終戦の日の特集記事、第二回目です。
〈 4. 「県被爆者友愛会」会員 岡田千砂子氏 (52)の話 〉
・見出し・・「戦後75年」「戦争の記憶 継承模索」「県原爆被害者友愛会」「経験者減る中、次世代へ」
・本人の話 ・戦争があったことを知らない人が増えると、もう一度過ちが起きてしまう。
( 岡田氏の親族に被爆者はいないが、同会の賛助員として、語り部をしている。 )
( 氏は、被爆者が登壇できない場合を想定し、2ヶ月前から準備している。普段は会場で話を聞くが、突然の欠席時は代わって話をする。 )
・記者のコメント ・会員が減少し、戦争を知らない世代に、戦禍の記憶をどう語り継ぐのか、模索している。
〈 5. 前県遺族会会長 川島義美氏 (79) の話 〉
・見出し・・「不戦のバトン次代へ」「終戦75年、風化させない」
・本人の話 ・父が逝ったニューギニア・サルミには、これまで二回慰霊のため訪れた。戦争経験者が少なくなる中、平和の尊さを、子供たちに語り尽くしたい。戦争を風化させてはいけない。
・小中学校で、戦争の記憶を語り継ぐ活動を、遺族会として始めたいと考えている。
・記者のコメント ・今年3月に母を亡くした女性は、「バトンを引き継いだ。」「被爆者と子供たちを、橋渡しする場を作りたい。」と、不戦の決意を新たにした。
〈 6. 元特攻隊員 武井敏雄氏 ( 90 ) の話 〉
・見出し・・「特攻で死にたくない」「市川で大空襲」「訓練中終戦」
・本人の話 ・命を捨てても、戦争に勝てと教育され、 大勢の若者が無駄死にした。こんな恐ろしい教育は、二度と繰り返してはいけない。
・若者が、自分のために生きられる世の中が、続いてほしい。
・記者のコメント・・75年前を振り返り、武井さんは語った。
〈 7. 千葉在住・広島被爆体験者 重田忠治氏 (82) の話 〉
・見出し・・「目覚めると、地獄絵図」「迫る炎、父救えず無念」
・本人の話 ・川に着くと、火傷で皮膚がただれた人たちが、水が欲しいと川へ飛び込んでいく。川にはたくさんの死体が、浮かんでいた。地獄絵図そのものだった。
・奇跡的に助かったと、思っている。たまたま熱線を浴びることなく、家が守ってくれた。
・75年目の節目になり、生き残った者の務めと考え、当時の記憶をたどり語った。戦争を、二度と繰り返してはならない。平和な日々が続いて欲しい。
・記者のコメント ・平成生まれの私に、戦後という言葉に実感が湧かない部分もある。だが生き証人である重田さんは、今だからこそ、伝えたい思いがあった。
・これをしっかりと記録し、後世に残したい。
〈 8. 県忠霊塔 追悼式 県知事参列 〉
・追悼式は、昭和29年に忠霊塔が完成して以来、今年で67回目。日清戦争以降の、本県出身の戦没者 5万 7千 243人の名簿が納められている。」
・見出し・・「戦没者の冥福祈る」「県忠霊塔 追悼式に知事、遺族ら」
・森田知事の話 ・みんな仲良く、世界平和。恒久的な平和を思い誓った。
・靖国神社にも、毎年参拝している。命を賭けて頑張ってくれたことは、忘れない。
・こういう悲惨な戦争が、二度と起きないことを願った。
・遺族会会長 椿唯司氏の話 ・父が戦争で亡くなった。75年経っても、遺族会の気持ちは同じ。
・絶対に、我々と同じような犠牲者を出してはいけない。
マスコミから突かれないように、森田知事の話は中身が何もありません。立ち位置は保守ですが、森田氏は信念のない要領の良い人物です。だから県の遺族会会長の話も、軽い中身です。戦禍に倒れたご先祖に感謝の気持ちがなく、犠牲者と呼びます。これではご先祖様も、浮かばれません。
「犠牲者」と語るだけで済ませてはいけない、という気がいたします。大切なの命を捧げられた方々への、「哀悼」と「感謝」の気持ちです。
本日の紹介はここで一区切りとし、残りは明日にします。