欧米と協調する平和外交を掲げる幣原外相と、満州に日本の利権を確立しようとする陸軍とのせめぎあいが、具体的に書かれています。あるいはまた、国際連盟の中で、いかに日本が突出した行動をしていたか、日本の動向に欧米諸国がどれほど振り回されていたかなど、教えさせられることばかりでした。
読書が進むにつれ、当時の日本は、現在の中国や北朝鮮、あるいはシリアやロシアなどと同様に、世界の目を惹きつけずにおかない激しい自己主張の国であったことが分かりました。氏の書を読んでいますと、軍国主義の日本が、軍事力にものを言わせ、世界を相手に満州支配を進めていったのだと、これも又理解させられました。
しかし、こうして敗戦後に書かれた、日本を悪者にする書の数々を読むうち、自然と疑問も生じてきました。戦前を肯定するものは、教科書や一般書籍だけでなく、歌謡曲から童謡まで全てが検閲され、徹底的に、禁止・削除させられた、GHQの時代を思い出したからです。占領軍の支配者たちが、怒りと憎しみを持って日本の過去を否定しただけでなく、日本人の政治家や学者や、思想家と呼ばれる者たちまでが参加し、一斉に自国の歴史を否定したという、敗戦後の無節操な日本が思い出されました。
私は過日、「変節した学者たち」という表題で、宮沢俊義、横田喜三郎、大内兵衛、中野好夫、末川博、我妻栄、戒能通孝、家永三郎氏等々、わが国で一流と言われる人々の変節を、ブログにまとめました。現在の日本で、平和主義者、人道主義者として、あたかもわが国の良識のように語られている学者たちが、じつは信念を捨てた卑しい人間だったことを明らかにしました。
「無知な者は、騙される。」・・・・。あの時、本を読んで発見しましたのは、この事実でした。つまり私は、臼井氏の書を読みながら、氏も又こうした学者の一人ではなかろうかと、そんな疑念にかられてまいりました。客観的事実のように書かれていますが、注意深く読みますと、結局この本では「日本悪説」がさりげなく、上品に語られています。
敗戦後に、連合国軍総司令官マッカーサーの支配下で、本は一字一句まで検閲を受け、GHQが認めた内容でしか出版できなかった過去を、日本が今も引きずったままであることを、私は発見いたしました。愛国心を否定され、歴史の否定を迫られた、惨めな占領統治につき、政治家や学者たちが、一度でも国民に事実を語ったことがあったでしょうか。国の歴史を分断され、国を愛する気持ちを禁じられた、あの占領時の、ねじ曲げられた事実が、一度でも真剣に議論されたことがあったのでしょうか・・・、私が発見しましたのは、この長きにわたる戦後の異常さです。
昭和6年9月、関東軍が南満州鉄道を爆破し、これを中国軍の仕業だとして、満州の大半を占領した時、内閣は今後の処理は「必要の度を越えざるものとする」と、曖昧な閣議決定をしました。杉山陸軍次官、二宮参謀次長、荒木教育総監部本部長といった、陸軍の首脳は、この時開いた会議で次のような方針を確認していました。
「軍部はこの際、満蒙問題の一併解決を期す。」「もし万一政府にして、この軍部案に同意せざるにおいては、之に原因して、」「政府が倒壊するも、毫も意図する所にあらず。」
つまり内閣が倒れたとしても、陸軍は満州占領を目的に邁進すると、こういう意気込みですから、まさに軍部の独走であり、軍人の横暴以外のなにものでもありません。日本軍の強引な拡張政策を、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアの各国大使は、強く抗議しました。
しかし一方でフランス大使は、「中国人には一度は力による教訓を与えなくてならない」と、個人的には考えていると語っています。「秩序ある文明国の日本と、混乱せる変態的な中国とは、」「きちんと区別して取り扱わねばならない。」「もし満州から、日本の勢力を排除すれば、」「満州はソ連の勢力下になり、世界のために危険千万である。」と、イタリア大使が個人として語っています。
軍部独走の事実を詳しく述べながら、エピソードのように氏が挿入しているこうした事実の方に、私は関心を引かされます。そこには「日本だけが悪だ」という、占領時の言論統制のほころびが見えるからです。反日・亡国の朝日新聞でさえ、「錦州問題の解決によって、満蒙の万象は、」「溌剌たる、新建設時代に入った。」と、手放しの軍部賞賛記事です。
これらが敗戦後の軍事占領下になりますと、手のひらを返すような軍部攻撃となり、フランス大使やイタリア大使の話など、まるで無かったかのような日本悪説に変わるのです。アメリカに取り入り、地位を得たり財を得たり、政権の座を得たり、どれだけの指導者たちが変節をしたか、このどんでん返しの「国民的変節」を検証せずに、日本の戦後は終わりません。
「一億玉砕」から「一億総懺悔」へと、スローガンが変わりました。やがて高度成長期が来て、「一億総白痴化」となり、今は「一億お花畑」と成り果てました。ここいらで、歴史を弄ぶ喜劇は終わりにしたいものです。といっても、即効薬や特効薬はありません。政治家と学者とマスコミと国民が、同時に目を覚まさなくては、日本の再生はありません。
臼井氏の著作に関しては、まだまだ多くのことを教えられましたし、尽きない感謝がありますが、この辺りで止めます。くどいようですが、これだけは言っておきましょう。「馬鹿な国民が多くいる国には、馬鹿な政府があります。」「馬鹿な国民が多くいる国には、馬鹿なマスコミがはびこります。」「馬鹿な国民が多くいる国では、馬鹿な学者が幅を利かせます。」
私たちは、少しずつでも賢くなり、自分の力で考えるようになりたいものです。自分の国を愛せない者は、人間のクズです。いつの時代になりましても、これはきっと真実であろうと私は考えます。くどいのですが、これも言っておきましょう。共産党や民進党など、反日・左翼の野党の議員に一票を入れてはなりません。これが国民の力です・・・と、日本再生のための特効薬は、結局選挙の一票でした。
とても簡単なのに、とても困難な、特効薬ですね。
コメの反省から入らないといけないでしょう。
近衛公は、確かに胆力は不足だったかもですが、必要な
愛国心は弁えていただろう事が推定され、直ちに戦後の
問題宰相 細川、鳩山由、菅の各元総理との単純比較は
適切を欠く事が理解できた様に思います。ここは、この場
をお借りし、一言お詫びを申します。
前回からの、満州事変などに関する貴記事も、学ぶ所
多く、まだコメを発する段階ではないかもですが、満州
国の建国は、やはり我国からの侵攻の側面が捨てきれない事、
当時の中国大陸国民党政府と、我旧帝国の共通の賊が
共産軍だったものの、戦後の江沢民元主席によって、その解釈が歪められた事(これが、今に続く、中国大陸の反日志向に繋がる訳でしょうか)、そして戦前、中国大陸に租界のあった、仏、伊などの各国が、戦前の我旧帝国の方針に
理解を示したにも関わらず、戦後はそれが一変した事、
それに関連して、戦前の対中政策は、我旧帝国だけが悪者扱い
されている所が大きくある事などが把握できた次第です。
これらの理解は、大変高度な思考と判断が求められますので、
拙理解もまだ十分とは言えず、故に貴方の深い理解が
直ちには得られない場面もあるかと心得ますが、折に
読み返すなど、更に努力を進めるつもりでおります。
最後に「一億玉砕」~「一億総懺悔」~「一億総白痴化」~「一億総お花畑」
の流れと「馬鹿な国民の多い国には、馬鹿な政府が」
「馬鹿な国民の多い国には、馬鹿なマスコミが」
「馬鹿な国民の多い国には、馬鹿な学者が」の貴下りは、
本当に真実を突いていると心得ます。
拙方も、かなりの阿呆たる事は認めますが、貴見解の通り、
少しでも賢くなり、自らの思考で自らの方向を決められる様、努めるつもりです。
過日の「変節する学者たち」の貴連載も、お世話様でした。
改めて、感謝の意を表します。
真摯なコメントを頂き、こちらこそ感謝いたします。
日本の歴史につきましては、私自身が手探りの状態で読書しています。その時々に得た感想を綴っているのですが、正直に言いますと、「惑いつつ、ためらいつつ。」というのが本音です。
貴方とともに、私も勉強しているのだと、いつもそんな気持ちにさせられます。これからも、よろしくお願いいたします。