Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

まるでクリーヴランドか

2018-05-03 | 
ブラームスのピアノ協奏曲一番を聞いた。手元にあるディスクはここ二三年の間に購入したアシュケナージが弾いて、ハイティンクがコンセルトヘボーを指揮したものだ ― 二枚組で数ユーロしただろうか。なによりも導入部からして6拍子の拍子感が気になった。恐らく和声的な鳴りを重視しているのだろうが、六度のオルゲルプンクトに乗る響きに無視されている感がある。それはピアノが出てから余計に対比が増してくるので、益々管弦楽への違和感が膨らむ。

その後もこの動機が出て来るとアクセントが無くてもお構え無しに吹かしているのだが、指揮者の意図はよく分からない。恐らく管弦楽を細かく制御できる指揮技術が無いのだろう。昨今は大ヴェテラン指揮者として注目されることも多く、今夏ルツェルンでは公開指揮セミナーまで催されているのだが、若い人は一体なにを習いに行くのだろうか?一度は生演奏に接してみたいと思っている指揮者であるが、バーデンバーデンの復活祭でも名曲コンサートしか指揮していなくて、全く関心が無かった。やはり大衆商業市場を専門とする指揮者なのだろうか?あまり感心することが無い。

そもそもああしたどてっぼってとした肥大化した低音を鳴らして通奏低音のような大音量のクラッシックを演奏するようになったのはフォンカラヤンの1960年以降の流線型の和声進行からで ― ピアニストにおいても和音の響きとかいう人はこの手のバスを鈍く打ち鳴らす ―、なにもフルトヴェングラーを出すまでも無く戦前のメンゲルベルクでも誰でももっとしっかりした動きのあるバスを鮮明に鳴らしていたのだ。如何にもムード音楽や映画音楽のようなマイクロフォンに乗りやすいアナログ録音で肥大化した管弦楽は20世紀後半の商業主義の産物だと思われる。多くのヴェテラン有名指揮者がカラヤン世代に含まれる所以だろう。

アシュケナージのピアノも理解不可能な個所もあり、独特の譜読みもしているとは思われるが、伴奏の指揮者よりも今日でも通じる音楽かも知れない。それでもグレモーならばもう少しここは巧く弾くだろうというところもあって、彼女の実力は分からないものの期待させるものはある。管弦楽団も腕の見せどころ満載で、コンセルトヘボーよりはフィラデルフィアの楽団の方が遥かに楽譜通りに正確に演奏することは間違いないと思う。そもそもあそこまで拘る作曲家ブラームスがいい加減な記譜をしていたなんて考えられないことから、楽譜の情報を精一杯取り出し音化するだけで大分創作の本質的な面を語り始めるのではないかとも思う。誰かが書いていたように、カーネギーホールの客席でペトレンコ指揮のドッペルコンツェルトを聞いたネゼサガンが ― 正確にはばらの騎士のコンサートで目撃されているようだ ―、そこから学んで立派なブラームを指揮してくれるだろうか?

メーデーのパーヴォ・ヤルヴィの指揮が話題になっているようだ。地味な親父の名前で出ているような指揮者だから余計に注目されたのだろう。4月2日に出たヴィーンの新聞記事などを読んでいると、方々で指揮していることから飛行機の長旅の時間を勉強に使っているらしい。それでも管弦楽団との付き合いを深めて更に上手く行くようにしたい指揮者という事だ。しかしトーンハーレ管弦楽団の首席指揮者となると、そんなに方々でこなせるのだろうかとも思う。ブレーメン、タリン、東京、チューリッヒにラトルの後をついでベルリンでのプロジェクトを受け持つとなると大変だ。

調べてみると、亡命同然なのか父親が合衆国に移ってからカーティスでも教育を受けているが、後にシンシナティ―で振っている以外は日本以外では欧州でしか活躍していない。指揮名人とされる弟のクリスティアンは合衆国でも活躍している。

東京でブルックナーを振ったら、ベルリンでも振るという様に語っているので、スケデュール上も考え尽くしているのだろう。生でのインスプレーションを活かしたいというのだからやはり指揮にはよほどの自信があるようで、慣れていない筈のフィルハーモニカーが確かに良く弾いていて驚いた。キリル・ペトレンコほどには追い込んではいない分自由度が活かされているという事なのだろうが、それにしては立派過ぎた。少なくともカラヤン時代から何度もTV中継されたベルリナーフィルハーモニカーのコンサートでは一番感嘆した。樫本氏 率いる弦楽も一瞬まるでクリーヴランドの楽団かと思うような精妙な演奏をしていた。リニューアルしたバロック劇場の背景も音響も綺麗に出ていた。キリル・ペトレンコ指揮でそこまで上手く行くにはまだ二三年掛かると思われる。



参照:
似た様な感覚の人々 2018-04-02 | 暦
再びルクセムブルクへ 2018-04-26 | 文化一般
「副指揮者」の語学力 2018-05-02 | 暦

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