Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「スペードの女王」初日批評

2022-04-13 | 文化一般
新制作「スペードの女王」二日目の上演のお勉強準備。先ずは、第一景の最後の部分、つまり雷から手紙の場へと移る所を再確認。やはりベルリナーフィルハーモニカ―が早いパッセージを合わせ方から、また最終景の前の主人公に失望するリザの場面から次のカジノの場面への音楽を確認。

後者、バルセロナの時は演出が異なっていて、全く演奏が違った。もう一度そこも注目したい。要するに劇の一つの山だった。そこへの持って行き方で最終景の喧噪が映える。

フランクフルターアルゲマイネ新聞に批評は、音楽と演出に関しては改めて扱うとして、先ずは音楽祭の姿勢とウクライナ大使の態度が先ず対比して扱われている。つまり、ウクライナ大使は、たとえペトレンコの祖父がウクライナのルーツク出身だとしても敵のロシア人でしかなく、その復活祭ではロシア音楽が演奏される。それだけでなくて音楽祭開幕に支配人スタムパは、チャイコフスキーをプーティン以前から聴いていると挨拶したと報告している。

そもそも国旗の青色と黄色を使って、国歌を流して誰の助けになるのだと正論を書いている。つまり簡単に安く自己満足する事をバーデンバーデンは断念したとある。

このことが演出などには関係しない。それは演出家らの座談会を聞いてよく分かった。最後の数週間で起きた事なんて全く演出に反映する筈がないという話しだった。尤もだと思う。それだけ細かい演出は出来ていたのだが、初日にスペードの女王の家が売春宿になっているシーンで激しくブーが飛んでいた、その批判の意味についても触れている。

音楽祭に関しては少なくとも募金に関しても会場では小さくしか扱われていない。それらをして、ウクライナにアッカンベーをしていると書く。

バイエルン放送協会の批評では、やはり高級娼婦館に舞台が移っているのを書いている。その一方、ペトレンコ指揮のチャイコフスキーは、ミュンヘンで数多くそうであったように管弦楽団を本気にさせるので、レパートリーとして欠かせないものになるとしている。

勿論座付き管弦楽団とは全然異なりその限界は遥かに高いので、そのことを予測している節もない。何回もミュンヘンで経験している割には不思議な感想である。

主役に関してはとても評価している一方、リザが予定通りアスミク・グリゴーリアンだったならモノトーンではなく素晴らしい出来だったろうとしている。まさしくあの舞台設定はグリゴーリアンを意識させたような雰囲気だ。しかし本来から肌を見せる場所はなかった筈だ。

積雪で倒木を跨がなければいけないところが17本ほど、潜らなければいけないのが10本ほど、その他にもよけて足に傷をつける枝など数々で、今迄の倒木で最大級だった。やはりはが出たところでの積雪は負担が全く異なるのだろう。どれ程の林業被害になるのかはまだ聞いていない。



参照:
大向こうから掛かる声 2022-04-12 | 雑感
雪にロシアンオペラ 2022-04-10 | アウトドーア・環境

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