橋本屋吉次郎電子日誌

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龍岡城

2011-06-01 | お城巡り(続日本100名城)

みなさんは五稜郭がどこにあるのかご存じですか。

「そんなの函館に決まっているだろ」という声が聞こえてきそうですが、

じつは、五稜郭は日本に2つあります。
函館と、もう一つは長野県佐久市にある龍岡城です。
この2つの城のみが五芒星形の西洋式城郭をもっているのです。

三河の小藩奥殿藩の藩主松平乗謨は、幕末の動乱期に藩庁を手狭な奥殿から、飛び地ではあったが領地の多くが存在する信濃佐久郡に移転することにしました(龍岡藩の誕生)。
開明派だった松平乗謨は洋式築城での設計を幕府に届け出て許可を得えました。
1864年(元治元年)、築城を開始しましたが、完成前に明治維新を迎えました。

「佐久市歴史の里 五稜郭であいの里」大手門前に作られた資料館兼休憩施設です。
ここで予習してから見学するとよいかと思います。

大手門跡です。

城内にはいると、小さな神社と小学校が置かれていました。

プールの更衣室も城郭風


唯一の現存建築物である「お台所」です。



明治4年、廃藩・廃城となると城内の建物は売却されてしまいましたが、お台所だけは買い手がつかず、やむを得ず学校として利用したそうです。

黒門跡


城の周囲は土塁で囲まれています。

黒門の外に架かる石橋


しっかりしており、小学校へ納品する業者の車が通っていきました。

周囲は堀が巡らされています。







鯉が泳いでいました

しかし、堀はここで終わり



1/3は未完成なのです。
実は、予算が足りなかったのです。

藩主松平乗謨はとにかくこの城の建設を急ぎました。
そして、御殿の瓦が葺かれる前に竣工祝いを行っています。
これは、幕府が崩壊寸前であったためだったと言われています。
事実、その7か月後には大政奉還が行われることになります。

五稜郭は17世紀にフランスで考案されました。
星形の5つの頂点に大砲を配置することにより、死角を無くすためにこの形になりました。

ただし、龍岡城は土塁が低く水堀も狭く、砲台も西方に一基しか無かっため実戦には耐えられないと見られます。
おそらく、築城そのものが藩主の夢だったのでしょう。

コメント (26)
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