Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

現行音源 1952年初公開放送リサイタル「ファブリティス指揮ルチア第3幕アリア前半」(No.2824)

2024-04-09 10:18:18 | 1949-1957のマリア・カラスの全て
マリア・カラス - ライヴ・イン・ローマ&サン・レモ1952, 1954

マリア・カラス - ライヴ・イン・ローマ&サン・レモ1952, 1954

NML ナクソス・ミュージック・ライブラリー

 


1952年初公開放送リサイタル「ファブリティス指揮ルチア第3幕アリア前半」(No.1878) - Piano Music Japan

「ルチア」デビュー前から「完成されていたアリア」の実像私高本も瞞された録音の真相はこれ(爆カラス(s)ドニゼッティ「ルチア」公開放送録音ファブリティス指揮ローマRA...

goo blog

 

にコメント頂いた。回答します。

現行音源が存在しています。冒頭リンクから辿ると聴けます。

◎ラジオモノラル放送 → 闇録音LP(音質悪い) → 放送音源マスターテープを EMI が購入発売(音質良い) → NAXOS購入発売(音質EMIと同等)

NAXOS 販売以降、旨みが無くなり、闇CD皆無です。中古CD も買う人いないので、出現しません。私高本が購入したのは、NAXOS発売前で、EMI販売終了後の期間で、闇CDうじゃうじゃ時代でしたw


マリア・カラス は大好きな歌手で、「シューベルトを演奏しない演奏家」で唯一「シューベルトの次」に好きになった人です。

マリア・カラス 1949年デビュー → 1951.12.07 ミラノ・スカラ座シーズン初日「シチリア島の夕べの祈り」デビュー → 1952.02 RAI(イタリア放送)毎年1回開催大音楽会初年



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傲慢なカラヤンのカラスへの態度(No.2696)

2023-05-24 11:33:43 | 1949-1957のマリア・カラスの全て
カラスとカラヤンは、1954年「ルチア」初共演後、翌1955年は下記の通り共演した。

1955.07.28 - 08.06 プッチーニ「蝶々夫人」ミラノ・スカラ座 録音
1955.09.29 - 10.02 ドニゼッティ「ルチア」ミラノ・スカラ座ベルリン引越公演 2公演

「蝶々夫人」は評判を取らず、どこの歌劇場からも引きが無かった。
「ルチア」ベルリン公演は、凄まじい録音割れを産んだことは、1955年ライブ録音「カラヤン指揮ルチア」スカラ座ベルリン公演(No.1872) - Piano Music Japan 記載通り。「オペラ歌手気質」が全く理解出来ていなかったバカなカラヤン。だがめげない。翌年

1956.06.12 - 06.16 ドニゼッティ「ルチア」ウィーン国立歌劇場にてミラノスカラ座引越公演 7公演 5日で7公演=土日昼夜2公演


を実現。尚、オーストリア放送局ORFは、「ミラノスカラ座がウィーン国立歌劇場に引越公演」なのに録音放送しなかった。前年のベルリン公演の放送を知っていたからであるw
直後に

カラヤン ウィーン国立歌劇場常任指揮者就任


となった。「カラスをウィーン国立歌劇場に招聘」のおかげである。

「帝王カラヤン」呼称はウィーン国立歌劇場常任指揮者就任以降




就任前にEMIと契約を結んでいた

1956.08.01 - 08.09 ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」ミラノ・スカラ座 録音
となった。この時だろう、カラヤンからメネギーニに「カラス1957年6月ウィーン国立歌劇場ヴェルディ:椿姫 出演打診」が来た。既に「ウィーン国立歌劇場次期シーズン発表後であり、カラス=椿姫告知済み」であった。2月前に、5日で7公演=土日昼夜2公演であり、ニューヨークのブロードウェイミュージカル並みの酷使である。カラスが愚痴をメネギーニに言ったのは当たり前。メネギーニは「ギャラを上げて欲しい」とカラヤンに回答した。


それっきり連絡は無かった。
1956年ウィーン国立歌劇場シーズンが9月に始まってしまった。既に告知していた1957年「椿姫」カラス出演キャンセル、連絡無く。
1年経過
1957年ウィーン国立歌劇場シーズンが9月に始まってしまった。告知にカラス出演無く=連絡無く。

カラヤンがウィーン国立歌劇場常任指揮者である限り、カラスがウィーン国立歌劇場登場は有り得ない


カラスはウィーン国立歌劇場で歌ったが、ウィーン国立歌劇場管弦楽団とは共演せず、ウィーン国立歌劇場合唱団と共演せず、である。
ミラノスカラ座は「カラスでシーズンオープニング」を1956年12月7日も1957年12月7日も実行したが、カラスの心は晴れなかった。
そして、カラスは「運命の1958年1月2日ローマ」を迎えてしまった(泣
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カラス と カラヤン と ウィーン国立歌劇場、ミラノスカラ座(No.2630)

2023-01-18 11:14:27 | 1949-1957のマリア・カラスの全て
元旦は例年通り、「ウィーンフィルニューイヤーコンサート」を焼酎飲みながら聴いた。初めて聴いたのは1979年元旦で、ボスコフスキー指揮の最終年を聴いた。44年前か!
翌1980年から7年連続マゼールが振り、1987年に カラヤン が振り、以降毎年指揮者が交代する慣習が2023年まで続いている。

「帝王カラヤン」呼称は1956年「ウィーン国立歌劇場総監督就任が端緒」であり、1956年6月カラス主演「ルチア」で原語イタリア語上演が評価されたから


である。そして1964年にはウィーン国立歌劇場総監督解任となり、「帝王」は僅か8年だけであった。解任も カラス が関連していることは、知られていない。本日は、

カラス と カラヤン と ウィーン国立歌劇場、ミラノスカラ座


について詳細を記す。主役は上記4、脇役は

  1. フルトヴェングラー
  2. ナチスドイツ
  3. ベルリン国立歌劇場
  4. レッグ
  5. メネギーニ

google検索で「カラス ルチア スカラ座」検索すると、トップに カラス + スカラ座 の静止画youtube が来て,2番目に当 Piano Music Japan が来る。12年ぶりに書くぞ、マリア・カラス!

具体的に「演奏批評」しているのは、日本語ページでは 当Piano Music Japan だけだからなあ。


クラシック音楽界正月最大の事件 = 1958年1月2日マリア・カラス のローマ歌劇場「ノルマ」中途退場


だろう。ラジオ生放送だったので、イタリア首相を始めとする歌劇場来場者だけでなく、ラジオ視聴者にも瞬時に判ってしまった。降板しただけでなく、謝罪もしなかったカラスに対して、イタリア国内では オペラ・放送 がほとんど無くなってしまった。(既に契約していたミラノスカラ座だけいくつか出演している)

オペラライブCD は マリア・カラス/マリア・カラス - コンプリート・ライヴ・オペラ・コレクション

セッションCD は マリア・カラス/コンプリート・スタジオ・レコーディングス

セッション録音は完璧だが、ライブ録音は間抜け。「ルチア」はこれじゃないでしょwww


カラヤン と カラス で世界に先に世に出たのは、年長の カラヤン である。「1938年 ベルリン国立歌劇場 : ワーグナー : トリスタンとイゾルデ」公演である。これは伏線があり、「1934年 ベルリン国立歌劇場 : ヒンデミット事件」である。1934年にヒンデミット作曲作品を巡って、フルトヴェングラー と ナチスドイツ(ゲッベルス)が対立して、フルトヴェングラーは「ベルリン国立歌劇場」から追放されてしまった。(ベルリンフィルからも短期間追放されたが、直ぐに復位している)
 ナチスドイツのゲッペルスは、地方の「アーヘン歌劇場指揮者=カラヤン」を抜擢して1938年ベルリン国立歌劇場で ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を降らせ、新聞紙上で「絶賛批評記事」を書かせた。これに、フルトヴェングラーが激怒、死ぬまで「カラヤンを干す」実行した。これには、実は裏がある。

1937年11月協定「日独伊防共協定」の為に、カラヤンを「友好の橋」としてミラノスカラ座に派遣するため


である。

1939年「カラヤン : ベルリン国立歌劇場芸術監督就任」で即「ミラノスカラ座 ドイツオペラ担当」派遣


である。
非文明国家=日本にはカラヤンを派遣しなかったが、文明同盟国家=イタリア には、カラヤンを派遣したのである。

・フルトヴェングラー のレパートリーにはイタリアオペラ無し
・カラヤン のレパートリーにはイタリアオペラ有り

イタリア語が駆使出来たカラヤン、ドイツ語のみのフルトヴェングラー(多分)は、ゲッペルスの目から見ると、ド大差だった。ちなみに1934年当時の「ヒットラーの理想 = 日独伊英4ヶ国同盟」だったので、英語も堪能な カラヤン は適任だった。日本は非文明国家なので無関係w
日本初「国立オペラハウス」は1997年、文明遅れの評価は正しいw

1939年、カラヤンがミラノスカラ座でドイツオペラを原語ドイツ語公演で振ったのか? イタリア語訳詞公演で振ったのか? は不明。その後、1943年イタリア降伏 & 対ドイツ宣戦布告まで多分4年派遣された。
 ドイツ敗戦後、何年から カラヤンがミラノスカラ座に振り始めたかも不明。少なくとも、1953年セラフィン指揮「カラス主演ルチア録音」前までには「ミラノスカラ座ドイツオペラ指揮者」として戻っていた。


1953年、フルトヴェングラーは存命中。カラヤンは「カラス主演ルチア」をミラノスカラ座で「カラヤン指揮&演出」で振ることを提案。何故か、許可される。これが「カラスの悲劇」となる。これさえ拒絶していれば、マリア・カラス は永く永く歌えた、と私高本は信じる。

・1954.01.18 - 02.07 ドニゼッティ「ルチア」ミラノ・スカラ座 7公演
・マリア・カラス狂の録音狂が録音を海賊盤業者に売り込めなかった → カラヤン指揮&演出ミラノスカラ座「ルチア」

である。天井桟敷で初日を毎回録音していたが、海賊盤業者が買い取らなかったのだ!
理由ですか?
セラフィン盤より、遥かに劣るから、ただそれだけ。

ヴェルディ「マクベス」全曲  1952年12月 ミラノ ミラノ・スカラ座 以降 の「カラス海賊盤」続出状態を知っていたカラヤンは、「海賊盤出ないのか!」と怒ったことだろう。
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1952年初公開放送リサイタル「ファブリティス指揮ルチア第3幕アリア前半」(No.1878)

2011-06-13 22:35:35 | 1949-1957のマリア・カラスの全て

「ルチア」デビュー前から「完成されていたアリア」の実像


  私高本も瞞された録音の真相はこれ(爆

カラス(s) ドニゼッティ「ルチア」公開放送録音 ファブリティス指揮ローマRAI放送管弦楽団 1952.02.18



  1. カラスの歌:☆☆☆☆☆


  2. 指揮者  :☆☆☆☆☆


  3. 共演者  :☆☆☆☆☆


  4. ライブ感 :☆☆☆☆☆


  5. 録音   :☆☆☆☆


  6. 歴史的意義:☆☆☆☆☆


  7. 舞台初演日&場所:1952.06.10 メキシコ


  8. スカラ舞台初演日:1954.01.18(カラヤン指揮&演出)



 前年1951年12月7日にカラスは念願の「ミラノ・スカラ座シーズンオープニングのプリマドンナ」に指名された。ヴェルディ「シチリア島の夕べの祈り」であった。その日から「カラスの生活」は一変して、いろいろな人&機関からひっぱりだこになった。

『イタリアRAI放送』が1952年から(1957年まで)「偶数年はオケ伴奏のリサイタル、奇数年は演奏会形式オペラ全曲通し」を開始


もその一環。その第1弾の「目玉」がこれ。指揮者=ファブリティス とは、前年のメキシコ公演で気心の知れた仲。「3点Es」カマした「アイーダ」の売れている方の時の指揮者、と言えばわかり易いだろうか? 「伴奏型指揮者」だがうまい!

 ・・・で、ありとあらゆる資料を探して見たのだが、「カラスのルチア公演」はこの年の6月の「メキシコ公演」が世界初。つまり4ヶ月前なのだ > この録音。全部で8曲演奏しているのだが、気合いが入りまくっているのが

  1. ヴェルディ:マクベス


  2. ドニゼッティ:ルチア



の2曲。「マクベス」はこの年末のミラノ・スカラ座シーズンオープニングに予定されていた情報を知っていたんだろうな(爆

「ルチア」は(夫のメネギーニの著書に拠ると)シチリアーニが薦めたオペラ。メキシコ公演前に何か打ち合わせがあったのだろう。その前のこの記念碑的リサイタルで「イタリアの聴衆にお披露目」をしたワケだ。素晴らしい歌唱! あぁ、最後は3点Esだし、直前Bにはきれいにトリルがかかっているよ。4ヶ月後のメキシコ公演のライブ録音について永竹由幸が書いているのを読むと、購入を躊躇せざるをえないのだが、この演奏では「万全のカラス」が聴ける。しかも「100kg時代でパワー全開」だ! 前年にブラジルで支配人=ピントを半殺しにした当時のパワーがある!!!

 この演奏を「説明無しでボーナス・トラック」に入れていたために、何が何だかわからなくなっていた 「1957年ルチア」。 罪作りだね~(爆
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1957年演奏会形式公開ライブ録音「セラフィン指揮ルチア」(No.1875)

2011-06-09 20:20:46 | 1949-1957のマリア・カラスの全て
 ほとんど誰もが推奨しない録音。理由ははっきりしている。

全曲終わった後のボーナストラックについている「第3幕アリア前半」の出来があまりにも素晴らしく、『それなら通しで歌って欲しかった』と誤解している人が多いから


である。これは「誤解」だよ、マジ。これが原因で \49,350の「マリア・カラス コンプリート・ライヴ・オペラ・コレクション(103CD)Dreamlife 」にも収録してもらってない。 このライブ録音を収録しないで「コンプリート」は詐欺同然。まあ、海賊盤の運命はこんなモノかも知れない(爆

 何が何だかワケがわからなくなってしまっている「謎の名演」がこれだ!

 ドニゼッティ「ルチア」は短いオペラである。休憩を数えなければ、「道化師」の1.5倍程度の長さ。「ノルマ」辺りに比べると、約半分に「体感時間」は短い。


 私高本は、一時期「現代風オペラ演出」が大流行していた当時、大嫌いで「演奏会形式オペラ」を好んで聴いていた時期がある。20世紀末で1994-1999頃だった、と記憶している。読響や東フィルが質の高い公演を立て続けに上演してくれていた。その後、大野和士が欧州に行ってしまってからは下火になった、東フィルだけでなく読響も。新国立劇場が出来たことが最大の原因だった、と今から振り返ると思い当たる。
 さて、その当時の東京だが、オペラ全部終わった後に「人気アリアをアンコールで歌う」に出くわしたことは1度も無かった。「イタリアオペラは随分サービスがいいなあ」と私高本も、実はCD購入当時は思っていた(爆
 元々、イタリアRAI放送を闇録音したモノが市場に出回った「海賊盤」が出自。1枚でも多く早く売り抜けるためにいろいろなサービスを付けた。「ボーナストラック」もその類。そのまま出してくれるか、録音データをきちんと付けてくれれば良かったのだが、海賊盤販売するヤツらに言っても無駄。それにしても「雰囲気の似た録音」を見付けて来たモノだ(爆
 実際の演奏会形式では「1回通して演奏されて、それで終了」だった。そこまでを批評する。

カラス(s) ドニゼッティ「ルチア」演奏会形式公開放送録音 セラフィン指揮ローマRAI放送管弦楽団&合唱団 1957.06.26



  1. カラスの歌:☆☆☆☆☆


  2. 指揮者  :☆☆☆☆☆


  3. 共演者  :☆☆☆☆☆


  4. ライブ感 :☆☆☆☆☆


  5. 録音   :☆☆☆☆☆


  6. 歴史的意義:☆☆☆☆☆


  7. 舞台初演日&場所:1952.06.10 メキシコ


  8. スカラ舞台初演日:1954.01.18(カラヤン指揮&演出)



 アリアは「第1幕」「第3幕の後半」は文句なし。「第3幕前半」カデンツァの最後は2点Es に下げているが、その前の2点B はつややかにトリルを掛けている。重唱は、ミラノ・スカラ座公演を何度か経て来ただけあって、細かな点までチューンアップされている上、セラフィン指揮なので カラスも共演者も生き生きと歌っている。オケも合唱も伸び伸びとしていること!

「1957年のカラス」は、実は出来不出来のムラが大きい。いや、さらに2年前から兆候が出ている。

マリア・カラス がムラが大きくなった開始時点 = 1955.07.28「蝶々夫人」カラヤン指揮


である。カラヤンの指揮は、カラスと体質的に全く合わなかったのだ。1957年も6月に「ウィーン国立歌劇場で椿姫」が発表されていたのだが、キャンセルされた。実行されていたらカラスの評価は高かったろうが、この1957年後半の好調が現れたか? それは仮定なので誰もわからないが、私高本は「カラヤンと共演しなかったから半年の好調が戻った」と感じる。「ルチア」だけでなく、「夢遊病の女」もこの時期に「カラス最高の演奏(ケルン)」が現れているし、「仮面舞踏会」も同じ。
 実は、この後録音を除くと「全盛期にイタリア聴衆の前で歌う機会」は半年後の1957.12.07の「ミラノ・スカラ座仮面舞踏会 シーズン初日公演」まで無かった。しかし、1955年にカラヤンに引き摺り回されていたやつれた姿も声もみじんも無い マリア・カラス が「元に戻った声」がここに記録されている。録音は「天吊りマイク1点」録音。充分に美しい。

 では「ボーナストラックの第3幕アリア前半」は何か? ですか?

 次回に詳述します。
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1955年ライブ録音「カラヤン指揮ルチア」スカラ座ベルリン公演(No.1872)

2011-06-06 20:20:01 | 1949-1957のマリア・カラスの全て
狂気のシリーズ「1949-1957のマリア・カラスの全て」の第2回。遅れていたCDも届き、必要な音源は全て聴いた。「ルチア」「ノルマ」「椿姫」は怒濤の勢いで書けるかも。

ワーグナー発言「ドニゼッティのオケ=大きなギター」を実現してしまった「カラヤン指揮&演出」の「ルチア」


 「カラヤンは大指揮者である」と大概の人は思っている。私高本もこれまでは思っていた。「カラスのルチア」を聴くまでは(爆
辛口評論家=永竹由幸 でさえ、基本的には誉めているから、購入して聴いて見た。聴いて愕然、「こんなに歌いにくそうなマリア・カラスは、1949-1957 でこれだけ」である(藁

1955年スカラ座ベルリン引っ越し公演:カラヤン指揮&演出 + マリア・カラス主演 の ドニゼッティ ルチア


は「一大イベント」であったが、謎の多い公演でもあった。特に「ワケがワカラン」ことが、「スカラ座の合唱団員は連れて行ったのに、オケはベルリンRIAS管弦楽団を起用」したことである。ワーグナーの楽劇演奏するワケではないので、12型程度を連れて行けばいいだけ。(チェロとかコントラバスを別にして)特に飛行機や列車で「別料金」取られるような楽器もないんだよなあ > ワーグナーがバカにした程度のオーケストレーションだし(爆


 カラヤンは EMI初録音セラフィン指揮「ルチア」フィレンツェ歌劇場1953年盤を聴いて、カラスとの共演を熱望した。「ミラノ・スカラ座でカラスの初上演時に。カラヤン自身の演出で!」と。
 当時カラヤンは「ミラノ・スカラ座のドイツ物担当指揮者」だった。1本くらいはいいか、と思ったのだろう、翌1954年1月に早々に実現した。今度は「ベルリンにミラノ・スカラ座ごと持って行ってお披露目する!」と言って連れて行った > オケを残して(爆


 録音を聴いて見た。

  1. マルチマイク録音(8本か16本か32本かはわからなかった!)


  2. マリア・カラス の「フォルティッシモ」で音が割れている


  3. リミッターは不使用


  4. 「モノラル時代のライブ」としては「分離が信じられないほど良い」が「不自然な音」である



 「マリア・カラスのルチア」は腐るほど録音が残っているが「カラヤン指揮」が最もスカ。さらに言えば、共演の男声陣も「声が固くなる」が実情。どんな棒でどんな演出だったのだろうか? 「音が割れた」原因は間違いなく「ゲネプロで音量設定して、リミッター掛けなかった」が原因だろう。そのおかげで「伸びやかな声」が聴けるのではあるが、アリアのあちこちでガンガン、マリア・カラス の声が割れまくっているのは「良い録音」なのか? 私高本の耳には「スカ録音」にしか聞こえない。「マリア・カラスのアリア」が割れていれば、全く価値無いだろう。2000円弱損した気分だ(泣

「ドニゼッティのオペラ」は、ソプラノやテナーのソロに身を委ねて、伴奏を付ける、が基本中の基本


である。カラヤンはこれを破ったのである(爆
 「オレ様が振れば、ドニゼッティ でさえ、 後期ヴェルディ か プッチーニ みたいになる!」

 ・・・と信じて、テンポを遅くして、(カラスだけでなく、全員の歌手ソリストを)歌い難くして、歌唱水準を落とした上に、ゲネプロでの小声の歌唱に合わせて「マイクレベル」して「本番の音量拾えない」演奏を記録したのね(爆

カラヤンの指揮では「大きなギター」にしかならなかったドニゼッティ「ルチア」の壮大な記録


がここにある。「ワーグナーのドニゼッティ観」を舞台で再現したのである! アホだね


カラヤンは演出で何を表現しかったのか?


  カラヤンは「自己顕示欲が極めて強い」ことは有名。死ぬまでオペラ演出を続けようとしていたが、評判になった作品は1つもない。当たり前か?(爆
 「カラヤンのオペラ演出の歴史」はよくワカラン。それほど「カラヤンのオペラ」に興味が湧かないから。「ルチア聴いたら2つ目聴く気が失せた」だから。しかし、気を取り直して、カラスの「蝶々夫人」と「イル・トロヴァトーレ」は聴いて批評書くから安心して下さい。
 「ルチアの演出」って、あまりにも評価高いモノがあるのだろうか? 第3幕「狂乱の場」でルチアが狂いまくって、2回の3点Es延々と伸ばせたら、場内がブラヴォーの嵐になって。演出は誰も覚えていない、のが普通。特に悪い演出に私高本は当たった記憶が無い。「ダンボールのフィガロ」とかで、場内騒然「ブーイングの嵐」の経験はあるが。

 つまり「普通に演出したら、ルチアだけがブラヴォーの嵐」になる「プリマドンナオペラの典型」なのだ。高い声に自信が無いと回避したりする。すると場内は「しょぼーん」。お通夜のようになる。私高本は「3点Es狙ったが落として、ブーイングの嵐」には出会ったことは無い。自信が無いソプラノは役を受けないからなあ。
 演出家は、ルチアが最大に『受ける』ためだけに演出する。予算が無いと第3幕「狂乱の場」以外は信じられない安普請を見せられることもある。ほとんど全部「布製」なんてのもあったが、ルチア役が3点Esを決めてくれたので、場内は「ブラヴォーの嵐」だったこともある。

主役を強引に「ルチア → 指揮者」に変更する為「狂乱の場」の1回目の3点Esをオクターブ下げさせるためだけのカラヤンのクソ演出


  1953年のセラフィン指揮「カラスのルチア」EMI初録音盤を研究したカラヤンは考えた。「狂乱の場」は全体が有機的に繋がっていて、途中で「ブラヴォーの嵐」が来てはならない。そう、チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」第3楽章の後に拍手が来てはいけない、のと同等に考えたのである、マジで。実演では大概の指揮者は「悲愴」を振る時には

  1. 左手を背中に廻して「聴衆に手の平を見せて」拍手を制御する
  2. アタッカで第4楽章に突入する

のどちらかを行う。
 チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」では説得力ある手法を、ドニゼッティ「ルチア」に応用したのがカラヤンの演出。

カラヤン演出「ルチア」第3幕「狂乱の場」の工夫一覧



  1. (フルートとの掛け合いになる)カデンツァの最後の3点Es を「楽譜通り」2点Es に落とさせる


  2. 直前の2点B でトリルを禁ずる


  3. アタッカで後半部に入り、「聴衆の拍手(&ブラヴォー)」を禁止する



 『演出家カラヤン』の狙いは見事に成功し、それは静かな静かな「聴衆の反応」が待っていた。「新国立劇場で同じ演出」したら『演出家登場と同時にブーイングの嵐確実』である。あぁ、ベルリンでもあったかも。「カラヤン登壇」まで、拍手が残って録音されてないからわからん(爆


 ここで改めて記述しておかなければならないことがある。

ミラノ・スカラ座が「セッション録音」する時はオケは舞台上、「ライブ録音」する時はピットの中


である。
 東京でわかり易く説明すれば、東フィルが「定期」で演奏する時は「ステージ上」、新国立劇場オペラで上演する時は「ピット」である。音響は全く違う。どちらが好みかは聴く人次第。私高本は「オペラならばピット」が好み。この辺りは人に拠る。「ピットだとゴモゴモ」しているし、「ステージだとバランスがオケ寄り過ぎる」傾向にある。
 ・・・で、ミラノ・スカラ座であるが、普通に考えて「ライブ録音」は放送局などに許しても「ピットの中にマイクをツッ込んでのマルチマイク録音は許さない」だったと思う。理由は「1957年までのマリア・カラス録音に1本も無いから」だ。おそらく「西ベルリンのオペラハウス」も同じだったろう。だからこそ、極めて不自然な「放送オケがピットに入ってのミラノ・スカラ座引っ越し公演」になった、と私高本は推察する。わずか2年後の1957年の「ミラノ・スカラ座ケルン引っ越し公演」ではオケも連れて行っているではないか! 2年でそんなに西ドイツの経済状況が良くなったのか?(爆

 ちなみに1955年のカラスは、「絶頂期」と評する人が多い。直前のライブ録音が 1955.06.29 セラフィン指揮「ノルマ」、直後のライブ録音が 1955.12.07 ヴォットー指揮「ノルマ」ミラノ・スカラ座シーズンオープニング初日。どちらもカラスの声は万全。カラヤンが足を引っ張ったことは歴然だ!
 ちなみに、「カラスとカラヤンの顔合わせは以下の5回

  1. 1954.01.18 - 02.07 ドニゼッティ「ルチア」ミラノ・スカラ座 7公演
  2. 1955.07.28 - 08.06 プッチーニ「蝶々夫人」ミラノ・スカラ座 録音
  3. 1955.09.29 - 10.02 ドニゼッティ「ルチア」ミラノ・スカラ座ベルリン引越公演 2公演
  4. 1956.06.12 - 06.16 ドニゼッティ「ルチア」ウィーン国立歌劇場 7公演
  5. 1956.08.01 - 08.09 ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」ミラノ・スカラ座 録音

 見ておわかりのように、ルチア以外は舞台で共演していない。1957年6月にウィーン国立歌劇場「椿姫」公演が告知されたがキャンセルされた。カラヤンは、「マリア・カラスを利用してルチアで好き勝手した」が、「蝶々夫人」「イル・トロヴァトーレ」のどちらも共演しようとしなかった。カラスは、「蝶々夫人」はシカゴで1回上演しただけで他に録音は残っていない。「イル・トロヴァトーレ」は他にも録音あるよ(爆
 さて「ルチア」に戻ろう。結論。

「セラフィン と ヴォットー」の指揮 > 「カラヤン」の指揮


である。


カラス(s) ドニゼッティ「ルチア」ミラノ・スカラ座ベルリン引越公演 カラヤン指揮&演出 1955.09.29



  1. カラスの歌:☆☆☆


  2. 指揮者  :☆☆


  3. 共演者  :☆☆☆


  4. ライブ感 :☆☆☆☆


  5. 録音   :☆☆☆


  6. 歴史的意義:☆☆☆☆☆


  7. 舞台初演日&場所:1952.06.10 メキシコ


  8. スカラ舞台初演日:1954.01.18(カラヤン指揮&演出)



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1953年セッション録音「ルチア」(No.1870)

2011-06-01 20:38:42 | 1949-1957のマリア・カラスの全て
 唐突だが、「カテゴリー」を新設した。Piano music Japan の看板には全く合わない「世紀の大ソプラノ歌手=マリア・カラスの全盛期」だけを取り扱う。ピアノ伴奏は1つも無いよ(爆


 マリア・カラス の全盛期はおそらく「1952.11-1957.12」の丸5年と1ヶ月。1958.01.02に大スキャンダル起こした後の声は、信じられないほど落ち込んでしまう。私高本は相当にカネをツッ込んでしまったところだ(泣
 全盛期前にも素晴らしい演奏は多々ある。「全て」なんて偉そうなことを書いたが「私高本が聴いて満足できたオペラは重複したCDは購入してない」が実情。カネ無いからなあ(爆
 「ルチア」「ノルマ」「椿姫」の3本だけは必ず書く。「カラス録音全部」を収集する習癖は無い(「犬のサンダル集めの習癖は無い」の意味)ので、もしかしたら「重要な録音」を聴き落としているかも知れない。その節は、コメント欄にてご指摘下さい。よろしくお願いします。


カラス(s) ドニゼッティ「ルチア」EMIセッション録音 セラフィン指揮フィレンツェ歌劇場 1953.01.29-02.06



  1. カラスの歌:☆☆☆☆


  2. 指揮者  :☆☆☆☆


  3. 共演者  :☆☆☆☆


  4. ライブ感 :☆☆☆


  5. 録音   :☆☆☆☆


  6. 歴史的意義:☆☆☆☆☆


  7. 舞台初演日&場所:1952.06.10 メキシコ


  8. スカラ舞台初演日:1954.01.18(カラヤン指揮&演出)



 マリア・カラスの「EMI初録音」がこれ。対象期間(1957.12.07まで)の「EMIセッション録音」中、イタリア国内録音であるにも関わらずミラノ・スカラ座を起用しなかった唯一の録音でもある。これだけ聴けば、「十二分に満足できる演奏」であるが、後の「ミラノ・スカラ座舞台初演」以降の水準には達していない点がいくつかある。「細部の仕上げ」が「さらに上がある」のだ。
 この録音当時、フィレンツェ歌劇場では「カラス主演のルチア」を何と「ヴォットー指揮」で上演しており、並行録音となった。バリトンも違うし(苦笑

 カラスとEMIの契約がどうなっていたのかは、今となっては誰もわからないが、相当に大きなプロジェクトだった、と推測される。EMI は「各国で独自の活動」が有名なレーベル(爆
 しかし、「マリア・カラス は 英国本社の超大物プロデューサー = レッグ」が直接担当した。「フルトヴェングラー並みの扱い」と書けば、おわかり頂けるだろうか???

 カラスの声は若々しく張りが十二分にある。指揮者セラフィンも「第2次世界大戦前にスカラ座の人気指揮者」だった時を思い出したかのような元気あふれる棒。共演者はソリストも合唱もオケもいいよ! ライブ感も「同時併行で上演中」の雰囲気が伝わってくるかのような演奏。録音は「エコーがちょっと長い」のが気になるが、充分に良い音。EMI 専属契約第1弾なので「歴史的意義」は大きい。

 ・・・で、何が「少しだけ不満が残るのか?」について、説明しよう。

「ミラノ・スカラ座のチューンナップ」が為されていない「細部の詰めの甘さ」が残っている


である。マリア・カラス の録音を聴くと「ミラノ・スカラ座舞台初演」の前と後では、「細部の詰め」が全く違うのだ。例えば、重唱とか。これだけ聴くと何1つ不満は無いのだが、「スカラ座舞台初演」以降は詰めが、さらにさらに鋭くなっている。
 録音も良いし、記念碑的録音なので「頻繁に聴くCD」であり、特に悪い点は何も無いのだが、後の録音の方が「良い点がある」。但し「息の長さ」はこの盤が「ルチア」では最高だと感じる。(メキシコ録音「ルチア」は持っていません。)モノラルながら「マルチマイク録音」でカラスだけでなくオケの音も明確。英国EMIの総力を上げた録音である。
 第3幕の「カデンツァ」「アリアの最後」を共に、3点Esに張り上げていながら、中途もきちんと歌っているのには唖然。「ソプラノファン」は(価格も安いので)是非是非聴いてほしい1枚である。
コメント
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