Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

イスラエルからライヴ

2018-02-27 | 
YouTubeLiveを観た。イスラエルフィルの中継で、10分前からオンしていたが、始まるのもミュンヘンの劇場並みに遅かった。テルアヴィヴはいつもあのような時計なのだろう、お客さんの動きが遅かった。そして携帯電話の警告アナウンスがあって、やっと始まる。キリル・ペトレンコが指揮台に上がろうかとするとき画像が止まって、これは駄目かと思った。その時に画像が一段落とされたようでその後は完璧に流れた。流石にYouTubeである。どのような契約になっているのかは知らないが、これならばどこの楽団も出せる筈だ。カメラワークも定まらなかったりしたが、徐々に落ち着いてきた。

細かなことは録音録画を再生してからにしたいが、お目当ての王は想定以上に良かった。チッラッと見たゲルギーエフ指揮でのミュンヘンでの中継でもただ単に叩くだけのピアノの印象があったがなかなか柔らかい感じでとても良いピアノである。才能も然ることながら可成り幼少期から立派な教育を受けたピアニズムだと感じた。北京にいたのではなせなかったのは明らかだ。
יוג'ה ואנג-פסנתר.ההדרן השני שניגנה יוג'ה ואנג,בסיום נגינתה בלווי התזמורת הפילהרמונית הישראלית בי'ם.


流石に七回も本番を経ているだけ指揮者との間合いも良く、オーケストラさえもう一つ上のクラスならばさらにスリリングな演奏が可能なのを確信した。4月にベルリンからの中継があるのでとても楽しみだ。ラぺリも初めて聞いたが、イスラエルフィル乍ら今までの指揮者では到底不可能な音楽を奏でていて、次元が違う。その分、「ペトルーシュカ」でも明らかに上手く行かないところが頻出するが、同時に期待していたような譜読みがなされていて、ベルリンでの指揮が待ち遠しくなる。だから下手な演奏と同じぐらいにとても素晴らしい曲に初めて触れるような美しい場面も目白押しで、これも期待以上だった。

王がピアノを受け持つようになっていたのだが、プロコフィエフの三番のあとで大きく息をついていたように、到底無理だと思った。その分アンコールを二曲弾いていたが、他所のホールでは「ペトルーシュカ」のピアノ版を弾いていたようである。繰り返すが、プロコフィエフの越後獅子は楽譜を見てみないと分からないが、きっとああいう風に書かれているのだろう、そして夏に再びザルツブルクからルツェルンへと回って来て同じ曲を演奏する時どんなにかスリリングな演奏になるだろうかと想像するだけで興奮してしまう。

それにしても、イスラエルでも楽員がペトレンコの表情を見て喜んでいたが、なるほどミュンヘンの奏者が語るように音楽の表情で指揮されているのが映像からよくわかる。ある時から出来る限り奏者に分かり易いように表情をつけるようになったとかインタヴューで話していたが、なるほどと思う。兎に角、ペトレンコが指揮することでインターナショナルな比較が容易になる。イスラエルフィルもヴィーナーフィルハーモニカーも国際基準での批判に曝されることにもなる。それはベルリナーフィルハーモニカーでも変わらない。

メルキュレ2015年を開けた。前日にステーキに合わせたのであるが、翌日もそれほど変わらなかった。どうしても御多分に漏れず色目も薄目でシュアロネーズの土壌の浅さのようなものを感じる。2015年産でなければこれで十分満足したと思うが、この辺り年ならばブエルゴーニュワインでなくてもドイツのシュペートブルグンダーでの同価格で更の複雑でチャーミングなものがありそうだからである。若干のタンニン風のそれも渋みに感じるだけで、要するに夾雑味感があるということになってしまう。



参照:
Accept 華為 or 羽佳!? 2018-02-23 | 雑感
名門管弦楽団の演奏会 2018-02-24 | 文化一般

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