Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

進化しないオェッツィー

2007-06-17 | 雑感
5300歳のオェッツィーことアイスマンの死因が確定したようだ。チューリッヒ大学の解剖学のリューリ教授が、現地ボルツァーノの中央病院のCTを使ってメスを入れずに解明した。

ジーメンスの機械やマンハイムのエンゲルホルン博物館やベルリン・ツーセ研究所の協力を持って 司 法 解 剖 が行なわれたらしい。その結果、左肩鎖骨の近くの動脈(ARTERIA SUBCLAVIA)の背中の壁の13ミリに及ぶ損傷によって、大量出血からの心臓停止によるショック死とされる。凶器とされる矢先は、既に胸部から見つかっている。現在の医学でも生存の可能性が高くない致命傷で、矢が抜かれたことで周りの胸腔に大きな血腫が見られると言う。

犯人は、その傷の形状から、下から射ったか、跪いて射ったとなるらしいが、現地の地形からして、イタリア側への逃げるオェッツィーを谷から追いかけてきて、やったのだろう。

そして、矢先を残して、矢を抜いている状況から幾つかの状況が推測されている。つまり、自らが抜いたのか、友人が助けようとして抜いたのか、犯人が自らの身元を隠すために抜いたのかなどなどである。肩甲骨が打ち抜けれる力が加わったことも特記されている。

手には大きな怪我をしており、死体の近くに、矢の筒と銅製の斧が在ったことも重要だろうか?

「詳しくは、遺体の発見状態を改めて吟味して、その死へ至った状況を説明したい」と教授は語る。興味あるのは、胃につまっている食料のみならず、肺に見られる木の花粉であり、当日下の谷の森で食事後に登り詰めて来たとされる状況である。

そして、何よりも発見現場の印象から、死の直後にどのように保存される状態へと至ったかであり、この羊の皮と草の羽織を着たオェッツィーが、殺害後に持ち物ともども割れ目に押し込まれたのか、雪崩が起こったのか、あの緩やかな稜線付近の薄い氷河に埋まっていたのが不思議でたまらない。

プロジェクトグループは、進化論的考察から、病気の進化を突き止めたいとしている。

写真は、地形的に死体遺棄現場と思われる周辺と稜線に建つ記念碑と現代のオェッツィーらしき人物。

参照:
オェツィーと現代の人々 
[ アウトドーア・環境 ] / 2005-08-20

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