Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

今後聴きに行くコンサート(No.2229)

2013-02-28 22:34:42 | 演奏会案内

  1. 岡田将「バッハ:パルティータ全6曲」演奏会 2013.03.02(土)17:30 浜離宮朝日ホール


      「リスト弾き」として高名な 岡田将 が「バッハ:パルティータ全6曲」を一挙に弾く。関西では「2日」だったので、「超お得」になるか? 「バテて後半まで持続力が持たないか?」 がポイント。横山幸雄 や 清水和音 の「マラソンコンサート」は質が低いが、岡田将 の「パルティータ全6曲」は繰り返し処理をどうするか? なども含めて、Piano Music japan 超注目。最近の「岡原慎也 X 岡田将」の2台ピアノでは「はじけたピアニスト」だったが、「本格派ピアニスト=岡田将」の顔を聴かせてくれることは間違いない!

  2. 小森谷巧 X 横山美里 2013.03.04(月)19:00 大倉山記念館


      読響コンサートマスター = 小森谷巧 と 帯広のピアニスト = 横山美里 が「両者得意のドイツロマン派の生みの親 = シューベルト:ヴァイオリンソナタ イ長調」を弾く! と言うので注目の演奏会。これは聴き逃せない!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サヴァリッシュのシューベルトの価値(No.2228)

2013-02-27 20:12:15 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

シューベルト『合唱&重唱曲』録音の世界で世界中を牽引してくれた サヴァリッシュ



 アメリカはフィラデルフィア在住の方から貴重なコメントを頂いた。全文をそのまま掲載する。


フィラデルフィアでは (フィラデルフィア在住) 2013-02-25 11:45:27
2月24日、フィラデルフィア管弦楽団の定期演奏会。
演奏が始まる前、コンサートホール内でアナウンスがありました。
サヴァリッシュが一昨日に亡くなれた、と。
観客がざわめき、悲しみに包まれました。 
サヴァリッシュが得意としていたワーグナーの作品を演奏し、その後、ヤニック、楽団、観客全員で、1分間の黙祷をささげました。


 貴重な情報ありがとうございました。N響は「定期公演の谷間の時期」で次回定期が 4/13(金)です。その際は何かしらの追悼があることと思っております。

 サヴァリッシュは「レパートリーが広大な指揮者であり室内楽ピアニスト」だった、が印象深いです。リート伴奏ピアニストとしても大ピアニストであり、フィッシャー=ディースカウ との数々の名録音で今も誰もが堪能することができます。

 サヴァリッシュ訃報に接した後に聴いたのは「合唱&重唱曲全集(世俗&宗教)11枚組」(EMI)でした。LP時代から所有していますが、2011年に全集CD化された時に買い直しました。今回聴いたのはCD。

 その後、いろいろな演奏家でCD発売されたが、ミサ曲に限らず、「ラザロ」に限らず、世俗合唱曲に限らず、世俗重唱曲に限らず

シューベルト「世俗&宗教 合唱&重唱曲」はサヴァリッシュ盤が最高!


と感じる。「全体の平均が」でなく「個別の仕上がりが」である。同じシューベルトでも「交響曲全集」は ベーム指揮ベルリン・フィル盤とか、アバド盤とか、カルロス・クライバー盤(3&8)とか、数多の名盤が存在するのだが、「合唱&重唱曲」は無い!!!

 Teldec世俗合唱曲全集 は悪くは無いし、【有名曲のピアノ伴奏はサヴァリッシュ以上の著名ピアニスト起用】で、実際に聴くと

純粋に「指の技巧」はTeldec盤の方が上の曲もあるのだが、「歌を含めた全体像」は圧倒的にサヴァリッシュ盤が上


である。

サヴァリッシュ指揮「シューベルト:合唱&重唱曲全集」が存在しなかったならば、私高本は「シューベルトの全体像」を未だに理解できていなかった!


 これは断言する。特に「糸を紡ぐグレートヒェンD118」以前の宗教曲と、いくつかの有名でない重唱曲、例えば「ナイチンゲールD724」とか。「美しき水車屋の娘D795終曲」を先取りしている瞬間などが鮮やか!

 現在、「マイナーレパートリーに対しての、丁寧なセッション録音」がほとんど不可能な状態が続いている。「現代の演奏家」にも素晴らしい才能の人が数多く存在していることは熟知している。だが、「シューベルトの合唱&重唱曲全集」でサヴァリッシュ以上の演奏が出現するとは、(現在の演奏&録音環境では)想像できない。

おそらく「サヴァリッシュ指揮 シューベルト合唱&重唱曲全集」が孤高にそびえる高みを聴かせる唯一の録音!


になると感じる次第である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サヴァリッシュ死去89才(No.2227)

2013-02-25 23:37:39 | その他

ヴォルフガング・サヴァリッシュ死去 89才


 N響桂冠名誉指揮者 = サヴァリッシュ が死去した。数々の名演を日本の聴衆に数多く定期的に聴かせてくれた最初の指揮者のように私高本は感じる。

  1. バイエルン国立歌劇場来日公演「R.シュトラウス:影のない女」


  2. N響「シューマン:交響曲全曲 + 第4番両稿」



が私高本の「サヴァリッシュのライブのベスト」。謹んでお悔やみ申し上げます。安らかに!
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐伯周子のシューベルト(No.2226)

2013-02-24 21:12:33 | ピアニスト・佐伯周子

『佐伯周子のシューベルト』は純正調のように聴こえる


  これは、私高本の「錯覚」であることは間違い無い。毎演奏会で、きちんと調律代金を支払って「平均律」に調律して頂いているのだから(爆

  私高本が好んで録音を聴くピアニストの1人に ケンプ がいる。ヴィルヘルム・ケンプ の方。「世界初録音になったケンプのシューベルトピアノソナタ全集」は、技巧が必要な曲(D850など)は指が廻らない感触が強いのだが、「はまる」と純正調で弾いているかのように聴こえる瞬間がある。和音バランスが絶妙の上、レガートが美しいのだ!
 アルフレート・ブレンデル が「ケンプのピアニズム」を絶賛しているが、私高本も賛同する。もし「ケンプのシューベルトピアノソナタ全集」が無ければ、「ブレンデルのシューベルト後期作品集(2度も録音したし、テレビ録画もしたので合計3度!)」の仕上がりが磨き上げられたかはわからない。

「佐伯周子のシューベルト」は、他のピアニストで聴くことが出来ない「透明感」「和声感」があるが、あたかも純正調のように聴こえる


 「ケンプを若々しくした」かのような演奏の時がある。ケンプはモノラル録音の時でさえ、シューベルトは60才越えていたのが残念><
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルーレイディスクの価格下落について(No.2225)

2013-02-23 22:28:13 | その他
 本日号は「クラシック音楽」とは全く無関係の記事である。超久しぶり。『私高本-クラシック音楽=0』は知人全員が証言するほど。すると、本日号は価値皆無か?(爆

 本日、「買い物専用E-mail」宛にヤマダ電機から「ポイントが月末で切れるよ~ん」メールが来ていた。1177ポイントもあるので、使うことにした。「蛍光灯」とかは『近所のオーケーストア』の方が安いので、「何を買うか?」に悩んだが、『3000円以上ならば送料無料』とあるので、3000円より高い商品が良さげ。蛍光灯だと3000円にはなかなかならないからなあ(爆

 猫頭なので、小一時間考えて「ブルーレイディスク」にした。単純明快な1層書きっぱなし。

ヤマダ電機で、ブルーレイディスク最安値を検索したら、『50枚で\3980』だった。1枚80円未満!


 ポイントで 1/4以上補填されるので、実質2800円少々の支出である。こんなに安くなったのか、、、

 1年後、今回購入のポイント期限がまた来るが、その時はどこまで価格が下がっているのだろうか???
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三枝成彰:オペラ「KAMIKAZE-神風」2013.02.03 世界初演『批評の批評』(No.2224)

2013-02-22 21:17:53 | 批評の批評

三枝成彰:オペラ「KAMIKAZE-神風」2013.02.03 世界初演楽日公演批評(No.2210)に4つものコメントを頂いた。


 全て「私高本の批評」に対して、何らかの疑問を持っている。久しぶりに「批評の批評」を実施する。「批評される元 = 私高本」は Piano Music Japan 創刊以来初のような気がする(爆

 さて、全4本を受け取った順に掲載する。

  1. Unknown (Unknown) 2013-02-05 13:58:48 日本人現役オペラ作曲家で三枝成彰が最高とのことですが、他の作曲家のオペラも見ているのですか?

  2. ブラーヴォについて (平次郎) 2013-02-06 12:42:44 この内容に対してブラーヴォを盛大にするのははばかられるし、また、この内容に対してブーも出せないだろう。人間性を疑われる。演奏者に対してのみ声援が送られるわけではなかろう。なぜなら、褒めちぎれば右翼の烙印を押されかねない。冷笑すれば左翼と決めつけられる恐れがある。周囲の目を気にしたらどうしても反応はおとなしくならざるを得ない。
    悪役を作らないのは、このオペラではとくに大きな特徴と思った方がいいだろう。確かに忠臣蔵でも吉良の解釈に甘さが観られたし、どこか同情があった。しかし今回はとくに、悪というものを一つに決めることは危険と考えた節がある。単純な話ではなく、非常にデリケートな内容であることを加味すると、善と悪との対立構造にするのは本意ではないのではなかったか。オペラなのだから、とはいっても、本作だけはとくに特別な感情があったのだと私は推測している。
    舞台については同感だ。節約しすぎな印象だし、それを日本的といってごまかしているような感じがした。

  3. Unknown (Unknown) 2013-02-07 22:39:17 三枝さんのオペラが「プッチーニを真似ている」とは、何を根拠に書いているのでしょうか?三枝さんにインタビューをしたのでしょうか?私も「神風」を聞きましたが感じませんでした。根拠をお聞かせ下さい。

  4. 大道具,衣裳について (山岸紀美江) 2013-02-19 12:32:08 初日公演を見ました。大道具の簡易さは、千住博の素晴らしさを、発揮させ、よかったと思いました。戦闘機が、会場の屋根を飛んでいく様子や、舞台奥に飛び去りながら、編隊を組む飛行など、素晴らしかった。全体に、透明感のある薄墨色、群青色の舞台は、敗戦色の濃厚になった当時の空気を現していた。また、恋人時代の彼らの、過ごした、町や服装は、けして、豪華な、華美なものは、どこにも無かった時代であり、無理な要求です。73歳女性の観た感想です。



 「批評の批評」を掲載しよう! と決意したのは、「4,山岸紀美江さんのコメント」を受け取った時でした。

>恋人時代の彼らの、過ごした、町や服装は、けして、
>豪華な、華美なものは、どこにも無かった時代であり、無理な要求です。

 果たして本当なのだろうか?

 昨日2013.02.21に東京両国駅前の「東京都江戸東京博物館」に確認に行った。6階と5階を合わせた広大な面積に「江戸」と「東京」が「原寸大」を基本として展示している「東京名所」の1つだ。この5階の「東京」エリアに「東京モダン」を再現した写真や展示がある。「浅草の演芸」が関東大震災で壊滅した後も「不死身のように蘇った」有様が展示されている。別コーナーに『昭和15年の国民服制定』があり、この瞬間以降は、「派手な服装は国家の敵」とされた。逆からみれば

『国民服制定』以前は派手な服装がごく普通に存在し、浅草は演芸&映画で派手に興行をしていた


となる。これは、長老の浅草芸人の回顧録と一致している。73才の山岸さんは、終戦時=6才なので、物心が付いた時は既に当時の表記で「大東亜戦争中」なので、「豪華」「華美」は街から消えていた時代になりますが、山岸さんが産まれる直前までは「豪華」「華美」な場所はありました。特攻時が大体20才なので、6年前だと14才設定=旧制中学3年生程度 なので、盆踊り(今と違って相当に派手な地域もあった)や 秋祭り や 浅草で映画 などの設定は充分に可能となります。
 「千住明の美術が良かった」と感じるのは、「山岸さんの感性」として誰も止めることができません。「私高本のアホ批評」について「アホか?」とコメント下さるのは当たり前です。

「個人Aの主観」と「個人Bの主観」は違っていて当たり前。だが「客観」は「事実に基づく必要がある」


 私高本は、この点だけは深く留意して「批評」を掲載しています。例えば、「下野竜也 X 読響:ブルックナー交響曲第5番批評」など。
 「国民服制定」前の東京の様子については、東京都江戸東京博物館常設展をご覧になるのが、最も理解し易いと感じます。


 「3」ですが、

プッチーニ「蝶々夫人」「トゥーランドット(のリュウ)」の「女性の自己滅私型献身」が 『三枝成彰オペラの原点』


と感じています。ただ、プッチーニほど「メロディーメーカー」として印象深いアリアが無い、のが「作曲法上の唯一の弱点」と感じます。その為「軍歌の引用」などをしていましたが、シューマンの「フランス国家引用」よりも印象が薄い感触です。


 「2,平次郎さんコメント」ですが、

音楽への反応は「純音楽的派」 vs. 「現世界との関連重視派」の『考え方の違い』そのもの


です。『私高本 = 純音楽的派』です。『平次郎さん = 現世界との関連重視派』です。「クラシック音楽批評の主流 = 現世界との関連重視派」なので、私高本の方が少数派です><
 ワーグナー なんて「現世界派」の最たる人だったし(爆

「談合ヒョーロンカ = 山之内英明」が談合内容の弁明をしていたこともある


です。この辺りは「感性は人それぞれ」なので、平次郎さんはご自分の感性を大切にして下さい。私高本は(年も年なので)批評スタイルは死ぬまで変わらず「純音楽的派」です。


 2つのことを感じています。

  1. 三枝成彰:オペラ「KAMIKAZE-神風」について『自由闊達に発言できるのは、全世界で Piano Music Japan』だけ


  2. 「音楽的な私高本の聴き間違い」の指摘は全4件中、1件も無し



 ヴェルディオペラ とかだと、いろいろとご指摘があったりしたのだが、三枝成彰オペラだと、演奏会場にスコアが無料で読める状況を作ってくれていたのだが、指摘が無いんだなあ、、、
 読んでいたのは、私高本たった1人だったように見えていたが、やっぱみんな「スコア」は縦が長過ぎて読む気起こらないよなあ、、、
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下野竜也指揮正指揮者読響修了演奏会「ブルックナー:交響曲第5番」2日目批評(No.2223)

2013-02-21 23:32:48 | 批評

「ワーグナー臭」が全くない「室内楽的精密さ」のブルックナーは、パイプオルガン以上に「パイプオルガンの荘厳さ」を純正調で浮かび上がらせた 下野竜也 X 読響


  同一演目の名演を2回短期間に続けて聴くと、「初日が最も新鮮」である。そして日が進むに従い
「初日には鮮明には捉えられなかった細部」が刻銘に感じ取れる。


 東京の「演奏会ホールのパイプオルガン」は「平均律」に調律されている、と感じる。この日の会場の東京芸術劇場、初日会場のサントリーホール も含めて、である。パイプオルガンのコンサートも聴いたことがあるし、宗教曲や、マーラー交響曲「復活」「千人」、サン=サーンス第3番 などなどで少なからず聴いている。「天井から降って来る響き」は感じられるのだが、ピアノと同じく「鍵盤楽器の固定された調律=平均律」を私高本は常々感じる。そのため、マーラーやサン=サーンスの交響曲でやたらとパイプオルガンを強調する解釈は苦手である。「弦楽器が鳴らす純正調をブチ壊す」からだ。(う~ん、ピアニストのマネジャーが書いていいんだろうか?!?)
 第1楽章序奏で、低弦 → 第1ヴァイオリン に向けて「音を積み重ねて行く響き」は「パイプオルガンのよう」と表現する人が多いが、弦楽器なので「パイプオルガンとは違い純正調」で奏でる。展開部に入った冒頭で、ホルン4本が同じ音形を吹く時も「パイプオルガンとは違い純正調」で奏でた。「トランペット3 + ホルン4 + トロンボーン3 + チューバ1」で奏でるコラールも「パイプオルガンでは表現できない響き」であった。信じられないほど「澄んだ響きのコラール」だった!

 「トランペット3 + ホルン4 + トロンボーン3 + チューバ1」と書くと、フォルテシモ を想像する人が多いことだろう。ここで、「読響金管のピアニッシモの美しさ」をズバリ指摘しておきたい。どのくらい「ピアニッシモが美しいか?」と問われたら、こう答える。

首席奏者はもちろんピアニッシモが美しい。それだけでなく、第3トランペット → 1番フルート の受け渡しで「フルートの方が映える(← ブルックナーの設計!)」ように演奏された!


 もちろん、2番トランペット もバランス取れていたことは言うまでも無い。ホルンもトロンボーンも同じ。2日目公演を聴いた瞬間「バッハ:ブランデンブルク協奏曲のフルートとトランペット」を思い出したほど。読響だと、ブルックナーでも実現しているんだ!!!

下野竜也の「ゆったりした広大なブルックナー交響曲」観を支える 読響のバランスの精密さ


 これが「基礎体力」である。3番トランペットや4番ホルンに至るまで「遠い遠い木管とのバランスを聴き合う」がバランスを取っている。

 「読響のオケメンバーのバランスの良さ」は、現在東京のオケで最高水準であり、これを最大の武器に 下野竜也 は「正指揮者修了公演」に ブルックナー交響曲第5番 を選び、聴衆に問いかけた。
 2日共「参賀」を呼ぶ感動的な演奏。「正指揮者修了公演」は大成功だった!

 今後も(回数は減るが)読響との演奏会は「修了」せずに、いつまでも続けてほしい。さらに「世界の下野竜也」に飛翔してほしい指揮者、と深く感じた公演であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下野竜也指揮読響正指揮者修了演奏会「ブルックナー:交響曲第5番」初日批評(No.2222)

2013-02-19 22:57:01 | 批評
 当 Piano Music Japan 開設以来2度目の「4桁ゾロ目」記念号(前回は No.1111)をこのような感動的な公演批評で飾れることはありがたい限りである。下野竜也、読響、当日のサントリーホールに集った聴衆の皆様、そして勿論 ブルックナー に感謝するばかりである!


「音響の洪水」は拒絶し、『ブルックナーオリジナルスコア』に徹底密着再現し、「誰にも理解できる構想の大きさ」&「緊密な表現」を緻密に実現した 下野竜也 X 読響「ブルックナー:交響曲第5番」


 終演後の状況から詳細記述したい。終局。全ての楽器が鳴り止むが、「ホール余韻」が残っている。(私高本の座席からは)余韻が消える。ホール中がまだ静けさを保っている。数秒(もしかしたら十数秒?)ホールで最も余韻が長い座席でも、余韻が消えただろう、その時も静寂がサントリーホールを覆っている。下野竜也が両手を降ろす。数秒経て、「ブラヴォーの嵐」に先導され、「大拍手」がホールを包んだ。何回、下野竜也は「指揮台←→下手舞台」を往復したんだっけ? 猫頭ヒョーロンカ = 私高本 は数を数えるのを忘れるほど感動していた。オーケストラが「指揮者が立って!」の合図が有っても立たない & 「立ったまま指揮者を迎え入れる」 の両方で敬意を表した。これは、「オケメンバー最高の表現!」で、盛り上がった。

 ・・・で、ここで終わらなかった。「立ったまま指揮者を迎え入れる」を実行した後、「ブラヴォーの嵐」は続いていたが、オケははけた。だが、拍手はほとんど小さくならなかった。

「(勿論生前の)朝比奈隆のブルックナー」や「先日のインバル指揮マーラー第3番」と同じく、下野竜也が『参賀』するまで拍手は鳴り止まず、読響楽団員に促されて出て来た 下野竜也 は涙ぐんでいた!




 演奏のポイントは、上記の通り、「音響の洪水」は拒絶し、『ブルックナーオリジナルスコア』に徹底密着再現し、「誰にも理解できる構想の大きさ」&「緊密な表現」を緻密に実現した 下野竜也 X 読響「ブルックナー:交響曲第5番」。
 これだけである。これじゃ、「批評」としてわからない? 少々、(余計なことかも知れないが)付け加えよう。

  1. 一瞬たりとも「金管楽器の咆哮」はしなかった。「第1楽章コーダの最後の最後」や「第4楽章コーダの最後の最後」は、何と「ティンパニのクレッシェンド」だけで表現!


  2. 第3楽章スケルツォ主部の「第2主題部分」とも言われる「長調フレーズ = レントラー」、「2拍子トリオ = エコセーズ」を『ウィーンの舞踏』風に十全に表現



は特記しておきたい。

「師匠の1人 = 朝比奈隆」のブルックナー解釈 とは、正反対の「室内楽指向のブルックナー」だった! が、朝比奈隆が生きていたら「下野、よくここまで突き詰めたな!」と言っただろう


 聴衆の好みにより、正反対の反応が出る演奏だったが、終演後は「ブラヴォーの嵐」のみ。途中退出者無し(に私高本の座席からは見えた)。明日の「楽日公演」が楽しみでならない。これほど素晴らしい「ブルックナー:交響曲第5番」は「スクロヴァチェフスキ X 読響」以来だが、あの時よりも感銘深い。聴いていない方は何としても 2/20(水)東京芸術劇場公演を聴いて欲しい。私高本は再度聴く。佐伯周子も(ピアノソロ曲は名曲無いが)聴く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

井上道義指揮ビゼー「カルメン」2013.02.17批評(No.2221)

2013-02-18 23:30:45 | 批評

『新しい説得力あるカルメン像』を打ち立てた 井上道義 X 小宮正安「カルメン」


  井上道義は若い時から「舞台音楽」に極めて意欲的に取り組んで来た。2年振りの「東京芸術劇場」でのオペラ について、チラシを読んで不覚にも私高本の猫頭では理解できなかったことがある。前回までの「演奏会形式」」ではなく、幕こそ降ろすことができないが

井上道義のカルメン = 『通常のオペラ、しかもオペラ・コミーク様式』


と言う点だ。チラシにはごくごく小さな級数で「Alkor版」とあるから、「オペラ・コミーク」を想定する必要があった。あぁ! 「老眼」がこれほど恨めしかったことは無いかも知れない(涙


 井上道義の舞台音楽は、神奈川県立音楽堂のバレエなども含めて、随分聴いて来た。発想が豊かで面白いのだが「超一流の感触」には達した、とは言い難かった。これまでの「オーケストラアンサンブル金沢の東京芸術劇場オペラ」についても、面白いのだが、あくまで「日本人歌手で井上道義が選んだメンバーのオペラ」であり、新国立劇場に限らず、二期会、藤原歌劇団、東京オペラプロデュース などに比べて、「オペラが専門」団体に比肩したとは感じられなかった。

小宮正安 と言う名パートナーを得て、『井上道義の目指す方向性』を万全に具現化した!


公演となった!

井上道義 X 小宮正安「カルメン」骨格像



  1. オケは「オーケストラアンサンブル金沢」で弦楽器が、8,6,4,4,2 なので、音量拡大は追求しない。「和音で響かせる」


  2. 主要3役は、欧米で活躍している「脂の乗っているソリスト」を3名当てる。ミカエラ は小川里美


  3. オペラ・コミーク用にビゼーが作曲した「唯一の版 = アルコーア版」を用いる。


  4. 『初演当時のパリ』を「21世紀初の東京(或いは金沢などの4都市)」で『雰囲気を再現』するために、舞台設定を「スペイン統治時代のフィリピンの首都 = マニラ」に設定


  5. 主役陣の歌う「歌詞」は全て「オリジナル通り」で、「字幕」は「セギリヤ → マニラ」などと表記。これならば主役陣の歌唱の妨げには一切ならない


  6. 「幕が無いオペラ」としての公演


  7. 「合唱だけ」の箇所に「日本語訳詞」で歌わせる箇所作成。第4幕のように「途中からソリスト参加」の曲では合唱団員だけ「2重の歌詞」になるが、それは実施してもらう。


  8. 合唱団は(大人も子供も)演技は一切求めない。歌唱だけに集中してもらう。「ローマのコロセウムの聴衆」の位置にて歌う「コーロ」の原語の意味を問い糾す。合唱団に「声の質」「ディクションの正確さ」は求めない。「音程命!」


  9. 演技は「ソリスト(= プロ歌手) + ダンサー」だけで実施。ダンサーには助演的にも動いてもらう


  10. 演出は「大道具は大きくは動かせない」を前提に、「マニラ」の設定で作成。衣裳も東洋風に「エスカミーリョだけスペインからの招聘戦士(= ヨーロッパ風で浮き立っている)」とする


  11. 「重唱」重視。フラスキータ(鷲尾麻衣)以下の「レジスタンス(← 井上道義版の解釈)」4名は「音程&音量バランス」を最高までにチューニングする


  12. 「光」は最高のパフォーマンスを狙い、成功した!


  13. 井上道義の棒は「歌」最重視の「流れる棒」で、歌手陣の最高を引き出していた



 私高本が受け取ったことは以上。


 「大道具が貧乏くさい」「しかも第1幕から第4幕まで基本変わらない」「合唱団のディクションが物足りない」「弦の響きがもっと欲しい」などなどの意見は休憩時に耳にした。あぁ、休憩は第2幕の後までしか無かったから、「第1幕と第2幕の大道具が基本変わらない!」だった(爆

 ここで、「響き」について、いくつか述べたい。

  1. 1階席前5列の座席を外し、「オーケストラピット」にした!


  2. 基本的に「客席に向けての歌唱」で統一。合唱団は「向き」も変わらないが、ソリスト陣も正面向いての歌唱が9割超


  3. 音程は「ミカエラの第1幕アリア」以外は全て良かった。ミカエラ(= 小川里美)は第3幕アリアは素晴らしかったこともここに報告する



 井上道義 と オーケストラアンサンブル金沢 は「東京芸術劇場の響き」を熟知して来た。座席数を減らす = 収入減 だが、それでも「響き」優先だった!!!

 「今後の 井上道義のオペラ」は見逃せない。

 ・・・と同時に「小宮正安のオペラ」も見逃せない。この人があっての公演の成功だった、とはっきり確信している次第である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シューベルトの「未完成ピアノソナタ」は全て「シューベルティアーデ全盛期」! その1(No.2220)

2013-02-16 21:30:23 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

シューベルトの「未完成ピアノソナタ」は全て「シューベルティアーデ全盛期」!


  シューベルトは未完成作品が多いことで有名な作曲家。最後の作品が寿命が尽きて未完成になるのは、作曲家ならずともやむを得ないが、シューベルトの場合は全く違う。「死」が原因で未完成に終わった可能性があるのは「最後の交響曲ニ長調D936A」1曲のみ。他は生前に「未完成」に見える状態で放置された曲である。
 中でも「未完成率」が著しく高いのが「ピアノソナタ」。「完全完成曲 = 11曲」に対して、次のように「未完成に見えるピアノソナタ」が残っている。

シューベルトの「未完成ピアノソナタ」一覧



  1. ホ長調 D157 1815.02.18(4楽章)


  2. ハ長調 D279 1815.09(4楽章)


  3. ホ長調 D459 1816.08(3 or 4楽章)


  4. D557 1817.05(初稿は変イ長調で2楽章、第2稿は変ホ長調3楽章)


  5. ホ短調 D566 1817.06(3楽章)


  6. ホ長調 D459A 1817.06 or 07(おそらく初稿と第2稿が3楽章、第3稿が4楽章)


  7. 嬰ヘ短調 D571 1817.07(3楽章)


  8. ハ長調 D613 1818.04(4楽章)


  9. ヘ短調 D625 1818.09(4楽章)


  10. 嬰ハ短調 D655 1819.04(第1楽章展開部終了までで放棄された)


  11. ホ短調 D769A 1823(第1楽章第1主題途中で放棄された)


  12. ハ長調 D840 1825.04(4楽章)



 全部で12曲着手しているので、「未完成に見えるピアノソナタ」の方が多い><

シューベルティアーデ全盛期 = D118-D844 なので、上記曲は全て該当期間!!!


 これが意味するところを時間を掛けて述べて行く所存である。期待して下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐伯周子のシューベルト(No.2219)

2013-02-15 21:54:36 | ピアニスト・佐伯周子

佐伯周子のシューベルト


 「シューベルト216回目の誕生日コンサート」の録音を聴いた。1曲目 = ソナタ ハ長調D613+D612+D780/6 の第1楽章がガラにもなく緊張しており「硬い」のだが、第2楽章以降は「いつもの佐伯周子のシューベルト」である。「感傷的なワルツ作品50」の「繰り返し時の装飾音」にこだわったのは初めてだが、今後はどうなるのか? 「やり過ぎ」の感もあるのだが(苦笑


「佐伯周子の透明感あるシューベルト」は「楽譜に忠実」だが、あまり聴くことができない「ピアノのシューベルト」


 本日、とあるオーケストラ(← 超実力派オケ)で「ドイツ派交響曲大作曲家作品リハーサル」を聴かせて頂いた。作品も指揮者もオーケストラも抜群! 思わず涙ぐんでしまった時もあった。ちなみにシューベルトではないよ(爆

多くのピアニストのシューベルトは「ペダルがベタ踏み」である。


 シューベルトのピアノ曲は「指が届き難い」フレーズが極めて多く、大多数のピアニストは「フル」で右ペダルを踏む。それでも説得力のある演奏を聴かせてくれるピアニストは多い。ブレンデル、バドゥラ=スコダなどなど。彼らのペダリングは厚いが、説得力は充分にある。私高本が入れあげたピアニストだし(爆


『ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノ・ソロ曲完全全曲演奏会』を開始したのは、2004年8月。だが、第2回以降の計画は全く白紙で何も無かった><


  う~ん、佐伯周子 は当時「洗足学園音楽大学4年生」だったからなあ。「ショパン、スクリャービン、シューベルト」のピアノソナタでデビュー。ショパンとスクリャービンが「えっ?」って出来。休憩時に(当時は今よりも貧乏だったので)譜めくりしていた私高本が「大丈夫???」って尋ねたほど。シューベルトだけ、素晴らしい演奏だった。打ち上げとかではトラブルだらけだったが(涙

シューベルトでは「交響曲」「弦楽四重奏曲」「ピアノソナタ」は同じ位置付けの作品であり、『佐伯周子のシューベルト』は体現している!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今後聴きに行くコンサート(No.2218)

2013-02-14 22:50:29 | 演奏会案内
 日曜日に「演奏会形式オペラ」を聴く。

井上道義指揮オーケストラアンサンブル金沢「ビゼー:カルメン」2013.02.17 東京芸術劇場


  演奏会形式、とは言うモノの、小道具や衣裳や動作は「オペラそのもの」の公演。井上道義が毎年金沢だけでなく、東京でも上演しているシリーズ。「カルメン」好きな人は是非是非聴いてほしい。

 来週は、前半に

「下野竜也:読響正指揮者修了演奏会」と読響演奏会プログラムノートに「明記」された『ブルックナー:交響曲第5番』を2日共聴き、全力で批評掲載する!


をここに誓う。この6年3ヶ月の「下野竜也初代読響正指揮者時代」に、東京の聴衆はどれほど素晴らしい時間を過ごせたことか!!!
 「修了演奏会」が、文化庁芸術祭優秀賞を獲得したヒンデミットでも無ければ、交響曲全曲演奏会を貫徹したドヴォルザークでも無く、「ブルックナー:交響曲第5番」になったのは、下野竜也らしい、と言えば下野らしい。「常に聴衆の意表を突く指揮者」だからなあ。

下野竜也指揮「ブルックナー:交響曲第5番」2013.02.18サントリーホール & 02.20東京芸術劇場


  読響ファンは「ブルックナーならばスクロヴァチェフスキ」と言うファンが圧倒的に多いらしく、両日共にチケットは取りたい放題だったので、両日共に確保した。佐伯周子 も聴きたい、と言うので、獲ったが「好きな座席が読響のブルックナー」でこれほど簡単に獲れたことは記憶に無いほど><
 初日公演後、必ず「楽日公演前売り終了」前に批評は掲載する。「印象批評」にならないと良いのだが、「ブルックナーの詳細批評」は書いたことあっただろうか???(爆
 前半の2日の「下野竜也正指揮者修了演奏会」で体力が尽きなければ、後半も1公演行く予定だが、寄る年の波と糖尿病で、どれだけ体力が残っているか? は終わって見ないと何ともわからない><
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京オペラプロデュース「オッフェンバック:ロビンソン・クルーソー」2013.02.11批評中編(No.2217)

2013-02-13 21:18:04 | 批評

『オッフェンバックの魔法』を熟知していた 松尾香世子 + 西塚巧!


  フランスオペラの伝統は 猫頭ヒョーロンカ = 私高本 は、はっきりわからんところがある。ベルリオーズオペラとかよくわからない><
  だが、オッフェンバックが創始した「オペレッタ」、もっと細かく言えば「フランスオペレッタ」の伝統は理解している、と思う。さらに言えば、「ウィンナオペレッタ」や「ベルリンオペレッタ」は「フランスオペレッタ」を手本にしたので、言語の相違(フランス語とドイツ語)こそあれ、同じだと思う。ああ、イギリスオペレッタも(深くは研究していないが)同じ方向。

最も大切なのは「フランス語の言葉の強勢」に合わせて、『語っているかのように聴衆に語りかける』歌


 これは「言うに易し、行うに難し」なんだよね、評論家は書けば良いだけだから(私高本も含めて)簡単に書くが。


 石坂宏指揮のオケは「歌伴徹底」がそれはそれは徹底されていた。後述するが「アホなホルンのフォルテの嵐」の妨害にも関わらず。一瞬たりとも「ソリストの声が聴こえない」瞬間は訪れなかった。オケ機能は不完全だったにも関わらず(涙


「ホルン1番」が、冒頭からコケまくり、しかも「ピアノが吹けない大バカ」


だった。こんな「バカホルン」は在京オケ(オケ連加盟)では聴いたこと無いほど! 石坂も持て余した様子。このホルンは、pp が吹けない。こんなバカ起用するなよな(怒

 石坂も困ったことだろう。石坂は「歌手最重点映え路線」で振った。歌手陣は歌い易かったことだろう。一瞬たりとも「かぶった」ところ無し、だった。だが「新国立劇場オペラ最高の指揮」に迫ったか? と言われれば、躊躇する。
(後編は後日必ず掲載します。予定は2/15または2/16)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京オペラプロデュース「オッフェンバック:ロビンソン・クルーソー」2013.02.11批評前編(No.2216)

2013-02-11 21:46:14 | 批評

第2幕第2場の「松尾香世子 + 西塚巧 の2重唱」から、「オッフェンバックの愉悦」が引き寄せられ、終幕までハイテンションを保った「日本初演」となった 東京オペラプロデュース「オッフェンバック:ロビンソン・クルーソー」


 「隠れた名作オペラ」を次々と高水準の名演で「日本初演」を続けてくれている 東京オペラプロデュース が2013年も「隠れた名作オペラ」を名演で日本に紹介してくれた!

今回で『11回連続日本初演』の連続!(2008年2月から)。2009年10月「シャブリエ:エトワール」以降は圧倒的名演揃い!


 ありがたい限りである。


新国立劇場中劇場を聴くならば、東京オペラプロデュース


は、私高本が Piano Music japan に明記したが、徐々に人気が高まって来たのか、ほぼ満席に近い大人気公演となった。前9列の座席を全部取り外して(最前列が10列になる!)、オーケストラピットも舞台も大巾に「前出し」される。この効果は極めて大。

この日は、飯守泰次郎次期新国立劇場オペラ部門芸術監督 が2階最前列中央に聴きに来ていた!


ことをここに記す。今日までの「新国立劇場中劇場オペラ公演」は全て「5列外し」だが、飯守泰次郎芸術監督時代になったら、「9列外し」にして下さいませ!!!


(以下続く)
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホーネック指揮読響「1ヶ月遅れのニューイヤーコンサート」初日批評(No.2215)

2013-02-10 23:13:03 | 批評

『ウィーンがそのまま引っ越して来たかのような ホーネック + 読響 の響き』


  一言で言うと「柔らかな響き」が体を包み込む、である。読響メンバーは(私高本が見る限りだと)「ウィンナホルン」などは用いていない。それでいて、柔らかな音色が軽やかに聴き手を包み込む。

ホーネックは「横に綺麗に流れる指揮ぶり」で、読響がその通りの音を紡ぎ出す。フレーズが変わる際に「色彩がすっと千変万化する」


 ベートーヴェン → ロッシーニ → シューベルト → シュトラウス兄弟 → ブラームス → ドヴォルザーク と

「ウィーンを巡るロマン派」だった


 作曲家毎の「作風」も明確に映し出され、前半の最後の曲 = ブラームス「ハンガリー舞曲」第1番終曲後に「ブラヴォー」は盛大に掛かるわ、拍手で3回もホーネックが呼び出されるわ、ほぼ満場の聴衆から圧倒的な支持を受けたが、最も長い曲が ベートーヴェン「ロマンス」第2番なので、これは極めて珍しい聴衆の興奮を示していた。

 2月11日(月・祝)の同プログラムは全席完売、12日(火)のサントリー名曲は残席あり。私高本は12日(火)にもう1度聴く。同一プログラム「ニューイヤーコンサート」を2度聴くのは、おそらく産まれて初めて。本当のところは、11日(祝)公演も聴きたいほどだ(涙
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする