光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

日向ぼっこでもしたい

2007-11-23 18:48:06 | 散策
  晴れて来た。気温は上がってないみたいだが、太陽が出ているので、この直接の暖房はまことに効果的である。風もおさまって、いや朝から、風はそんなに吹いていなかった。それだから、散歩の時間は久しぶりの、日に当たりながらのものとなる。
  それにしても、きのうから今日の朝までの寒さは、厳しいもので、夢の中で寒くて震えていた。情けない夢である。そんない寒くもない?のに、何で夢で、震えなければいけないのか。確かに、クシャミ・鼻水は出た。それでも、ホントに寒いときは、背中の辺りにある、寒さを感じる点が、悲鳴を上げるのがわかる。それで、普通の寒さなのであるが、まだ8℃もあったのに、これは老化の進行ということにしておく。

  いいお天気で、お天気がいいと言う印象のものを撮ってゆく。そうそう、晴れのときくらいは、マメにファイルを溜めないといけない。お金も溜めないといけないが、そのために散財している気もする。この辺りの収支というと、これは出る一方かな。
  気になるところ。セイタカアワダチソウ。この雑草はやはり嫌われている。どうも、どこからやって来たかの問題もありそうである。この草がやたら生命力が強いからか、確かにあちこちで見るし、周りの雑草も生えなくしている、席巻しているともいえて、嫌われる。気の毒に。
  生命力の強さは、これは遺伝子の問題であるし、草が悪いわけではない。こうゆう生命力の強い草の遺伝子というものが、人のために役に立たないのか、この辺りが疑問である。最近は、人が食べる、直接口にする、そうゆう食べ物が、燃料代わりになっていて、これでは本末転倒な気もする。セイタカアワダチソウも炭酸ガスを固定し、空気中の炭酸ガスの、このガスが増えすぎるのがいけないのである、濃度を減らすのに役立っている。こうゆうものを、燃料用の物質に変化させるのが、技術というものではないか、とも思う。話しが、飛んでいってしまった。



  この辺りでは、あまり見かけることはないと、何度も書いているイチョウ。今日の青空に映えて、なかなか好ましい。この、イチョウの葉の密度というか、存在量が、私の頭髪の量と似通っているところもあって、もう少しがんばってくっ付いていてくれと思う、励ましあうのである。で、あの木は、また来年はふさふさ、新緑で包まれる。



  あるカエデを、いつもとは違う方向から眺めて見る。背の高さを強調する、それとやはりこの青空は、何者にもかえられない、あるいは誰もつくることのできないもの。青空も色々変化させることが出来る時代。本物の青空は、そう言われるとどうもこれだ、というのは思い出せない。どこそこの、青空、そうゆうのがあったはずだが、もう忘れて思い出すことも出来ないようだ。    

寒いが、雪は降りません

2007-11-23 07:15:52 | 散策
  朝の天気、曇り。雨は止んでいるよう。風は弱く穏やか、窓の曇りも少ない。室温8℃。アメダスの外気温、3℃台、この12時間は、すっと3℃台。

  雪は、降らない方がいい。しかし雪便りがあると、この辺りもほどほどに降るから、それならやっぱり降って欲しいと考える。いろいろな、思い違いというものもあるからである。
  まず、どこかのある人と初めて話しをするときは、生まれは、ということになる。えっと、私自身は、生まれは神奈川なんですが、とまず本当のことを言う。でも、まー親が、えーこっちなんですよ、それで、最近は、生まれはというのは、つまりご先祖様はどの辺りに、という風に解釈して、その回答をしている。
  すると、まず相手の方は、誉め言葉を探す。お魚がおいしいでしょ、新鮮で、うらやましいわね、この辺りは、大して新しくもないのに、値段だけは一丁前で、やってられないわよ、と言われる。誉め言葉でもあり、半ば愚痴も出る。こうゆう事は、過去に2、3回書いたな、でもやっぱり書きたくなる。

  さらにどうなるか、誤解というか、は続く。夏は涼しくて、いいですね、うらやましいったら、ありゃしない。その点、東京の暑さは異常よ、と来る。もし、今の私だったら、その言葉に対して、反対はしないで、ニヤニヤして、そうですね、やっぱり北側ですから、日本海に面していると、やはり夏は涼しいです、などいうと思う。なんとなく、そうゆう風に、色々混ぜ込めて話したくも、なってくる。
  もし、相手の方が、本当の事を知っていて、まーお世辞は止めようとなると、これで話しは、一件落着だが、そうゆう風なことは、これまたなかなかないようである。

  それで、雪の話しであるが、夏は涼しくはないが、一昔、二昔前は、雪は降った。一丁前に降ってくれて、歩くところがない。まず、朝はラッセルをしないといけなかった。おじいちゃんも、おばあちゃんも、子供も赤ちゃんも、やはりそれなりに、雪を道に放り投げた。それでも、しばらくすると、大型の除雪車が入って来て、せっかく開けた道が、また雪で埋まったりした。そうゆう事を繰り返していたはずだが、私は、ホンの短い期間のことしか、ふた昔前の事は知らない。それでも、雪はどっさりと降って、やはりここは雪国と思った。
  それが最近は、めっきり雪も少なくなった。おととしの大雪は困ったが、多少なりとも、ほどほどに雪が降らないと、いくら雪国出身でも、雪で滑ってころりんこと言うことになる。最近は、若い方は、平気で、夏と変わらぬスタイルで歩いている。雪でコロリンはやはり避けたく、雪は、降らないとだめである。