田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

ハンバーグ

2008-03-25 19:47:53 | Weblog
3月25日 火曜日
ハンバーグ (随筆)
●ひょんなことから、ささやかなレストランを経営することになった。厨房の仕事は、まったく外界から閉鎖された状況の中で、火と油と食材を使っておこなう無言劇に似ている。
調理人は自分だけが隔離された囚われ人のような孤立感とたたかいながら、いかに迅速に注文品を調理するかということに没頭する。
調理人は<味>をとおして客と会話をかわしているのだ。
●この春、娘の大学入試で東上線の朝霞台に行った。駅前のレストランに入った。一階は、喫茶専門で、二階には厨房もあるらしい。コーヒーを飲むはずだった。急きょハンバーグを食べてみることにした。ロココ風の階段をあがった。
●肉を焼くにおいがする。ピタピタとなにかたたくような音がする。やってるなと思った。挽肉と玉葱のみじん切り、卵、パン粉に調味料をまぜてこねあわせる。ひとつかみとって計量。手のひらで長方形に成型しているのだ。
●「手作りだからおいしいぞ」と、娘にいった。レストランをはじめる前だったら、この音をきいてもなんの感慨もおこさなかったろう。知識や経験がないと、それがなにをしている音か理解できなかったろう。
●いま、レストランの食材は、冷凍食品が圧倒的に多い。客をまたせずにすむ。均一品をすばやく食卓に提供できる。この便利さにはかなわない。いくら手作りの味を強調しても田舎町では認めてもらえない。
●だが、これではハンバークの作り方にしても、見習コックはこね具合も手のひらでのばすコツも覚えられない。
●年期のはいったコックの場合はどうか。機械で成型されている。冷凍品だ。寸分たがわぬ形状を恨めしく眺めながら解凍し、鉄パンにのせる。腕のふるいようがない。
●たまには、解凍がうまくいかず、凍ったままのハンバーグが出されたりする。解凍コック。いや、コックさんが悪いわけではない。速くだす。安くあげる。利益を重視する。商業原理が先だつ世の中になったからだ。
●ぼくらの店「ソラリス」では、仕込みは夜になる。田舎町なので9時になると客がとだえる。店長兼コックの川澄さんの大きな手でみるまにこねあげられ、手のひらで成型されていく挽肉の塊。ぼくも真似してみた。冬のことで、手が冷たさにかじかんだ。小判形にのばすときに、どうしても周りがわれてしまう。
●なかなかむずかしいものだ。中央をおしてくぼませる。縁がもりあがったようにする。なんど教えられても、上手くいかない。しかたなく、ダンゴに丸めなおす。中の空気をぬくように手のひらにピタピタとたたきつけることからはじめる。
●あまり肉が手についてしまう。サラダ油をつける。こんなことをくりかえしながら、いままでに、いくつハンバーグをつくったろうか。
●あくまでも、手作りの味を守りぬく方針だ。近所に競合店ができた。「ここはどうして注文したものがすぐでないのだ」と客にしかられる。悲しくなる。速くだす方法はある。そのためには、味が低下する。ほとんど冷凍品を使わなければならない。それはしたくない。
●レストランの食事がどこで食べてもおなじようになってきた。手作りを主張していたのでは人件費が高くつく。商売がそれではなりたたないからだ。
●お店がはねてから、よく店長と女房とぼくで花寿司にでかけた。ぼくはまだ、皿洗いとハンバーグこねくらいしかできない。座業で原稿書きばかりしている体には、厨房で働くことが健康法につながる。花寿司の主人は職人気質のひとで、気にくわないと客とも口をきかない。鹿沼の土地柄について悪口も平気でいう。それがたまらない魅力にもなっている。かみさんが、乳飲み子をかかえて奥から出てくる。商売のつらさなどについて、ぼくの女房とお喋りをはじめている。
●まったくぼくの知らない世界であった。飲食業にたずさわるひとたちの苦労がよくわかった。連帯を感じた。
●ところが。東京からG寿司が進出してきた。回転寿司だ。花寿司のすぐ前だ。従業員が8名もいるという。
●どうも花寿司さんがあぶないらしい。そんな噂が流れた。それまで、月に二回くらいしかいかなかったのに、毎週顔を出すようにした。ぼくらがいったくらいでは、どうということもなかったのだろうが、競合店が近所にできたときの不安は、ぼくが一番よく知っている。売り上げが減る。客がほかのみせに移る。寂しいものだ。
●「あんなのは、寿司じゃありませんゃ」
ぼくがきいた最後の言葉となった。花寿司は居抜で売りにでている。まだ買い手はつかない。今市のほうが奥さんの実家で、そちらに越したという。ぼくはときどき夜更けにハンバークこねで疲れた手をふりながら、花寿司の前まで散歩する。セロテープでとめられた「売り店」という紙が夜風にひるがえっている。パタパタと音をたてている。
●バタリー鶏舎のようだ。首をならべた客の前に皿のまわってくる回転寿司は今夜も満席である。
                      昭和58年 全作家14号より転載。

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