大畑篤四郎氏著『太平洋戦争 - 上』( 昭和41年刊 人物往来社 ) を、読んでいます。まず、巻末に書かれた著者の略歴を紹介します。
「昭和4年、東京生まれ。」「早稲田大学文学部・西洋史科卒、現早稲田大学法学部助教授」「専攻、外交史」
保守系の学者か、左翼系なのか、この履歴では分かりません。著作が出されたのは、まだマルクス主義が威を振るい、ソ連が大国と思われていた時です。歴史の匂いがする書き振りなので、紹介したくなりました。
「現代の世界を二分している勢力は、アメリカを先頭とする、」「自由主義陣営 ( 西側 ) と、ソ連・中華人民共和国に代表される、」「共産主義陣営 ( 東側 ) であると言われる。」「アジア、アフリカの新興勢力の発言権も、高まっているが、」「大雑把に言って、世界情勢が、」「この東西関係を軸に、動いていると言えよう。」
ソ連崩壊以後、「マルクス主義は20世紀最大の失敗だった。」とも言われる時代となりました。世界は西側・東側でなく、米国と中国の二大覇権国を軸に緊張を高めています。大畑氏が著作に書いていた頃とは、様変わりの世界です。
それなのに日本は、敗戦以来左右の対立が国論を二分し、不毛な政争を続けています。原因は敗戦と、連合国による復讐裁判ですが、76年が経過した今でも、私たちはこの裁判 ( 東京裁判 ) が乗り越えられません。国民が絶対多数を与えているのに自民党は、東京裁判の置き土産である「日本国憲法」を、改正する覚悟さえ見せません。
私のブログも今年で11年目になりますが、「憲法改正」、「皇室護持」と、同じ主張をオームのように繰り返しています。
書評に入る前に、「東京裁判」の不合理性の確認作業を、もう一度したくなりました。「温故知新の読書」の結果として、私はその作業の重要性を確信しました。
満州進出を決めた時は、伊藤公に代表される反対派と賛成派の主張が生まれました。盧溝橋事件が発生した時も、そのまま日中戦争へ突き進んだわけでなく、陸軍内では、「拡大派」( 関東軍・朝鮮軍 ) と「不拡大派」( 現地シナ駐屯軍 ) が、激論をしています。
同時に、英米との協調外交を唱える幣原氏の路線と、ドイツとの連携を主張する松岡・大島外交がせめぎあいました。そして、長引く戦争を収束させるため、仲介役をアメリカにしようとする者、ドイツに頼もうとする者、蒋介石と密かに話を進める者、ソ連に打診する者など、敗戦間際の日本は右往左往し、どこに政治の中心があるのか分からない状況が続きました。
「東京裁判」の不合理性の確認作業のため、私が使おうとするのは、渡部昇一氏の著書『東條英機 歴史の証言』( 平成18年刊 祥伝社 )です。東京裁判における、東條英機元首相の「宣誓供述書」の解説書でもあります。
「東京裁判は、ナチス・ドイツを裁いたニュルンベルクの、」「裁判所条例 (チャーター ) を、そのまま東京で真似たものの、」「日本には、ヒトラーはおらず、」「ナチスのような独裁政権もなかった。」
東京裁判は、ニュルンベルク裁判を真似、日本にもヒトラーに似た独裁者がいて、戦争を指導していたと言う前提を持っていました。政権獲得から拳銃自殺するまでの12年間、ドイツの先頭に立っていた、ヒトラーのような独裁者がいなければ、世界を相手の戦争はできないと思っていたのです。裁判を始めて、独裁者のいない日本に彼らが気づいたと、渡辺氏が説明しています。
「しかるにキーナン以下の検察側は、」「28人の被告の、全面的共同謀議により、」「侵略戦争が計画され、準備され、」「実施されたという、法理論を打ち立てた。」
氏のいう28人とは、GHQが戦争犯罪人として逮捕し、A・B・Cの罪名をつけ巣鴨刑務所に拘置していた、東條元首相以下の政治家と軍人です。「全面的共同謀議」という法理論を主張しなければ、裁判自体が成立しませんでしたから、キーナンとウエッブ裁判長が協力しています。
「起訴状にある、昭和3年から、敗戦の20年までの17年間、」「内閣は、16回交代している。」「しかもその理由は、主として、閣内の意見不一致によるものである。」
日本に独裁者がいないだけでなく、「全面的共同謀議」もあり得なかった理由を、氏が述べています。被告人の一人だった荒木陸軍大将の証言も、紹介しています。
「この被告席にいる、28名の中には、」「会ったことも、言葉を交わしたこともない人間が、」「半分ほどいる。」「顔も知らず、会ったこともない人間と、」「どうして、共同謀議などできようか。」
しかしウエッブ裁判長は、荒木大将の証言を採用せず、「全面的共同謀議」の中心人物を東條元首相と決め、独裁者のイメージを作り上げました。アメリカに協力した裏切り者の第一号が、かの有名な田中隆吉少将です。諜報関係の責任者だった彼は、情報を漏らす代償として、自己の罪状を不問にされたといいます。
東条内閣で大蔵大臣を務め、戦時経済を指導した賀屋興宣氏は、釈放後に次のように語っています。
「ナチスとともに、17年間、超党派で、」「侵略計画を立てたと、言いたかったのだろうが、」「そんなことはない。」「軍部は、突っ走るといい、政治家は、困ると言い、」「北だ、南だと、国内はガタガタで、」「おかげで、ろくに計画もできないまま、」「戦争になってしまった。」「それを共同謀議など、お恥ずかしい話だ。」
現在では多くの資料が世に出て、東京裁判の不合理性と歪んだ実態が見えるようになりましたが、それでも多くの国民は、このことを知りません。
「文句があるのなら、アメリカへ行って言え。」と、馬鹿な意見を言う人がいますが、文句を言う相手は、アメリカではありません。復讐劇でしかない捏造の裁判を、今も後生大事にし、国民をたぶらかしている反日左翼学者と、政治家と、マスコミです。日本に住みながら、現在も国を憎み続けている彼らに、怒りを覚えます。
この事実を頭に入れながら、次回から書評にかかろうと思います。興味のある方は、「ねこ庭」へ足をお運びください。