Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

六十六歳、人生の始まり

2006-03-02 | 生活
ウド・ユルゲンスは、世界フォーマットで成功した最初のドイツのエンターテイメント歌手と言われる。今でも小母さん達に最も人気のあるドイツポップであろう。ツアーでは、高額の席までが並ぶスタジアムを一杯にする。「別れの朝ヴァス・イッヒ・ディア・ザーゲン・ヴィル)」は、1967年に日本でもヒットチャート一位。1972年と1973年に日本大ツアーを敢行。

七十歳を越えた現在も肘を曲げて、手を外へと広げるおどけた表情は大きな子供のようだと書かれている。五十年ほど前に大ヒットした曲「メルシ・シェリー」と言う大ヒット曲が、フランス語二文字以外は全部ドイツ語で歌われるとすればその傾向が知れる。簡単な初級ドイツ語で書かれた歌詞で、プラスチックの透明なピアノで弾き語りする自作音楽で泣かせ、高揚させ、小父さん、小母さん達にペンライトを振らせる実力は今でもドイツポピュラー界の帝王である。

数多いヒット曲を一々挙げる事は出来ないが、カフェーでアバー・ビッテ(あ、ちょっと)と言えばミット・デア・ザーネ(クリーム付きで)でとお運びの小母さんへのケーキ注文にメロディーが付く。ジブツェーンヤーレ(十七歳)と来ればブロンデスハー(金髪)で確か自分の娘アンドレアの事だ。ウアラウブ(休暇)はイム・ズーデン(南の国で)で、アルプスの峠を越える車で鳴らそう。でもギリシャに行くと、グリヒシャー・ヴァイン(ギリシャワイン)となる。

ツアーでは、ぺぺ・リンハルト・オーケストラと三人ほどの女性のバックに外国人のゲスト歌手が加わると言う感じだろうか。そのプログラムの構成パターンも決まっていて、それでも新曲タイトルが加わり、毎年詰掛ける人達も多そうである。ヒット曲が多いのでメドレーを入れるだけでも組み合わせは多大だろう。お茶の間時代劇「水戸黄門」の助さんこと杉良太郎に近い。

センチメンタル系やファンタジー系も多いが、乗り乗り系に大ヒットが多い。イッヒ・ヴァー・ノッホ・ニーマルス・イン・ニューヨーク(ニューヨークにはまだ行った事がない)などは、その当時海外旅行が特別な意味を持っていた事を思い起こさせる。

とにかく簡単ドイツ語のアクセントがピアノや弦に乗りやすくて歯切れ良い。バンドのリズムセクションが刻んで声帯厚めの押し付けがましい女声のアクセントが上手く乗る。こうして世界的に共通した月並みなアップテンポなメロディーラインをドイツ化している。さびの部分の伸長と説明部分の切詰、更に語りかけと吐露の部分の曲の付け方はこの手のものの典型になっているようだ。敢えて言えば、コラールのような和声進行を肝心の所で使って効果を挙げていると感じさせる。

ライヴなどでは、楽屋落ちと言うか、歌手が主役になる曲を最後にもって来て、盛り上げる。フランク・シナトラの「マイウェー」とか、エディット・ピアフの「愛の賛歌」の方法である。大分以前に聞いた録音を改めて聞くと、アクセントやらアーテキュレーションが非常に分かりやすくて、予期通り幾らかは語学勉強になったろうと確認する。しかし真剣に聞き込むと喧しくて辛くなり、BGMとして流すとCMソングや映画音楽が何時も流れている様で落ち着かなくなって苦しくなるのは仕方ない。

ダダイストのハンス・アープが母方の伯父さんと言う。ジャズピアニストとしても活躍。1969年には、ソプラノ歌手アネリーゼ・ローテンべルガーもユルゲンスの曲を録音。同時にドイツ人若者のアイドルとして、JF&ロバート・ケネディーについで三位に選ばれる。1980年のLP「UDO」で自作曲「ヴォルト(言葉)」が、ベルリナーフィルハーモニカーと録音される。1985年にはホセ・カレラス企画のオペラフォアアフリカでベローナ野外劇場の慈善公演に登場。1986年には、ヴィーナーフェストヴォッへ開幕でペーター・ファルク指揮のヴィーナー・シンフォニカーやシェンベルクコーアを引きつれて三万人を熱狂させ、オペラ歌手ルネ・コロはユルゲンスの曲を集めたLPを完成。1987年のツアー「ダイネットヴェーゲン(君の為に)」は四十万人を動員、北京に於いてのチェン・ファンヤンとの競演がTV中継されて四億人の中国人を魅了する。

そして、先日のフランクフルトの公演でも昔を懐かしむ聴衆に混じって、予測を遥かに越える多くの若者が熱狂したと言う。余談だが、上述の「別れの朝」のドイツ語歌詞を見ると、「君に言う事が見つからなくて、白い紙がそのままになっている、言葉がみつからない。でも、信じておくれ、僕が言いたい事を、ピアノが語る」とピアノのメロディーを奏でる。日本語歌詞が全く違うため、英語版「The Music Played」からの訳かとも思ったが、それもタイトルからすると違う様なので、これはなかにし礼さん訳というより、どうやら涙と汽車と小道の演歌作詞に近いようだ。
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