暖かである。でも、急に薄着にもなれないし、暑いなら暑いで、これはおかしいか、ちょっと暖かなら、暖かなままそのままで過ごす。で、なんとなく、風邪を引くような気になる。かなり暖かい。自分にしっかりしろと言ってもだめである。これは、なるようにしかならないものか。ダラ、とする感じ、ダラダラ、そのものである。
緊張するときは誰でもある。そうゆうときにダラっとしろ、と言っても無駄で、これはほどほどに寒い時期、急に暖かくなって、仕方なく体はダラっとする、そうゆうときに緊張しろ、といっても無駄なのと似ている。
緊張するときというと、今すぐに思い浮かぶのは病院の込み具合、そうゆう風なことであるが、一応診察を終えて、あとは払うものを払い、買ったものは忘れずにバッグの中に入れることくらいだが、ここが机上で考えているのとの違いで、過去に何度か、この数は大きい、一応の緊張の場面は無事に通過したが、そのあとに災難が待っているというときがある。
もう少し、どうでもいいというか、自分が決めることが出来ないことに、例えば、その日のお天気がある。このところ、どこそこへ行かないといけない、そうゆう日に限ってえらく雨が降ったり槍が降ったりもする。そうゆう気がするが、しかしさらにもう少し時間のスケールを大きくとると、結果論だが、それよりも悪い条件というのが、その日以外に数あって、結果としていえるのは、幸いであった、ということである。こんなことがいつまで続くか、やはり不運というものに見舞われるであろうと思うが、今はそうゆうことは考えないようにしている。
ラジオで掃除の話しが出た。掃除をして風邪を引くというのはありそうである。大体、お休みの日に掃除というのをやるものだが、だが普通お休みの日というのは休むためにあって、そうゆう日にいつもと同じペースで、どこかに行くというのもなかなか出来ないもの。それで、どこかに行くよりは、もしかしたら楽チンかも知れない掃除。小掃除か中掃除。これはないより、やっぱり、ありか?。
それで、アナウンサさんの話しは続いた。かなり力を入れて掃除をしましたと来る。何でも来いという感じである。そこには、疲れた、今日は朝寝、今日は昼までうとうと、そうゆう気配は微塵も感じられない。さらに、やる気は体を動かすとさらに出てくるというから、このアナウンサの方もその法則にしたがって回りを綺麗さっぱりに仕上げて、満足な休日をおくられたようで、こんな軟弱なことを書いている私としては、まことに耳の痛い思いをした。
それで、今日もこの一枚ということになるが、これが難しく、ややこしい。
またか、というイチョウであるが、この青空に黄金色に輝くイチョウの葉っぱは何度見ても気持ちのいいものである。この葉っぱも、もうないだろうと思って行くと、左側の方はちょっとまだ余裕がある。実は、この後ろに、まだそんなに葉が落ちていないもう一本のイチョウがあるのである。知らなかった。
後ろに、回ってみる。
なんか、別のイチョウのようだが、自分でも今初めて気が付いた、このように対称的に葉っぱは落ちている。葉がたくさんあるような感じがするのは、ぐっと寄って下から撮っているからか。
どうも、考えているのと違った感想を私自身持ったが、これはカメラの広角のマジックではないか。
緊張するときは誰でもある。そうゆうときにダラっとしろ、と言っても無駄で、これはほどほどに寒い時期、急に暖かくなって、仕方なく体はダラっとする、そうゆうときに緊張しろ、といっても無駄なのと似ている。
緊張するときというと、今すぐに思い浮かぶのは病院の込み具合、そうゆう風なことであるが、一応診察を終えて、あとは払うものを払い、買ったものは忘れずにバッグの中に入れることくらいだが、ここが机上で考えているのとの違いで、過去に何度か、この数は大きい、一応の緊張の場面は無事に通過したが、そのあとに災難が待っているというときがある。
もう少し、どうでもいいというか、自分が決めることが出来ないことに、例えば、その日のお天気がある。このところ、どこそこへ行かないといけない、そうゆう日に限ってえらく雨が降ったり槍が降ったりもする。そうゆう気がするが、しかしさらにもう少し時間のスケールを大きくとると、結果論だが、それよりも悪い条件というのが、その日以外に数あって、結果としていえるのは、幸いであった、ということである。こんなことがいつまで続くか、やはり不運というものに見舞われるであろうと思うが、今はそうゆうことは考えないようにしている。
ラジオで掃除の話しが出た。掃除をして風邪を引くというのはありそうである。大体、お休みの日に掃除というのをやるものだが、だが普通お休みの日というのは休むためにあって、そうゆう日にいつもと同じペースで、どこかに行くというのもなかなか出来ないもの。それで、どこかに行くよりは、もしかしたら楽チンかも知れない掃除。小掃除か中掃除。これはないより、やっぱり、ありか?。
それで、アナウンサさんの話しは続いた。かなり力を入れて掃除をしましたと来る。何でも来いという感じである。そこには、疲れた、今日は朝寝、今日は昼までうとうと、そうゆう気配は微塵も感じられない。さらに、やる気は体を動かすとさらに出てくるというから、このアナウンサの方もその法則にしたがって回りを綺麗さっぱりに仕上げて、満足な休日をおくられたようで、こんな軟弱なことを書いている私としては、まことに耳の痛い思いをした。
それで、今日もこの一枚ということになるが、これが難しく、ややこしい。
またか、というイチョウであるが、この青空に黄金色に輝くイチョウの葉っぱは何度見ても気持ちのいいものである。この葉っぱも、もうないだろうと思って行くと、左側の方はちょっとまだ余裕がある。実は、この後ろに、まだそんなに葉が落ちていないもう一本のイチョウがあるのである。知らなかった。
後ろに、回ってみる。
なんか、別のイチョウのようだが、自分でも今初めて気が付いた、このように対称的に葉っぱは落ちている。葉がたくさんあるような感じがするのは、ぐっと寄って下から撮っているからか。
どうも、考えているのと違った感想を私自身持ったが、これはカメラの広角のマジックではないか。