橋本屋吉次郎電子日誌

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蜂須賀城

2011-05-04 | お城巡り(その他)

豊臣秀吉の重臣であった蜂須賀小六正勝および、その息子で阿波藩祖の家政の出生の地を訪ねてみました。

現地へ行く前に、あま市美和歴史民俗資料館に寄って予習を試みました。

文化・風俗についてはけっこう詳しく展示されておりましたが、歴史についてはさほどではありませんでした。
現在は合併し、あま市となった旧美和町は、蜂須賀小六正勝の他、豊臣秀次・福島正則・溝口秀勝など多くの武将を輩出しているので、もう少しPRに力を入れてもよいかと思います。

蜂須賀城跡は、歴史博物館からカブで5分ほどの蓮華寺に隣接してあります。

もっとも、現在残されているのは蜂須賀小六正勝公顕彰碑


と城跡を示す碑だけです。

蓮華寺は蜂須賀家の菩提寺でもあるので寄ってみました。
弘仁9年(818年)、弘法大師が熱田神宮に参籠して一千日の護摩を修めた時、神託をうけて創建した名刹だそうです。

小六正勝の子で阿波藩祖である蜂須賀家政はこの地で産まれたと言われています。
その家政寄進と伝える山門


本堂。本尊は阿弥陀如来。


蜂須賀小六正勝は桶狭間の合戦の時に、この当時安置されていた鉄地蔵の錫杖を持って
出陣し、大勝したそうです。
後に蜂須賀家は錫杖を家宝としているそうです。



蓮華寺の裏にある蜂須賀山は、標高わずかに11.8mですが、


三角点が置かれたり、


自然植生の常緑広葉樹が繁茂する、貴重な森だったりします。


かつては、この山を一周するように道があり、お地蔵さんが並んでおりました。


中学生の頃の橋吉少年はそんなことは全く理解できず、この道を自転車で走行し、友人と足の着く回数の少なさを争ったりして喜んでおりました。

そういった、馬鹿野郎のせいか、現在は入れないようになっていました。


もっとも、お地蔵様は移動しておりました。


以前は倒れたり、首が取れていたのもありましたがすべてきれいに直されていました。
よく見るとこのお地蔵様は四国霊場の代わりになっているのですね。

100mほど南西へ行った龍圓寺には蜂須賀小六正勝の旧邸祉碑がありました。


                あま市美和歴史民俗資料館
               愛知県あま市花正七反地1番地
                開館時間   9:00~16:00
            休館日   水・木曜・祝日及び12/29~1/3
                 入館料    無料

                      蓮華寺
              愛知県あま市蜂須賀大寺1352


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10 コメント

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 (むにゃあ ( ̄~ ̄))
2011-05-04 17:49:50
蜂須賀山にも無線家が登っているのでしょうかねえ。先日は、大正区の昭和山(33メートルだったか)に登山してピコピコしている無線家がいました。とにかく山であれば高さにこだわらないという分野もあるようです。奥が深いです。
中学生が自転車で走りそうな道です。男子中学生とは何であんなにアホだったのでしょう? 謎です。
昨日は失礼いたしました (橋吉)
2011-05-04 17:58:35
>むにゃあさんこんにちは
せっかく、ゲリラメールをいただいたのに気づいたのは13時すぎでした。ごめんなさい。
ところで、大阪には日本一(低い)の天保山があるじゃないですか。あそこから、ピコピコすれば頭の悪そうな男子中学生が集まってくると思います。
ドォウードォウー (タケ)
2011-05-04 18:47:13
こんばんわ!
蜂須賀家と言えば、明治維新後も続いた名門ですね!以前テレビでみました!御子孫の侯爵は変な鳥や変な動物が大好きで世界中を冒険していたそうですね、それにしてもこの時代の偉人は皆、中京東海から出ているのですね!地理的な要素もあるのでしょうが、信長も「今日は暑いだぎゃ~」とか、言うてたんでしょうか?
蜂須賀騒動・・・ (T2)
2011-05-04 18:49:43
あま市ってどこにあるんだろう・・・徳島?
橋吉さんフェリーで行ったのかな???と思っていたら、愛知県なのですね・・・笑
美濃の川浪衆だった(?)のだから当然、こちらの生まれなのですね・・・。
今日は (橋吉)
2011-05-05 08:27:38
>タケさんこんにちは
基本的には信長の存在だと思います。秀吉・家康はじめ多くの大名も信長なくしては語れません。信長の飛躍の要因はおっしゃるように地理的条件の他に発想の斬新さと生まれた時代にあると思います。伊達政宗も有能な武将ですがあまりにも京都に遠すぎるのと生まれてきたのがおそすぎたため天下を取れなかったのでしょう。
「今日は暑いだぎゃ~」とは言いません。「今日は、どえらゃぁ、暑っついであかんわ~」と言います。
あま市 (橋吉)
2011-05-05 08:42:45
>T2さんこんにちは
あま市は昨年3月に愛知県海部郡七宝町・美和町・甚目寺町が合併してできた新しい市です。名古屋市の真西にあります。木曽川にも近いためそこでの水運業を生業とした川並衆を率いることとなったわけです。徳島は四国征伐以降に秀吉によって賜れたのですが、そちらは長男家政にまかせて、小六は終生秀吉のそばに使えたそうです。
歴史の勉強になります (ガス山)
2011-05-05 09:04:39
歴史が苦手な私でも橋吉さんのブログに訪問しているうちにぼんやりとですが、歴史が見えてきました。
これからもよろしくー
ところで、カブですが、お城とか古刹というよな落ち着きのある場所にはよく似あいますね。
ゆっくり (橋吉)
2011-05-05 09:13:08
>ガス山さんこんにちは
どちらかというと歴史好きではありましたが、ツーリングで史跡を見て歩くうち、ますます興味を持ち、となると見に行きたくなり、ツーリングするという、連鎖反応が深めっていったようです。
カブは低速でとことこ走っているのが実に気持ちいいです。小回りがきくしどこでも停められるのでいいです。ただし、長距離はキツいです。
カブで散策 (静民)
2011-05-05 09:43:38
小回りもきくし細い道でUターンも怖くなさそうでいいですね~。気軽に乗れるってのは良いモンです。

W650もデカいカブのような感じですが、パニアやら頑丈なキャリアやらなんやら装着した結果、今は300kgに近い状態になってしまっているかも。

この間、道間違えてUターンしようと思ったら久々にコケて擦り傷つけてしまいました…。倒れ始めたらもう逃げるしかありません。重いちゅうねん(>_<)
教習所で教わった通り、サイドスタンドを出して腰で起こすことが実践できました(笑)
Re:カブで散策 (橋吉)
2011-05-05 09:55:06
>静民さんこんにちは
私も先日、カブで走行中、道を間違えました。堤防へでたかったのですが、適当なところで曲がったら道は細くなるは最後は階段になるは・・・・でもでも、足つきベタベタのカブでは何の問題なくUターンできました。シルバーウイングだったら、泣きながら押し歩きしていたと思います。

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