朝から北風、この風はかなり冷たく、それでもこれが苦になるほどではない。
朝、玄関を開ける。もうこうゆうシステムはないというところもあるはずだが、回覧が。
きのうの午後はなかった。夜は今はゆっくりとやってくる。明るい時間が長い。
知らぬ間に、そこに置かれる。あーあった。
これでも昔よりは気を付けているのだが、何しろ逆方向もありになって、回線ですね、
ややこしくなった。
サインして、逆方向へとまわす。起きて30分くらいたっていて、それでも北風の吹く外は
なんとなく薄暗く、肌寒くお隣までの距離も長く感じられたが、冬と比べると
ずいぶんと身体も緊張感がなくなっている。それゆえ余計にフラフラとして
これはいかん、毎度のことを思った。
きのうの朝は、今日はもしか来ている、と思って一番に台所の扉を開けたら、やっぱりネコは
待っていた。戸の下のほうは開けてある。明るいので、汚れているガラスからも
茶色毛の様子がわかった。まだ食べたそうな顔をしていたが、一応相応のものは出した。
ネコも納得したようで、でもじっとこっちを見ていたが、寝床へと帰っていた。
黒いネコも頻繁に来るようになる。その点、チャトラはそうでもない。この辺いつも
むつかしいと思う。
ときどきネコは人の心を読んでいるのではないかと思うこともあるのだけど。
きのうは頭痛はさほどなかったが、今日はまたある程度頭の重い感じが朝出て、そのまま出っ
放しである。こんなもんだなと思ってそれでおしまいだが、眠ってはいるので、つまらぬ心配は
しないことにした。
心配は自分がすること。人が心配してくれても、これに効果はない。元気そうで安心とか言う人も
たくさんいらっしゃると思う。対応するこっちも、しんどい、大阪弁か、関西弁、疲れてい
る、のを隠している。東北では、疲れたというのを「こわい」というそうだ。寝言で、こわい・こわい
というのを聞いて、悪夢でも見ていると思うのは違っている。疲れているのである。
「えらい」も疲れたという意味がある。「あーえら」という感じだ。富山でも聞くと最初は
ぞっとする言い方があるがあえて書かない。もうみな知っているのかも知れない。
ラジオはほとんど録音しているものを聞いている。三つほどだが、最近はゴンチチさん
のNHK-FMをずっとバックグラウンドで聞いている。聞いているというより、流れている。
であれっと思うのは同じところだけだったり。この前もここを聞いていた!。
で、久しぶりに、地元のエフエムを聞いた。いつもの人が、毎度よくあれだけ適当に
あるところでは企業の人によいしょし、局アナさん、これは「お若い」「お嬢様」という
かただが、違った、感じのかただがには、結構突っ込むが、最近切れ味が落ちた感じ。
昔はもっと毒あった。適度に毒がないと、聞いていてもインパクトがない。まるでこの作文
ではないか。
バックグラウンドは聞いているというより、ただ音がある風景だが、ラジオでもTVでもそうだが、
見入っている、聞き入っている状態になるとやけに時間が動くのが遅いと感じる。いい
話だなと思っている。これは普通TVでは言えないことだなど思うとき、そのときは時間が
止まっているかのようなゆっくりとした時計の動きがある。
本来なら集中していると時間はあっという間に過ぎるというが、最近は逆である。
でも、金曜日に、正確にはその前の木曜の深夜だが、具合が悪くなってこれは安静に
にしているしか方法はないと思って、じっとしているとさすがに時間はノロノロ。
普段は覚えていないようなこともやけにはっきりと記憶にある。それだけ緊張感がある
ということか。
朝はお日様が出る。これが出ているとなんとなくだが勇気も出る。気力はどうかな。
勇気と気力、どう違うか。きのうの夜、もしかして晴れるかということも考えて外を
見たりもしていたが、灰色の雲が北風に押しやられて、その形状は複雑だった。
これは簡単に撮れる。こうゆう様子。これは心象風景かも知れない。
その一。これはオレンジ色の太陽。
その二。灰色の雲とお日様の競争。どっちが強いか。
その三。
その四。
その五。お日様が動いているようにも見える、雲が動いているようにも。
その六。カエデの緑濃い。一気呵成という様子。
その七。再び空に戻って、これは曇っているのに設定を間違えて、スイッチを押して
しまったというもので、写ったのは撮像素子のゴミ。一体型カメさんでも、撮像素子
にゴミはつく。たちが悪い。入りやすいものがやはりある。不運。
その八。実際は灰色、ホワイト・バランスを晴れにしたままで撮っていた夜の雲。
その九。
その十。
その十一。夜景も入れて。
その十二。
最近のカメラは道具より、ファッションという感じで、よくはわからない。カタログ見て
もわからず、紹介のページを見ても、怒られそうだが、どうでもいいことが書かれている
ような。売らないといけない。デジタルなカメラは、賞味期限付きのものということかな。
ミラーの付いた一眼は重そうだし、かわらずいいレンズは高い。ミラーレスはホント、
ファッションの高価な小物みたいだし。お金もないのでいいけれど。
それで古いカメさんをまた使ったりもするが、これまた新品同様にはならず、人間に
似ている。どっちもどこか交換して、あたらしくは出来ない。
それでいいと思わないと、長生き出来ないね。
朝、玄関を開ける。もうこうゆうシステムはないというところもあるはずだが、回覧が。
きのうの午後はなかった。夜は今はゆっくりとやってくる。明るい時間が長い。
知らぬ間に、そこに置かれる。あーあった。
これでも昔よりは気を付けているのだが、何しろ逆方向もありになって、回線ですね、
ややこしくなった。
サインして、逆方向へとまわす。起きて30分くらいたっていて、それでも北風の吹く外は
なんとなく薄暗く、肌寒くお隣までの距離も長く感じられたが、冬と比べると
ずいぶんと身体も緊張感がなくなっている。それゆえ余計にフラフラとして
これはいかん、毎度のことを思った。
きのうの朝は、今日はもしか来ている、と思って一番に台所の扉を開けたら、やっぱりネコは
待っていた。戸の下のほうは開けてある。明るいので、汚れているガラスからも
茶色毛の様子がわかった。まだ食べたそうな顔をしていたが、一応相応のものは出した。
ネコも納得したようで、でもじっとこっちを見ていたが、寝床へと帰っていた。
黒いネコも頻繁に来るようになる。その点、チャトラはそうでもない。この辺いつも
むつかしいと思う。
ときどきネコは人の心を読んでいるのではないかと思うこともあるのだけど。
きのうは頭痛はさほどなかったが、今日はまたある程度頭の重い感じが朝出て、そのまま出っ
放しである。こんなもんだなと思ってそれでおしまいだが、眠ってはいるので、つまらぬ心配は
しないことにした。
心配は自分がすること。人が心配してくれても、これに効果はない。元気そうで安心とか言う人も
たくさんいらっしゃると思う。対応するこっちも、しんどい、大阪弁か、関西弁、疲れてい
る、のを隠している。東北では、疲れたというのを「こわい」というそうだ。寝言で、こわい・こわい
というのを聞いて、悪夢でも見ていると思うのは違っている。疲れているのである。
「えらい」も疲れたという意味がある。「あーえら」という感じだ。富山でも聞くと最初は
ぞっとする言い方があるがあえて書かない。もうみな知っているのかも知れない。
ラジオはほとんど録音しているものを聞いている。三つほどだが、最近はゴンチチさん
のNHK-FMをずっとバックグラウンドで聞いている。聞いているというより、流れている。
であれっと思うのは同じところだけだったり。この前もここを聞いていた!。
で、久しぶりに、地元のエフエムを聞いた。いつもの人が、毎度よくあれだけ適当に
あるところでは企業の人によいしょし、局アナさん、これは「お若い」「お嬢様」という
かただが、違った、感じのかただがには、結構突っ込むが、最近切れ味が落ちた感じ。
昔はもっと毒あった。適度に毒がないと、聞いていてもインパクトがない。まるでこの作文
ではないか。
バックグラウンドは聞いているというより、ただ音がある風景だが、ラジオでもTVでもそうだが、
見入っている、聞き入っている状態になるとやけに時間が動くのが遅いと感じる。いい
話だなと思っている。これは普通TVでは言えないことだなど思うとき、そのときは時間が
止まっているかのようなゆっくりとした時計の動きがある。
本来なら集中していると時間はあっという間に過ぎるというが、最近は逆である。
でも、金曜日に、正確にはその前の木曜の深夜だが、具合が悪くなってこれは安静に
にしているしか方法はないと思って、じっとしているとさすがに時間はノロノロ。
普段は覚えていないようなこともやけにはっきりと記憶にある。それだけ緊張感がある
ということか。
朝はお日様が出る。これが出ているとなんとなくだが勇気も出る。気力はどうかな。
勇気と気力、どう違うか。きのうの夜、もしかして晴れるかということも考えて外を
見たりもしていたが、灰色の雲が北風に押しやられて、その形状は複雑だった。
これは簡単に撮れる。こうゆう様子。これは心象風景かも知れない。
その一。これはオレンジ色の太陽。
その二。灰色の雲とお日様の競争。どっちが強いか。
その三。
その四。
その五。お日様が動いているようにも見える、雲が動いているようにも。
その六。カエデの緑濃い。一気呵成という様子。
その七。再び空に戻って、これは曇っているのに設定を間違えて、スイッチを押して
しまったというもので、写ったのは撮像素子のゴミ。一体型カメさんでも、撮像素子
にゴミはつく。たちが悪い。入りやすいものがやはりある。不運。
その八。実際は灰色、ホワイト・バランスを晴れにしたままで撮っていた夜の雲。
その九。
その十。
その十一。夜景も入れて。
その十二。
最近のカメラは道具より、ファッションという感じで、よくはわからない。カタログ見て
もわからず、紹介のページを見ても、怒られそうだが、どうでもいいことが書かれている
ような。売らないといけない。デジタルなカメラは、賞味期限付きのものということかな。
ミラーの付いた一眼は重そうだし、かわらずいいレンズは高い。ミラーレスはホント、
ファッションの高価な小物みたいだし。お金もないのでいいけれど。
それで古いカメさんをまた使ったりもするが、これまた新品同様にはならず、人間に
似ている。どっちもどこか交換して、あたらしくは出来ない。
それでいいと思わないと、長生き出来ないね。