ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

国家なる幻影 - 3 ( 「振り向いてくれ、愛しきものよ」 )

2015-11-14 23:02:12 | 徒然の記

 肌寒い1日になった。曇り空が広がり、氷雨が「ねこ庭」の花木を濡らしている。
紅葉したニシキギやこまゆみの葉が、濡れて光る様を見ていると、我が家に訪れた小さな秋を知る。だがその嬉しさも半分で、石原氏の本を机に置き思案に暮れている。

 記憶に残したい事柄がありすぎて、選択に迷っている。暴言としか思えないことを、憚らず述べるから、右翼政治家などとマスコミに騒がれる氏だ。閣僚時代には、大蔵省の官僚に大切な計画を邪魔され、外務省の役人からは、米国や中国へのへつらいで妨害され、腹に据えかねていた頃の話だ。

 「これまで、弱い国民を見下し、無視し続けてきた大蔵省の不祥事が、相次いで露見し、逮捕者が続出している実情は、」「たとえ彼らには不服だろうと、官僚によって統御されつくしてきた国家の体質を改革するため、」「そして国民のためには、絶好の機会と思われる。」

 今では大方の人間が忘れているだろうが、大蔵官僚が収賄事件で検挙され、大騒ぎされた事件のことだ。ノーパンしゃぶしゃぶ喫茶などという、破廉恥な収賄事件も含まれていた。

 「罪を犯した者たちを、自らで粛清できないというのなら、これはもう救いようがない。」「昔なら、本物の右翼による純粋なテロルが発動し、無責任の上に堆積していく堕落退廃がここに至る前に、」「肉体的な懲罰が、国民の意思の名目で行われ、自制も利いたのだろうが、」「当節ではそんな志士はどこにも見当たらず、結局司直の手が下るのを待つしかない。」

 内心で思ったにしても、ここまで公言する勇気が私にはない。実際に氏は、国会内で許せない者たちを脅し、腕力にも物を言わせたと白状しているのだから、他の議員から見れば浜田幸一氏と同類だったのだろう。

 この一本気な氏のお陰で、他の議員が口にしない大事な事実を教えてもらえる。
例えば、海で何かの工事や作業を政府がやろうとすると、沿岸の漁民が「水利権」をかざして大反対する。激しいデモが行われ、マスコミが大きく取り上げる。漁業者が騒ぐのは仕方のないことと思ってきたが、どうやら日本に限った話だったらしい。氏の言葉を、そのまま引用してみよう。

 「海運という国家の重要な作業に、致命的な打撃を与えかねない海の障害物の除去が、誰にも手もつけられないというのは面妖な話だ。」

 「運輸委員会で口にしたら、地元遊漁船の利権代表と言われる、うるさ型の代議士から、たちまち苦情が来た。」「たかだか遊漁船の水利権の主張のためだけで、こうした国家的案件が放置されたままとは思わぬが、」「水利権については、できるだけ早く、国家的な見直しをすべきに違いない。」

 「日本の軍事国家としての復活を、何より恐れたアメリカが、」「帝国海軍の復活阻止のためにと、戦後全ての海岸線の水利権を漁師に渡してしまい、」「自治体の意向すら、斟酌されにくくなっているという状況は、」「狂ったものとしか言いようがない。」

 これも、占領軍下で行われた敗戦の置き土産だったのだ。憲法ばかりでなく、基地も、左翼思想も、何であれ騒擾の種となりそうなものを、GHQはシッカリ残していった。石原氏に言われなければ、水利権の実態など知りようもなかった。

 亡くなられた平泉氏は、米中に挟まれた島国である日本の危機を常に語っていた。危機意識のない戦後日本の政治家や国民に対し、最後まで警鐘を鳴らし続けた。紳士と乱暴者という外見の違いがあるとしても、国を思う心で一致する政治家として平泉氏と同じ敬意を表したい。

 「我々のすぐ隣で、軍事力を背景とした、覇権主義の遂行に余念のないシナの、」「前の首相の李鵬が、先年オーストラリアに赴き、相手首相と会談した折、」「話題が日本に及んだ際に、言下に、〈 あの国は今のままで行けば、20年も待たずに消滅するだろう 〉と言い放った予見を、」「果たして私たちは、笑って済ませることができるだろうか。」

 李鵬元首相が、こんな話をしていたと事実も知らなかったが、石原氏の怒りと危機感を私は共有する。このような氏が、マスコミで右翼と言われるのなら、そう呼ばれることに誇りを持ちたい。

 「自らの持てる力の意味も知らず、それを知ろうともせず、無知のままに高を括って、」「卑下して過ごすことを憚らぬ国家国民に、我々自身よりも、日本の可能性を心得ている国家民族からもたらされるものは、」「軽侮と、国際政治を通じての、日本への収奪の試みでしかあり得まい。」

 氏の文章は長くて切れ目がなく、私を戸惑わせるが、こういう意見となると、違和感はどこにもない。長かろうと短かろうと、どんな言葉も胸に届き、切ない思いを掻き立てる。

 「李鵬の言った日本の消滅という意味は、この国の国民が皆殺しによって、」「地上から消滅するなどということでなしに、日本が歴然と、」「いずれかの国の属国となりおおせる、ということに違いない。」

 「その宗主国が、二十年の後、果たしてアメリカなのか、」「それともその覇権で我々を併合しつくしたシナなのか分からぬが、」「その可能性があり得ぬということを、いったい誰が言い切ることができるだろうか。」

 これが平成11年、つまり16年前の氏の言葉だ。恐らくこの危機意識の発信は、平泉氏よりも早い。

 尖閣の領海に侵入されても、竹島を不法に占拠されても、捏造の慰安婦で辱められても、反日売国のマスコミが跋扈している現在なら、氏の意見の正しさが誰の胸にも響き渡る。

 反日の利敵行為に明け暮れる共産党や民主党、それに加え、親中・親韓のお花畑の国民の蔓延などは、日本崩壊の予兆である。今では皇后陛下までが「九条を守る会」などという、反日の組織に心を寄せられるなど、危機を通り越して崩壊の崖っぷちと言っても過言ではない。

 先見の明のある政治家としての氏を認めず、右翼、軍国主義者というレッテルを貼った自民党議員たちは、恥じるべきでないのか。歴史を直視する氏を蔑視し、レッテル張りに熱中したマスコミは、消えてなくなれと言いたい。石原氏が辞職して以後、民主党政権が誕生し、悪夢の三年間を経験した国民は身にしみて反日・売国の政党のおぞましさを知った。

 石原氏の意見を国民の多くが理解できたのは、ルーピー鳩山氏を総理にした、亡国政府の恐ろしさを経験したからだ。

 アメリカや中国に絡め取られない前に、日本は独立しなければならず、それには憲法改正が必須の条件となる。自民党の中のお花畑の議員を軽蔑し切った氏は、老体に鞭打ち新党を目指した。辞職した氏が保守新党を作ろうとした志の高さを、私は理解する。

 諸般の事情から党勢が下火になっているが、次世代の党は日本再生の光と言える政党だ。病の床にあるらしい現在の氏は、まさに満身創痍の戦士であり、歴史につながる志士の一人ではなかろうか。

 氏の本を読み、初めて知った衝撃の事実がもう一つあり、それだけは記録に残したい。感謝の念とともに、氏の次の言葉を引用する。

 「周知のことだが、あの大戦で日本共々敗北したドイツは、降伏に当たって3つだけ条件をつけた。」
「相手もそれを認めて降伏が成立した。」

 「周知のこと」と氏は言うが、それは私が生まれて初めて知る事実だった。突然後ろから、棍棒で頭を殴られたような衝撃だった。

 「条件の第一は、降伏の翌日からもドイツ軍は存続する。」

 「第二は、降伏後もドイツ人子弟の教育に関しては、一切他国の干渉を許さない。」

 「第三は、当然考えられるべき新しい憲法の起草は、他国の干渉を許さずドイツ人自身が行う。」

 この年になるまで、自分はなぜこんな重要な事実を知らなかったのだろうと、悔やまれてならない。沢山本を読んできたつもりだが、一度も目にしなかった叙述だ。これだけでも氏に感謝し、本を手にした偶然に感謝する。

 「そのための条件として、ナチズムへの批判・反省とその淘汰は徹底して行うということだったが、日本がそんな条件を主張したという史実はないし、しても相手は許しはしなかっただろう。」

 シニスムの賀屋氏同様、石原氏は語るが、私の心は波のように揺れて騒ぐ。
いったい、どれほどの日本人がこの事実を知っているのか。このあからさまな国際的屈辱を、日本の政治家たちは知っていたのか。知っていながら、「日本はドイツに比べたら、反省が足りない。」、「戦争への反省について、日本はとてもドイツに及ばない」と、左翼の人間たちに言わせていたのか。

 一億玉砕から一億総懺悔へと、手のひらを返すような翻意をした日本と、戦争の反省をヒトラーとナチズムに負わせ、国家の基本を守りぬいたドイツと、この目も眩むような惨めさ違いを、私は驚くしかできない。

 戦後70年経っても自国の守りを米国に頼り、憲法では魂を骨抜きにされ、教育も左翼のお花畑どもにねじ曲げられ、国の歴史も文化もご先祖様も否定し、ひたすら悪行を謝罪せよと教えられている私たち。

 やっと先日、安保関連法の成立にこぎつけた日本だというのに、なんとドイツは敗戦の翌日から自国の防衛を確立していた。

 自民党の中にいる反日・売国の議員たちは、見習うべきドイツの核心を看過し、左翼の平和主義の言に踊り、国の再建と独立を忘れ果てていた。こんな輩がなんで保守自民党の議員なのか、石原氏に殴られて当然の亡国議員たちでないか。

 まして利敵行為の野党議員を含め、みんな国を滅ぼす獅子身中の虫どもだ。こんな腑抜けの日本人が多数となった国だから、アメリカからも、中国にも、韓国にも、蔑視されて不思議はない。

 ドイツと日本への戦勝国による扱いの差別は、どこから来たのか。石原氏は頑固者らしく、「彼らは日本の再興が怖かったのだ。」「再び立ち上がれないようにすることだけを、望んだのだ。」と婉曲に言うが、ここで私はハッキリと述べる。

 日本とドイツの扱いが大きく分かれた理由は、「人種差別しかない。」白人による有色人種への蔑視と、優越感がある。

 人種差別主義者だったルーズヘルトは、日本人へ嫌悪感を持ち、隠すこともなかったと聞く。だからトルーマンも、平気で原爆の投下を命令したと言われている。これについて私は、左翼の人間のように、大声で叫んだり喚いたりする気はない。善悪の問題でなく、道理の世界の話でもない。説明のしようがない、人類が歴史とともに背負ってきた、人種差別の問題である。

 私たちは、国際社会には人種差別があるという事実を認識し、向き合っていかなければならない。解決が困難だとしても、衝突を避ける工夫を凝らし、工夫の中で、失った日本の独立を取り戻さなくてならない。72歳の自分が、83歳の石原氏の志を継ぐ決心をしても、先が短い。氏の志を継ぐ人間が、もっと増えてくれることを願いたい。

 「振り向いてくれ、愛しきものよ。」

 これが本の最後の章に付けられた表題だ。ぶっきら棒で、尊大で、負けず嫌いの氏が、最後に記した言葉の、切ない響きがいつまでも残る。平泉氏の遺言とともに、私は氏の言葉を胸に刻む。

コメント (6)
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