ねこ庭の独り言

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国家なる幻影 - 1 ( 品位に欠けても、大事な話 )

2015-11-10 16:58:16 | 徒然の記

 石原慎太郎氏著「国家なる幻影」(平成11年刊 文藝春秋社)を、読んでいる。
660ページの分厚い本で、両手で持たないと落としてしまいそうなほど重い。中身も比例して重いのかどうか、微妙なところだ。平泉氏の話は聴くほどに惹かされていく人柄の深みがあったけれど、石原氏の意見にそのような魅力はない。しかし、政界の裏話とも言えることを沢山教えられたので、沢山感謝している。

「最近の若い政治家には、深みがない。」「なぜなら彼らは大事な秘密が守れない。何でも簡単に洩らしてしまう。」若い政治家を批判しているが、氏が本で書いていることだって、当事者たちにすれば秘密にしておきたい重大事かもしれず、よく言うものだと少し呆れている。

 昭和7年生まれの氏は、今年83才だ。昭和4年生まれの平泉氏と、3つしか違わない。元気そうに見えるが、平泉氏が85才で亡くなられたことを思えば、石原氏も結構年配なのだと思い直す。温厚な紳士だった平泉氏に比べると、石原氏は容赦ない言動で相手をやり込める粗暴さと若さをいつまでも持ち、それが氏を若く見せる。良い悪いの問題でなく、これが十人十色の面白さなのだろう。

 芥川賞の受賞作家として、氏は文章に自信を持っているらしいが、私に言わせると時々ヘンテコな文章を書く。

 「そして改めて感じたことは、政治なる人間の方法の無力さについてだった。」・・・・・。これは氏が、環境庁長官として水俣病患者と向き合った日の思い出を回想した文章である。
 

 「政治なる人間」、なんでこんなややこしい文章を、書く必要があるのか。私なら、「そして改めて感じたことは、政治家としての自分の無力さだった。」と素直に書く。

 本のサブタイトルもまた、ヘンテコな日本語だ。「わが政治への反回想」である。回想に添えられた「反」の文字が、どうにもピンとこない。こういう熟語があるのかと、氏の本に負けないくらい分厚くて重い辞書(大辞林)を牽いたが、載っていなかった。

 「俺は回想するほど老けこんでいないぞ。書いてあることは、回想なんかじゃないぞ。」と、いつものように意気がっているのかと、勝手にそう解釈している。

 金権腐敗の田中角栄氏を嫌悪し、日中航空協定で、国を売るような条文を認めた総理に反旗を翻し、「青嵐会」を立ち上げたことなどは、勇気のある政治家として記憶に残したい。原子力と国防を専門として研究した政治家だったと、本で初めて知ったが、お花畑の政治家や国民が多い中で、氏は現実的正論を述べ続けた。

 「日本に寄港する原子力潜水艦が、いったいどのようにして核を外すのか。」「外した核はどこに保管するのか、外せるような装置が潜水艦についているのか。」そう言って彼は政府を追及した。

 反日の野党が無意味に反対するのと異なり、非現実的な核アレルギーを払拭したいと、氏は国会で質問した。まっすぐな正義感だったが、老練な先輩たちに絡め取られ、のらりくらりの返答であしらわれる。

 「核を搭載しているのかいないのか、アメリカ政府はノーコメント。」「日本政府は核の搭載について、強いて米国に確認せず、搭載していないものと信じる。」正確ではないが、当時はこんな政府答弁だったと記憶している。

 そのずっとあとで、日本に入港する原子力潜水艦の核装備は常識だと、元駐日大使のライシャワー氏が言っていた。

 氏は無派閥だったが、佐藤栄作氏に可愛がられ、福田赳夫氏にも厚遇され、中曽根康弘氏にも疎かにされなかった。無鉄砲な正義感で突き進む新人議員でも、氏が政界で潰されなかったのは、時代の寵児とも言える人気者だったからだ。今も昔も政治家はポピュリズムに弱いが、国民大衆の人気者だった彼を圧殺する勇気はなかったのだ。

 石原裕次郎の兄としての人気だけでなく、本人も好青年で、生意気でも高慢でも世間が許容した。総裁選に敗れ、自殺した中川一郎氏について、盟友の彼は無念の思いを述べた。

 「中川は、集まった群衆の歓声が、そののま総裁選の票につながると信じていた。」「いくら数がいても、総裁選の投票権を持った人間がその中に何人いるのか、それを見なかったのは彼の甘さだ。」「中川の単純さと真っ正直さは、政界に不向きだった。」
 
 今も謎と囁かれる中川氏の死だが、無謀な金策と落胆の果ての自殺だったのでないかと語る。中川氏のように単純な甘さがないとしても、石原氏も、自分の姿を知らない気がする。時流に乗れたのは実力だとしても、国民大衆の人気者はマスコミが大騒ぎし、周りがちやほやし、実力以上に礼賛されるのだと、今でも氏は気づいていないのではなかろうか。

 (自分のことが分からないのは、私もそうだから偉そうなことは言えないが。)

 だからこそ氏は、誰も語れない政界の闇の話を、行間で漏らしたりする。

 「重要本案通過のための裏取引で、深夜密かに、野党幹部に膨大な現金を運ぶなどという作業は一度くらいしてみたいものだったが、駆けだしの一年生にそんな大役が割り振られる訳もなかったろう。」

 最大野党の社会党が予算審議で国会を混乱させ、牛歩戦術で時間を浪費させ、深夜の討議を何日も続け、頑強に抵抗する姿を新聞が第一面で報道していた。全てが与野党の裏取引で行われ、大金が動き、社会党も潤っていたという裏話だ。

 うすうす聞いてはいたが、ここまではっきり述べられるとやはり幻滅する。事実だから誰もこの本を問題視せず、攻撃もしない。政治家たちは、藪をつついて蛇を出すのを恐れ、無視するが一番と、だんまりを決め込んでいるのだろう。

 「そのうち世界政治はエネルギーの配分が戦略の要となり、石油を白人国家、特に戦略的にアメリカが支配している限り、彼らの実質的な世界支配は続くことになる。」
「その意味からしても日本のエネルギーに関する活路は、原子力開発にあって、この問題に関する無知に起因する国民のアレルギーを、まず払拭する必要がある。」

 これが政治家としての氏の、基本認識である。だから彼は、原子力の開発にこだわる。

 「しばらくして、多分私と同じ発想に依ったのだろうが、田中角栄首相が突然プルトニュームの買いつけに関し、日本独自のルートを開発すると明言して外遊した。」
「それがアメリカの逆鱗に触れ、アメリカの陰謀で例のロッキード事件が仕組まれた。」「世界中であった同種のスキャンダルが、日本でだけ大問題となり、田中氏はその政治生命にとどめを刺された。

 「私は田中氏の金権政治を唾棄した者の一人だが、免責での証言だとか、その証人への反対尋問封じとか、日本の司法システムまで強引に曲げさせ、稀有な先見性のあった政治家を葬り去ったアメリカのやり方は、どうにも我慢がならないし、日本の政治のためにも絶対に許さるべきものではない。」 

 いかにアメリカが日本の政治を支配しているかという一つの事例を、私はここに見る。さらに氏が述べる言葉は、もっと国民に知られて良いはずの、隠された事実である。

 「アメリカの陰謀による田中氏の失脚を、ただ痛快に思っている日本人たちは、日本以外のあちこちの国で耳にする噂を、どこまで心得ているのだろうか。」「つまり原子力問題は環境汚染だと訴え、ことごとに反対を唱えているグリーンピースなる団体が、実はアメリカのオイルマネーで動いているということ。」

 野次馬根性も手伝って、反核・反戦を唱える平和団体として名高いグリーンピースをネットで調べてみた。

 アイルランドのジャーナリスト・グドムンドソン氏が、次のように批判している。

 「グリーンピースは環境保護団体のような顔をしているが、実は政治権力と金を追求する多国籍企業である。」

 バチカンにあるアポストロルム大学の二人の教授、カショーリ氏とガスパリ氏は、資金面の不透明さを指摘している。

 「グリーンピースの2000年度の年間予算額は、147億2000万円にもなる巨大資金団体である。彼らは税額控除される寄付金を集め、それを更に関連団体に特殊な会計方法で配分している。」「幹部たちは、高級レストランで食事をするなど、寄付金を自分たちの贅沢に使っている。」

 こうなると、石原氏の指摘もまんざら大袈裟でなくなる。アグネス・チャンの日本ユニセフ協会と似た、いかがわしさだ。社民党の元党首である福島瑞穂氏の、事実婚の夫は、グリーンピース・ジャパンの元理事長だ。二人は反原発のカップルとして、知る者の間では有名であるらしい。

 反戦・平和の左翼活動の闘士を自称する福島氏の夫が、石油メジャーの金で反原発活動をしているなど、薄汚い笑い話でないか。

 ついでに付け加えておくと、これもネットの情報だが、鳩山内閣で閣僚の資産公開がなされた時、福島氏の資産額は鳩山氏に次ぐ2位だった。金額は事実婚の夫である海渡雄一氏の定期預金(1億2265万円)と合算し、2億4999万円だったとのこと。

 石原氏の意見は平泉氏に比較すると、品位に欠ける嫌いがあるが、国民の知るべき知識としては大切なことが多い。

 あと何回になるのか私の気力次第だが、このままで終わらせられないという気がしてきた。本日はこれまでとし、少しばかり休憩して、明日からの続きに挑戦するとしよう。

コメント (2)
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