Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

示唆に富んだミラノの講話

2021-02-07 | ワイン
夜明け時には雨が止んだ。何とか今週もお勤めが消化できた。少し出が遅れたので、峠から下りてくるときには霧雨状だった。それ以上に視界が効かなかった。深い霧である。しかしどうも事情を知るとサハラ砂漠の砂が振る黄砂現象だったようである。あまり覚えはないが、二十年に一度ぐらいは強く出るのだろう。先が見えないと何処を走っているのかオリエンティーリングを失う。データの転送が上手くいかなくなったので新しいGPS時計を買わないといけないだろう。

土曜日は先週に続いて指揮者ズビン・メータのミラノでの演奏会が中継された。その演奏に関しては改めて書くとしても、クリスマス前にキリル・ペトレンコがローマで交響楽団を振ってシューベルトの大ハ長調交響曲を指揮して更に晩夏に新シーズンをこの曲で開けてツアーに出るように、ミュンヘンの座付楽団に続いてここでも同じ曲を指揮している。とても比較が面白い例である。

そしてその様な事を考えている向きにはご本人のミラノでの講話がとても多くの示唆をしている。一昨年に日本へ出かける前のブルックナーに関するその話しと同じように、いつもとても意味深い。ここでは、本当のシューベルトを振れるのは俺だけだとメータに語ったのはヨゼフ・クリップスで、ザルツブルクのカラヤンでもグラーツのベームでもないという話しだ。

余談で、当日ミラノで紹介したヴィーンの国立歌劇場のイスラエルの歌手ヘン・ライスについてその経緯を語っていた。イスラエルフィル時代にオーディションに来たようで、軍属だったので軍服で来たというのである。そしてマイエール支配人に紹介したという。
Concerto M° Zubin Mehta


メータ指揮のそのセマンティックな意味合いとしてレントラーの描き方について先日触れたのだが、ここでもその文化環境について示唆している。更に前記した座付楽団に関しては、スカラ座の音楽はヴィーナーだと言ったのも、丁度ローマでペトレンコが振ったものと対照的な話しになっている。詳しくは何度でも繰り返して書くことになるかもしれないが、今年の秋まで何度も話題になることかもしれない。恐らくベルリナーフィルハーモニカーは日本旅行にこの曲のプログラムをもって行くと予想する。

週を掛けてワインを一本開けた。以前ならばより軽いものを一夜で空けて仕舞ったが、高価でありアルコール度も高いもので二回が三回へと延びて来た。勿論開けて三回目になるとプリミエクリュでも酸化してしまって味が落ちる。特に2017年のような酸が弱い年度になるとより厳しい。それでもミネラルだけは楽しめるので駄目というほどではない。

グランクリュのグレーフェンベルクの上部にあるテュルムベルクという事で購入したのだった。グランクリュの様に十年とか寝かさないでも惜しくないのでこうして簡単に開けれる。それでも安くはない。25ユーロともなれば、ヴィーナーフィルハーモニカーでも生で聴けるような価格である。



参照:
怖くないコロナ第二波 2020-06-12 | 雑感
ニキシュ指輪四十年 2021-01-27 | 音



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