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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

日高義樹氏編『1994年世界はこう動く』 - 補 4 ( ロシアと中国の政治家 )

2020-08-22 23:25:19 | 徒然の記

 〈 表題は、「ロシアの安定にはまだまだ時間がかかる」です。〉

 バーンスタム氏の、論文の続きです。

  ・選挙を実施することが急務だからといって、選挙が行われさえすれば、選挙の対象、方法、結果のいかんを問わず、民主主義と平和と、安定に向けた前進が見られるとは、限らない。

  ・ロシアの権力及び経済は、選挙が行われないとなると、確実に悪化するだろうが、仮に選挙が行われても、危機が和らぐか、深まるかは、選挙の結果次第である。

 ロシアに限らず、どこの国も似たようなものと思いますが、銃撃戦があったり、戦車が出てきたりするのは、未開の後進国を除けば、中国やロシアでしか聞きません。

 これまでの選挙で、命の危険を感じたことがありませんので、それだけでも日本の国は、素晴らしいと思います。日頃はこんな気持ちを忘れ、反日・野党を貶していますが、比較の対象を変えれば、日本の反日・野党の良さも分かります。

  ・選挙のやり方を間違ったため、ロシアの民主主義が破壊され、内戦が起こる可能性は高い。現在、ロシアの様々な権力に内在している対立は、危険なものだが、選挙が違法に実施されると、この対立がさらに激化するだろう。

 ロシアだけでなく、中国も北朝鮮も、何かあると軍人が出てきます。軍人が政治に関心を持つだけでなく、政治家が彼らを利用するからです。戦前と戦後の日本を考えながら、私は氏の論文を注意深く読みます。

  ・ロシアの分裂を回避し、国際社会を危険に晒すロシア領土での戦争を防止するためには、いくつかの難しい条件を満たす必要がある。

 氏は3つの条件をあげ、3番目が最も緊急を要する必須条件だと言います。

    1. 政治的財政的に、実行可能な連邦制度を見出す

    2. 政治改革の恩恵が、ロシアの全管轄区域に及ぶようにする 

    3. 政府と議会の政治闘争に、自治区や共和国を巻き込まない

 連邦内の自治地区や共和国は、軍事力を持っていますから、分裂し内戦が始まると、間違いなく国際社会を危険に晒します。令和2年の現在、結果としてロシアは深刻な分裂状態とならず、プーチン氏の強権でなんとか安定を保っています。

 バーンスタム氏の論文を読みながら、私が懸念しているのは、隣国中国の分裂です。評論家の中には、中国は何カ国かに分かれた方が良い、という意見を言う人がいます。異民族を武力で押さえている自治区は、分離すべきでしょうが、それ以外の領土を分断すると、間違いなく内乱が発生します。

 鉄のカーテンで仕切られていた、かってのソ連と異なり、現在の中国には、日本をはじめとする欧米諸国の企業が進出し、深い関係を持っています。その分だけ、中国の内乱は、他国の介入を招き易く、大戦争となる危険を孕んでいます。

 前回のブログで、氏が列挙した12項目の重大選択を、そのまま紹介したのは、中国のことが頭にあったからです。共産党政権が、自由主義経済を強権支配するという、基本的矛盾がある限り、中国は、他国が働きかけなくとも、自身の中に分裂のタネを抱えています。節度のない軍人がいて、強力な核兵器を持つ中国が、内乱状態になることを期待するのは、大変危険です。

 一番良いのは、ソ連のように、アンドロポフ、ゴルバチョフ、エリツィン氏に似た政治家が、国内改革を断行することでしょうか。中国に指導者がいなかった訳でありませんが、劉少奇、胡耀邦、趙紫陽など、みんな抹殺されてしまいました。周恩来首相も、改革派の一人でしたが、毛沢東の心酔者でしたから、力を発揮できませんでした。

 日本の政治家や経済人の中には、中国要人と親しい人物もいますが、これらの日本人は役に立ちません。違った歴史観を持っているとはいえ、中国の指導者たちは愛国者です。「東京裁判史観」を信じ、卑屈になった反日の人間は、利用はされても信用されません。

 田中角栄、福田赳夫、小沢一郎、野中広務、加藤紘一、古賀誠、石破茂、二階俊博といった各氏は、全て幹事長経験者で日本の実力政治家ですが、中国の分裂防止には無力です。

 中国の中にいる改革派と協力し、共産党独裁政権を終わらせ、国民を解放する協力は、日本を愛する政治家にしかできません。国を裏切るような人間は、中国の政治家が相手にしないからです。

 ソ連もそうでしたが、政治家は政変時には命がけです。習近平氏も李克強氏も、常に暗殺を覚悟で、政治の場に望んでいると聞きます。そんなはずはないのでしょうが、マスコミの情報で知る限り、日本の政治家に、覚悟のある人物が見当たりません。

 昭和45年に、よど号ハイジャック事件が起きたとき、自民党の山村新治郎氏は、乗客の身代わりとなり、犯人らと北朝鮮に向かいました。国交のない北朝鮮へ行けば、生きて帰れる保証はなく、帰れたとしても、長期抑留となる予測が高い中で、氏は人質を買って出ました。

 こう言う例もありますから、私が知らないだけで、いったん緩急があれば、愛国の政治家が現れるのだろうと、信じています。

 今回も、本題を逸れる内容となりましたが、「敵基地攻撃能力保有」のブログ以来、何を読んでも、日本の安全が頭から離れません。今晩は眠り、明日に氏の論文と向き合います。次は「北方領土」についてです。

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日高義樹氏編『1994年世界はこう動く』 - 補 3 ( ゴルバチョフ氏とエリツィン氏 )

2020-08-22 17:55:41 | 徒然の記

  ミハイル・バーンスタム氏の、「1994年のロシア」に関する予測論文です。

 理解するには、平成5年当時のロシアがどういう状況にあったのか、予備知識が必要です。氏は説明しませんので、ネットの情報が頼りです。

 1993 ( 平成5 ) 年のロシアを検索しますと、一番に出てきたのが「10月政変」でした。

  ・エリツィン大統領と対立を深めていた、ハズブラートフ最高会議議長は、1993年9月に、テレビでエリツィンを挑発する発言をし、これに対し、9月21日に訪日を控えたエリツィンは、「人民代議員大会」及び「最高会議」解散の、大統領令を発布し、議会を中心とする、反エリツィン陣営の除去に取りかかった。

  ・ハズブラートフは、最高会議の緊急会議を召集し、ルツコイ副大統領に大統領全権を付与した。ルツコイは、大統領就任を宣言し、10月30日、ロシア最高会議ビルに立てこもった。

 新聞だったか、テレビでしたか、このニュースを覚えています。当時の私は会社に勤めていましたから、ロシアの大事件も、おぼろな記憶しかありません。この経験からしますと、仕事に忙しい息子たちには「敵基地攻撃能力」のニュースも、その程度の受け止め方にしかならないのでしょうか。

  ・翌10月4日、エリツィンは、軍に、議会派勢力が立てこもる最高会議ビル占拠を命じ、ハズブラートフ、ルツコイら代議員達は、拘束された。

  ・政府の推計によると、死者187人負傷者437人、「ロシア連邦共産党」に近い筋は、2,000人以上が死亡したとしている。問題の新憲法は、同年12月12日に国民投票で可決され、事件は、エリツィンら大統領派の勝利のうちに終結した。

 これが、「10月政変」についての説明です。1991 ( 平成3 ) 年のロシアには、「8月政変」というものもありました。当時のロシアが、「激動の時代」だったということが分かります。これも息子たちのため、ネットの説明を紹介します。

  ・8月18日の午後5時頃、ワレリー・ボルジン大統領府長官ら代表団が、クリミア半島の別荘で休暇中のゴルバチョフに面会を要求、ヤナーエフ副大統領への全権委譲と、非常事態宣言の受入れと、大統領辞任を迫ったが、ゴルバチョフはいずれも拒否、別荘に軟禁された。

  ・「国家非常事態委員会」は、8月19日の午前6時半に、タス通信を通じて「ゴルバチョフ大統領が、健康上の理由で執務不能となり、ヤナーエフ副大統領が大統領職務を引き継ぐ」、という声明を発表する。

  ・「反改革派」が全権を掌握、モスクワ中心部に、当時ソ連の最新鋭戦車を有する戦車部隊が出動し、モスクワ放送が占拠された。アナウンサーは、背中に銃を突きつけられた状態で放送をしていたという

 この時の政変は、ゴルバチョフ・エリツィンの「改革派」が勝利しました。というより、エリツィン氏の果敢な行動で、「反革命派」を押さえ込んだという方が、正確なのかもしれません。

 憔悴した姿で解放されたゴルバチョフ氏の姿と、戦車に乗り込み、砲身を踏み台にし演説していたエリツィン氏の姿が、今も鮮明に思い出されます。

 こうした状況を頭に置いて、バーンスタム氏の論文を読みますと、言葉の重みが違ってきます。

  第一章の表題は、「ロシアの安定にはまだまだ時間がかかる」です

  ・エリツィン大統領の議会弾圧の後、ロシアと旧ソ連邦諸国は、政治的、経済的、社会的に、極めて不安定な状態にある。これらの国々は、次のような重大な選択を迫られるだろう。

 氏は、12項目の重大な選択を列挙します。

     1. 立憲民主制か、独裁体制か 

     2. 秩序ある政治か、内乱か

     3. 清潔な政治か、腐敗政治か

     4. 文民政府か、軍部に支配された政府か

     5. 法を守る社会か、犯罪が横行する社会か

     6. 連邦体制の維持か、分裂か ( 内戦があろうとなかろうと ) 

     7. 民族の平等か、少数民族の差別か

     8. 近隣諸国と協力するのか、紛争を起こすのか

     9. 経済面で外国との結びつきを強めるのか、孤立するのか

      10. 自由市場の発展を成功させるのか、経済改革の挫折か

      11. 社会の安定か、労働不安か

      12. 外交政策で、西側に同調するのか、反対するのか

 単純化した、二者択一の問題の立て方が適切なのか、私には分かりませんが、当時のロシアが、こういう基本的な選択に立たされるほど、追い詰められた状況であったことだけは理解できます。政治家たちもまた、命をかけ、国の明日のため戦っています。その真剣さに敬意を払いながら、次回も論文の紹介を続けます。

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