光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

秋に戻った一日

2007-11-24 18:53:36 | 散策
  きのうは、12月の下旬の天気、すると今日は、11月の始めころか。どっちでもいいが、まずは驚くこともないが、部屋の中、建物の中の方が寒かったということ。

  夏ごろに、夏のいつだか忘れたが、ある花のタネをまいた。なんだか、ゴマ粒よりも薄く小さい。どうも、この花のタネがちゃんと発芽しているのかどうか、それを確かめるのに苦労した。でも、短く書くと、今までに、この辺りにない植物が生えてきて、それから約3ヶ月はたっていそうだが、まだ、植木鉢にちゃんと生えていて、緑は周りの枯れた草などが栄養になっているのか、少し濃くなって、まだここにある。これは珍しいことで、やはり植木鉢に植えてあると、そう簡単に十把一絡げで草刈りという訳にもいかなかったということだろう。
  ときどき、このことを書いているが、その回数も少なくなった。これの生長絵日記なるものもあり得ると思ったが、何しろ、それは大して大きくもならず、また特に目立った変化もないので、ついついそのままにもなってしまう。最近は、霜も降りた。この植物の葉っぱの上に下りた霜はことさら美しくも感じられる。で、それで、昔にがんばっていた葉っぱは枯れてゆき、また次の新しい葉っぱが出てくる。
  時々変化がある。大体の植物はある程度大きくなると、あるところから新しい芽が出て来て、それがまさに新しい植物であるがごとく、分かれて、独立して、生長してゆく。こうゆう状態を見ると、これはもしかしたら、もうだめではなく、まだまだ希望が持てるのではないか、そうゆう風にも思ってしまう。そうゆう変化を、少し見ることが出来た。
  それから、また時間がたって、今時があるが、ほとんど何もしていないが、また、あるところから、新たに芽が出て来ているものが、一鉢ある。今日のお天気、今は小雨が降っているが、今回の寒さのピークは一段落したようで、今急に、この鉢の植物をどこか暖かいところにやる、という必要性はないようである。その暖かいところというのが、まだ見つからない。これではいけないと思うが、適当なところが、なかなかない、という事実もある。

  雪が降っても大丈夫という植物はたくさんあるが、でも庭の木はあるところでは、雪が降っても大丈夫というように、保護の手が差し延べられる。そうゆうことをやるご家庭が多い。やらないところはやらない。ここは、やらない、という伝統を持っている。昔から、そんなことはやらなかった。そうゆう状態を、記憶の中でよみがえらせることが出来る。
  雪が降って、木が曲がる。これは、雪の重みが原因であるが、その結果、木そのものがぐるぐる回転して育って来たという、そうゆう木を見たことがある。この辺りは、大体が、南風が強く吹いて、ある木はその反対方向に曲がる。これはわかりやすいが、ぐるぐる回って育ってきた木というのを見て、苦労してると思ったが、それも今はどうなっているのかわからない。なんだか、もたもたした話しになった。




  快晴の天気の日、その日に木々の枝は藁紐でくくられる。中央は、サザンカのようだが、それより左の松の葉は、もう正月の気分にもさせる。この反対のところ、




  どこにでも咲く、雑草の白い枯れた花が、対照的に存在している。こちらの方が小さいが、写りはいい。これで、どうにか、バランスというものがとれた気になる。

ちょい鉄のレール・413系金沢行き

2007-11-24 09:37:23 | 鉄道
  おはようございます。ちょい鉄のレールです。
  きのう出そうと思っていたのですが、なぜか今日に。
  北陸本線の普通列車、413系金沢行きです。

  まず跨線橋を渡っていて、その上から、回りを見下ろしていると、電車のパンタグラフが見えて。



  やけに、複雑である。でも、こうゆうのってなかなか撮ることはなく、気が付いてよかった。
  階段を下りる。




  特に、正面は飾りもなく、どこどこ行きの表示もなし。車輌横の掲示には、金沢の文字はあるが。




  かなりの時間止まっていたが、発車。レールと架線の込み合った状態を出したいが、あまり迫力はない。





  無事本線に吸い込まれて行く。金沢までは、普通だと、鈍行とよく言ったが、かなりかかりそう。2、3度乗ったような記憶があるが、それも昔の話しになってしまった。

覚悟は、出来てない

2007-11-24 07:10:24 | 散策
  朝の天気、晴れ。ほぼ快晴。よく晴れていた。かなり赤い月、沈んだ。風は弱く穏やか。室温7℃。アメダスの外気温、最低は1.2℃。霜がきれいに降りている。

  きのうより、ちょっと寒い。しかし、晴れているので、周りは明るく、どっちがいいか、雨で、真っ黒でそれほど寒くはないのと、それは、わからない。どっちのも、いいものも悪いものもある。
  晴れ続きの話しで、山に目をやると、残念ながらちょうど稜線辺りはうまく雲がかかっている。お天気の問題より、これが山という感じだ。平地は快晴でも、天晴れでも、小春日和に近くても、2000mを超える山々はずっと雲を頂いている。ちょっと残念だが、これをずっと見張っているわけにもいかない。難しいというか、我慢との闘いか、あっさり諦めるか。ホンのちょっとだけ天辺が見えた。これが今日のご褒美で、山はそう簡単には微笑んでくれない。

  PR誌を読んでいて、美術館めぐりというのが出ていた。最近は、この辺りも人で一杯らしい。人ごみは、普段の通勤でもう結構という方は、たまには休みに美術館で、ブラり孤独を味わうという楽しみもあるだろうに。それも出来ないとなると、近くの、ちょっと人の少なそうな、大型のショッピング・センタに行く。これが一番か。
  美術館めぐりで始まったが、結局この話しはそのものを話題にはしていない。で、またその本題というのも避けて、最後に人の最後が語られる。ばっさりと、どうなってもいい、と言われる。もう、その時の覚悟は出来ています、という訳である。なかなか書けない、話せない言葉である。
  それを私に当てはめてみる。誰もが、そのその経験があるはずで、しかし、結局のところその事についての結論は出ないはずだが。私も、しばしそうゆう状態を思案してみたが、途中で止めた。そうゆう事を考えるのはよろしくない、と判断したわけである。

  小さい決断は何度もやって、しかしなぜか最近、失敗が、だめだこりゃ、というのか続く。新しい、ソフトを守ってくれるソフトというのを入れたが、これだってエラーの出っ放しで、何度このエラーを、送信してください、と出た事か。守ってくれるはずのものが、一番の天敵状態にある。M社とS社は、早くこのエラーが出なくなるよう、修正ファイルを出して欲しいもの。