Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

溢れる情報のトレーサー性

2011-07-25 | 生活
きゅうりに州の生産品であることを示すシールが貼ってある。先日の食あたり騒動を受けたトレーサー性を強調する処置のようだ。それによって好んで購入するとかではないが、情報は多く、正しい方が健全なのには違いない。

情報といっても問題となっているのが、実名が出ており匿名性がなくとも大衆に語りかけることが出来るフェースブックを通じたパーティーへの招待状である。本日のラジオでも何人かが逮捕されたことが報じられていた。

ネットでの友人たちを集めるつもりの誕生会に五千人規模の若者が集まり暴徒化したり、同じように集員力のある情報に警察当局は敏感になっている。丁度一年前にはデュイスブルクに場所を動かしたラヴパレードで大惨事が起きて、新たなフェースブックを通じたベルリンでの再開への動きにも神経を尖らす。

ネットの良さは誰もが情報発信できることには違いないが、不特定多数に働きかけることになるので、その内容に留意しなければいけないことは確かであろう。

日本では地上はデジタル化が実施されたようだが、ドイツでも準備が進んでいる。個人的にはもう関心がなくなっているのだが共同住宅ではサテライトに移行する方針へと進んでいる。TV受信機を買い換えるつもりもないので、観れなくなったときがTV放送とのお別れである。周りでもTV放送から離脱したものが多い。もはやネットで十分で、ニュース番組だけでなく番組制作というものが不要なのは明白である。二十五周年を迎えた技術的に古くなったCDよりも技術的に更新される五十年ほどのTV放送と別離する方が早くなるとは思わなかった。
コメント (2)
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