1601年(慶長6年)岐阜城が破却され、その代わりとして加納城が作られました。
そもそもこの地には沓井城がありましたが、既に廃城となっていました。
加納城の縄張は徳川家康自身が行ったとされ、近隣の大名を動員した天下普請でした。
名目は娘婿のために造ったそうですが、内心は、織田氏の名残りを廃絶したかったと言われています。
建材は岐阜城のものが用いられ、岐阜城天守を二ノ丸御三階櫓として利用したと伝えられています。
江戸時代の美濃国は30もの小藩に分かれていましたが、その一つの加納藩の藩主の居城となり、明治まで使われていました。
本丸跡が城跡公園となっていました。
野球ができるぐらいの広さがあります。
本丸を取り囲んでいた石垣は残されています。
石垣の上を歩いてみました。
堀は埋め立てられ、駐車場・テニスコート、児童用の遊園地に利用されていました。
現地案内板です。
本丸以外の以降はほとんど残されていないようです。
三の丸は小学校になっていました。
加納城跡公園
岐阜県岐阜市加納丸の内
石垣のところに植えられた木の成長が時の流れを物語ってますねぇ。。
今日は仕事で、神戸市中央区加納町6丁目(三宮のあたり)に行ってきました。別にどうでもいいのですが、加納つながりということで・・・
お城マニアとしてはちょっと物足りないのでは
ありませんか?
百名城には入っていないんですね、↑痕跡?が少ないが原因なんでしょうか。
そう言えば、結婚して直ぐに入居した住宅は東大阪市の加納という地名の府営住宅でした。
きっとこの三の丸跡の小学校の女の子は「ヘイ、かのうじょう!お茶しない!?」ってナンパされる事でしょうね。(あっ、静民さんのパクリか・・)
「彼のオートバイ・加納城の島」とははて?そんなような映画を見たことあるような?きっとW3のかわりにW650に乗った静岡のおっちゃんが出てくる作品なんでしょうね。原田貴和子さんの代役はどなたがやられるのでしょうか?
どこも山城から平山城、平城と移りかわってきました。いにしえの武士といえども、むにゃあさんと同様の思いだったんじゃないでしょうか。観光ならばまだしも、仕事に行くまでが一仕事なんて耐えられません。
「加納」という地名は日本中にあるのですね。
岐阜城へ登った後にここへ来ました。加納城だけでは物足りなかったかもしれませんが、住宅地の中に隠れてあるので、お宝発掘のような気持ちにもなりました。
遺構が少ないのが最大の原因だと思います。このぐらいの城を入れると日本千名城?になってしまいます。ただ、岐阜県には百名城が他に2つ(岐阜城・岩村城)あることやこの城が主だった合戦などに登場しないことなどから百名城入りは無理だったのでしょう。
東大阪にもあるのですか。日本中にあるのですね。岐阜の場合は中山道の加納宿ともなっています。現在も岐阜駅の南には加納○町という町名がたくさん残っています。
私が行った犬山城は愛知県になるんですね!?
市街地からはまったく見えず、長良川?を越えたところから見えたそれは美しい城でしたが、
因みにむにゃあさんが行かれた神戸市の加納町は五代目山口組の本部長岸本組の事務所のあるところで私が入院していた所から徒歩10分の所です。
城跡も宿場跡も残っているものを保存することはすばらしいことだと思います。しかし、なくなったものの実物大レプリカを作ることはさほど重要とはおもいません。それよりも公共施設とか公園とかで解放しつつ、自然な形で残していくのが理想だとも思います。小学生らは今はわからなくても将来ここで学んだことが誇りになるかもしれません。
そうです。犬山城は愛知県です。長良川を挟んで美濃ににらみをきかせています。したがって岐阜県側から見ると美しいけど険しい要塞ですが愛知県側から見ると穏やかに見えます。
神戸の加納町がそんなところとは知りませんでした。ある意味で現役の城がある?