橋本屋吉次郎電子日誌

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膳所城

2013-03-12 | お城巡り(その他)

日本三大湖城とは、宍道湖の松江城・諏訪湖の高島城・琵琶湖の膳所(ぜぜ)城を指します。
このうち、未登城であった膳所城へいってきました。

まずは、予習です。


                       大津市歴史博物館
                所在地:滋賀県大津市御陵町2番2号
           観覧料:一般210円,高校生150円,小学生100円
            開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
             休館日:月曜(祝日・振替休日の場合は開館)
                   祝日の翌日(土・日曜日の場合は開館)
                                  年末年始(12月27日~1月5日)

膳所藩の歴史について学べるほか、膳所城の復元模型も展示されています。


膳所城の本丸付近は膳所城跡公園(滋賀県大津市本丸町7 )となっています。


公園入り口にある復元された城門

碑には天守閣跡とありますが、よくわかりません。

こちらからだと、それっぽくも見えますが、後から整備されたようにも思えます。

こちらの石は膳所城のものでしょう。
琵琶湖に突き出た浮城であったことがわかります。

しかし、ここまで埋もれてしまっているのは地盤が弱いところに建てたため、沈下したのでしょうか。

膳所城は波による浸食に悩まされ続けたそうで、絶えず城の補修を余儀なくされ、これが藩の財政を逼迫させる一因となったようです。
このため、なんと廃城の太政官布告が出された翌日には天守以下の建物の解体・移築が行われたのでした。

遺構はほとんど残されていませんが、現在の膳所城跡公園は市民に親しみ愛されているように思えます。

城下町を散策してみました。


公園前の大津市立膳所市民センター

三の丸跡の膳所浄水場

いずれも城郭風に建てられたもので遺構ではありません。


膳所神社(大津市膳所1-14-14)の表門
本丸大手門を移築したものです。

瓦には城主本多氏の立葵紋がみられます。
膳所藩は、彦根藩(井伊家)・小浜藩(酒井家)に次ぐ譜代の大藩で、主に本多家が治めていました。

北門

南門も膳所城の遺構です。


篠津神社(大津市中庄1-14-40)表門
北大手門を移築したものです。



白塗りされている六体地蔵
江戸時代から伝わっているものだそうです。


そして、なにげない地蔵堂の建物は膳所城のお椀倉を移築したものなのです。
その証拠が瓦にあります。


古い時代のものではないでしょうが、周囲の建物も城下町の面影が残されているとおもいませんか。

地名にも


少し離れた茶臼山公園(大津市秋葉台35-9)の中腹にある芭蕉会館


本丸二層隅櫓が改築されたものです。
これも、言われなければ気付かないでしょう。
「趣味の悪い公民館だなあ」と思ってしまいます。


本丸跡からみた近江大橋

里謡に「瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と謡われていたそうです。
つい先日まで、近江八景のひとつである瀬田の唐橋はこの橋のことだと思っていました。

帰路、瀬田の唐橋に寄ってみました。
今ではごく普通の橋に見えますが、宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三古橋の一つとされているそうで、日本の道100選にも選ばれています。

というのも、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた交通の要所であり、
壬申の乱(671年)では、大友皇子と大海人皇子の最後の決戦場となった歴史ある橋なのです。
(・・・なんて、大津市歴史博物館で仕入れてきたばかりの知識です)

コメント (8)
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