光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

12月27日の日の出、明日もお日様は出るかな。年月の接続作用

2014-12-27 13:44:09 | 散策
  いい天気になった。



  朝は気温を測っているわけでもないが、気象台の値は、氷点下だった。

  マイナスである。絶対温度、単位は(K)で書くとすると、ずいぶんと大きな値になる。

  気圧に似ている。1気圧と書くと小さい。1013ヘクトパスカル、と書くと

  やけに頭が重い感じがする。


  でもなかなかお日様も出なかったが、気温が上がってくるのも時間がかかるものである。

  遅延作用。


  冬至で、太陽はもっとも高度の低い位置を通過した。それからわずかに時間がたったが、

  6ヶ月たつと、夏至で、それでもまだものすごく暑くない。


  冬至。

  でも寒さはこれからか、だからなかなか暖かくならないのだなー。


  でも、このお日様の力、エネルギー、神憑りなもの、憑依する能力は無視は出来ず、

  蛍光灯で得られない、何かがある。

  脳の中の何かと関係がある。



  冬季欝、うつ、ウツ、欝、という言葉を思い出すが、たしかにそれはある。

  私はそれに関係なく、抗鬱剤を飲んでいるが、これもなかなか効果は現われないもので、

  もしかしたら、鬱とは関係ないのかも、と思うこともしばしばである。


  本物の鬱、これは厳しいらしい。鬱を、おおうそ病と表する人もいるが、鬱自身は簡単に誰でも

  なる。

  ただこの病気も、軽いといういいかたはおかしいが、簡単に治るものでもあって、

  結局、それに何かが加わると、長引く。

  あるとき突然、そうゆうものがなくなることもある。

  躁鬱という。躁のほうも、これも問題ありでということらしいが、こっちについてはよくは知らない。



  でも、雪が降り積もる、また陰鬱な天気の続く北陸の地で、鬱病が多いのは、ごくごく当たり前のように

  思える。

  こうゆうものは理解しあえるものであるが、今ごろ、まだ認知症、それが何が原因であれ、

  これにどう対処する、ということに途方にくれる医療機関、あるいは医師がいるという。


  雪の恩恵で、そうゆうことに何か光を照らすことが出来る場合がある、とも思うのだが

  どうもそうゆうものに関わりたくない、という考えが多勢である。

  様々な病気があるが、もっとも生の延長上に、その病がある。

  これはわかりきっていることでもあるので、腹をくくる必要があるかも知れない。



  これだけ天気がいいと、身体が痛いとかいっていられない。

  手帳を使っている。PCには、自分の予定とか一切入っていない。

  みな紙に書かれている。

  その中に手帳がある。大きすぎてもだめだし、いろいろ制約はある。


  問題は1年おきに、新しいものとの連続性をどのように保つかということで、

  今は2014年12月と2015年01月、両方を埋めることにしているというか、結果そうなってくる。

  (これはおかしいことに気がついた、2015年の手帳の2014年12月の欄のこと)。

  同じ事も書くし、もうスペースがないので、2015年の手帳にだけ書かれることもある。


  5年日記とかいうのもあるが、一番いいのは、年単位の手帳と5年か10年間持つ日記を両方書くことだろう。

  重要な自分自身知っていないといけない、たとえば名前とか、生年月日とかも、書き込む。

  電話もそうで、でもこれは手帳に書くより、わかりやすく書ける紙のほうがいい。


  どんな紙でもいいが、新聞に入る広告の紙にいいものがある。

  これはなかなか出来ないことだ。


  そこに、書かれていることは溜まるが、一枚ものでもあるので

  新しい手帳に挟めばいい。

  これを忘れるといけない。



  記憶がないことを痛感する時期でもある。

  一週間、あることは手帳に書くが、書ききれないものがあって、それは飛ばす。

  で振り返る毎日で、その隙間がものすごくある。

  
  実数を直線で表わし、一対一の関係をそこにあるとみなすという公理がある。

  そこにもう隙間はない。ありとあらゆる無限の実数で、無理数をも含めて埋め尽くされている。

  うらやましいものである。


  そこまで出きなくてもいいので、もう少し記憶を補うために、文字で埋め尽くせる手帳が欲しいが

  空想的であるかも知れない。



  日が出るまでは長かった、今日の日の出。明日の日の出はどうかな。




  その一。そとは氷点下だとして、まずは曇っている画像。




  その二。




  その三。だんだん透明になる。透明な画像はなかなかない。




  その四。雪はまったくの薄化粧。




  その五。さすがに手も痛い。





  その六。しばし時間。明るい雲と青い空。




  その七。綿のようなボタンの様な雪。




  その八。明るさの変化を目で見えているように出すのはむつかしい。




  その九。




  その十。



  12月27日、すっかり快晴の空になった。

  12月に入って、何回このようなお天気があったか。

  年末年始、あまり考えないようにしよう。

  もう2015年が始まったとしてもいいし、まだ2014年だとしてもいいし、

  でもこの時間も、有限性のあるもので、それは仕方のないことである。

  有界という言葉もあり、でもこれは書かないほうがいいかな。



夜中の雪は薄っすら、晴れているので冷却、絶景かも知れない

2014-12-27 06:59:44 | 散策
  きのうは日中は雪がちらついている印象はなかった。


  夕方も、さほど悪くなく、ただお昼前後の青空はなかった。

  もしかして、その後も晴れるとこれはかなり冷えることになりそうで

  ない方がいいと思った。


  予想通り、曇っている。でも雪も降る、冬型はさほど強くない感じである。

  夜中窓が曇るときもあれば、外がはっきりと見える場合もあって、

  雪が降っているときと、曇っているときと、どうも晴れていて星が見えることも

  あったようだ。

  朝方、寒さが身に沁みてくるのがよくわかった。


  やっぱり晴れているのか。

  午前5時半ごろ、頭に置いてあるランプをつけ、5時40分になって、

  ドッコイショで起きたが、3℃あった。でも実際は2℃くらいの寒さだと思う。

  ダンボールをガラス窓の手前に置く数を増やしたので。


  午前6時過ぎに玄関から外にでても、晴天域があって、星が見えた。

  ただ氷点下の寒さはそのときはわからない。

  灯油ヒータも燃えているが、なかなか12℃にならず、10℃が精一杯。


  これは星空、12月23日もので、ちょうど羽田に帰るANAのジェット機の光跡が写った。

  離陸して方向を180度変えているので、きれいなカーブを描いている。











  今から帰ってゆくのかどこかへと出かけるのか、元気な人が多いなー。