、シュヴァルツコプフ は息が切れる。こんなバカ指揮者を起用しての「世界初録音」かよ(瀑涙

  2. 「歌手が歌う曲と箇所」を全て セル が決めた


      断言する。「マーラー指示」とは無関係。「高い知性を讃えて」をシュヴァルツコプフだけに歌わせているし。この曲は、2点B → A の跳躍があるので、超有名。既に広い音域が歌えなくなっていたシュヴァルツコプフに割り振るのは変。うまく歌えていないし > シュヴァルツコプフ

     この「恐怖政治」の下で、フィッシャー=ディースカウ と シュヴァルツコプフ が「最善を尽くせたか?」は、私高本は大いに疑問を感じる。

  3. 「テンポ」「リズム」「アーティキュレーション」が『マーラー的』に感じられない


      バーンスタイン指揮 や テンシュテット指揮 や バレンボイム指揮&ピアノ では、沸き立つ「マーラー的」が全く感じられない(泣
    なんだか「バーンスタイン指揮で世界初録音を阻止するためだけ!」に録音したようにさえ感じられるのだ。何で、CBS 録音でないんだい?

  4. セルは「子供の不思議な角笛」の歌詞を「子供向け」程度に考えていて、シンバルと小太鼓を「ソリスト」に被せている(泣


      セル が「声楽付きオーケストラ曲の大家」との話は、今のところ聞いたことは無い。この「被せ」は酷い。う~ん、マーラーに限らず、オペラに限らず、ベートーヴェン「第9」などでも一切皆無。私高本の情報収集が不足なのだろうか? 「オケだけの曲」では、特に古典派で高い評価の曲は山積なんだが(爆

  こんなバカな録音薦めるなよな > ヒョーロンカの皆様
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マーラー「子供の不思議な角笛全曲」主要録音全網羅批評 1(No.2090)

2012-07-18 20:23:04 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
 クラシック音楽界のドン・キホーテ = 私高本 が風車に向かってまたまた突進するぞおぉ(爆

 マーラー「子供の不思議な角笛全曲」の主要録音を批評しまくる、「犬のサンダル集め」で収集したからなあ、、、


 時系列に従い、紹介&批評する。好きなCDだけでなく、好まないCDでも紹介&批評する > 主要全曲盤は
逆に「抜粋演奏」については、素晴らしい! と感じている「ハンプソンDVD」でも取り上げない。「オレ流」開始。


マーラーらしい「溜め」が皆無に近い「子供の不思議な角笛」全曲世界初録音 = 独裁者セル指揮盤、シュヴァルツコプフの衰えも歴然だし(涙



セル指揮、ロンドンフィル、フィッシャー=ディースカウ(ソロ4曲+デュオ5曲) + シュヴァルツコプフ(ソロ3曲+デュオ5曲)で 全12曲 1968.03録音


が書き漏らしてはならない主要データ。この録音から「子供の不思議な角笛」録音は全てが開始された。


 まだ「マーラー・ブーム」とかが始まる前。不思議なことは、ワルター とか バーンスタイン とか「マーラー指揮者」でなく、セル が振っていることだ。「筋肉質」とも称される セル の棒が「溜め」重視のマーラーと合っているの? は偽らざる疑問だろう。 その疑問にストレートに答える。

セル指揮マーラー「子供の不思議な角笛」は、『溜めが足りない』演奏


である(泣
 この盤を薦めるヒョーロンカが多いことには疑問が大きい。

EMIから貰ったカネが多いならば「テンシュテット盤の方が圧倒的に良いじゃないか(怒


 与えられた条件の中で最善尽くせよ > ヒョーロンカ


 「セルの気質」が「古典派中心」なことはしゃーない。「育ち」からは誰もが抜けられない。私高本は「産みの母親」から「何でこんなに下品に育ってしまったの?」と詰問されたが、「あなたとは産まれも育ちも違うでしょう? しかも、私高本はコントロール不可能で、あなたたち夫婦の問題です!」と答えた。

田舎から東京近郊に、ポッと出てきたが「物価に耐えかねて、安いところに居住した」が原因


である。
 話を元に戻そう。この盤は相当に問題がある(爆

 
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2012/06.27 飯森範親指揮山形交響楽団「さくらんぼコンサート2012東京公演」批評 本編(No.2089)

2012-07-17 18:19:21 | 批評

ナマで聴いたチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番中、ずば抜けて最高の出来だった『トリフォノフ + 飯森範親 + 山形交響楽団』



  う~ん、山形交響楽団ってこんなにうまくなったんだ! が「旧山形市民」の私高本の偽らざる感想。山形市民当時(30年前)には想像も出来なかった。私高本の想像力が欠如しているのではなく、

飯森範親 の先導が大きい!


と感じる。大体、トリフォノフ のピアノソロで チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 で東京&大阪公演 って、チャイコフスキーコンクール制覇前の契約だよな。

飯森範親の目利きの良さ


には舌を巻く。これほどオケに貢献してくれる音楽監督はなかなかいない><


 「トリフォノフのピアニズム」について少々書く。

ピアニッシモを基準として、フォルティシモまで自在に操れる指の打鍵


が最大の武器に感じる人が多いが、実は

「耳の良さ」が最大の武器


である。誰が「会場の音」を聴いているのだろうか? 私高本よりも「耳が良い」のが明らかなので、知っている方がいれば教えてほしい><


 後半のブラームス交響曲について。悪くは無かったが、「リズム感」がチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番並みに来てくれれば、さらに良かった。
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2012.07.05 藤岡幸夫指揮読響シンフォニック・ライブ公開録音批評(No.2088)

2012-07-16 22:27:45 | 批評

ボッテシーニ作曲ヴァイオリンとコントラバスのための協奏的大二重奏曲「グラン・デュオ・コンチェルタンテ」は名演だったのに


  21世紀になって「初の読響公開録音」をナマで聴いた。浦島太郎のような気分だ(爆


 「20世紀の読響公開録音」は主会場が三軒茶屋の「昭和女子大学人見記念講堂」で、1階最前列を車付きのカメラが走る、というスピード感が売りの番組だった。2階席で聴いても(見ても)結構違和感(と騒音)が大きく、足が遠のいて15年以上になるだろうか?
 私高本の住環境は「読響シンフォニック・ライブ」の時間に「そのまま会場の雰囲気を再生させる音量」で聴くことができるワケではないので、毎回「録画」して、ヒマな時に焼酎を呑みながら「夕暮れ後」に聴くことが多い。ナマの演奏会では決して休憩時間も含め、飲酒しないのが私高本。その反動か? 「読響シンフォニック・ライブ」は、焼酎呑みながら再生する。コマーシャルは適当に3倍速で早送りするのが「オレ流」。シラフでしかもナマ公開録音を聴くのは全く雰囲気が違うモノだ。
 尚、

「読響シンフォニック・ライブ」は「音が2階席で聴くナマの音に限りなく近い」のが好感が持てる


 「バカと煙は高いところに登る」は先人から続く正しい教えである(爆


 冒頭の 吉松隆「朱鷺によせる哀歌」は手慣れた藤岡幸夫の指揮で手堅い演奏。だが、「シャンドス・レーベル録音」時ほどの集中度が藤岡幸夫にあったかどうか?


石川滋(コントラバス)+日下紗矢子(ヴァイオリン)をソリストに迎えた「ボッテシーニ:グラン・デュオ・コンチェルタンテ」が2人のソリストの超絶技巧とリズム感とテンポ感の良さで圧倒的な名演!


    ボッテシーニ(1821-1889)は、リスト と ブルックナー の間の時期のコントラバス奏者であり、作曲家。音楽史的に最も有名なのは、ヴェルディ「アイーダ」世界初演時の指揮者、のような気がするから、マーラー や バーンスタイン のような「作曲家 兼 指揮者」なのかも知れない。(詳しいことはコメント欄で質問しないで下さい)

  「ヴァイオリンのソロもきちんとあるが、基本的にはコントラバス協奏曲」である。日下紗矢子のヴァイオリンも素晴らしいの一言に尽きるが、

石川滋のコントラバスの、特にハイポジション奏法の超絶技巧は「コントラバス版のパガニーニか???」


であった。スイスの ベルン響ソロ首席コントラバス奏者に就任しているので、日本国内では それほど演奏活動が活発ではない(ハズ)のだが、スイスだけでなく、日本でももっともっと活躍してほしい奏者である!!!

 読響も ボッテシーニ は、ノリノリの演奏。協奏曲はこうでなくっちゃ!!!


 ・・・で、前半が超盛り上がって休憩突入した演奏会だった。ロビーでは「日下 と 石川 がどっちが、より技巧があるか?!」なんて、口から泡飛ばして(結構)大声で盛り上がっていたグループもいました。細かな動きは「高音楽器」が必ず有利だぞおぉ(爆

 ・・・てな「ワクワク感」で後半のメイン、ムソルグスキー/ラヴェル「展覧会の絵」を待ち望んだ。読響もノっていたし。


  期待に満ちて聴いた 藤岡幸夫 + 読響「ムソルグスキー/ラヴェル:展覧会の絵」だったが、藤岡幸夫 も 読響メンバー も手抜きの無い演奏だったが、ボッテシーニ 演奏の感動は戻って来なかった。最大の理由は

藤岡幸夫が「管楽器を各楽器の最善の音量で吹かせる」が最大の要因


だった。直前に聴いた 下野竜也 も 直後に聴いた 広上淳一 も、管楽器に対して「最善の音色」ではなく、「作曲家の指示の音量」最優先にしていたのが印象深い。
  結果

藤岡幸夫 指揮「ムソルグスキー/ラヴェル:展覧会の絵」は『音が膨らむ方向に偏り、緊張感不足』で終始した


 読響には責任ない。首席奏者は「同月の定期演奏会並み」だったし、演奏は全力だったから。


  関西フィルで大人気の 藤岡幸夫。「オケとの相性」「ホールとの相性」もあるからはっきりとはわからない。だが、猫頭ヒョーロンカ = 私高本 の耳では、「楽器の最良の音を求め続ける」のは、最少に言ってラヴェルのオーケストレーションには、あまり相性が良く無かったように思う。「吉松隆交響曲全曲CD」では、今も楽しく聴かせて頂いている指揮者なので、関西の名声を関東にも轟かせてほしいばかりである。


 最後に一言。この公開録音、後半だけが9月に放映、って書いてあったが、「前半に差し替え」した方が良いと思う。ボッテシーニ は信じられない超名演だったし、吉松隆作品も(何度テイクを重ねたかは当事者以外は全くわからない「CD録音」に比べて、ちょっと踏み込みが悪い程度で「良い演奏」だったから。
 全国放送なんでしょ > 読響シンフォニック・ライブ
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2012.07.12広上淳一指揮読響第517回定期演奏会批評 後編(No.2087)

2012-07-15 23:46:20 | 批評

素晴らしかった「広上淳一 + 読響:シェエラザード」!



弦楽器に「深い=暗い」色彩を徹底的に求める 広上淳一


  リムスキー=コルサコフ「シェエラザード」は前編でも書いたように、伊福部昭から「写譜した曲」と聞かされたので、随分CDを聴いた。「2管編成なのに極彩色」のオーケストレーション が印象深い。
  人気高い曲なので、ナマでも何度も聴いている、私高本も大好きな曲の1つだし。

 ・・・で  

「広上淳一の解釈」は、「シェエラザード」は夢物語なので、曖昧模糊とした空想の世界。「明るい弦楽器」では無い!!!


だった。
 弦楽器を「深い=暗い」音色にしただけでなく、金管楽器の咆哮も控えたことは言うまでも無い><


何だか、私高本が「雲の上の絨毯の上でヒラヒラと舞っているか?」の感触が、徹頭徹尾纏わり付き、「臨場感この上無い」最高の名演!


に感じた。こんな名曲だったんだ > チェレプニン が 伊福部昭 に「写譜」薦めた曲は!!!

 「極彩色のシェエラザード」を追い求めた聴衆には、『決して受けない演奏 = 広上淳一+読響』である。広上淳一は「自分の感性をひたすら信じ、披露できた」である。感性に合った人には、「最上のプレゼント」であった。私高本もその1人。

 広上淳一は「京都市交響楽団の人」の印象が強い。東京での「演奏活動」はやや不活溌。せっかく相性良いのだから、読響で重要なポジションを得て、頻度高く振ってもらえないのだろうか?


  最後に忘れてはならないポイントを記して筆を置く。

コンサートマスター = 小森谷巧 のソロ は、全てが = つまり、厄介な 第4楽章冒頭の重音も、幕切れの長い長い持続音も、これまで聴いた中で最高だった


 もちろん、広上淳一指揮 の解釈が深かったこと、読響アンサンブルが素晴らしいことと相まってであるが、特に終結部の最弱音の響きは心に残った。深く感謝する。
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2012.07.11 佐藤雄太+佐伯周子「シューベルト:美しき水車小屋の娘」全曲演奏会録音を聴いて(No.2086)

2012-07-14 23:08:32 | ピアニスト・佐伯周子

2012.07.11 佐藤雄太+佐伯周子「シューベルト:美しき水車小屋の娘」全曲演奏会録音を聴いて



 私高本は当該演奏会主催者なので、これは「批評」では無い。単なる「呟き」である。某新聞のように「マッチポンプ批評」では無いことを明記して置く。本日、佐伯周子 と 私高本 が襟を糺して聴いた「私高本1人」の個人的呟きである(爆


テノール と ピアニスト の音量バランスが「良い曲」と「悪い曲(ピアニストが大きい)」が入り交じっている!


  「ピアニストが大きい」のか? 「テノールが小さい」のか? までは、私高本は「猫頭」なのでわからん><

  個人的な主観で言うと「有節歌曲」でバランスが崩れる傾向を感じた。「私高本の主観的な見方 = 佐伯周子 のマネジャー」で言うと、「有節歌曲」になると、佐藤雄太 が 目線を左側 = 譜面台方向 に傾けたことが主要因のような気がする。私高本は猫頭なので、よくわからん><
  よくわかっている方はコメント欄に書いて頂きたい><


うまく行っている曲(例えば、第7曲「いらだち」など)では、パドモア + フェルナー「冬の旅」を遥かに超越している!


 2点A も綺麗に張っているし。

 今後の2人の活躍に大いに期待したい。
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2012.07.12広上淳一指揮読響第517回定期演奏会批評 前編(No.2085)

2012-07-13 23:56:35 | 批評
東京オペラプロデュース公演[「エロディアード」以降に聴いた演奏会批評は全部存分に掲載する。但し、8月16日(木)に「佐伯周子 シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会」があるので、それまでは「佐伯周子のシューベルト最優先」になる。ご意見があれば、最新記事のコメント欄に掲載下さい(ペコッ


素晴らしかった「広上淳一 + 読響:シェエラザード」!


  読響定期演奏会に広上淳一が登場したのは、初めてのような気がする。私高本は猫頭なので、違っていたらコメント欄にて、ご指摘下さい。但し、「日生劇場オペラ」で高い評判を取った公演が2つあり、「後宮からの逃走」「オルフェオとエウリディーチェ」であった。私高本は猫頭で「読みきれなかった」ので両公演とも聴いていない><
  信頼出来る先輩ヒョーロンカから「広上淳一 + 京都市交響楽団 の演奏は素晴らしい!!!」を散々聴かされていたので、「主催演奏会翌日なので、這って行く」になることがあらかじめ予想されたのだが、予想通り「這って行く」と相成った><
  人間年は食いたくないモノである(瀑涙


  まずは「休憩前」の2曲から。武満徹「トゥイル・バイ・トワイライト」は、1988年に「読響創立25周年記念」に武満徹に委嘱した曲。「武満徹節」満開の曲想が魅力。この手の「楽団委嘱作品再演」は、カンブルラン か 下野竜也 が振ると思っていた(猫頭の妄想かも!)だけに意外。

 続くバルトーク「ヴィオラ協奏曲」補筆完成版演奏は、ソリスト = 清水直子 のソロが「図太いヴィオラ像」を見事に描いた演奏で、(プログラムノートの言葉を借りると)男性的。う~ん、これ「誉め言葉」になっているのだろうか?
 広上淳一指揮も「バルトークらしいリズムの移ろい」を敏感に表現した名演。アンコールでは(極めて意表を突いて)読響ソロ・ヴィオラ = 鈴木康浩 を「2番ヴィオラ」にしての「バルトーク:2重奏曲から 第21番 & 38番」だった。清水直子の「発想の豊かさ」に唖然! 協奏曲直後は「ブラヴォーの嵐」だった。


 ・・・で、「広上淳一 + 読響:シェエラザード」である。何が素晴らしかったか? と問われれば、断言できる。

弦5部を「深い音色 = 暗めの音色」で徹底して制御した上に、金管楽器も制御して「音量バランス」を最優先した!



  リムスキー=コルサコフ「シェエラザード」は、極めて「極彩色」の曲である。

伊福部昭がチェレプニンから指導を受けた際に「シェエラザード を写譜するように!」との逸話は生前の伊福部昭に私高本が確認した!


  多くの演奏では「極彩色のシェエラザード」が聴こえて来る(聴かされる?)。だが、広上淳一 + 読響 は全く違った。(後編へ続く)

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2012.07,11佐藤雄太+佐伯周子「美しき水車小屋の娘」ご来場ありがとうございました(No.2084)

2012-07-12 22:55:45 | ピアニスト・佐伯周子
当日はお暑い中をご来場頂きありがとうございました。

アンコールは、シューベルト「ます」作品32D550 でした。

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佐藤雄太 + 佐伯周子「シューベルト:美しき水車小屋の娘」当日券あり(No.2083)

2012-07-10 21:35:15 | ピアニスト・佐伯周子
 明日の演奏会当日券あります。また、ここだけの話ですが、「途中入場可」です。遅れてご来場されても即入場できます><

 ご来場を心よりお待ち申し上げます。(尚、遅れています「演奏会批評」は、「佐藤雄太+佐伯周子 シューベルト:美しき水車小屋の娘」公演終了後に掲載致します。)
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