きのうは、12月の下旬の天気、すると今日は、11月の始めころか。どっちでもいいが、まずは驚くこともないが、部屋の中、建物の中の方が寒かったということ。
夏ごろに、夏のいつだか忘れたが、ある花のタネをまいた。なんだか、ゴマ粒よりも薄く小さい。どうも、この花のタネがちゃんと発芽しているのかどうか、それを確かめるのに苦労した。でも、短く書くと、今までに、この辺りにない植物が生えてきて、それから約3ヶ月はたっていそうだが、まだ、植木鉢にちゃんと生えていて、緑は周りの枯れた草などが栄養になっているのか、少し濃くなって、まだここにある。これは珍しいことで、やはり植木鉢に植えてあると、そう簡単に十把一絡げで草刈りという訳にもいかなかったということだろう。
ときどき、このことを書いているが、その回数も少なくなった。これの生長絵日記なるものもあり得ると思ったが、何しろ、それは大して大きくもならず、また特に目立った変化もないので、ついついそのままにもなってしまう。最近は、霜も降りた。この植物の葉っぱの上に下りた霜はことさら美しくも感じられる。で、それで、昔にがんばっていた葉っぱは枯れてゆき、また次の新しい葉っぱが出てくる。
時々変化がある。大体の植物はある程度大きくなると、あるところから新しい芽が出て来て、それがまさに新しい植物であるがごとく、分かれて、独立して、生長してゆく。こうゆう状態を見ると、これはもしかしたら、もうだめではなく、まだまだ希望が持てるのではないか、そうゆう風にも思ってしまう。そうゆう変化を、少し見ることが出来た。
それから、また時間がたって、今時があるが、ほとんど何もしていないが、また、あるところから、新たに芽が出て来ているものが、一鉢ある。今日のお天気、今は小雨が降っているが、今回の寒さのピークは一段落したようで、今急に、この鉢の植物をどこか暖かいところにやる、という必要性はないようである。その暖かいところというのが、まだ見つからない。これではいけないと思うが、適当なところが、なかなかない、という事実もある。
雪が降っても大丈夫という植物はたくさんあるが、でも庭の木はあるところでは、雪が降っても大丈夫というように、保護の手が差し延べられる。そうゆうことをやるご家庭が多い。やらないところはやらない。ここは、やらない、という伝統を持っている。昔から、そんなことはやらなかった。そうゆう状態を、記憶の中でよみがえらせることが出来る。
雪が降って、木が曲がる。これは、雪の重みが原因であるが、その結果、木そのものがぐるぐる回転して育って来たという、そうゆう木を見たことがある。この辺りは、大体が、南風が強く吹いて、ある木はその反対方向に曲がる。これはわかりやすいが、ぐるぐる回って育ってきた木というのを見て、苦労してると思ったが、それも今はどうなっているのかわからない。なんだか、もたもたした話しになった。
快晴の天気の日、その日に木々の枝は藁紐でくくられる。中央は、サザンカのようだが、それより左の松の葉は、もう正月の気分にもさせる。この反対のところ、
どこにでも咲く、雑草の白い枯れた花が、対照的に存在している。こちらの方が小さいが、写りはいい。これで、どうにか、バランスというものがとれた気になる。
夏ごろに、夏のいつだか忘れたが、ある花のタネをまいた。なんだか、ゴマ粒よりも薄く小さい。どうも、この花のタネがちゃんと発芽しているのかどうか、それを確かめるのに苦労した。でも、短く書くと、今までに、この辺りにない植物が生えてきて、それから約3ヶ月はたっていそうだが、まだ、植木鉢にちゃんと生えていて、緑は周りの枯れた草などが栄養になっているのか、少し濃くなって、まだここにある。これは珍しいことで、やはり植木鉢に植えてあると、そう簡単に十把一絡げで草刈りという訳にもいかなかったということだろう。
ときどき、このことを書いているが、その回数も少なくなった。これの生長絵日記なるものもあり得ると思ったが、何しろ、それは大して大きくもならず、また特に目立った変化もないので、ついついそのままにもなってしまう。最近は、霜も降りた。この植物の葉っぱの上に下りた霜はことさら美しくも感じられる。で、それで、昔にがんばっていた葉っぱは枯れてゆき、また次の新しい葉っぱが出てくる。
時々変化がある。大体の植物はある程度大きくなると、あるところから新しい芽が出て来て、それがまさに新しい植物であるがごとく、分かれて、独立して、生長してゆく。こうゆう状態を見ると、これはもしかしたら、もうだめではなく、まだまだ希望が持てるのではないか、そうゆう風にも思ってしまう。そうゆう変化を、少し見ることが出来た。
それから、また時間がたって、今時があるが、ほとんど何もしていないが、また、あるところから、新たに芽が出て来ているものが、一鉢ある。今日のお天気、今は小雨が降っているが、今回の寒さのピークは一段落したようで、今急に、この鉢の植物をどこか暖かいところにやる、という必要性はないようである。その暖かいところというのが、まだ見つからない。これではいけないと思うが、適当なところが、なかなかない、という事実もある。
雪が降っても大丈夫という植物はたくさんあるが、でも庭の木はあるところでは、雪が降っても大丈夫というように、保護の手が差し延べられる。そうゆうことをやるご家庭が多い。やらないところはやらない。ここは、やらない、という伝統を持っている。昔から、そんなことはやらなかった。そうゆう状態を、記憶の中でよみがえらせることが出来る。
雪が降って、木が曲がる。これは、雪の重みが原因であるが、その結果、木そのものがぐるぐる回転して育って来たという、そうゆう木を見たことがある。この辺りは、大体が、南風が強く吹いて、ある木はその反対方向に曲がる。これはわかりやすいが、ぐるぐる回って育ってきた木というのを見て、苦労してると思ったが、それも今はどうなっているのかわからない。なんだか、もたもたした話しになった。
快晴の天気の日、その日に木々の枝は藁紐でくくられる。中央は、サザンカのようだが、それより左の松の葉は、もう正月の気分にもさせる。この反対のところ、
どこにでも咲く、雑草の白い枯れた花が、対照的に存在している。こちらの方が小さいが、写りはいい。これで、どうにか、バランスというものがとれた気になる。