Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

読響第574回サントリーホール名曲シリーズ批評(No.2394)

2014-09-16 23:57:15 | 批評

全てを掌握していた 下野竜也指揮読響 フサ「この地球を神と崇める」日本初演!


  う~ん、実に言い難いことだが、この演奏会の頂点は、「小川典子ピアノ の モーツァルトピアノ協奏曲第24番」だと確信してチケットを購入していたのだったが、実際は フサ「この地球を神と崇める」 の方が遥かに上廻った評価となった。曲の出来不出来とは原因が異なる。『モーツァルトは8型』なのに『フサは16型 + 4管編成』が原因。
 だが、この フサ の演奏は、活目するべき演奏となったことは間違い無い。下野竜也の解釈 + 読響のアンサンブル力の素晴らしさ は、目を見張るばかりである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下野竜也指揮読響第540回定期演奏会批評:続編(No.2393)

2014-09-10 23:56:28 | 批評
楽器自体の持つ自然な音量を基準に、ソロ曲と同じようにブルックナー交響曲を演奏すると(大概の演奏はこのタイプ)金管楽器と弦楽器の音量に、木管楽器が埋もれているのだ。

下野竜也の素晴らしさは、金管楽器と弦楽器の音量を下げながら「響き」は充分に有し、木管楽器群の綾なす掛け合いが目の前に浮かび上がること!


 これは、「読響のアンサンブル力の卓越さ」が大きい、と感じる。ブルックナーの書法自体が、「ホルン8本 + トロンボーン3本 + チューバ1本 + トランペット3本」に対して「フルート,オーボエ,クラリネット,ファゴット 各3本」となっており、1本毎でさえ音量の小さい木管楽器群よりも金管楽器群の方が大きい(爆

下野竜也 は、金管楽器が「吠える」ことは決してしないし、弦楽器を「引っ掻く」ことも決してしない


 特に、弦楽器については、ボーイングを速く大きく要求することが特徴的で、「強く押し付ける」は全く無い。見事なブルックナー像 が実現した!


 前半のハイドン第9番も楽しかった。「ソナチネ」程度の規模の曲。下野 は、指揮台も指揮棒も使わず、「ヴァイオリン対抗型」配置にして、「ヴァイオリンの広がり」を強調した。曲の印象が(ハイドン交響曲の中でも)濃い曲では無いので、ブラヴォー も掛からなかったが、爽やかな印象が残った演奏だった。


 今月の「下野竜也 + 読響」の全3公演を聴くことを決め、当日チケットを全て揃えた。サントリー名曲シリーズの「現代音楽プログラム」は私高本は感動するのだろうか???

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下野竜也指揮読響第540回定期演奏会批評(No.2392)

2014-09-09 23:56:56 | 批評

骨格作り と ステンドグラス細工かのような細部の綿密な仕上げ が両立した 下野竜也指揮読響「ブルックナー:交響曲第9番」


 ブルックナー:交響曲第9番は、後期(第7番以降)の中で、ブルックナー自身が完成した第3楽章までを演奏する限りだと最短の曲なので、後期3大交響曲の中では最も演奏頻度が高く、私高本も最も多く聴いている。その全ての演奏に於いて

「下野竜也の目指すブルックナー第9番像」は、他の指揮者とは全く別物であり、細部の仕上げが異常な水準で細かに仕上がっている!


が圧倒的な印象。そして、骨格も勿論骨太!

  1. 各パート の アーティキュレーション が(楽器の特性を超越して)一致していた


  2. 基本音量が小さい上に本数が少ない 木管楽器群 が必要な箇所では、最前面に浮き上がり、ブルックナーの意図がはっきり伝わって来た



の2点が特に賞賛されるところである。終演後、あまりの名演に 下野竜也 がタクトを降ろした後も、しばらく拍手1つならず、10秒以上経過したと思える時から2階RAブロックから拍手が始まり館内大拍手となり、下野 が正面を向くや否や、ブラヴォーが殺到した。


「9月9日の演奏会なので、ハイドンとブルックナーの交響曲第9番」と言う人を喰った記述がプログラムノートに記載されていたが、これはいつもの 下野竜也 のリップ・サービス。「なぜ、モーツァルトで無く、ハイドンなのか?」は当日演奏を聴くまで解らなかった。だが、定期演奏会を通して聴いた後には、はっきり断言出来る。

ハイドン交響曲第9番第3楽章メヌエットトリオ中間部の「管楽器だけのアンサンブル」で、ブルックナーの心構えを奏者に与える為のプログラムビルディング


 上手かった! 読響の管楽器アンサンブル!! 曲自体は 第6~8番の「朝、昼、晩」に比べて印象は薄い初期の交響曲だが、この箇所の「明るい響き」は心に残る。


「下野竜也のスコアリーディング」は、『オーケストラ配置』から始まっており、極めて独創的



  1. ハイドンでは、左から Vn1(6) - Va(4) - Vc(2) - Vn2(6) だったのに、ブルックナーでは、Vn1(16) - Vn2(14) - Vc(10) - Va(12) だった


  2. ブルックナーの金管配置が、左から Hr - Tuba - Tbn - Timp - Tp



 猫頭ヒョーロンカの私高本の記憶では、下野竜也が同じ読響を指揮した ブルックナー交響曲第5番 では普通の配置だったような気がする。第5番もチューバを使用しているので、異なるのは 第3楽章の ホルン5番~8番奏者が持ち替える ワーグナーチューバだけである。すると

下野竜也 は ブルックナー交響曲第9番 では、この配置が最善! と判断した


ことになる。実際に、第1楽章展開部などで、チューバ と ホルン の連携が鮮やかに響くなど、耳新しい音響シーンが連発。ワーグナーホルン登場の第3楽章は特に印象深かった。


 先に「木管楽器群 が 最前面に浮き上がり」と記載したが、その裏には「金管楽器 と 弦楽器 が音量を抑制する」ことを意味する。

「ブルックナーは楽器毎に徹底して強弱記号を記載しない作曲家」であり、マーラーとは正反対


な一面はあまり知られていない。(現行の国際ブルックナー協会版楽譜が不明瞭な記載であることが原因、だと私高本は感じている。)(続編に続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする