Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

殆どマニアの様な生活

2018-08-18 | 生活
歯医者に行ってから初めて走った。明け方結構冷えたので窓を開けている分小用に立ったり、決して深い睡眠とは至っていない。だから朝も陽がのぼるまではなかなか醒めない。結局沢沿いを走るころには陽が昇っていた。それでも16.5度とそれほど気温は上がらない。覚醒しないところで頑張って走るしかないのだ。なにも無理をする必要はないのだが、色々な意味で正常化に戻すにはこれが一番早道である。汗を結構掻いて戻って来た。ワイン街道もそれほど気温が上がっていなかった。何とかこれで仕事も手に付くようになるだろう。

デュカ作曲「ラぺリのためのファンファーレ」、なんてことはないブラスのファンファーレなのだが、ベルリナーフィルハモニカ―は私と同じように泣きべそ掻くかもしれない。フィラデルフィアの管弦楽団がオルガンの響きを出すほどには出来ないとしても、リズムを正確に吹くことで音程を求められると可成り手ごわいのではなかろうか。技術以前にどのように合わせて来るのかが問われる。キリル・ペトレンコ指揮のプログラムはどれもこれも大管弦楽団への課題練習曲のような趣で、結局ついていけない奏者も現われるに違いない。

もう一つの「死と変容」も以前からの感じていたそのサウンドの印象よりも演奏実践の可能性がとても高い曲だと分かった。先ずはしっかり鳴るかどうかというような大管弦楽団の問題もあるが、ホルンの低音や管弦楽法上の可能性と同時に楽劇で発揮する表現の可能性も示されていて、ペトレンコ指揮では一筋縄で行かぬことが分かった。特に弱音からテュッティーでは「悲愴」での鳴り以上に厳格な鳴りが要求されそうで、その間はオーボエの一節の表現が、精妙なリズムで演奏されるとなると、中々厄介だろう。少なくともサイモン・ラトル指揮での演奏のように単純には全く行かない。四回目のルツェルンでもどこまでの精度に持ってこれるだろうか?

BBC4の映像を観る方法を探したが上手く行かない。それは諦めておいて有料の二週間お試しのサイトに入った。数の割にはこれといったものは見つからなかったが、急いでコピーしておこうと思ったのは幾つかある。特に存在を知らなかったようなユニテル制作映像が幾つかあった。コピー防止でネットには出ていないからだろう。その中でも先ず注目したのはアルテュール・ル-ビンシュタインのブラームスの一番協奏曲で、これは五月に勉強していたものだ。但し録音ではイスラエルの管弦楽団の下手なのに晩年のよれよれした演奏でしかなかったが、アムステルダムではそれほど年代は変わらないと思うがしっかりしている。そしてその時に比較対象となったアシュケナージのピアノに付けていたハイティンクの出だしの動機の六拍子を諫めたが、ここでは立派に演奏している。ピアニストの関係としか思えないのだが、決してそれがアシュケナージの奏法と揃っていた訳ではない。恐らく二人の相性が悪かったという事になるのだろう。そしてここではブラームスの直接の指示を参考としたルービンシュタインのそれにしっかりと寄り添っている。

想像するにハイティンクも自己顕示欲が強く出ていた時代もあって、様々な意味で若い時の素直な指揮とは異なって無理して大指揮者面をしていた時期があったのではなかろうか。勿論最終的にもムーティなどと比較すると下のランクであることは間違いないのだろうが、壮年期には謙虚には受け入れられなかったのだろうか。いつの間にかまだ聴いたことの無い指揮者ハイティンクのマニアになってしまったようだ。肝心のルービンシュタインの演奏はブラームスとショパンのスケルツォがあるが、流石に衰えはあるが、音楽解釈としてホロヴィッツなどよりも現代でも通じる謙虚さがある。伝統を受け継ぐ者の演奏に熱心に耳を傾ける若きハイティンクとその姿勢こそ見上げたものである。



参照:
まるでクリーヴランドか 2018-05-03 | 音
創作などは理解不能 2018-05-10 | 文化一般
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