Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

作曲家論 : バッハ第4回(No.1443)

2006-12-16 23:22:46 | 作曲家・バッハ(1685-1750)
 Piano Music Japan 創刊10周年記念第3弾 = 最終企画 である(爆
  • 私高本では、バッハは理解できないだろう! とか
  • 他のCDばかり聴いているのに、「バッハ理解ができなくて、ブログ更新が止まった」は言い訳

などの手厳しいご意見も頂きました、ハイ。
 結構長い連載になりそうですが、「きちんと結論は出しました」なので、読んで トラックバックなり、コメント頂ければ幸いです。
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2006.12.15 新国立劇場バレエ「プロコフィエフ : シンデレラ」初日批評(No.1442)

2006-12-15 23:58:38 | その他
 新国立劇場バレエ「プロコフィエフ : シンデレラ」初日 を聴いた。久しぶりに新国立劇場の4階でバレエを見たような気がする。昨年度は(新国立劇場バレエは全く聴いていないから)最低でも2年ぶりか? ピアノ以外には、「オペラ」にカネを重点投資しているので、『バレエは4階』が個人的には定着しているかも(泣
 本日は『オペラ狂が見た 新国立劇場バレエ』の視点でお伝えする。ちょっと危なげかも(爆


コジョカル初登場! にも関わらず冷静沈着な 新国立劇場バレエの皆様


 「コジョカル新国立劇場初登場の日!」である。 期待通りの「可憐なシンデレラ」が見事に演じられた。 しかし、場内から発せられた最初のブラヴォーは「春の精 = 西山裕子」であった。 その前に コジョカル登場しているのに!
 正直に言って「バレエ聴衆 と オペラ聴衆 は断絶している」と断言できるほど、『世界が違う』と感じた。 ソロを踊った後に『ブラヴィー』って、イタリア語ワカラン私でも、CDを通じても異常。 う~ん、このまま突き進んでいいんでしょうか、新国立劇場バレエ?


 まずは『絶対的な評価』を先にする。
  • コジョカル → 素晴らしい!
  • 最盛期の フェリ には至っていない

が正当な評価だろう。 足の挙げ&静止 や、指や腕の「止まり」は信じられないレベルで素晴らしかったが、「最盛期のフェリ」が出していた「女性にも関わらず圧倒的なジャンプ」とか「心情の吐露の切なさ」などは、(時間が解決するだろうが)今日現在では「まだ解決まで時間がかかる」感触。


 「王子役 = ボネッリ」 は、
  • コジョカルの「受け止め役」としては信頼抜群
  • ソロ演技では『静止で ごちゃごちゃ動きが止まらない、ので減点大』

である。 背も高く、人気が出そうなバレリーナなので、さらなる飛躍を期待している。


 ・・・で、脇役陣も良く、素晴らしい「プロコフィエフ : シンデレラ」であった。 新国立劇場の見込みも良かったようで、事前に入手していた情報

新国立劇場にて、欧州のみの大使を集めての外交パーティー


も、第1幕 → 第2幕 の幕間に、2階にて盛大にフラッシュ焚きまくりで行われた。 私高本の矯正視力に衰えが無ければ(爆

全員 欧州系の外交官だけ + 日本人


に見えた。うまそうな酒呑んでいたことだけは報告できる。「旨そうなメシ」は無かったように見えた。矯正視力の問題かも知れない(爆
 中国人や韓国人を日本人と間違えた可能性は大。欧州人と南アフリカ人や豪州人を間違えた可能性も大。
 だが、「私高本の眼 には、欧州人だけ」に映ったことは明記しておきたい。もし視力が悪かった! とのご指摘があれば、眼鏡代金を添えてご指摘頂ければさらによくなるような気がする。
 何か、マズいこと書いた?(藁
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佐伯周子CDデビュー : (No.1441)

2006-12-14 21:55:36 | ピアニスト・佐伯周子
 標題の件だが、年明けに出す見込み。マスターテープもしっかりしていたし、プレス予定のCD会社も、今年もしっかり存続してくれたし(← 安いから注文が多いからだろう)


 「シューベルト」の予定。おそらく、モーツァルトやショパンのようには売れない(藁
 それでも、『佐伯周子のピアニズムの素晴らしさ』を1人でも多くの人に聴いてほしい、と思う。赤字が見込まれるから、少し稼いでおくか?(爆
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作曲家論 : シューマン第20回(No.1440)

2006-12-13 20:56:05 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 フロレスタンとオイゼビウスを降臨させたのは、金銭的にイタかった。我が家にある酒の内、最も高額な「スペイン産エンブレム入り発泡ワイン」だけを全部呑んで、トンヅラされた。う~ん、シューマン伝記では「ドイツワイン好き」と書いてあったので、「ワインならばドイツワイン好き、質が判らず何でも呑むタイプ」かと、誤解した私高本の頭が悪かったようだ。 いろいろと教わったことも多かったので、(フトコロは痛いが)ヨシとしよう(泣
 本日号にて「シューマン : 作品14」のシリーズは終結する。


『序奏と、クララ・ヴィークの主題による大変奏曲』が実現しかけて実現しなかった ヘ短調ピアノソナタ 作品14


  • 変奏曲緩徐楽章 + 終楽章 → クララ・ヴィークの主題による大変奏曲(交響的練習曲に準じた構成)
  • その前に「序奏」(ショパン「お手をどうぞ」による変奏曲の序奏を目指している) → 1楽章~3楽章 分であり、まとまらなかった

 

 シューマンの脳内に、この「最終稿 = ピアノソナタ第3番ヘ短調 作品14」とされた作品が存在したか? は誰にもわからない。シューマン自身だけはわかっていただろうが、クララもブラームスもわからない。ブライトコプフもわからない。ヘンレもわからない。ショットも(今のところ)わからない。私高本もわからない。

  • フローリアン・ヘンシェル は、「初稿の第1楽章 → 遺稿のスケルツォ → 1853年版出版の スケルツォ → クララ・ヴィークの主題による変奏曲(主題 + 6変奏曲) → プレスティッシモの終楽章」 の 5楽章編成

とはっきり主張している。 これを聴け。

フローリアン・ヘンシェル(p) シューマン:ピアノソナタ第3番 初稿



ヘンシェル ピアノソナタ第3番 初稿(Ars Musici AM14072) 2006年11月28日発売





1,420円(税込)



  • 演奏   :☆☆☆☆☆
  • 資料価値:☆☆☆☆☆
  • 音質   :☆☆☆☆☆


2001年8月28,29日録音。

 この演奏は素晴らしい! 上記の「シューマン設定のストーリー」をはっきりと『ストーリーテラー』として伝えてくれる演奏である。
 ここに明言しよう。

  • 変奏曲(変奏数が通常よりも2変奏曲多い!) → 終楽章 の自然な流れは これまでの録音中最高!
  • ホロヴィッツ盤(BMG)でも聴けなかった構成感
  • ポリーニ盤(DG)でも聴けなかった構成感が
  • フローリアン・ヘンシェル盤には実在し
  • その根源は「大英博物館の自筆譜を丹念に調べた成果!」

である。
 このCDレーベルは今回初めて購入した。相当、金銭的にはキビしいレーベルらしく(私高本と同じ!)、いろいろと「削れる予算は削る」で作られており、ヘンシェル自身の署名記事は(自己紹介を含め)皆無。(あっ、私高本の作った「川上敦子のCD」も同じか、、、)
 ・・・で、演奏は「構成感」については ホロヴィッツやポリーニは足下にも及ばない高い水準である。う~ん、CD選択の根源が揺らぐほど大きなショックがあったCDである。


 このヘ短調ピアノソナタは「3稿」あり、

  1. 第1稿 : 5楽章構成、上記ヘンシェル主張の構成

  2. 第2稿 : 3楽章構成、『=初版』1836年版

  3. 第3稿 : 4楽章構成、『=第2版』1853年版


となる。途中で、変奏曲の数が「6 → 4」に減数、とか、『分散和音 → 重ねる和音』とか、『拍子記号が完全に差し替え』とか、(一流作曲家で無ければ、消える運命にある水準の)「迷惑降りまくり改訂」を繰り返した。 しかも、クララに献呈しておけば「ロベルト死後」も尊重されたのに、モシェレスに献呈し、モシェレス自身からもクレームが付いた(泣
 さらに、追い打ちをかければ『日本を代表するシューマンガクシャ = 前田昭雄』が『音楽之友社 の 権威を賭けた 新編 世界大音楽全集 シューマン ピアノ曲集II 器楽編16』のP195にて
シューマンはヘ短調ソナタを作曲した当初,フィナーレの前にこのスケルツォを置く,5楽章の全体を構想していた

なんて言う
無根拠な暴言 を 日本を代表する媒介に掲載!

していた。 前田昭雄もヒドいが、音楽之友社もヒドいね。
 前田説の順序で、デムスのCDを聴いたが「ハッ? こんな構想をシューマンはしていたの?」と思った記憶がある。「デムスCD発売当初」なので、今の値段の3倍くらいした時に、高掴みしてしまったCDである(泣


 ヘンシェル盤を聴くと、明瞭に浮かび上がることが3点ある。

  1. 全曲構成として、『クララの主題』自体の登場が(手本にしたシューベルト「さすらい人幻想曲」に比べても)遅過ぎである。

  2. 『ヘ短調の支配』が強過ぎて、『ピアノソナタ』または『ピアノ協奏曲』としては色彩感に乏しい

  3. 『初版 = 第2稿 = 1836年版』は、短縮したにも関わらず、『全楽章 = ヘ短調』にしたので、第1稿よりもさらに 単色化した

  4. である。う~ん、うなる。


     ヘンシェル盤は、素晴らしい。ただ、岡原慎也 や 佐伯周子 が『出版されていない この稿を弾いたら もっといいかも!』とは(強欲な私高本は)思う。


    この ヘンシェル盤 が「シューマン没後150年最大の収穫」


    と感じる。 もし、読者の【あなた】がシューマンに興味あるならば、是非是非聴いてほしい!
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2006年12月10日(日) 大井範子ソプラノリサイタル 批評(No.1439)

2006-12-12 22:43:36 | 批評
 一昨日の演奏会の批評。 シューマンを中断しても書きたい充実した演奏会だった。


丁寧に練り上げられた イタリアオペラ名場面集!


 大井範子ソプラノリサイタル を聴いた。
  • ソプラノ = 大井範子
  • バリトン = 折江忠道
  • ピアノ = 村上尊志

の強力な布陣であったが、聴衆の期待に添った名演奏が聴け、「イタリアオペラのエッセンス」が聴けた収穫の多い演奏会であった。
 全体を通しての印象とすると

  1. テンポにリズムに「イタリアオペラの愉悦感」をいつも聴かせる 大井範子
  2. 全体を通しては「ソロリサイタル」と言うよりも「大井範子 & 折江忠道 ジョイントリサイタル」に近い感触

である。 大井の師匠 = 折江 の存在感が、素晴らし過ぎたのかも知れないが。
 大井範子の演奏は、聴いていて心地良い。これに後1つだけ、『折江が有していて、大井が未だ手にしていない = ダイナミクスの拡大』 が実現すると、大井の活躍の場はさらに拡大することだろう。 まだまだ「声が伸びる」時期(の年代に私高本は見えた。年齢表記無し)大井 なので、次回リサイタル が楽しみである。『折江のフォルティッシモ』を体得すれば、「鬼に金棒」になると、私高本は感じた次第である。
 村上 のピアノは、(ピアノ専門ブログなので)詳述したい。全てが良かったが、特に
ヴェルディ「椿姫」が最高!

であった。『指だけで紡ぎ出すレガート』が延々と繰り広げられ、「リストか?!」とまで思わせる「ピアニストの超絶技巧」であった。 イタリアオペラリサイタル を聴くならば、村上で聴きたい! と思った日であった。
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作曲家論 : シューマン第19回(No.1438)

2006-12-11 23:27:02 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 さすがに「元祖音楽評論家 兼 作曲家」のシューマン先生は、私高本程度の知識ではなかなか「本心を抉り出す」水準まで達していないかも。 それでも真相を明らかにするぞ!(爆


シューベルト「さすらい人幻想曲」そのままを再現しようとして『大成功』したシューマン ピアノソナタ第3番ヘ短調作品14


  • 高本 : これでよろしいのですよね、シューマン先生の分身のお二方(藁
  • オイゼビウス : (無言)
  • フロレスタン : 失礼では無いか! 初版 → 再版 で「タイトルが変わった曲」が「大成功」のワケないでしょ!
  • 高本 : 当時はそんな状況だったのですか? 勉強になりました!
  • オイゼビウス : (無言)



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作曲家論 : シューマン第18回(No.1437)

2006-12-10 23:41:28 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 今日は 大井範子ソプラノリサイタル を聴いて来た。「イタリアオペラ三昧」だったので、シューマンを書くのはちょっと氣分が違うかも(藁 
 シューマンは「イタリアオペラ罵倒派の最先鋒 = 右翼」だったからなあ(爆


シューベルト「さすらい人幻想曲」そのままを再現しようとして失敗したシューマン ピアノソナタ第3番ヘ短調作品14


  • 高本 : 「インターネットでのみ棲息」とかの誹謗については『停戦』でいいですね、オイゼビウス先生 & フロレスタン先生!
  • フロレスタン&オイゼビウス : 同意する。(シューマンの女性問題を持って来るとは、不埒なヤツだが、侮れない!)
  • 高本 : ・・・で、「先に言え!」と言われたから、言っただけなんですが、問題ありました? 標題の件?
  • オイゼビウス : 詩的な表現は出来ませんかしら?
  • 高本 : 『インターネットでのみ棲息している習性』上、無理かと思います。
  • オイゼビウス : (無言)



  • フロレスタン : 半分は正しいが、半分は違っているだろう、高本君。
  • 高本 : どこが当たっているのでしょうか? どこが違っているのでしょうか?
  • フロレスタン : シューベルト「さすらい人幻想曲」を再現しよう、と言う点は当たっている。『失敗した』が違っている。
  • 高本 : ありがとうございます。 では、ヘ短調ピアノソナタは「成功作」でよろしいのですね?
  • オイゼビウス&フロレスタン : (無言)

 う~ん、何も話さないと言うことは深刻な問題がありそう。なんかヤバかった?
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作曲家論 : シューマン第17回(No.1436)

2006-12-09 09:26:38 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
 Piano Music Japan 10周年記念号第2弾は、シューマン! もちろん、ピアノソナタ第3番行きます。本日、ロベルト・シューマン先生ご自身に降臨して頂いてから詳細は掲載させて頂きます。降臨まで、そのまましばらくお待ち下さい(09:26)


 撒き餌を散らして12時間余、やっと「没後150年」のシューマン先生をお迎えすることが出来ました(泣
 「シューベルト グレート楽譜」「シューベルト グレート CD」「シューベルト ト長調ピアノソナタD894 楽譜」「シューベルト ト長調ピアノソナタD894 CD」「パガニーニ カプリース楽譜」「パガニーニ カプリースCD」「ショパン お手をどうぞによる変奏曲 楽譜」「ロリ画像」等々 で霊を呼び寄せようとしたのだが、ことごとく失敗! 最後の最後の手段で「ワイン」で釣ったところ、ご降臨遊ばした(藁 (22:50)


シューマンを迎えたと思ったら「フロレスタンとオイゼビウス」の霊だった(泣


 以下は実況である(爆
  • 高本 : 本日はお忙しい中を「ロベルト・シューマン先生の霊」である、フロレスタン先生とオイゼビウス先生にお越し頂き、感謝するばかりであります。
  • フロレスタン : 同一人物だと言うことはわかっているだろう。失礼だ!
  • オイゼビウス : (無言)
  • 高本 : インターネットWebの世界と言うのは、シューマン先生主筆&発行の「音楽新報」とは違い、誰でもが読む媒体なので、同一人物かどうかは「読者全員が熟知している」と思う方がアブナいんですが。
  • フロレスタン : 「インターネットでのみ、ご活躍の高本氏 = 君」でいいのかね?
  • 高本 : 10年間「インターネットでのみ棲息」しているのでいいと思います。そんなことよりも、シューマン先生の「ピアノソナタ ヘ短調 または オーケストラ無しの協奏曲 ヘ短調」の根源について語って頂きたいのですが。
  • オイゼビウス : 高本君、君も「インターネットでのみの評論家」とか言われて居ても、評論家を標榜しているのであれば、シューマン先生と同じように、まずは堂々と自説を掲げよ! シューマン先生がショパン「お手をどうぞに変奏曲」を絶賛した時のように。
  • 高本 : 恨みっこなしですよ。では、自説を全面開示します。



シューベルト「さすらい人幻想曲」そのままを再現しようとして失敗したシューマン ピアノソナタ第3番ヘ短調作品14


  • 高本 : 言いたいことを上記タイトルに全部表現しました。これでよろしいでしょうか?
  • オイゼビウス : き、君。失礼ではないか! 脱帽したまえ!!
  • 高本 : 私高本は、ゼニが不足していて帽子買えないので被っていないので「脱帽」不可能なんですが!
  • フロレスタン : 帽子購入の問題では無い。心の問題だ。オイゼビウス よ。そこまで詰問するな。バカはバカなりに啓蒙して行かなくてはならない。ラロ先生もおっしゃっていただろう。
  • オイゼビウス : フロレスタン がそこまで言うならば、君に任せよう。



  • 高本 : 結局、ピアノソナタ第3番 = 『循環形式ソナタ』の試み なのですね!
  • フロレスタン : 決めつけは良くない! 君は「インターネットオタク」独自の行動パターンに嵌っていないか?
  • 高本 : 『内容が無いよう!』ではいけないので、内容審査は「法規に照合して最善を!」と言ったのですが。 オタク扱いするならば、こちらも「週刊誌ネタ告発合戦」は応じますよ。 シューマン先生は、クララ以外の女にも手を出していたりして(藁



  • オイゼビウス : この酒うまいな。スペインの酒か、、、 ドン・ジョバンニ 並みか、、、(23:34)

 続きは明日。佐伯周子 は全く出て来ないがな(爆
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Piano Music in Tokyo 10周年を辿る(No.1435)

2006-12-08 21:53:37 | ピアノ音楽全般
 いよいよ今世紀=21世紀編です。昨日一昨日の勢いで書くと最低2日以上掛かりそうなので、さぁーーっと書きます(爆


21世紀の転機


転機4:川上敦子デビュー = 2001年4月28日


 それまで「音楽家のリスク」を一切考えずに批評&評論を延々と続けてきた(垂れ流してきた?)私高本が初めて「主宰」した演奏会である。 川上敦子の本領が最大限に発揮された演奏会になった。 聴きに来てもいなくて、ごちゃごちゃ言う人は来年早々くらいにCD発売するから、購入して聴いてから言って下さい(爆


転機5:2003年2月 北海道音更町立音更小学校創立100周年式典


 初めての「冬の北海道」で、やたら道で滑って転んだ記憶ばかりが多い。元々弱い頭も打った様子で、記憶が定かでないが、とにかく「音更の冬は厳しい」ことが印象深い。 懇親会に行ったら、皆様がにこやかで「フツーうじゃん」の表情していたことが今でも記憶に残っていますが。
 「日本組曲」の「盆踊」を伊福部昭先生&川上敦子の出身校 = 『音更小学校』のピアノで弾いて、録音を持って 東京の伊福部昭先生宅へ持って行ったのが、確か同月。川上敦子 と共に、尾山台の坂道を「ここで合っているよね?」と言いながら(不安と共に?)下って行ったことを憶えています。寒かったです。
 続けて「伊福部昭先生89才誕生日コンサート」を音更で開催。北海道開墾以来の快挙だったと思う。「日本組曲」のオリジナル版が初めて鳴った日でもある。(終曲に市販楽譜には間違いがある)


転機6:2004年5月16日 すみだトリフォニーホール「伊福部昭個展」


 この演奏会が、文化功労者受賞の伊福部昭先生を実質的に褒め称える演奏会となった。川上敦子の演奏が冴え亘った! (← これが 最終だった)


転機7:佐伯周子デビュー 2004年8月22日


 キャンセルした川上敦子のピンチヒッターとして、私高本生涯のテーマかも知れない『シューベルトピアノ全曲』第1回を演奏してくれた。
 スクリャービン → ショパン → シューベルト の曲順。私高本の準備不足は明らか。 CDも間に合わなかったし(川上敦子のデビューでは間に合わせた)。 スクリャービンは良かったが、ショパンはちょっと問題あり。
 ・・・で、祈るように聴いたシューベルトが信じられないほど素晴らしかった。何でだろ? よくワカラン。


転機8:2006年2月8日 伊福部昭先生死去 → 5月31日 川上敦子の心労降板 と 佐伯周子 の代打


 数日前から、相当心配していた。二子玉川高島屋でご令嬢の 伊福部玲 さんと会話したこともウスボンヤリとしたアホな頭に思い浮かぶ。何話したのか? は思い出せない。2月8日死去。
 ・・・で、既に決まっていた「2006年5月31日 東京文化会館リサイタル」について、川上敦子 → 佐伯周子 に変更したことは(大半の人にはどうでもいいことだろうが)私高本にとっては印象深い。 心労の余り、伊福部昭先生と共に居なくなってしまいそうだったほどやつれていた 川上敦子 も、先日の音更のリサイタルを開催できるほど回復しており、本当にうれしい限り! 伊福部昭音楽を伝えてる伝道師になって下さい。
 ・・・で、「亡くなった近々の5月の31日の演奏会」をどうするかが、プロデューサー = 私高本秀行 に科せられた課題となった。 まあ、普通に考えれば「中止」なんでしょう。 その時に「弾けますよ!」と言ってくれたのが佐伯周子。 技巧的に難しい曲ばかりなので、1ヶ月弱見守っていたが

仕上がりが 川上敦子以上!


であった。う~ん、「デイリー」 → 「PMJ」もこの時期である。


 信じられない速さの駆け足で「21世紀のPMJ」を見たが、(私高本自身も信じられないことに)

最も大きな影響を与えたのは 佐伯周子!


である。 マジ? う~ん、明日以降の PMJ は佐伯周子次第かも知れない(爆


 統計を取ると、「主観」が後退し、「客観」が前に出てくる。私高本が 佐伯周子 以前にはどんなに罵倒を浴びても決して降ろさなかった看板 = 「旧デイリー」 を佐伯周子登場と共にあっさり降ろしてしまった。
 佐伯周子は、個人的には、『もっと良い演奏があるのでは?』と思う瞬間が多いが、川上敦子と 1廻りくらい違う(佐伯周子の方が若い)ので、熟慮ばかりを求めるのでは、私高本がプロデューサー失格となる。佐伯周子の指が廻るか廻らないかは「曲で聴いてみなくてはワカラン」である。 少々「相性が強いタイプのピアニスト」である。 やや、誇張したことを言う瞬間(があるような気がする)が、通常の人間が推測できないようなスピード『曲を仕上げる』能力がある。潜在的なモノかも知れない。 私高本にはワカラン。 来年 8月8日の演奏会をキチンと「シューベルトファン」納得の水準にしてほしい、が今の偽らざる願いである。仕上がりの速さに自信があるからか、既に取り組んでいるのか? まだなのだろうか? 佐伯周子 よ、答えてほしい(爆
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Piano Music in Tokyo 10周年を辿る(No.1434)

2006-12-07 22:54:50 | ピアノ音楽全般
 昨日号の続き。昨日のペースで書き続けると、10年書くのに10日程度掛かりそうなので、「特急」モードにする(爆
 今、聴いているCDは、アルベニス「イベリア」。伊福部昭先生もアルベニスは好きだったことを思い出す。


20世紀の転機(私高本の場合)


 20世紀は、『1901~2000年』だ。吉松隆のように、2000年 = 21世紀の氣分 とか言う人も多いので、ご注意頂きたい。
 旧 Daily Classical Music Critique in Tokyo 時代 の20世紀に、3度「転機」が来た。元々「オーケストラ中心」で批評&評論を重ねる、と宣言していたホームページにもかかわらず、3度ともオーケストラでは無かった。1回はオペラ、次の1回はドイツリート、最後の1回はピアノソロである。う~ん、この辺りの流れはよくわからない(藁


転機1:新国立劇場オープニング=團伊球磨「建(タケル)」に出会い『歴史の証人』となる


 忘れもしない。あれは1997年10月10日だった。産まれた時から「体育の日 = 10月10日」だったのに、この事件が起こった直後の国会で「体育の日」が変えられてしまった。それほど『社会的にインパクトのあった事件』である。もう9年も前のことなので、憶えていない方や知らない方も多いことだろう。振り返ろう。
  • オペラ関係者悲願の「新国立劇場」が1997年10月10日「体育の日(← 当時)」にオープン
  • 日本政府は念には念を入れ、「1階&2階は全部招待(← 今、文部科学省で問題になっている全国各地の『サクラ』と同じと考えて、大体の方向は同じ)」で占有
  • 2階席正面は、天皇夫妻&橋本首相が2幕以降来臨
  • 「大絶賛のブラヴォーの嵐」で終わるハズだったのに
  • 3&4階席の「ごくわずかだけ売り出された一般席の聴衆」が
  • 終演までは全く静かにしていたにも関わらず
  • 終演と同時に「作曲&演出&指揮」に向かって『ブーイングの嵐』を吹き荒らした

 その現場に立ち会ったのである。「史上初の天覧ブーイング」かも知れない。全部 = 招待 にしてしまうと「非公開演奏会」扱いになる。 シェーンベルク1派が頻繁に行った手法。 シェーンベルク1派が「個人的に非公開演奏会開催」は(個人のフトコロなので)何も問題ないが、クニのゼニをツッ込むとなると、少々違う。『ゲネプロ扱い』されてはダメ。
 ・・・と言うことで、チケットは売り出された。オペラファンが殺到して発売直後に売り切れた、と記憶している。3&4階だけだったからなぁ。買えなかったら「ふざけるな、新国立劇場!」とかのキャンペーンを張った可能性は極めて大なのだが、なぜか買えた。そして聴いた。ブーイングも聞いた。

オペラの中心は聴衆!


をはっきり国内外に示した瞬間だった。
 私高本は興奮して、寝ずに批評を書いた。何が何だかわからない内に、いろいろな人が 旧デイリー を引用していた。1円ももらわなかったが、アクセス数がガーンと上がった瞬間だった(藁


転機2:岡原慎也+ヘンシェル「シューベルト:冬の旅」


 1998年12月、新国立劇場「建」の1年2ヶ月後である。新国立劇場のスケジューリングがスカで、「ヘンゼルとグレーテル」公演で日程変更が生じた。昔々から、スカだったのね(藁
 ・・・で、1日空いた。その日に シューベルト「冬の旅」が、今はほとんど誰も利用しない「音楽の友ホール」で開催された。地下鉄東西線のノイズが ピアニッシモの時にわずかだが聞こえるホールである(爆

 岡原慎也は、数年前に同一曲目 = 「冬の旅」 でプライ独唱時に聴いていた。結構クセのある プライ にうまく合わせていた記憶が(強くなく)残っていた。「冬の旅」は私高本が大好きな曲目なので、『あの岡原慎也が伴奏するならば、悪くは無いだろう』くらいの気持ちで『推薦コンサート』にした。

 岡原慎也は、1曲目「おやすみ」の前奏から『別人』のように素晴らしかったし、プライ は知っていたが全然しらない ヘンシェル と言うバリトンも(信じられないことに)プライよりも数倍感銘を受けた。
 ・・・というよりも、F=ディスカウ 以上に感銘を受けた。自分の心の中で「天と地がひっくり返った瞬間」だった、と振り返って今思う。 この演奏会を聴かなかったら、その後の私高本の活動全ては無かったと思う。 川上敦子 & 佐伯周子 を含めて、である。
 ・・・というよりも「今の私高本秀行」自体が無かったのでは? と思う。岡原慎也 と ヘンシェル には「音楽の本質」を教えて頂いたことについて、言葉が尽くせないほどの感謝がある。


転機3:1999年7月の多摩川花火大会の日


 『花火と言えば、ドビュッシー!』 が「ピアノファンの常識」と思うが、非常識な(?)私高本は違う道を歩んだ(爆
 その前年に 岡原慎也の真価 を知った私高本は、当時知っていた在京有望アーティストを『夏の花火大会』に招待した。(岡原慎也 は 関西人なので招待していない)酒を呑まないアーティストばかりなのは、今振り返ると不思議。
  • ソプラノ → 日比野景
  • ピアノ → 川上敦子

を中心に花火をツマミに、酒(&貧弱な食い物)で『将来』を語り合った。その中には、柳津みちよ も居たので、おそらく私高本の脳内では「オペレッタ中心」の構想が事前にあったような気がする。その日のために、オペレッタのスコアも購入した形跡とレシートが残っている(レハール「メリー・ウィドゥ」)。

 ・・・で、この日の結論として「川上敦子のリスト」をプロデュースする方向で私高本の心は決まった。川上敦子の「ダンテを読んで」の演奏が素晴らしかったからだろうか? 上がった花火が「リスト風」だったからだろうか? よくワカラン。 この日から 旧デイリー は「批評よりも、演奏会プロデュース優先」の方針に移った。創刊から 3年も経過していないそんな真夏の日の出来事である(爆
 21世紀になってからの6年間の続きはまた明日
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Piano Music in Tokyo 10周年を辿る(No.1433)

2006-12-06 23:24:59 | ピアノ音楽全般
 近10年は、アッという間に過ぎた怒濤の10年だったように感じる。その前の10年とか、さらにその前の10年とかは、もっと「アッという間に過ぎた」感触があるのだが(爆
 この10年を『可能な限り客観的に』振り返って見たい。もちろん、私高本が振り返るので、主観的になるのは「見え見え」なのだが(藁


10年前には「インターネットの土壌」は最少に言ってクラシック音楽界には存在しなかった!


 3日前のことさえ記憶していない今日この頃の私高本。妻に怒られる毎日です。10年前のことは、思い出したいのですが、はっきりしないことが多いです。
  • Classica(← 音楽之友社の看板雑誌「音楽の友」の編集者でした)
  • I教授の家(← 日本最高峰らしい超有名大学卒で、有名音楽大学の教授のHPでした)

なんてホームページが先駆者として存在していました > 1996年12月6日。前者は未だに存続していますが、実態は「サッカー実況ホムペ」。後者は検索しましたが本日現在では出て来ませんでした。グーグルの調子悪いのかな?

 そんな状況下で「Piano Music Japan」の前身「Daily Classical Music Critique in Tokyo」は開設されました。まあ、『誰からも歓迎されない誕生だった』ことは認めます。当時は、また「光接続」どころか、INS64 が割安で朝日新聞 他に NTT がガンガン広告打っていた時代です。はっきり言って「化石時代」ですね。「INS64用のインターフェイス」が今や、どこの店舗に行っても購入できませんから(爆


 1996年12月6日現在は「INS64」回線使用して、何だか忘れたが「夜間割引」を使用してアップロードしていた。 いつまでだったかは憶えていない。NTT東日本から何だか通知が来て「ヤバイ」と思って、他のサービスに移った記憶があるが、それが「ヤフーだったか? NTTだったか? NECだったか?」はメモリー容量オーバーだ!(爆
(明日へ続く)
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新国立劇場「フィデリオ」+「セビリアの理髪師」初日 立体批評第4回(No.1432)

2006-12-05 06:52:33 | その他
 明日12月6日で Daily Classical music Critique in Tokyo 時代から通算して、満10年。おぉ、10年!
 何か記念になるモノを書くつもりだが、ピアノのブログが オペラの記事で10周年、と言うのは変だ(藁
 ピアノの記事で『満10周年記念号』は掲載する。人気高いグールドの記事にしようか? 人気薄のグルダの記事にするか? シューマンピアノソナタ第3番か? バッハ「フーガの技法」か?


日本のオペラハウス新国立劇場の「レパートリーシステムは構築できたのか?」を検証する(4)


ノボラツスキの「意図」「実行力」を検証し、「招聘」自体の意義を検証する


 う~ん、いきなり大袈裟なタイトルを掲げてしまった。10周年を前にひとふんばりするか!

1. ノボラツスキの「意図」を探る


 今回の「レパートリーシステム演目」上演の「意図」、これは明らかに

同時代の「ウィーン」と「イタリア」の対比を鮮明に描きたい


である。
  • 「フィデリオ」最終稿 = 1814年初演
  • 「セビリアの理髪師」 = 1816年初演

 これほど「初演」が近接した『2つのオペラ大国の、根源に限りなく近い作品』を並べることに拠って、相違点を描こうとしたことは明らかである。 ベートーヴェン&ロッシーニの2人が手本とした モーツァルト は、ドイツ語でもイタリア語でもオペラ作曲していたので、この2人からが「枝分かれ」となる、とノボラツスキは考えている。
  • 「フィデリオ」最終稿 → 台本に近いフツーの演出
  • 「セビリアの理髪師」 → 時代を1960年代に飛ばした演出

など『対比』は満点である。

2. ノボラツスキの「実行力」を検証する


 今回上演の2演目は意外な共通点がある。

初来日指揮者を起用


である。そして、ノボラツスキ自身は「ウィーン国立歌劇場時代に起用していない指揮者」かと思う。(全公演の公式指揮者一覧が見付けられなかったので、間違っていたらご指摘頂きたい)つまり

指揮者2人は「本番起用」は初めて


のようだ。既に経験を積んでいたカルッリは大成功、25才で「若さ丸出し」のマイスターは大崩壊、となった。
 この「結果」をノボラツスキが、事前予測できたのか? できなかったのか? これは本人しかわからない。

  • 事前予測できなかった → 目利きが悪過ぎ
  • 事前予測できた → 「ウィーン国立歌劇場の下請け」として起用した?

と言うことになる。実行力があるとは言い難い。

 次に、演目数について。えらそうなことを言って登場したのに、かえって年間演目数が減った。これは 「口だけで実行力皆無」 と末代まで語られることだろう。

 そして「オペラ聴衆の拡大」は、朝日新聞にさえ揶揄される惨状。「フィデリオ」の入りの悪さは唖然とした。初日の入りが続くならば、3日公演でも空きが出る「スカな入り」だったことを報告する。これも 実行力皆無 である。

 最後に「ソリスト陣の出来」を比較したい。これは

五十嵐喜芳前芸術監督の方が圧倒的に上だった


と断言できる。昨年度トリ演目の「こうもり」しか、「さすがノボラツスキ!」というキャスティングが無かった。(逆から見れば「こうもり」は収穫だった)
  • イタリアオペラ でのキャスティングが弱く
  • ドイツオペラ では「ルル」で ボロボロ

が印象深い。
 ・・・で、全く意義皆無か? と言えば、違う面もある。

原語上演の徹底 = 訳詞公演の徹底排除


をついに実行した初の芸術監督となった。
  • 「こうもり」は原語上演
  • 「ヘンゼルとグレーテル」は上演せず

で一貫したことは、ほとんど誰も指摘しないが 高く評価されて良い だろう。

3. 「招聘」自体の意義


 「費用対効果」を考えたときには、「招聘」自体の意義は薄かったように感じる。特に公言していた3点が全部実現しなかったことは、ノボラツスキ本人の責任。 世界中どこのオペラハウスでも、経費削減は実行しているので「予算が無い」なんて言い訳は、「子供だまし」である。

 但し、意義は上記の通り 原語上演の徹底 に於いては、過去の日本オペラ界が到達できなかったことを実施した足跡を残した。これは記憶してほしい。

4. これからの新国立劇場オペラ部門芸術監督招聘の時の方針への提言


 上記の通り、外国人初のオペラ部門芸術監督招聘は相当に多くの課題を抱えたママ、ノボラツスキ解任へ繋がった。「もっと長く任期があれば、さらに良くできた」は、畑中良輔 & 五十嵐喜芳 両芸術監督も感じたことだろう。

任期内に「結果」を出さなければ解任されるのが常


が、このオペラの世界。他のクラシック音楽の世界に比べると、評定期間が短いかも知れない。

 ノボラツスキは、結局
  • ドイツ物の中で
  • 特に手に入っていた「こうもり」が最大の収穫であり
  • これは ウィーン国立歌劇場のオハコ
  • 今後のキャスティング&指揮&演出を見ると、ノボラツスキは「ばらの騎士」も良さそう。これまた「ウィーンのオハコ」

と言う事実を鑑みるに、

今後の芸術監督は「得意分野のみを徹底して実行頂く」のが最善


と感じる。

 若杉弘次期芸術監督には思いっきり、「自分のオハコだけ」を上演できる体勢を作ってほしい。それが、今回の反省として、最も聴衆にプラスに活かされる方向と感じるからである。
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新国立劇場「フィデリオ」+「セビリアの理髪師」初日 立体批評第3回(No.1431)

2006-12-04 22:52:09 | その他

日本のオペラハウス新国立劇場の「レパートリーシステムは構築できたのか?」を検証する(3)



ノボラツスキー招聘は当初の目的を達成したのか?


 本日は、他のことは言及しない。当初掲げていた目的である

  1. レパートリーシステムを確立

  2. 年間公演演目&公演日数の増加

  3. オペラ聴衆の拡大


が『達成できたのか? 未達成なのか?』だけを追求する。


レパートリーシステムを確立


 「フィデリオ」上演の出来からして『大失敗』と言って良いだろう。

年間公演演目&公演日数の増加


 新国立劇場公演記録のページ をご覧頂きたい。
  • ノボラツスキー時代 → 4年連続10公演(1公演 「沈黙」に地方招聘公演の記載が欠けている)
  • 五十嵐時代後半2年 → 11公演

 これが実績。完全に「公演演目は減少している」が実態。『ノボラツスキーは口先だけ』が任期終了まで続いたことになる。

オペラ聴衆の拡大


 8月29日号 にも記載したが朝日新聞に揶揄されるほど聴衆が減少している状況。

  1. ノボラツスキ新国立劇場オペラ部門芸術監督が実行した「シングルキャスト強行」が集客を悪くした

  2. ノボラツスキ新国立劇場オペラ部門芸術監督は、ベルク「ルル」にて、3幕版 → 2幕版 の醜態を晒して、完全に聴衆から見放された

  3. 五十嵐前芸術監督時代の「Aキャスト」に比べて、ノボラツスキ芸術監督時代の「シングルキャスト」が『完全に聴き劣りした』

  4. 五十嵐前芸術監督時代に「定位置座席確保」していた最上客を、ノボラツスキ芸術監督は「座席は抛り出し」作戦に出て、大半の客に見捨てられた


これも失格。

ノボラツスキー招聘は完全な見込み違い


となった。私たちが払った酷税はどこに消えていったのでしょうか?
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新国立劇場「フィデリオ」+「セビリアの理髪師」初日 立体批評第2回(No.1430)

2006-12-03 21:10:20 | その他
 本日号では「各オペラの出来」だけを書く。比較 等は明日以降です。


日本のオペラハウス新国立劇場の「レパートリーシステムは構築できたのか?」を検証する(2)



演奏日数が増えないのに『ウィーンのルーチンワークのレベルの低さ』だけを日本オペラ界に輸出したノボラツスキー


新国立劇場「フィデリオ」初日 2006年11月30日


マルコ・アルトゥーロ・マレッリ演出


コルネリウス・マイスター指揮



 演出 + 指揮 + 主役ソプラノ&バリトン が3拍子揃ってスカな新国立劇場「フィデリオ」再演。演出家はカーテンコールに出て来ない(再演演目は通常出ない)ので何も無かったが、指揮者には場内から一斉に「ブーイングだけ」が3方から浴びせ掛けられた。当然である。
 演奏日数がウィーン国立歌劇場ほど増えないのに、「最低レベルでは、再演演目はこの程度になる」ことを示すために上演したとしか感じられない出来。
  • 経験が極めて乏しい指揮者
  • 初演が悪かったのに無反省な演出
  • 「昔取った杵柄」だけで音程フラフラの レオノーレ役 = エヴァ・ヨハンソン と ピツァロ役 = ハルトムート・ヴェルカー

 ノボラツスキー芸術監督は、五十嵐喜芳前芸術監督の「ダブルキャスト」について極めて攻撃的な態度で批難していたが、「五十嵐時代の出来の悪い時のBキャスト」よりも遙かに音楽的に劣る。この「フィデリオ」は楽日終了後に、保管すれば酷税の無駄遣いになるから、即刻「燃えるゴミ」として焼却処分してほしい。


 フロレスタン役 = ステファン・グールド は悪くは無い出来。良い、と言うほどの出来ではない。結局、それだけだった。新国立劇場合唱団は珍しく声が飽和して割れたし、東京フィルハーモニー交響楽団も打点が定まらない指揮者のためか、ミス連発。14型の大きな編成だが、音程がピタッと定まらないので、和音が鳴らない。しかも「全くの音色の変化が無いベートーヴェン」であった。指揮者については、よく「ブーイング」が3方程度で止まった、と思う。伝説の新国立劇場オープニング「建(タケル)」くらいのブーイングが出ても不思議ないほどである。
 プレミエ(2005年5月28日)も演出はつまらなかったが、指揮者 + ソリスト陣 が全く別物で、良かった。

ただ全てが悪くなるだけの再演ならば、上演しない方がマシ


である。


主要4役全員 + 指揮者 の素晴らしかった新国立劇場「セビリアの理髪師」


新国立劇場「セビリアの理髪師」初日 2006年12月1日


ヨーゼフ・E.ケップリンガー演出


ミケーレ・カルッリ指揮



 オペラと言うモノは、主役陣 + 指揮者 が良ければ、「わざと反感を買うような演出でも、効果が上がる。それどころか、かえって印象深くなる」を実践してくれた「セビリアの理髪師」再演。時代背景を「フランコ政権下の1960年代スペインのセビリア」に設定。
 特に ロジーナ役 = ダニエラ・バルチェローナ が響き亘る低音を武器に「世間ずれしたロジーナ像」を見事に描き切り、演出の良さを大いに引き出していたのが見事! ミケーレ・カルッリ指揮は、「ロッシーニクレッシェンド」が「いかに囁くような緊張感あふれるピアニッシッシモから始まるか!」をこれでもかこれでもか! と言うほど陶酔させてくれる。音色のパレットも豊富。
 カーテンコールは「ブラヴォーの嵐」が吹いた。主要ソリスト全員 + 指揮者 + 合唱団。
 この「セビリアの理髪師」公演は「イタリアオペラファン」ならば、逃さず是非是非聴いてほしい。

  • ロジーナ役 = ダニエラ・バルチェローナ
  • フィガロ役 = ラッセル・ブラウン
  • バルトロ役 = マウリツィオ・ムラーロ

の3名は、歌に演技に「はまり役」。細かなアジリタも、朗々とした高音の伸ばしも堪能。
  • アルマヴィーヴァ役 = ローレンス・ブラウンリー

は演技は面白いが、声が上記3名の水準には後ちょっと。終結の大アリアがカットされたのは、誰の意向かはわからないが、無難だったと感じる。
 脇役陣も新国立劇場合唱団も東京フィルハーモニー交響楽団も、極めて生き生きと豊かな音楽を作って行く。カルッリ指揮 の腕だ。カルッリ は是非再登場頂きたい指揮者である。
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スウェーデンCD会社BISが隣国=フィンランドの大作曲家=シベリウスの全集(No.1429)

2006-12-02 23:53:22 | CD&DVD 紹介&批評
 すごいCD見付けた! スウェーデンの大レーベル = BIS が総力を挙げて作成した(?)かのような、隣国フィンランド の 大作曲家 = シベリウス の「選集」。選集と言っても、全集に限りなく近い様子。急遽、このCDを「新譜紹介」する。

エッシェンシャル・シベリウス
CD(BIS BIS1697)





15枚組 7,972円(税込)


12月15日発売予定



隣国スウェーデンの大レーベル = BIS からシベリウスの「基本全集」が発売される。正確な意味では「全集」ではないのだろうが、、、

日本語詳細解説 付き


で発売されること。 このCDの批評は、かならず、PMJに掲載する。乞う、ご期待
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