今はかなり暖かくなったが、朝は予想以上の気温の低下。というより、体感温度は
なかった。これも運動と少し外に出ていたのだが、久しぶりに斜め向かいに
住んでおられる人と立ち話をしていたら、結構腰から下が冷えた。
そのときお日様は出ていたのだが、どうゆうわけか玄関から出ると、雲が出てきた。
これくらいはどうってことはないと思っている。お久しぶりの立ち話だが、やはり人と
話すことが一番大事で、無碍にさらっと終わるわけにもゆかない。相手の人も、話は
嫌いではない。いろいろ普段考えていることを話す。
なかなかに面白い。その方はもちろん私よりははるかに高齢であるが、また元気でもあ
る。何しろ生粋の富山人であるので。簡単にめげない。我慢強い。負けず嫌いでもある。
それはわからない。その方はタネを蒔きに来たのだが、私はさっと散ってしまうと困ると
もちろん花の写真を撮るつもりだった。
格別、むつかしい話にはならず、でもこのままだと、倒れそうにもなる。まだ歩いている
と運動にはなるが、立ち話である。風が冷たい。その方だって、今朝は寒かったと、ちょっと
不満げにおっしゃられたのだ。本当はもっと元気なのだが、というのが言外に読み取れる。
それは私も気持ち的には同じだが、現実は違う。ちょうど切りのいいところで、話は終わった。
結局40分くらい、あまりひどくはないが、体感的には冬に戻っている天気模様で、結局頭は
冷えず、足がやたら冷えた。
逆に暑いときにコタツなどに入っていると、気が付いたら「やけど」しそう。あるいはコタツ
熱中症にかかりそうなときもある。今日はその反対。
足だけやたら冷えることもある。今日は本格的に、足だけ冷えた、下肢だけ冷えた。この
気色の悪さ。そのあと、またかなり強いお日様が出てきたのは当然。
春は浮かれているとろくなことがない。大学入試、第一志望に合格、その先には夢にま
で見た、大会社に無事入社内定、公務員も受かってさてどっちにするか、迷う人もいる
だろう。でもそれを顔に出すとだめである。気持ちを静めないと。まだ何にも始まって
いない。決戦はこれから何十年と続く。浮かれている暇はないのである。
まーそれでも、これから忙しい日々が始まるのだから、息抜きくらいはしないと
いけない。酒の飲み方も、父親に教わる。何、親父さんも酒をたしなまない。
あれはいつだったか、何しろ、人より遅れて受かるはずのない会社に受かって、これに
は何か理由があったに違いないが。それで、多少は希望を持っておのぼりさんになった
のだが、後は書かなくてもいい。
で、いえに帰ってきたときは最初の夏休みか、で、そうは遠くはない、母方の伯父伯母の
いえに遊びに行ったというか、顔を見せに行ったのだが。なかなか敵も去る(然る)もので、
伯母が実の母の姉である。伯父さんはしかしもちろん昔からよく知っている。で昼間から
高級なウイスキーを水で割ることなく飲んでいたら、簡単に酔ってしまい、結果として
はどうもいい思い出ではなくなった。
伯父様も伯父様である。まー若いので、その苦い思い出ももういつもは思い出さない。
それにしても、どうもあまりに簡単に酔ってしまったというのは解せない。時間の
問題か。
学生のときも、最初のうちはネコ被っていて、そんなには飲みはしなかった。その後、
そっちのほうで頭角を表わしたが、多少では酔わなかったのだが。
最近の人は飲まないとか。さらには車にも全然興味ないという人も多いらしい。なか
なかいいことである。
どうでもいいことを書いた。
明日は4月1日、雪が降るかと思ったが、そうでもないようだ。でも晴れるようで、放射
冷却。今朝よりもさらに気温が下がって、本当の冬に逆戻りしそうである。危ないな。
今の時代、ピンチはピンチで、失敗は失敗のもとなのである。
苦々しくはないが、春のお天気の不安定性に戸惑う感じ。
3月29日。
その一。
その二。
その三。
その四。
その五。まったく、金色の日の出である。
その六。
その七。
その八。
その九。
その十。まだまだ穏やかな天気であった。
今もあまり変わりはないと思うが、私は生まれは関東だけど、出身はどこと聞かれると
富山とこたえる。知ってますか、というと大概は、さてどこの国やらという顔を、これ
はお江戸での話だが、そうゆうことになる場合が多い。
どうゆうわけか、北陸というとせいぜい金沢である。それ以外はまったくといっていい
ほど知る人はいない。自分の何代か前は、富山いや越中生まれの人がいたかも知れないのにねー。
まーどこで生まれたかということを気にする人は多いようだが、そんなのはほとんど
無視していい。たまに富山というと、俺もという場合がある。かえって気まずい思いを
する。
おかしなものである。
4月1日か、どうなっているか。
なかった。これも運動と少し外に出ていたのだが、久しぶりに斜め向かいに
住んでおられる人と立ち話をしていたら、結構腰から下が冷えた。
そのときお日様は出ていたのだが、どうゆうわけか玄関から出ると、雲が出てきた。
これくらいはどうってことはないと思っている。お久しぶりの立ち話だが、やはり人と
話すことが一番大事で、無碍にさらっと終わるわけにもゆかない。相手の人も、話は
嫌いではない。いろいろ普段考えていることを話す。
なかなかに面白い。その方はもちろん私よりははるかに高齢であるが、また元気でもあ
る。何しろ生粋の富山人であるので。簡単にめげない。我慢強い。負けず嫌いでもある。
それはわからない。その方はタネを蒔きに来たのだが、私はさっと散ってしまうと困ると
もちろん花の写真を撮るつもりだった。
格別、むつかしい話にはならず、でもこのままだと、倒れそうにもなる。まだ歩いている
と運動にはなるが、立ち話である。風が冷たい。その方だって、今朝は寒かったと、ちょっと
不満げにおっしゃられたのだ。本当はもっと元気なのだが、というのが言外に読み取れる。
それは私も気持ち的には同じだが、現実は違う。ちょうど切りのいいところで、話は終わった。
結局40分くらい、あまりひどくはないが、体感的には冬に戻っている天気模様で、結局頭は
冷えず、足がやたら冷えた。
逆に暑いときにコタツなどに入っていると、気が付いたら「やけど」しそう。あるいはコタツ
熱中症にかかりそうなときもある。今日はその反対。
足だけやたら冷えることもある。今日は本格的に、足だけ冷えた、下肢だけ冷えた。この
気色の悪さ。そのあと、またかなり強いお日様が出てきたのは当然。
春は浮かれているとろくなことがない。大学入試、第一志望に合格、その先には夢にま
で見た、大会社に無事入社内定、公務員も受かってさてどっちにするか、迷う人もいる
だろう。でもそれを顔に出すとだめである。気持ちを静めないと。まだ何にも始まって
いない。決戦はこれから何十年と続く。浮かれている暇はないのである。
まーそれでも、これから忙しい日々が始まるのだから、息抜きくらいはしないと
いけない。酒の飲み方も、父親に教わる。何、親父さんも酒をたしなまない。
あれはいつだったか、何しろ、人より遅れて受かるはずのない会社に受かって、これに
は何か理由があったに違いないが。それで、多少は希望を持っておのぼりさんになった
のだが、後は書かなくてもいい。
で、いえに帰ってきたときは最初の夏休みか、で、そうは遠くはない、母方の伯父伯母の
いえに遊びに行ったというか、顔を見せに行ったのだが。なかなか敵も去る(然る)もので、
伯母が実の母の姉である。伯父さんはしかしもちろん昔からよく知っている。で昼間から
高級なウイスキーを水で割ることなく飲んでいたら、簡単に酔ってしまい、結果として
はどうもいい思い出ではなくなった。
伯父様も伯父様である。まー若いので、その苦い思い出ももういつもは思い出さない。
それにしても、どうもあまりに簡単に酔ってしまったというのは解せない。時間の
問題か。
学生のときも、最初のうちはネコ被っていて、そんなには飲みはしなかった。その後、
そっちのほうで頭角を表わしたが、多少では酔わなかったのだが。
最近の人は飲まないとか。さらには車にも全然興味ないという人も多いらしい。なか
なかいいことである。
どうでもいいことを書いた。
明日は4月1日、雪が降るかと思ったが、そうでもないようだ。でも晴れるようで、放射
冷却。今朝よりもさらに気温が下がって、本当の冬に逆戻りしそうである。危ないな。
今の時代、ピンチはピンチで、失敗は失敗のもとなのである。
苦々しくはないが、春のお天気の不安定性に戸惑う感じ。
3月29日。
その一。
その二。
その三。
その四。
その五。まったく、金色の日の出である。
その六。
その七。
その八。
その九。
その十。まだまだ穏やかな天気であった。
今もあまり変わりはないと思うが、私は生まれは関東だけど、出身はどこと聞かれると
富山とこたえる。知ってますか、というと大概は、さてどこの国やらという顔を、これ
はお江戸での話だが、そうゆうことになる場合が多い。
どうゆうわけか、北陸というとせいぜい金沢である。それ以外はまったくといっていい
ほど知る人はいない。自分の何代か前は、富山いや越中生まれの人がいたかも知れないのにねー。
まーどこで生まれたかということを気にする人は多いようだが、そんなのはほとんど
無視していい。たまに富山というと、俺もという場合がある。かえって気まずい思いを
する。
おかしなものである。
4月1日か、どうなっているか。