Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

岡原慎也指揮者デビューコンサート批評(No.1889)

2011-06-28 12:30:24 | ピアニスト兼指揮者・岡原慎也
 日本最高気温を埼玉県で記録した夏至直後の6/25(土)に大阪に「岡原慎也指揮者デビューコンサート」を聴きに行った。

「岡原慎也の音楽観」がはっきり打ち出された演奏会であり、音楽的に極めて高い成果が、3名のピアニスト+オケ と共に作り上げられた


ことが印象深い。


 大半のピアニストにとって「ピアノ協奏曲」をプロオーケストラと共演することは「夢」である、と同時にほとんど大半のピアニストにとっては「一生に一度も巡り会えない」ままピアニスト人生を終える。
 ・・・で、運良くプロオーケストラと共演できたピアニストが「幸せな出会い」になるか? というと難しいのだ。(まことに伝え難いことだが)皆無に近い、と言った方が正しい。当 Piano Music Japan で何度も書いているように、「指揮者はいとも簡単にソリストを見限る」からである。原因は

  1. 合わせの時間が足りない


  2. 「ソリストの技巧不足」が指揮者に不満


  3. ソリストと指揮者の「音楽観」が合わない


  4. 指揮者が「協奏曲に興味ない」ため勉強していない



の4点が主原因。さらに

オケメンバーは基本的に協奏曲演奏は嫌い!


が加わるから、さらに始末が悪い(爆

 最近でも、5月の読響サントリー名曲でヴァイオリニストが見限られたし、4月N響定期でバリトンソロ歌手が見限られた。東京の2つのトップオケの「定期」でこの現状である。私高本の耳からすると「もっときちんと合わせてくれ~っ!」と感じたのだが。


 岡原慎也 はこれまで数多くの協奏曲演奏をして来たピアニストだ。(指揮者ではないよ) 多くのピアニストが「指揮者がなっとらん!」と怒っている。グルダ、アシュケナージ、バレンボイム、エッシェンバッハ、ツィンマーマン、、
 テンポ設定、ピアノに被さるオケの爆音、フレージング&アーティキュレーションの不一致 etc.

 これらが上記4項目が複合して来るワケだから、イヤになる、と言うか悲しくなるピアニストは続出である。

大概のピアニストが「弾き振り」に走る


 ところが、岡原慎也だけは「弾き振り」に走らず、「ピアノ協奏曲だけを集めて振ることに専念」した。ここに興味を持って、大阪の「豊中アクアホール」に向かった。


「モーツァルトオペラ」のようにピアノ協奏曲を指揮する岡原慎也!


 私高本は「弾き振り」は決して嫌いでは無い(!)ので、結構聴いて来ている、ナマでもCDでも(爆

 バレンボイム(ピアノ&指揮 ベルリンフィル)なんて、なかなかいいぞ! あの水準が聴ければいいな!
・・・と思って、大阪に行って絶句。

モーツァルトの「テンポ設定 & 旋律線の浮かび上がらせ方」は岡原慎也の方が上!


 さすがに「単音の響き」とかはベルリンフィルの方が美しい気がするが、「旋律線」の扱いなどは、特に「木管楽器が主旋律を吹いて、ピアノが伴奏音型に廻る箇所」などでは、

木管楽器の「自然な息の長さ」に合わせる!


が信じられないほど、まさに「自然に」聞こえる。K.271 よりは K.453 の方が圧倒的にオケの響きが充実。これは、ピアニストや岡原慎也のせいではなく、「モーツァルト自身のオーケストレイションの進歩」だと感じる。
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法貴彩子宝塚ベガコンクール優勝(No.1888)

2011-06-26 18:25:57 | ピアノ音楽全般
 昨日の「岡原慎也指揮者デビュー」の批評を書こうと思っていた矢先、岡原慎也から「法貴が宝塚ベガ優勝したわ」との発言があった。6月1ヶ月だけで2回の優勝。おめでとう!!!

 本選結果速報 は左をクリックして下さい。27才だったのか、、、

 素晴らしい才能なので、読者の皆様は名前を記憶しておいて下さい。法貴彩子(ほうきさやこ)です。 大型新人ピアニストです、体型は「中型日本人」だし、音量も一流ピアニスト平均ですが、

法貴彩子は、音楽構成力のスケールの大きさが大型


です。
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バドゥラ=スコダ夫妻著『モーツァルト 演奏法と解釈』(No.1887)

2011-06-24 15:59:16 | 楽譜の選び方
 新横浜 → 新大阪 新幹線車内で、標題の本を読んだ。2002年に『川上敦子:モーツァルトピアノソナタ全曲演奏会』開始前に熟読して以来なので、9年ぶりに全部通して読んだ。 1963年初版、渡辺護訳、音楽之友社刊。原著はドイツ語で1957年刊。 私高本自身は1981年の第12刷を新品で購入しているので、ロングセラーの人気本だったことがわかるが、現在絶版。上記リンク先に1冊だけ安い中古が出ている。

 いやー、以前勉強したことが頭の中に蘇った。半世紀以上たった現在でも通用する名著である。50年間の研究で変化があった(と感じた)点はわずか以下の2点のみだった。

  1. 原典版楽譜が数多く新規出版されて、「楽譜環境」が非常に良くなったこと
  2. 「andantino」が「andante」よりも遅かった、と判明したこと

 これだけだった。パウル・バドゥラ=スコダ がその後フォルテピアノを頻繁に弾くようになることはあまり感じさせないで、モダンピアノについてほとんど語っていることは、1人の芸術家の芸の巾広げを垣間見た気がする。
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若手演奏家について雑感(No.1886)

2011-06-23 21:00:23 | ピアノ音楽全般
週末の土曜日=6/25に大阪に「ピアノ協奏曲3曲演奏会」を聴きに行く、ことは既に書いた通り。岡原慎也ピアノではなく、指揮(爆
ピアニストはおそらく、大阪近辺在住の若手ピアニストだろう。楽しみでならない!

翌週月曜=6/27には、上野優子の連続演奏会「ココロのヒビキ」第2回を聴きに行く。推薦しようと思っていたが、やはり今回も既に全席完売になってしまった。『上野優子のロシア音楽』の素晴らしさは、私高本の筆では表し切れていない。いつも推薦しよう、と思っているのだが、毎回全席完売になるのでタイミングを逃している(泣
今回も、ボルトキエヴィチとプロコフィエフが並べられており、人気が高いのはわかる!!!

他にも「若手演奏家」の演奏会には足を運んでいる方だと思う。全部が全部「納得できる演奏」にはならないのだが、本当に時折「何だ! こんな素晴らしい才能が埋もれていたの!!」ってのもある。つい今月も1つあったのだが、「演奏会批評」書くに当たって、他の演奏を思い出せないので未だ書けていない。このパターンは「落とすパターン」そのものか、、、

ヒョーロンカには2通りいる。

  1. 「良い点」を引き出そう、と言う人
  2. 「悪い点」を矯正しよう、と言う人

 私高本は「1」。悪い点は「先生が直す」のが筋でしょ。レッスン料もらっているんだからさあ(爆
 「有望若手ソプラノ」なんて、毎年2桁現れて、大半が「1回のチャンスも掴めずに消えて行く」がクラシック音楽界の日常。ピアノはまだマシ? もっと悲惨? 私高本自身は「佐伯周子のマネジャー」が本業なので、よくわかっていない(爆

みんな「自分の力を最大限の活かして、演奏してほしい」が願い。『自分の力量を演奏家はわかっていない』って例は、マリア・カラスで5月のどこかで書いた記憶がある。どこだったのだろうか? まだボケにはなっていないつもりだが(藁
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「岡原慎也指揮」を聴きに大阪に行くことにした(No.1885)

2011-06-22 23:09:30 | ピアニスト兼指揮者・岡原慎也
前回大阪に行った時に「今度ピアノ協奏曲振るんだ!」と聞いてはいた。協奏曲ばかり3曲。モーツァルトK.271&K.453,ベートーヴェン作品19。「弾き振り大変ですね」と言ったら、「いや、振るんだ」と言っていた。帰京してから確認して唖然! 1曲も弾かないで全部振るだけ。マジ? 電話で確認したらマジだった(爆

確か、チェコでオケの指揮を「オケだけ振る + 弾き振り」した経験はあった、と岡原慎也から聞いているが、「指揮者日本デビュー」になるハズ。夏至直後の大阪に聴きに行くことにした。蒸し暑いだろうな、夏至直後の大阪。2年住んでいたから知っている(爆 さすがにホテルだけは、(予算の範囲で)良いところにした。東京では考えられないほど、夜も湿度高いからなあ(泣
演奏会情報は ここ。オケもホールも初めて聴く。何が何だか全くワケがわからん(泣
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法貴彩子ABCフレッシュコンサート最優秀受賞(No.1884)

2011-06-21 21:45:35 | ピアノ音楽全般
 やっぱり「ソロピアニスト系」だったんだよな > 法貴彩子
読み方は「ほうきさやこ」とのこと。間違って掲載したら速攻でクレーム付きました(泣
すげえ、うまいピアニストだぞ > 聴いたのはシューマン
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藪睨み立体批評「6月の新国立劇場オペラと読響」続(No.1883)

2011-06-18 21:21:31 | 批評
 今日、新国立劇場に「尾高忠明オペラ芸術監督のアフタートーク」を聞きに行った。オペラのシーズン最終日だった。1年を振り返り、かつ 次年度の抱負も聞けて有意義だった。本日の「藪睨み立体批評」にも即役立つ話だった。興味ある人は読んで下さい。(興味なければ飛ばして下さい。ピアノには全く無関係だからなあ!)


 「カリニャーニ指揮読響のモーツァルト」書くのに、「フルート1番 + クラリネット1番」から書いたのは、さすがにチョット間違った気がする。フツーは

カリニャーニ指揮読響モーツァルトは「ノン・ビブラート奏法」を徹底した!


から、書き始めなければいけない。クラリネットとフルートのソロが余りに美しかったので、手順前後でした。読者の皆様に、深くお詫び申し上げる次第です(ペコッ

「カリニャーニのモーツァルト」の特徴は、『音の純粋さ』


である。それはそれは「美しい音」であった。犠牲になったのは「量感」である。「モーツァルトに量感求める聴衆」は聴かないでね > カリニャーニ指揮読響モーツァルト。満足するハズ無いから。ベートーヴェンもおそらく同じだと思う。
 読響では、常任指揮者=カンブルランもベートーヴェンで「ノン・ビブラート奏法」を実行した。就任披露演奏会だった。素晴らしい演奏を聴かせてくれたが、今回のカリニャーニ指揮でも素晴らしかった。この「ノン・ビブラート奏法」は言い難いことなんだが

下手クソなオケが実行すると、アラだけが露出して「聴くには耐えない」結果になる


のだ。実例をここで挙げると(それでなくてもクレームの多い当ブログに)クレーム殺到だろうな。


 1例だけ挙げておこう。(ヤバいか?) 今年4月のノリントン指揮N響の「ベートーヴェン + マーラー」。特にベートーヴェンの日は「音程がオケ側が手探り状態」のママ、演奏会当日に聴かせてしまった。あれは無いよなあ(爆

「ピュアトーン」を売り出すならば、「ピュアな音」聴かせてくれよ > ノリントン

 カリニャーニは聴かせたぞ > 交響曲第39番+「レクイエム」で


 その差は何か? 聴いてわかった。私高本はバカだから「聴く」まではわからん。

低音パート = ヴィオラ以下の低弦 + ホルン + ファゴット + クラリネット の「2番や内側プルト」を含めた音程の良さ


 これだけである。


 私高本の批評を読んで(あぁ、読んでいない方が普通か、、、)いたら、読響の2番&4番奏者とかは不満だらけだろうなあ、いつも首席奏者しか誉めないから。しかし、「おいしいフレーズ」が皆無なんだよね > 2番とか(爆
 これも新国立劇場「蝶々夫人」公演ではっきりしたことです。「いくら1番奏者がうまくても、2-4番奏者の演奏技巧に直接繋がらないオケも実在する」でしたから。「蝶々夫人」のホルンパートのことです。1番だけがうまかった、が2-4番は1番奏者に合わせられなかった、でした。2番奏者、3番奏者、4番奏者の誰が音程悪かったのかは、私高本はわかりません。1人かも知れないし、2人以上かも知れません。そこまで全部わかったら「吉田秀和越え」だろうねえ(爆
 あり得ないわ。51才で2回も脳梗塞起こしているようなバカ = 私高本。明日死んでも、医者が不審に思わないし(爆


 カリニャーニ指揮読響の「音程の正確さ」は尋常ではなかった。チェロパート後方だけ、わずかにビブラート掛けた瞬間もあったが(爆)、前方奏者の音が支配したようで特に何も問題は無かった。確か、チェロパート と コントラバスパート は同じ音程だった、と思うのだが。記憶違いならごめんなさい > コントラバスは全く掛けていなかった

 さあ、ここからが修羅場だよ(爆

 尾高芸術監督の「アフタートーク」に拠ると、東電放射能垂れ流しの悪影響で流れた「アンドレア・シェニエ」新演出は『3年前に全てのキャストが決まっていた』とのこと。年間10公演中、(予算の限りもあり)4公演の新演出は、『3年前にスケジュール決める』とのこと。「コジ・ファン・トゥッテ」も同じだったハズである。すると

カリニャーニ の予定は「新国立劇場:コジ・ファン・トゥッテ」が先に決定していて、読響が後に追加された


が客観的事実だろう。異論あったら、コメントに書き込みして下さい。
 すると「キャンプ・アルフォンソ」にベストメンバーが(東電のクソバカが放射能垂れ流しにさえしなければ)集合してくれたハズである。だが、東電(+日本政府首脳のクソバカ)のせいで、来日を拒絶したメンバーが続出した。オレだって、無限のカネがあれば、芦屋か宝塚に引っ越したいわ、マジ。来日中止メンバーに恨み辛みは一切無い。来てくれた人々にも(辛辣かも知れない批評を書いているかも知れないが)感謝するばかりである。頭に来たら実名でコメントに書いてね。必ず反映させるから。
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藪睨み立体批評「6月の新国立劇場オペラと読響」(No.1882)

2011-06-17 21:51:12 | 批評
「立体批評」とは、普通「レコード芸術」誌のように「1つの演奏を2人以上で批評する」ことを指すことが多い。最近「作曲家:グルダ」「歌曲作曲家:マーラー」「1949-57のマリア・カラスの全て」などの発狂ジャンルを次々と創出している私高本が、狂いついでに1発立体批評をカマす。「立体」対象は批評家ではなく、「批評される演奏家」だ(爆

演奏水準が「日本最高」を維持している オペラ=新国立劇場オペラ & オケ=読響


である。批評対象に不足は無い。行くぞ!


 批評対象は次の通り。

  1. 2011.05.29 & 06.02 新国立劇場 モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」


  2. 2011.06.15 新国立劇場 プッチーニ「蝶々夫人」


  3. 2011.06.16 読響 モーツァルト「交響曲第39番 + レクイエム」



 なかなか興味深い演目であり、顔ぶれだぞ(藁


 東電福島第1原発放射能垂れ流しの影響大。

  1. 新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」の「フィオルディリージ」「デスピーナ」「フェルランド」の3名が来日を中止した。
  2. その『続き』として、読響のモーツァルトレクイエムのソプラノとテノールが変更を余儀なくされた。
  3. 新国立劇場 と 読響 は「別の」ソリストを連れてきた。
  4. 両方に予定されていた 指揮者=カリニャーニ は「新国立劇場はキャンセル」「読響は予定通り振った」
  5. 東フィルは、「コジ・ファン・トゥッテ」に2軍、「蝶々夫人」に1軍 を出した
  6. 演出は「コジ・ファン・トゥッテ」が新演出、「蝶々夫人」がクソ演出の再演

 これが客観的事前事実。新国立劇場には放射能が降っていて、100mも離れていない東京オペラシティには放射能が降っていない、なんて記事は読売新聞だけでなくどこのメディアにも掲載されていないからなあ(爆


上記3演目は全て「新国立劇場合唱団」が出演していた


ことは特記される。もちろん、メンバーはローテーションされていて喉を痛めない配慮はされている。あくまで私高本が「声&顔」で推測する限りであるが、

「コジ・ファン・トゥッテ」が1軍メンバー、「レクイエム」が「コジメンバー+登録メンバー」、「蝶々夫人」が1軍半メンバー が新国立劇場合唱団のシフト


だった、と感じる。「新演出優先」を貫いた姿勢、を感じる。「コジ」は必要人数が少なかったので1軍を起用し易かった、もあるだろう。助演が大活躍だったからなあ(爆

 ・・・で、肝心の演奏なのだが

合唱の出来は 「レクイエム」 > 「コジ・ファン・トゥッテ」 > 「蝶々夫人」 が明らか


だった。「レクイエム」は60名、「コジ・ファン・トゥッテ」は24名で「声量」が勝った、わけではなく、「音楽の質」が「レクイエム」が上だったのである。もちろん、「コジ・ファン・トゥッテ」は暗譜+演技付きなので、「レクイエム」よりも条件は悪い。私高本が言っているのは「音楽の質」のみである。練習は(断定は出来ないが)自催公演の「コジ・ファン・トゥッテ」の方が圧倒的に多かったハズ。しかも「メンバー平均歌唱水準」は圧倒的に「コジ」が上である。
 ・・・にも関わらず、「レクイエム」が(合唱が)圧倒的に上だったのは「指揮者」または「オケ」の力、となる。う~ん、「コジ・ファン・トゥッテ」をキャンセルした指揮者だよな > カリニャーニ(爆


 誰だって放射能はイヤだよな。オレだって、カネが無限にあるならば関西の良いところ、芦屋とか宝塚 に引っ越したいよ、マジ。来日しなかった演奏家の皆様に繰り言は言わない。来て頂いた演奏家の皆様には感謝するばかり。だが、「力量の差」は事実通りに記載するしかない。カリニャーニは、なぜ 新国立劇場はキャンセルして、読響は振ったのか?
 読響が「メンバー変更のお知らせ」を葉書で送って来た時は、「指揮者誰?」と思って読んだ。『変更無し』を読んだ瞬間に事務局に電話していた私高本。「マジですか???」と。
 マジだった。信じられなかった。「新国立劇場キャンセルして、読響は予定通り振る」って言うのが。マジで昨日まで信じて無かった。サントリーホール入口で揉め事起こるのを見るのがイヤで、遅めに会場に入った(爆


  特に何も問題なく、演奏会は始まった > 昨日の読響。カリニャーニは「剃髪の禿頭」は前回同様。私高本は糖尿病の合併症で「頭部に血管炎多発」なのでカリニャーニのような「きれいな剃髪姿」は(おそらく死ぬまで)誰にも見せられない。まあ、髪の毛は音楽とは全く無関係なのだが(爆

 ・・・で、モーツァルト交響曲第39番変ホ長調ってこんなに表情豊かな曲だったの? が偽らざる気持ち。繰り返しの時に「ピアノの左ペダル」のような音色の変化! ピアノならば、ペダル踏むだけなんだが、クラリネットやフルートでは、そうは行かない。「息を減らした上に、吹き込む速度を遅くする」ことになる。書くのは簡単だが、他のオケでは聴けない。フルート1番(って言うか1人しか登場しなかったんだが)はお疲れ様。バセットホルンを吹いた「1番クラリネット」もお疲れ様。素晴らしい演奏をありがとうございました。
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読売日本交響楽団第539回名曲シリーズ批評(No.1881)

2011-06-16 23:33:01 | 批評
 新国立劇場「モーツァルト:コジ・ファン・トゥッテ」をキャンセルしたのに、読響「モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調K.543+レクイエムK.626」を含む公演で来日した『謎の行動の指揮者 = カリニャーニ』の初日を聴いた。来日理由がはっきりと理解できた。この人の思考は『音楽だけ』。私高本と全く同じ思考回路かも知れない。この日の素晴らしいモーツァルト演奏は忘れられない名演であった。


  東電福島第1原発放射能垂れ流し以来、「来日公演キャンセル」は相次ぎ、東京のクラシックファンを嘆かせ続けている。東電幹部は全財産を処分して謝罪するのが筋である。だが、来日を拒絶した演奏家には一切罪は無い。
 ・・・が、1人行動が「良くワカラン」演奏家が1人だけいた。指揮者=カリニャーニ である。6~7月の新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」はキャンセルしたが、7月読響「モーツァルトプログラム + ベートーヴェンプログラム」は受けたからである。読響HPに「キャスト変更のお知らせ」が出た日に即見たら、本当に「カリニャーニ来日」であった。これは聴くしかない! と思い、初日のサントリーホールに足を運んだ。
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新国立劇場「蝶々夫人」批評(No.1880)

2011-06-15 20:55:42 | 批評
新国立劇場オペラの 2010/2011シーズン も最終演目になった。「日本のオペラ、と言えば、蝶々夫人」である。新国立劇場は、初日の出来が「オケが圧倒的に響き亘り素晴らしかった」の評判が人気を呼んだらしく、平日昼なのに相当に入っていた。音響的にはデッドになるんだが(苦笑


素晴らしかった「蝶々夫人=グリャコヴァ + 指揮者=イヴ・アベルの東フィル」 そしてホルン1番


  今年3月以来、新国立劇場オペラとして初めて「東電福島第1原発放射能垂れ流し」の悪影響を受けずに済んだ演目となった。(東電首脳は全財産を売り払って、日本国民に詫びるのが筋だろう。)しかし、東電放射能垂れ流しとは無関係に(事前に)、タイトルロールが変更されていた公演である。新タイトルロール=グリャコヴァ。その出来に注目が集まったが、圧倒的な歌唱であり、「日本人の仕草」を感じさせる身のこなしであった。グリャコヴァ は今後、欧米での「蝶々夫人」の声が集中して掛かることだろう。
 ピンカートン=トドロヴィッチ は10年前の同役に比べて、相当に衰えた感触。アリアもだが、重唱での衰えは顕著。人間年は取りたくないものだ、としみじみ感じる。
 シャープレス=甲斐栄次郎 はトドロヴィッチよりもさらに声が響かない。う~ん、役が重過ぎた感触。特に悪い感じは受けないのだが、とにかく「声が飛んで来ない」が悲しい。
 スズキ=大林智子 は「喉歌い」。初日は良かった、とも聞いているので、長丁場の経験不足か? 楽日まで聴衆はいるんだよねえ。 ゴロー=高橋淳 は、「いやらしい役柄」をものの見事表現。ピンカートン を狙っていることだろうが、私高本としては当分 ゴロー で歌って欲しい。高橋淳 以外では、あの「いやらしさ」は出せないぞ!!!


 イヴ・アベルの指揮について。「素晴らしいオケの響き」はアベルの棒のおかげ。プッチーニは「オーケストレーションが巧み」とは常々語られていることだが、これほどオケが「鳴り響く」のは本当に感動的。14型でここまで鳴るモノか!

 但し、全てが満足できた? と心に問うとちょっと違う。

  1. 重唱のバランスが悪い


  2. 演出が悪い



 新国立劇場は「蝶々夫人」でこの栗山民也演出が確か3作目の演出だった、と覚えている。これが最もスカ。何でこんなバカなモノを再演するんだろうか? 台本を全く無視した上に、華やかさ皆無、しかも「歌い易くした改善」皆無、である。
 重唱バランスは全部が全部悪かった。直前の モーツァルト「コジファントゥッテ」が『重唱は良かった』だけに考えさせられるモノだ。指揮者? キャスト? 何とも言えない。


 新国立劇場来シーズンは「蝶々夫人」は無い。高校生のための公演が今年夏にあるが、終わったら即刻焼却処分にしてほしい。こんなスカな演出を2度と見せるなよ。台本ト書きに「坂を上がって」とあるのに、坂を下らせて何が表現したいんだ? 全く何も良いところが無い演出である。
 来シーズンは、ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」で幕を開けるとのこと。1つでも多くの公演で素晴らしい歌唱を聴かせてほしいものである。


 1言だけ追加。東フィルの演奏は素晴らしかった! 中でも「1番ホルン」のうまさは信じられない水準。誰? 「蝶々夫人」って「1番ホルン」が良いと「映える」オペラと本日初めて知った。(これで2~4番ホルンがきちんと合っていたら、信じられない高みに行ったのだろうが)
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「子供の不思議な角笛から」の謎を解く(No.1879)

2011-06-14 15:40:43 | 歌曲作曲家・マーラー(1860-1911
梅雨シーズンまっただ中。こんな日々にはマーラー「子供の不思議な角笛から」でぱーっと異次元の世界へどうぞ!

1人の歌手による「決定的名盤」が存在しない「幻の名曲 = 子供の不思議な角笛から」の謎を解く(3)


不人気原因その3

不幸中の慰め Trost im Unglück 第85小節に「2人で Beide:」の指示が明記されている


  ドイツリートは1曲の中にいろいろな人物が登場して来る。男女双方が1曲の中で出現することもしばしば。シューベルト「死と乙女」は超有名。シューマン、ブラームス、ヴォルフ も同様。

2人が同時に歌う必要がある時 → 重唱にする が鉄則


である。シューベルトをはじめとして、ドイツリート作曲家は皆実行して来たことだ。

 マーラーは「重唱」と明記した単独曲は残さなかった。「嘆きの歌」、交響曲第2番「復活」第5楽章、交響曲第8番「千人」 に出現するだけである。
 この「不幸中の慰め」第85小節以降(終曲まで)については、音符が単独なので、「1人で歌う」ように作曲はされている。
・・・が、指揮者がこの箇所を見た時には「2人でユニゾンで歌わせよう」と考える方が普通だろう。マーラーの指示なのだから。すると、全12曲(13曲でも14曲でも同様)を演奏するに当たって、この曲だけを男女に振り分けるのはもったいなく感じる。他にも「男女の掛け合い」が歴然とした曲が最低で2曲あるし(爆


不幸中の慰め Trost im Unglück 第85小節に「2人で Beide:」の指示が明記されている


  これが原因で、指揮者が「2人の男女起用」を決意する、ことは、明らかである。なんてことを書いてくれたんだ > マーラー(泣
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1952年初公開放送リサイタル「ファブリティス指揮ルチア第3幕アリア前半」(No.1878)

2011-06-13 22:35:35 | 1949-1957のマリア・カラスの全て

「ルチア」デビュー前から「完成されていたアリア」の実像


  私高本も瞞された録音の真相はこれ(爆

カラス(s) ドニゼッティ「ルチア」公開放送録音 ファブリティス指揮ローマRAI放送管弦楽団 1952.02.18



  1. カラスの歌:☆☆☆☆☆


  2. 指揮者  :☆☆☆☆☆


  3. 共演者  :☆☆☆☆☆


  4. ライブ感 :☆☆☆☆☆


  5. 録音   :☆☆☆☆


  6. 歴史的意義:☆☆☆☆☆


  7. 舞台初演日&場所:1952.06.10 メキシコ


  8. スカラ舞台初演日:1954.01.18(カラヤン指揮&演出)



 前年1951年12月7日にカラスは念願の「ミラノ・スカラ座シーズンオープニングのプリマドンナ」に指名された。ヴェルディ「シチリア島の夕べの祈り」であった。その日から「カラスの生活」は一変して、いろいろな人&機関からひっぱりだこになった。

『イタリアRAI放送』が1952年から(1957年まで)「偶数年はオケ伴奏のリサイタル、奇数年は演奏会形式オペラ全曲通し」を開始


もその一環。その第1弾の「目玉」がこれ。指揮者=ファブリティス とは、前年のメキシコ公演で気心の知れた仲。「3点Es」カマした「アイーダ」の売れている方の時の指揮者、と言えばわかり易いだろうか? 「伴奏型指揮者」だがうまい!

 ・・・で、ありとあらゆる資料を探して見たのだが、「カラスのルチア公演」はこの年の6月の「メキシコ公演」が世界初。つまり4ヶ月前なのだ > この録音。全部で8曲演奏しているのだが、気合いが入りまくっているのが

  1. ヴェルディ:マクベス


  2. ドニゼッティ:ルチア



の2曲。「マクベス」はこの年末のミラノ・スカラ座シーズンオープニングに予定されていた情報を知っていたんだろうな(爆

「ルチア」は(夫のメネギーニの著書に拠ると)シチリアーニが薦めたオペラ。メキシコ公演前に何か打ち合わせがあったのだろう。その前のこの記念碑的リサイタルで「イタリアの聴衆にお披露目」をしたワケだ。素晴らしい歌唱! あぁ、最後は3点Esだし、直前Bにはきれいにトリルがかかっているよ。4ヶ月後のメキシコ公演のライブ録音について永竹由幸が書いているのを読むと、購入を躊躇せざるをえないのだが、この演奏では「万全のカラス」が聴ける。しかも「100kg時代でパワー全開」だ! 前年にブラジルで支配人=ピントを半殺しにした当時のパワーがある!!!

 この演奏を「説明無しでボーナス・トラック」に入れていたために、何が何だかわからなくなっていた 「1957年ルチア」。 罪作りだね~(爆
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本日ご来場の皆様ありがとうございました(No.1877)

2011-06-12 22:46:06 | ピアニスト・佐伯周子
 本日、ユーロピアノの「SecondSundayConcert」にご来場下さいました皆様、ありがとうございました。「楽しいひととき」を共有できたことは、会場の皆様のおかげさまです。「シューベルティアーデ」を想起させる緊密な会場で、ピアノの可能性を最大限に生かす方向で演奏できた、と感じています。これもユーロピアノの皆様、並びにご来場の皆様のおかげさまです。また、演奏会場でお会いできる機会を楽しみにしております。
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シューベルト「高雅なワルツ」作品77 D969(No.1876)

2011-06-10 19:02:29 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 6/12(日)に佐伯周子が演奏する曲は以下の通り。

  1. ピアノソナタ ハ短調D958「遺作」
  2. 「高雅なワルツ」作品77D969
  3. 「さすらい人幻想曲」作品15D760

 ピアノソナタと幻想曲の曲目解説は東京文化会館の「佐伯周子リサイタル」で演奏する際に、過去にブログに掲載したが「高雅なワルツ」は書いて無かった。ここに記す。


 「高雅なワルツ」はシューベルトの作品自体よりも、ラヴェル「高雅で感傷的なワルツ」と「ラ・ヴァルス」の元ネタになった曲、として多くの人に記憶されている。確かにその通りなのだが、原曲ももっと人気出ていいぞ~!

シューベルト「高雅なワルツ」作品77 D969



  1. 1827.01.22 ハスリンガー社 初出版


  2. 1826.11以降にハスリンガー社の依頼で作曲


  3. 「シューベルトの傑作ワルツ集」の最終作品


  4. 「シューベルトの傑作ワルツ集」中、唯一「ハ長調開始 → ハ長調終曲」で統一感が最大



 昔々から大作曲家に愛されて来た曲であり、リスト、シューマン、ラヴェル、プロコフィエフ などが絶賛している。その割に21世紀の演奏頻度が低いのは残念な曲である。佐伯周子の演奏でお楽しみ下さい。
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1957年演奏会形式公開ライブ録音「セラフィン指揮ルチア」(No.1875)

2011-06-09 20:20:46 | 1949-1957のマリア・カラスの全て
 ほとんど誰もが推奨しない録音。理由ははっきりしている。

全曲終わった後のボーナストラックについている「第3幕アリア前半」の出来があまりにも素晴らしく、『それなら通しで歌って欲しかった』と誤解している人が多いから


である。これは「誤解」だよ、マジ。これが原因で \49,350の「マリア・カラス コンプリート・ライヴ・オペラ・コレクション(103CD)Dreamlife 」にも収録してもらってない。 このライブ録音を収録しないで「コンプリート」は詐欺同然。まあ、海賊盤の運命はこんなモノかも知れない(爆

 何が何だかワケがわからなくなってしまっている「謎の名演」がこれだ!

 ドニゼッティ「ルチア」は短いオペラである。休憩を数えなければ、「道化師」の1.5倍程度の長さ。「ノルマ」辺りに比べると、約半分に「体感時間」は短い。


 私高本は、一時期「現代風オペラ演出」が大流行していた当時、大嫌いで「演奏会形式オペラ」を好んで聴いていた時期がある。20世紀末で1994-1999頃だった、と記憶している。読響や東フィルが質の高い公演を立て続けに上演してくれていた。その後、大野和士が欧州に行ってしまってからは下火になった、東フィルだけでなく読響も。新国立劇場が出来たことが最大の原因だった、と今から振り返ると思い当たる。
 さて、その当時の東京だが、オペラ全部終わった後に「人気アリアをアンコールで歌う」に出くわしたことは1度も無かった。「イタリアオペラは随分サービスがいいなあ」と私高本も、実はCD購入当時は思っていた(爆
 元々、イタリアRAI放送を闇録音したモノが市場に出回った「海賊盤」が出自。1枚でも多く早く売り抜けるためにいろいろなサービスを付けた。「ボーナストラック」もその類。そのまま出してくれるか、録音データをきちんと付けてくれれば良かったのだが、海賊盤販売するヤツらに言っても無駄。それにしても「雰囲気の似た録音」を見付けて来たモノだ(爆
 実際の演奏会形式では「1回通して演奏されて、それで終了」だった。そこまでを批評する。

カラス(s) ドニゼッティ「ルチア」演奏会形式公開放送録音 セラフィン指揮ローマRAI放送管弦楽団&合唱団 1957.06.26



  1. カラスの歌:☆☆☆☆☆


  2. 指揮者  :☆☆☆☆☆


  3. 共演者  :☆☆☆☆☆


  4. ライブ感 :☆☆☆☆☆


  5. 録音   :☆☆☆☆☆


  6. 歴史的意義:☆☆☆☆☆


  7. 舞台初演日&場所:1952.06.10 メキシコ


  8. スカラ舞台初演日:1954.01.18(カラヤン指揮&演出)



 アリアは「第1幕」「第3幕の後半」は文句なし。「第3幕前半」カデンツァの最後は2点Es に下げているが、その前の2点B はつややかにトリルを掛けている。重唱は、ミラノ・スカラ座公演を何度か経て来ただけあって、細かな点までチューンアップされている上、セラフィン指揮なので カラスも共演者も生き生きと歌っている。オケも合唱も伸び伸びとしていること!

「1957年のカラス」は、実は出来不出来のムラが大きい。いや、さらに2年前から兆候が出ている。

マリア・カラス がムラが大きくなった開始時点 = 1955.07.28「蝶々夫人」カラヤン指揮


である。カラヤンの指揮は、カラスと体質的に全く合わなかったのだ。1957年も6月に「ウィーン国立歌劇場で椿姫」が発表されていたのだが、キャンセルされた。実行されていたらカラスの評価は高かったろうが、この1957年後半の好調が現れたか? それは仮定なので誰もわからないが、私高本は「カラヤンと共演しなかったから半年の好調が戻った」と感じる。「ルチア」だけでなく、「夢遊病の女」もこの時期に「カラス最高の演奏(ケルン)」が現れているし、「仮面舞踏会」も同じ。
 実は、この後録音を除くと「全盛期にイタリア聴衆の前で歌う機会」は半年後の1957.12.07の「ミラノ・スカラ座仮面舞踏会 シーズン初日公演」まで無かった。しかし、1955年にカラヤンに引き摺り回されていたやつれた姿も声もみじんも無い マリア・カラス が「元に戻った声」がここに記録されている。録音は「天吊りマイク1点」録音。充分に美しい。

 では「ボーナストラックの第3幕アリア前半」は何か? ですか?

 次回に詳述します。
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