光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

背筋も凍るような北風

2007-11-28 18:54:14 | 散策
  何ともやりきれないお天気である。北風、北風さんはマントを吹き飛ばすまでにはいかないが、ほどほどに吹いて、しばしその風にさらされると、肩が背筋が一遍に痛くなった。この辺りの天候の読みかたも、年齢その他の要因もあるだろうが、晴れで、快晴に近くて、気温は上がっても、この風には縮み上がる怖さがある。

  すでに夕刻に近いが大きな長い雲が、円弧を描いて南西から、南東の空にかかっている。これが、とてつもなく長く、その先は東側は、高峰の峰峰まで、西側は地平に続く長さで、それを境に、空間が見事に分断された。
  日が沈んでそれからの明るさの変化は、一様に早いものだが、その数分の間に見えるものは、月から”地球の出”を見るのと同じくらい、というのは少し大仰かも知れない、引き付けるものがある。幸い北風で、なにが幸いだかわからない、今もガタガタ窓は風で揺れているが、南の方向を建物のなかで見る限り、風は当たらず、しばし見入っている。
  これを動画で記録するというもの、考え方によってはあるとも思う。
  動画の世界が、静止画に進出しているようでもあって、時代は、この辺りは可逆性がある。静止画を動画にしたり、動画を静止画にしたり。でも、やっぱり自分の目で見ているのが、一回だけのものだが、それが一番である。記憶に残ればいい。ディスクに残される今時の記録は、半ば永久に残るような気もするが、これも、そのうち、必要なければ消されてしまう。消してしまうと言った方がいいかも知れない。また、保存形式の問題もあって、それが再生される保証というのもない。
  どうも、背筋というか背中も冷えて、ちょっと痛い、硬直した感じを味わうと、押しなべて物事を悲観的に見てしまうようである。でも、その一部分は当たっている。ディスクの3Gぐらいなら、それに相当する静止画なり、動画を見ようという気にもなるが、その10倍、さらに100倍となると、もうなんにもないのと同じである。今、私の頭にある、その静止画は、2枚で、そのサイズもせいぜい1Mのものである。
  なんだか調子がおかしくなってきたが、これまた日常である。

  風が吹いた。すぐに、体が冷えてくるのがわかって慌てた。そして、またもや、もう葉っぱがなくなるというイチョウを見にいった。ここまでに、2、3分、いや5分くらいかかるかも。




  わずかに残っている葉っぱが見えるが、まー綺麗に散髪された、別な言い方なら、はげあがった、イチョウが出来上がった。

  それから、これはここにあるカエデであるが、これももう少ない葉っぱが最後の輝きを見せているように思えた。



  どうも、綺麗過ぎる気もする。でも、おそらく明日までには、今かも知れない、この葉っぱもきれいに落ちてしまって、長い冬を耐える生活に入ってゆく。そして、また春になると、若葉が、赤子の手のような、が出てくる。この木は、あと50年は生き続ける、そうゆう気がする。 

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