橋本屋吉次郎電子日誌

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沼田城

2020-11-06 | お城巡り(続日本100名城)
沼田城は、群馬県沼田市倉内にあり、利根川と薄根川の合流点の北東、河岸段丘の台地上に位置する丘城です。

戦国時代には上杉、武田、後北条氏により激しい争奪戦が繰り返され、後に真田氏が居城とし城郭を整備し沼田藩の藩庁が置かれました。


現在は沼田公園となっています。


駐車場脇にある沼田市観光案内所
所在地: 沼田市西倉内町2889-3
開館時間: 9:00~17:00(~16:00冬季)
休館日: 無休 (年末年始を除く)
沼田城に関する展示が置かれています。
受付で、続日本100名城スタンプを押すことができます。

復元模型
五階建て天守がありました。


復元された鐘楼


堀切


乾櫓の石垣



捨曲輪
初期の沼田城では、本郭でした。


この日は出合いませんでした。


平八石
真田昌幸が沼田平八郎景義の首を実検の後に載せた石といわれています。
景義は、沼田城を築城した沼田万鬼斎顕泰の子で、1581( 天正9)年、旧領への復帰を目指して沼田城に兵を進めましたが返り討ちに遭いました。


捨曲輪からの眺め
↓は名胡桃城です。


捨曲輪の土塁


天狗堂


覗いてみると日本一の天狗面が鎮座していました。
迦葉山弥勒寺の天狗の分身として、祀られているそうです。


本丸と二の丸の間の堀の跡

本丸へ






天守跡付近には英霊殿が置かれていました。



真田信之と小松姫像
犬伏の別れの後、真田昌幸は「沼田に寄り孫に会いたい」と言い出し、沼田城を訪れました。
ところが、小松姫は「たとえ舅であっても敵である」ということから、武装した姿で対応し城門を開かず追い返しました。
しかし後に、自ら子供を連れて昌幸のもとを訪れ、舅の願いを叶えたという逸話があります。


本丸御門跡
といってもよくわかりません。


唯一、敷石があったくらいです。


本丸堀跡


焔硝櫓跡


二の門の跡


二ノ丸跡に移築された旧生方家住宅
妻入・板葺の町家で、17世紀末頃に建築したものと考えられています。


武徳館
大正から昭和初期に立てられた武道場


テニスコートでは発掘作業が行われていました。

所要時間:約1時間

コメント (2)
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