Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

シューベルト「ザウアー&ライデスドルフ専属」時代の『自筆譜』と『出版譜』の乖離(No.2431)

2015-11-25 21:09:29 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

「ザウアー&ライデスドルフ専属」時代の『舞曲自筆譜』と『舞曲出版譜』の絶大な乖離


  ベーレンライター新シューベルト全集は「シューベルト自筆譜」について、『舞曲集I』にて(筆写譜も含め)1巻を占めるほど、かつ「第1巻」にするほど重視した。つまり、(旧シューベルト全集を含む死後の)出版楽譜は「基本的に無意味な編集が大半」と主張している。これは、ピアノソナタや小品集に限らず、リートや交響曲や弦楽四重奏曲やオペラを含めて、「ベーレンライター新シューベルト全集 の 最も大きな主張点」なのである。だが、「舞曲自筆譜」側からだけ光を当てるとわかり難い点も多々ある。


  シューベルトは、作品番号付き作品を「カッピ&ディアベリ社」にて出版開始した。作品18 まで。「魔王」や「糸を紡ぐグレートヒェン」を含む初期の傑作選である。「シューベルトの思い通り」に出版できた。理由は単純。

費用負担はシューベルトの友人が全額負担で、カッピ&ディアベリ社はリスクゼロ だったから


である。この事実を(シューベルトの誤解で友人に迷惑を掛けながら)理解したシューベルトは「作曲代金を初めて支払ってくれた ザウアー&ライデスドルフ社」に専属出版移籍する。1823初のことである。

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読響第19回メトロシリーズ2015.11.20批評(No.2430)

2015-11-20 23:57:00 | 批評

徹頭徹尾「シベリウスの音楽世界」を繰り広げた ヴァンスカ + 読響


  プログラム最後のシベリウス交響曲第2番終曲後は、圧倒的な拍手とブラヴォーの嵐が吹いた演奏会だった。冒頭の「フィンランディア」も素晴らしい演奏だったし、言うことないように感じるかも知れないが、「全シベリウスプログラム」では無く、間に ラフマニノフピアノ協奏曲第2番が挟まれていたのだが、この曲も(ピアニストの意向なのか? 指揮者=ヴァンスカの意向なのか? は不明だが)「ラフマニノフ風」ではなく「シベリウス風」の演奏になったのは意外だった。良い演奏だった、と私高本は感じるが、ブラヴォーは1人だけで拍手も シベリウス交響曲第2番終演後とは桁違いに少なかった。


 多くの聴衆は「ヴァンスカのシベリウス」を聴きたくて来場した、と思われる。「フィンランディア + 交響曲第2番」は余りにも美味し過ぎる!


 ・・・で、勿論両曲は素晴らしかったのだが、「真ん中のラフマニノフピアノ協奏曲第2番」までも「シベリウス風」だったことも印象深い(爆
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シューベルト出版ピアノソロ曲1曲目=ザウアー&ライデスドルフ出版 D971(No.2429)

2015-11-06 23:53:51 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 この曲、「カッピ&ディアベリ社」に『友人たちの金銭支援で出版』時代の『唯一の他社からの器楽曲出版』であった。

シューベルトの願望 = 同時代の大作曲家 = ベートーヴェン並みの作曲料収入


であったはず。作品1~作品18までを「友人たちの好意による カッピ&ディアベリ社 からの自費出版」になっていたシューベルトに対して、『器楽曲の出版』を持ち掛けたのが、ザウアー&ライデスドルフ である。
  おそらく、(2年後にシューベルトが失望する通り)ザウアー&ライデスドルフ は充分な作曲料は支払れなかったのだろうが、それでも少額の金額がシューベルトに支払われたのだろう、と推測される。根拠は、3ヶ月後に「カッピ&ディアベリ社 → ザウアー&ライデスドルフ社」に移行したからだ。
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シューベルト出版ピアノソロ曲1曲目=ザウアー&ライデスドルフ出版 D971(No.2428)

2015-11-04 22:01:34 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

シューベルトは『作曲を楽譜商に販売して生活した史上初の作曲家』であった


  ベートーヴェン でさえ、貴族のパトロンの支援があってこそ前半生は支えられていた。モーツァルトに至っては、貴族の支援が無くなったのが原因で生活破綻><

 その シューベルト が カッピ&ディアベリ社 以外から出版した初の器楽曲が D971 だった。リート「エルラフ湖」D586 や リート「ます」D550 が、「魔王」D328 op.1 出版以前に出版された曲だが、『作曲料』が支払われたとは考え難い。

シューベルトが「作曲料」を得られるようになったのは D971 が初の可能性が大!


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ピアノソナタ第20番イ長調「遺作」D959(No.2427)

2015-11-03 22:18:58 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

シューベルト生誕200年1997年に全貌が明らかになった名曲=D959


  「3大遺作ソナタ」と称される D958,D959,D960 であるが、D959 だけは 1997年まで「シューベルト自筆譜の通りに出版されたことの無い曲だった(涙
 現在、

  1. ベーレンライター新シューベルト全集ピアノソナタ3(1997)


  2. ウィーン原典版シューベルトピアノソナタ3(1999)



のみが「シューベルト自筆譜」通りの楽譜。他の楽譜は、ウニヴェルザール版、ヘンレ版、王立音楽院版 共に「原典版」と明記されているが、オリジナル通りでは無い。


D959 は、ベートーヴェン交響曲第5番「運命」op.67 の「循環ソナタ形式」をそのまま(幻想曲では無く)『正規のソナタ楽曲』にて提供したシューベルト最初の成功曲。続く D960 も「循環ソナタ形式」で、この2曲を最後に器楽曲を終えたと考えられているシューベルトは ベートーヴェンに追い付き(多分追い越した)と私高本は感じる。

良い演奏で聴けば必ず判る = 岡原慎也「晩年のシューベルト」シリーズ の実績


なので、岡原慎也 か 佐伯周子 で聴いてほしい。

岡原慎也大阪音楽大学百周年記念コンサート


は、リンク先を参照下さい。CD も販売しています。

佐伯周子シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会


は、このすぐ3つ下をご覧下さい。
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D980D について(No.2426)

2015-11-02 23:54:28 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
【あと50曲 さん】 2015-11-01 07:42:22
> D980Dですか! D980Dとは、ウィーン原典版の最後に
> あるドイツ舞曲(D ohne)でしょうか?

 まさにその曲です! ウィーン原典版「シューベルト:舞曲集2 UT50022(1973)」ヴァインマン校訂版 の時には、ドイチュ番号が振られていなかったのですが、

1978年の ベーレンライター新シューベルト全集「ドイチュ番号新版」発行時に D980D が振られた曲


です。シューベルトが「生前作品番号無しで出版した最後のピアノ曲」に当たります。


「作品番号あり」曲 > 「作品番号無し」曲 がシューベルトの基本意向であったが、リート「ます」op.32 や「楽興の時」op.94 第3番や第6番も初出版は「作品番号無し」だったが名曲!


 他には、「ディアベリ変奏曲」や、後に「感傷的なワルツ」op.50 に取り入れられた曲もあります。シューベルトが長生きしていたら D980D も「作品番号あり」に取り込まれた可能性は大きい曲です。
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