ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

鄧小平秘録 (下)

2015-11-28 18:19:00 | 徒然の記

 鄧小平秘録 (下) を読み終えた。有意義な本だった。
昭和53年の10月に、鄧小平は初めて日本を公式訪問した。日中平和友好条約の、批准交換式に出席するためだった。それに先立つ3年前、鄧小平は当時の自民党幹事長保利茂氏に、こう語っている。「我々は永久に覇を唱えない。率直に言えば、われわれのような遅れた国に覇を唱える資格などあるだろうか。」

 機知に富んだ大胆な発言で彼は当時の日本人を魅了し、友好ブームを巻き起こした。日本の指導者たちも国民も、彼を歓迎し中国へ傾斜していった。「問題は30年、50年後、われわれが発展した国になってからだ。」彼は永久に覇権を唱えないと言いながら、発展した国になったら覇を唱えるかもしれないと、大っぴらに言っている。アジアの海を荒らし、周辺国の脅威になっている現在の中国は、鄧小平の言葉のその続きでしかない。
 だが同時に、彼はこうも言っている。
「もし中国が覇権を唱えたら、世界の人民は、中国人民と一緒に中国を打倒する責任がある。」国際社会における自国の後進性と貧しさを痛感し、国内では熾烈な政争に明け暮れていた彼は、そんなに早く中国が覇権国家になるとは夢にも思っていなかったのだろう。経済格差が生じても、経済の解放さえ進めば国民が豊かになると楽観していた彼の希望は、国の覇権と同様に予測を裏切る結果となってしまった訳だ。

 経済が発展しても国民は豊かにならず、役人や性悪な企業家たちが潤うばかりで、貧富の格差は一党独裁を崩壊へ導いていくほどの大きさになった。そんなことを知るはずもない鄧小平は、国連演説で世界に向かい声高く宣言した。同時に彼は米ソを第一世界、日本と欧州先進諸国を第二世界、そして中国をひっくるめた途上国を第三世界と区分する、「第三世界論」を展開した。

 「米ソの覇権争奪が、世界の安寧を脅かす根源となっている。」「世界人民は連携し、この覇権主義と闘わなくてならない。」「中国は決して、覇権を唱えない。」
どうだろう、この嘘八百の大風呂敷演説。中国の政治家たちは、恥ずかしくて顔も上げられないはずでないか。いまや鄧小平は毛沢東と並び、中国では神聖不可侵の権威となっているから、私たちは鄧小平の言葉を高くかざして中国を懲らしめるべきでないのか。

 「中国が覇権を唱えたら、世界の人民は、中国人民と一緒に中国を打倒する責任がある。」その時が今である。中国の虐げられた国民よ、ともに共産党の独裁を打倒しようと、堂々と呼びかければ良い。鄧小平は毛沢東の言葉を掲げながら、毛沢東の文革路線を否定するという離れ業を行い、経済の解放改革を進めた。しかも自らの政治危機まで乗り切った。現在の状況下で、彼の言葉を再び大きく唱え、中国の覇権主義を否定するというのは、彼の中国に相応しい政治手法でないか。

 やがて破綻すると知りながら、ほら吹き男爵のように公言した鄧小平を笑っているが、それでも彼は日本の保守政治家の不甲斐なさに比すれば余程胆力がある。彼の大風呂敷は、一歩間違えば命がなくなる危険が隣り合わせになっている。毛沢東を否定することは国民全体を敵に回し、政敵からも断罪される爆弾に触れるようなものだ。「平和憲法」の否定をすれば、お花畑の国民に攻撃され、選挙が不利になる日本の政治家と似た状況がある。似ていないのは、鄧小平のように、命の危険を知っていても、国の未来のため、障碍に向かおうとする政治家の不在だ。せいぜい国会での乱闘くらいしかない平和な日本で、「憲法問題」に触れる勇気を持たないというのだから、「保守政治家の名称」が聞いて呆れる。

 四人組裁判の時、彼は批判を毛沢東に及ぼさなかった。
「文化大革命は、指導者が誤って引き起こし、(林彪・四人組という)反革命集団に利用されて、党、国家と、各民族人民に、大きな災害をもたらした内乱だった。」「その主要な責任は、毛沢東同志にある。」「しかし毛主席は、偉大なマルクス主義者、偉大なプロレタリア革命家、戦略家、理論家であり、中国革命における功績は、過ちをはるかにしのいでいる。」

 こうして彼は文革の騒乱を乗り越え、同時に中国社会も騒乱を乗り越えた。
中国ではかなり多くの政治家が一党独裁の弊害を意識し、政治の民主化なくして中国の近代化が難しいと考えていることも、この本でわかった。鄧小平がやった経済解放の後始末と、政治改革への進路をこれからどう進めるのか、この二つが現在の中国の課題だ。経済解放の鄧小平から、反日・保守の江沢民に変わり、政治改革を目指しつつ果たせなかった胡錦濤へ移り、今はまた保守・反日の習近平へと、中国は右へ左へと揺れ続けている。

 上巻では、日本に帰化した石平氏だったが、下巻では何清漣氏の論文が掲載されている。氏は、昭和31年に湖南省に生まれ、湖南師範大学卒業後に経済学者、ジャーナリストとして活躍した。政治的タブーに挑む言論活動を続けたため、当局の弾圧を受け、米国へ逃れ、現在はプリンストン大学とニューヨーク市立大学で研究活動をしている。

 現在の中国を語る重要な意見と思うので、長くなっても引用してみたい。
「中国の改革の基調は、あくまで " 富国強兵 " であるため、民衆の権利、すなわち人権はまったく考慮されたことがない。」「1840年のアヘン戦争以来、中国で受け継がれてきた強国願望であり、社会の各階層に抵抗なく受け入れられてきた。」「従って、中国経済の成長に伴い国益の筆頭に置かれたのは、軍事の近代化と国家の地位の向上であり、民衆全体の福利の向上はまったく考慮されなかった。」「これが鄧小平による改革戦略の、根本的欠陥である。」

 「鄧小平が作り上げた経済の神話について、その主要な欠陥を指摘しておこう。」
「第一は、中国経済が高度成長を維持しながら、深刻な失業問題を抱えているという矛盾である。」「世界の経済史上、3%の経済成長を維持したほとんどの国は、自国民に大量の就職機会をもたらし、人民の生活を大幅に改善してきた。」「ところが中国は8%以上の経済成長を30余年も続け、世界第3位の経済体となったものの、自国民の就業問題を解決していない。」

 「メイド・イン・チャイナの製品が世界市場を席巻しているにもかかわらず、失業率は依然として30%を超えている。」「農村には二億人を超える余剰労働力が存在し、都市部には一億人を超える膨大な失業者グループが存在する。」「中国の大学生、大学院生の失業は年毎に深刻となり、03年の52%の就業から、05年の33%へと低下している。」「失業人口が全人口の三分の一近くを占める国が、このまま安定を保てるとはとても考えられない。」

 「第二は、経済の発展が社会の平等を促していない点である。」「中国は総人口の1%を占める成金グループを作り上げたが、社会への怨恨の情に満ちた膨大な下層階級を生み出した。」「しかもこれは、貧困が貧困を生む継承効果によって次世代へ受け渡される。」「中国における社会的平等は、ますます困難になるのである。」

 「第三は、経済の発展が近代的な信用の発達を促進していない点である。」「先進国は経済成長のプロセスの中で、信用こそ市場経済の基盤であると気づいた。」「しかし中国の経済発展は、中国人のモラル喪失と歩みを共にしてきた。」「それは中国の国としての信用を失墜させ、次には政府と国民の間にあるべき信用の絆も絶った。」「上層社会ではエリートがヤクザ化し、下層社会では平民がごろつき化している。」

 氏の論文には述べられていないが、1966年から1976までの文化大革命の10年間に、党の四分の三の幹部が紅衛兵の迫害や虐殺で死亡し、四千万人の国民が餓死したと言われている。毛沢東時代から鄧小平になっても、中国の一般国民が一向に平穏な日々を得ていない事実を私は知る。

 わが国は今年、敗戦後70年の節目を迎え、1949年に独立した赤い中国は、66年目を迎える。劉少奇、林彪、彭徳懐、江青、華国鋒、胡耀邦、趙紫陽、揚尚昆等々、この間に中国は何人の指導者たちを粛清してきたというのか。それに引き換え日本では、そんな悲しくも醜い政治家の殺し合いは皆無だ。政権を目指し、政治家たちは闘ってきたが、政敵を迫害したり虐殺したり、ましては国民を弾圧したりは一度もしていない。

 わが国が右傾化していると攻撃し、歴史認識がないとを喚き立てる中国は、この間に国民の暮らしをいったいどれほど向上させてきたのか。日本の万分の一でも国民の福利を考えたのか。そのようなことは、すべてゼロである。

 そろそろ疲れてきて、感想も終わったのでブログを終わりたいが、毎度ながら、怒らずにおれない反日の議員どもと、お花畑の国民たちだ。こうした中国国民の苦しみも思いやらず、助けようともせず、独裁の政府を応援し、日本を悪しざまに言う馬鹿者たち。

 いったい、このような国のどこに憧れるというのか。どこを見習おうというのか。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする