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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

慣れた無意識の運動

2006-03-07 | 雑感
筋肉痛である。三週間前の首筋のつかえがとれていないうちに、改めて体を動かしたので、筋肉痛が部分から全体へと飛び散った。食欲は旺盛となったが、全身へと疲れが拡がった。しかし前回の室内でのクライミングの結果を反省して、基礎に還って精神を集中する事が出来て技術的な成果は幾分挙がって来た。向上心は高まる。

水泳や自転車など運動などは、一度覚えると体が忘れないと一般的に言われる。歩行や話す、もしかすると呼吸などもこのようなものかもしれない。つまり無意識の中で覚え込んで仕舞っている運動である。呼吸は恐らく太極やヨガなどに関わるのであろうし、話すは外国語の学習などの時にそれまでの無意識に遭遇する事がある。それらや歩行は、俳優やマヌカンなどの基礎訓練でもある。ある種の運動も無意識の中で行っている事が多く、その癖に気が付く事がそもそも難しく、ましてや無駄な動きを取り去って洗練させるのは甚だ難しい。

しかし呼吸のように基本的な生命活動を意識をしていては、生活する事は出来ないので、健康であれば無意識に行えている事は幸福である。反対に普段の生活で必要の無い慣れていない運動を極めようとすると、どうしても無駄の無い合理的な動きを追求して行く事になる。その場合も出来うる限り平素の運動から累進した運動である方が覚え易いが、それと同時にその慣れた運動に捕われる事にもなる。

幼少の頃から訓練した運動も形が固まっていてルーティン化している反面、なかなかそれから離れて違う風に執り行うのは難しい。ルーティン化した動きとそれに対する自負が、他のより無駄の無い合理性に感付きながらも、基礎から自己の動きを見直して行く事を阻害する。こうした悪循環に陥るのが人の常である。

アルピニズムの再考察を試しているが、新刊クリストフ・ハインツ著「鉛直方向にドロップアウト」の書評などを読むと、過去四半世紀ほどの間の動きが想像出来る。アルプス地域でのフリークライミングの導入は過去の話しではあるのだが、その実際の行為以上にその文化的背景に興味を引かれる。この書籍へのラインホルト・メスナーの序文「現代のアルピニズムを定義する。」が言うように、ドロミテを中心として繰り広げられたハインツ氏の試みは、どうも新大陸や東欧などでの思潮とも異なる様子である。岩の摂理が違う。地質が違う。気候が違う。それは文化そのものなのである。

それにしても、仲間の体重僅か81KG の男が落ちてザイルにぶら下がり、確保していたこちらの体が浮いて飛ばされたのには些か驚いた。過去には、自身最高重量90KG を記録していたのだが、脂肪と共に筋力まで落ちて軽量化が進んで仕舞ったのかもしれない。毎晩懸垂なども少しづつしなければいけないだろう。



参照:
煙と何かは高い所へ昇る [ 雑感 ] / 2006-02-13
花崗斑岩の摂理に向き合う[ 文学・思想 ] / 2005-06-21
乾いた汗の週末 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-06-20
ハーブティーのミックス [ 料理 ] / 2004-12-04
映画監督アーノルド・ファンク [ 文化一般 ] / 2004-11-23
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